何のために
翌朝、僕達は目を覚ました少女を村へと送り届けた。どうやら少女は川に洗濯に行っていたところを大雨に襲われ、急いで帰ろうとしたのだが誤って川にはまってしまったらしい。
村人総出で出迎えられた僕達は、村長である老人に是非家に来てくれと懇願された。しかしレナさんは、にべもなくそれを断ってしまった。村長はとても残念そうな表情をしたが、せめて何かお礼を……と言って旅に必要な食料を無料でくれることになった。
「良かったですね、レナさん」
「……」
僕は朗らかにレナさんに声を掛けたのだが、彼女はじっと村長を見つめているばかりだった。
「しかし、あなたの様なお若い薬師様がいて下さって良かったですわい」
わはははと笑いながら、村長は僕の肩をどんどん叩いた。しかしその直後――村長は、激しく咳き込んだ。
「――村長さん!」
「……わはは。 最近どうにも、喉に引っかかってしょうがないんですわい。 もう年ですからなあ」
村長はそう言って、ちょっと水を飲んできますわいと僕から離れて行った。
――今の咳……。
「……イザム、村長の首元を良く見て見ろ」
「――え?」
何か良い薬が無かったかと、鞄をごそごそ探っていた僕にオル君がぼそっと言った。
――首元を……良く見る?
ハッと気付くと、オル君だけでなくブリリアントも、レナさんも、村長の首元をじっと見ていた。
――そういう、ことですか。
僕は一旦目を閉じ、“水龍”の目を開いた。
――……!?
目を開けた僕は思わず、一歩後ずさった。村長の首元には、事もあろうか、白い蛇が巻き付いていたからだ。その蛇はまるで襟巻の様にそこに存在し、時々長い舌をちろちろと見せていた。
「あ、あれは……まさか……」
「白蛇様……ですわね」
ブリリアントは、今にも倒れそうな顔をしながらそう言った。
「すぐに取らないと――」
「待て」
僕は村長に駆け寄ろうとして、背後からレナさんに肩を掴まれた。
「――レナさん!」
彼女は怖い顔をして、僕に恐ろしいことを言った。
「あれに触るな。 そのままにしておけ」
「何故ですか!?」
言っている意味が分からなくて、僕は思わず声を大きくしてそう言った。
「あれは白蛇が仕掛けた、罠だ。 蛇を消せば、向こうに居所が知られる」
「だからって、確実に害をなしている物を放置しろと言うんですか!?」
「……イザム」
少し声を落とせ、とオル君は僕に言った。
「……俺は、レナに賛成だ」
「――!」
予想外の言葉に、僕の思考は強制的に停止させられた。
「……お前はまだ、白蛇の恐ろしさを知らない……いや、思い出していない。 あいつが一度動き出せば、この世界は簡単に滅びてしまうんだ。 そうなれば、こんなことぐらい――」
「――……こんな、こと?」
僕はカラカラになった口で、絞り出す様にそう言った。しかしオル君は、ただ黙って一つ頷くばかりだった。僕は背後を振り返って、ブリリアントを見た。
「……」
しかし彼女は、青白い顔をしたまま僕と目を合わせ様とはしなかった。
「話し合いは終わったか?」
レナさんは腕組みをしたまま、冷たくそう言った。
「……」
「お前にはまだ、覚悟が足りない。 お前の甘さは、白蛇に取って格好の餌食でしか無いのだ」
「……」
僕は何も、言い返せなかった。
戻ってきた村長さんが朗らかに僕に笑い掛け、様々な話をしてくれても、僕は返事すらろくに出来なかった。時々咳き込む村長さんに、声を掛けることも出来なかった。
ぽっかりと開いてしまった心の隙間から、虚ろな自分がはっきりと見えた。こんなはずではなかったと思う一方、現実に何も出来ない自分に嫌気がさしていた。
――僕は今まで、何をして――。
「――兄様。 イザム兄様」
「――!」
ハッと声がした方を見ると、心配そうにブリリアントが僕を見つめていた。
「イザム兄様、そろそろお暇しなければなりませんわ」
しっかりと荷物を背負ったブリリアントが、すでに村の出口に向かって歩き始めている二人を見ながら言った。
「ええ、そうでした」
僕は無意識のうちに詰めた荷物を担ぎ、現実感が湧かないままにレナさんを追った。
「水龍、遅い」
一応は村と外の境界で待ってくれていたレナさんは、それだけ言うと今度こそす
たすたと歩き始めた。
「……すみません」
僕はその背中に呟くと、どこと言うでもなく宙を見ながらその後に続いた。
「……大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
心配してくれるオル君にどこか反射的に返事をし、僕は前だけを見て歩き続けた。そうしなければ、誰にぶつけるべきでもない怒りが漏れ出してしまいそうだったのだ。
時折ブリリアントが、何か言いたげにこちらを向いていたが僕は気付かないふりをしていた。
初めて僕は、誰も何も喋らない道中を好ましく思った。濃い緑に囲まれながら、僕は見失ってしまいそうな自分自身の片鱗を探していた。
――僕は、何のために……?
その答えは、どこにも無かった。




