⑥
幸いにも寒気はすぐに収まり、その後は特に問題もなく、私はかいがいしく働いていた。だんだん子供たちの姿がまばらになるにつれ、私は昼のことや結婚相手探しのことなど忘れ、単純に夜の部を楽しみに思う様になっていた。
「レナ、そろそろいってらっしゃい!」
「待ってました! いってきまーす!」
「あ、ちょっと! そのままいくんじゃなくてちゃんとお化粧を――」
解放感に浸っている私は、母さんの忠告に二つ返事をしてそのまま広場へと小走りで向かっていた。リリアの晴れ舞台、絶対一番前の席で見るんだから……。
しかし目的地に近付けば近付く程人が増えて行き、結局辿り着いた時には完全なる団子状態だった。
「嘘……」
普段はただの空き地であるそこには、特設の舞台と、沢山の茣蓙が敷かれていた。そしてそれらを埋め尽くさんばかりの、人、人――。
開演の一時間前に来れば十分だと聞いていたのだが、どうやら違ったらしい。
「どうしよう……。 これじゃ、良くて立ち見だよ」
広場の入り口で困り果てていると、誰かが私の肩を叩いた。
「やっと来たか」
「――サイ!」
ついつい声を大きな声をあげた私に、サイは少し顔をしかめた。
「うるさい」
「ご、ごめん! あんまり人が多いから、びっくりしてて」
「当たり前だろ。 今年の“不死鳥の乙女”はリリアなんだからな」
これだからお前は、とつぶやいてからサイは私にそれを差し出した。
「――?」
「お前も飲むだろ?」
「う、うん」
私が受け取ったのは、林檎酒のジョッキだった。ぐびっと喉を鳴らすサイにつられ、私もつい立ったまま口を付けた。
「――美味しい!」
シュワっという音共に、爽やかな香りが私の鼻を抜けて行った。正直な話、これは今までで一番美味しいお酒かもしれない。私が余韻に浸っていると、サイはふっと笑ってこう言った。
「ほら、行くぞ」
「えっと……」
「特等席に案内してやるよ」
サイはそう言って、茣蓙の隙間をすり抜けどんどん前へと進んで行く。私はすでに座っている人を踏まない様に注意しながら、慌てて彼を追いかけた。
ようやくサイが止まったのは、まさに舞台のど真ん前。そこには丁度、二人分の空きがあったのだ。
「え、ここ座って良いの?」
「朝から取っといてやったんだよ」
「……ありがとう」
サイが当然の様にそこに座ったので、私も恐る恐る腰を下ろした。
「……」
「……」
ここに来ても、サイは口を開こうとしなかった。
「……あ! お酒のお金って――」
「ツケといてやるよ」
「え、あれってサイの家のだったの!?」
「……」
そんなことも知らなかったのかという風に冷たい視線をよこしたサイに、私はうっと言葉を詰まらせた。
「……。 ……えっと、えっと――」
「お前ちょっと黙ってろよ」
「……ごめん」
サイにぴしゃりと言われてしまい、私は気まずさを誤魔化すためにお酒を呷った。その度に、喉がちりちりと焼ける感覚がした。
皆の楽しそうな会話を背後で聞きながら、一言も言葉を発さないのはかなり辛かった。
――逆に何で、サイは席なんか取ってたんだろ……。
一人で悶々と考えるも答えは見つからず、私は舞台が早く始まることだけを願っていた。
「……お前、顔赤すぎるだろ」
「ふぇっ?」
サイが突然私に声を掛けてきたのは、ジョッキをあらかた空けてしまってからだった。
「酒、弱いんだな」
呆れた様に言いながらぐびっと酒を呷る彼の顔は、ほとんど変わっていなかった。
「いや…、そんなことない……と思ってたんだけど……」
普段は全く酔わないのだが、言われて見れば少し回って来ているのかもしれない。ぼーっとした頭で、私はふっと周りを見渡した。
「……今度はどうしたんだよ」
「ジョッキ持ってる人、本当に多いなと思って」
「まあな。 親父は毎年、嬉しい悲鳴を上げてるよ」
「へー!」
短いとはいえようやく出来た会話に、私はホッとした気持ちになった。それが伝わったのか、サイも唇に薄く笑みを浮かべ――。
「お前ってさ、そうやって静かにしてりゃあちょっとはマシなのにな」
「……?」
どういうことかと見返せば、サイはジョッキを片手にとうとうと語り出した。
「俺……リリアに告白したんだ」
「――は!?」
思わずジョッキを落しかけながら、私はサイをまじまじと見つめた。
「……それで、どうなったの?」
「勿論、良い返事を貰ったさ」
「――うそぉぉぉ!」
「……」
じっとりとした目でこちらを見るサイに、私は慌てて言った。
「いや、あの、おめでとうサイ!」
「……まあ条件付きだけどな」
「条件?」
苦笑しつつ、サイはその続きを口にした。
「レナと仲良くしてね、だとさ……。 結局リリアは、お前が一番なのかもしれないな」
「……」
サイはそこで言葉を切り、少し赤くなった顔をこちらに向けて言った。
「でもこれだけは言っとく……。 いつかリリアは、俺の物になるってな」
「――!」
その瞬間、私には分かった。リリアと結ばれることが、サイの未来なのだと――。
――良かったね、リリア。
自然と前に掲げたジョッキに、サイも自身のジョッキを突きだした。木と木がぶつかり合う小さな音は、私を笑顔にさせた。
「……まだ、誰にも言うなよ。 お前の親父さんのとこに、挨拶に行ってからだからな」
「分かってるって!」
「……本当かよ」
サイがまるっきり信じてなさそうな表情を浮かべた時、大きな法螺貝の音が再び鳴り響いた。いよいよ、夜の部の始まりだ――。
遠い昔、まだ赤の国が出来ていなかった頃。人々は、争いと共に暮らしていた。
力ある村が力無き村を従え、更に別の村を傘下にすべく戦を拡大していく。当然の様に田畑は放棄され、土地は荒れた。
だが、この暗黒時代はそう長くは続かなかった。今までただじっと人間を見守って下さっていた天が、ついにお怒りになったのだ。父なる月は分厚い雲を拵え、母なる太陽と共にその陰に隠れておしまいになった――。
舞台上では、異変に気付いた人々が慌てふためいていた。月に赦しを乞うも聞き入れられず、絶望した人々は次々に倒れていく。とうとう最後の一人が膝を付き、太陽に祈りを捧げながら崩れ落ちた……。
全ての灯りが消え、暗闇と静寂に包まれた広場。そんな中で、誰かが叫んだ。
「不死鳥の乙女様―!」
その声を皮切りに、私たち観客は口々に叫び始めた。
「不死鳥の乙女様!」
「不死鳥の乙女様!」
「不死鳥の乙女様!」
気付いたら私も、夢中で叫んでいた。そう、私たちは、こんな状況をどうにか出来るのはこの世でたった一人しかいないと知っていたのだ。広場の熱気が最高潮に達した時、私は小さな鈴の音を聞いた。
次の瞬間、舞台上の松明に一斉に火がつく。驚いて口を開ける人々の前に、静かに舞い降りた天からの使者。彼女がゆっくりと頭をあげた時、熱気は張りつめた空気へと浄化された。その姿は正に、この世でたった一つの希望だった。
真っ赤な衣装を身に纏い、ルビイが散りばめられた剣を握って彼女は一歩踏み出した。太鼓の音が鳴り響く中、松明の炎に照らされ彼女は不死鳥の舞を踊る。
私たちの目の前で、信じられない奇跡が次々に起きていく。不死鳥の乙女が降り立った場所は、たちまち元の姿を取り戻していった。ひび割れた大地は再び生命を宿し、倒れていた人々は息を吹き返した。救われた人々は、武器を捨て、皆で協力して生きていくことを不死鳥の乙女に誓った。
舞を終え、型を決めた不死鳥の乙女を囲みながら、人はこう叫ぶのだ。
「不死鳥の乙女様、万歳!!」
その時だった。舞台上で突然、何かが爆ぜる音がしたのは。
「え、何!?」
拍手しようとしてそのまま固まった私は、思わず呟いていた。これも派手な演出なのかとサイを見れば、真っ青な顔が目に入った。
「リ、リリア……!」
「――!?」
ハッと舞台を見れば、そこは一面の白煙に包まれていた。悲鳴と、怒鳴り声と、人が木の床に倒れる音がして――。
「火事だー!!」
誰かがそう叫ぶのを聞きながら、私は立ち上がっていた。
「おい、待てよレナ!」
サイが追いかけてくるのが分かったが、構っている暇など無い。さっと舞台に飛びあがると、私は煙の中心に飛び込んだ。
「リリアー!」
一寸先も見えない白い闇の中、私は手を伸ばしてリリアを探した。
――これじゃ、どうしようも――。
「鈴の音だ……!」
「――!」
真後ろにいたサイが、私の肩に手を置いて言った。
「そこ、から……」
ある一点を指差し、サイは今にも倒れそうな声で私に言った。
「早く、リリアを……」
「サイ、大丈夫!?」
「俺は良いから、早く彼女を……」
煙を吸ってしまったらしいサイをそこに放っておくのは気が咎めたが、私はとにかくリリアの方へと向かった。
「リリア! いたら、返事して……!」
何も分からないまま闇雲に進み続けた私は、突如前方から迫ってきた鋭い気配にハッと顔の前で両腕を構えた。
「――っ!?」
痛さを感じた瞬間、白煙が突然に晴れていく……。
「……何……?」
ぽたっ、ぽたっと、私の腕を伝って生ぬるい血が舞台に落ちていく……。急に開けた視界の向こうで、先端を真っ赤に染めた鋭い何かが私を待っていた。
「……どういう、こと……?」
何が起きたのか理解出来ず、私はただそう呟いていた。否、認めることが出来なかっただけだった。私の腕を切り裂き、私の血を吸ったのは不死鳥の剣ならば、それを握っているのは――。
「さすがはレナね。 この状況で、私の刃に反応するなんて」
片手でさっと、赤色の衣装を脱ぎ捨てた。その下に着ていたのは、真っ白の衣――。衣装の袖から取れた鈴が転がり、私の足に当って場違いな聖なる音色を奏でて止まった。




