命拾い
次の日の朝――。僕達はいつもの様に、まだ日が昇らないうちに野営を畳んで出発した。ちなみに僕達は一応テントを持って来ているが、夜は余り使っていなかった。
何故ならブリリアントに掛かれば、五分も経たないうちに立派な一軒家を建てることが可能だからだ。それが彼女の“求神”、エントの能力の一つであった。
元々精霊の村の中心で屋敷と一体化していたエントは、今ではブリリアントと一緒に僕達と共に旅をしている。では、あの屋敷はどうなったかと言うと……。
「ギーヤ、この村と、屋敷の人達を頼みますわ」
「ええ。 気を付けて行ってらっしゃいませ」
旅立ちの朝、僕達は正面玄関の前でギーヤさんに挨拶をした。その後ろに見えるのは、エントが抜けてただの建物になったお屋敷。ブリリアントが再び戻るまで、この屋敷は勝手に姿を変えることも無ければ、自動的に修理されることも無い。また火事が起きれば一たまりもないわけだが、ギーヤさんに任せておけば安心だろうとブリリアントは微笑んだ。そうして彼女は、一度も出たことが無かった村を後にしたのだった。
さて今日は、このまま山を越えて次の山に入る予定なのだが……。歩いて一時間も経たないうちに、オル君が鼻をひくつかせながらこう言うのだった。
「……嵐が来る」
「……」
その声に、レナさんはぴたりと足を止めた。
「大きいのか?」
「……ああ。 今日はこれ以上進むのは危険だ」」
ふーっと息を吐いてから、レナさんはブリリアントの名前を呼んだ。
「ブリリアント」
「は、はい! ――この先一キロ程進んだ場所に、丁度良い場所がありますわ」
ブリリアントは精霊の力を使って、近くの地形を全て把握出来るのだ。
「……あと三十分もない」
「急ぐとしよう」
急に天候が崩れた場合、僕達はテントを張って雨を凌いでいた。ブリリアントの“家”を使わない理由は、夜と違い他の旅人達に見られる可能性が高いからだ。
僕達が無事にテントを張り終えた頃、待ちくたびれたとでも言う様に天からの最初の一滴が地面に零れ落ちた。
薄暗いテントの中でも、僕達は相変わらず互いに無言だった。……というよりは、皆が旅の疲れを少しでも癒そうと睡眠を取っていた。
僕も膝を抱えてうつらうつらと、この機会を最大限に生かした時間の使い方をしようとしていた。その時ふと、隣で爆睡していたオル君がピクリと動いたのを感じた。
「……!」
「――どうしました、オル君?」
「……外で、人の声がする……」
そう言ってオル君は、中腰になって入口の方に耳を寄せた。
「いつもながら、オル君の聴力には――」
「……静かに」
オル君は口元に手を当てると、そっと入口に手をかけた。雨の音が少し大きくなり、湿った匂いが中に流れ込んでくる。僕はちらりと、良く寝ているブリリアントを見た。
「……」
僕には聞こえない小さな声を聞きとろうと、オル君は神経を集中させている様だった。やがてハッと顔をあげると、何も言わずにテントから飛び出して行った。
しばらくして戻ってきたオル君は、腕に小さな女の子を抱えていた。
「――オル君! その子は……」
「……増水した川で溺れていた。 手当を頼む」
分かりましたと言おうとした時、背後から冷たい声が聞こえた。
「誰の許可で、連れて来たんだ?」
「――レナさん!」
レナさんは何の感情も読み取れない顔で、オル君を見ていた。
「……このままでは死んでしまう。 大目に見てくれ」
「その少女が、敵ではないという保証はどこにある」
「て、敵だなんてそんな……」
いつの間にか目覚めていたブリリアントが、声を震わせながらそう言った。
「白蛇はどんな卑劣な手をも使う。 ……お前なら、この意味が十分分かるはずだ」
その言葉に、ブリリアントの顔がさっと青ざめた。
――ミラのこと。 まだ傷はまだ癒えていないのですね……。
しかし僕には、例え敵だったとしても少女を見捨てることは出来なかった。自分が使っていた毛布を広げると、少女をそこに横たえた。
「水龍、何をするつもりだ」
「この方が何者かは、治療が終わった後に確認しましょう。 全ては……命あっての物ですから」
レナさんはそれ以上何も言合わなかったので、僕は治療に集中した。レナさんはじっと僕を見ていたが、少女の顔色が正常に戻るまで待ってからその額に手を置いた。
「……」
緊張の一瞬の後、レナさんは命拾いしたなと言って手を離した。一同ほっとする中、レナさんは自分の場所に戻って再び目を閉じた。
「近くの村の、子供さんでしょうか」
「そうかもしれませんね。 雨が止んだら、送り届けてあげましょう」
「……ああ」
僕達はひそひそと話し、秘かに微笑んでいた。




