ミラの正体
屋敷の入り口はまさに火の海で、私は思わず躊躇った。
――でもこれぐらい……自分でも出せるはず!
私は気合だけで、炎と炎の間を走り抜けた。髪の毛がちりちりと焦げていく嫌な感じがしたが、それに構っている余裕は無かった。
――私はいくら火傷したって、死なないんだ。 それよりもミラが……!
焦る私は前へ前へと気持ちが急ぎ過ぎて、足元に転がっていた木の柱に蹴躓いて床に転がった。
「ううっ」
じんじんとした痛みを感じながらも、私は素早く立ち上がると上の階を目指して走り出した。
屋敷の構造はとても複雑で、特に明かりが消された中で正しい通路を探し出すのは難しかった。しかしそのお蔭か階段を通して火が回ることはなく、思ったよりも速く移動することが出来ていたのもまた事実だった。
――この感じで行けば、すぐにでもミラに――!?
調子よく走っていた私の目の前で、突然天井の一部が剥がれ落ちた。それは無防備な私の上に降りかかり――。
――っ!
私は思わず、ぎゅっと目を瞑った。
――……。
しかしいくら待っても、衝撃はやって来なかった。
――……?
恐る恐る目を開けると……。天井は確かに崩れ落ちてきたらしく、隙間からは上の階が垣間見えていた。そして私の右手には、いつのまに持っていたのか不死鳥の剣を握っていたのだ。
――ありがとう、不死鳥。
私はまたしても命を救ってくれた剣にそう唱えると、先を急ぐためにまた走り出した。
このようにいくつかの難関を乗り越えた私は、ついつい吸い込んでしまった煙のせいか、ふらふらして壁に手をついた。丁度そこには明かり取りの窓があり、少しの間、私は新鮮な空気に触れることが出来た。
――そろそろイザム、こっちに着いたかな……。
確証こそ無いが、私にはミラの無事が分かっていた。きっと彼女は、炎に怯えて逃げ遅れてしまったのだろう。
「ミラ……。 今迎えに行くからね!」
屋敷の前では、ギーヤが指揮を取りバケツリレーが行われていた。火事に気付いた村人たちもぞくぞくと集まって来ており、リレーに参加する人はとても多くなっていた。
「エント……」
ブリリアントはぎゅっと胸の前で手を握り、ただ祈りを捧げていた。そんな彼女の背を、隣に立つオルがそっと支えていた。
外側から見ると、屋敷からは黒い煙があがっていた。窓から見える炎が、中の様子を物語っている様だった。
「……レナ……ミラ……。 ……死ぬなよ……」
ぎりぎりと歯を食いしばる様にして、そう漏らすオル。そこへようやく、村の外れに出掛けていたイザムが到着した。
「ブリリアント……! オル君!」
「――イザム兄様!」
「……イザム!」
イザムはずっとここまで走って来たのか、二人の前まで来ると咳き込みながら両手を膝に着いた。
「ミラは……ミラはどこにいますか……」
明らかに切羽詰った声でそういうイザムに、ブリリアントはハラリと涙を零した。
「ミラは、ミラは――」
「……逃げ遅れたらしく、屋敷の最上階にいる。 ……今、レナが助けに行った」
「――なんですって!?」
イザムはガバッと顔を上げて、オルの肩を持って激しく詰め寄った。
「レナさんが、ミラと一緒に? どうして、どうして止めてなかったんですか!?」
「お、落ち着いて下さい、イザム兄様! レナ様はお強い方ですもの、きっとご無事で――」
「違います! これは全部、罠なんだ!!」
最上階――すなわちブリリアントの部屋に辿り着いた私は、ぜえぜえと息を吐きながら扉を開いた。幸いなことにここまでは、まだ火の手は迫って来ていない様だった。南向きの大きな窓があるその部屋に、ミラはいた。
「……ミラ!」
「お姉ちゃん……」
私は無事なその姿を見て、私はホッとして思わず笑顔になった。
「ミラ、良かった……」
私は当然の様に駆け寄ろうとしたのだが、ミラはすっと後に下がって私を拒絶した。
「……ミラ……?」
「お姉ちゃん、聞いて!」
ミラの声には、非常事態やその他全ての物を超越して私を固まらせる何かがあった。
「お姉ちゃんはミラのこと、どう思ってるの……?」
「どうって……好き、だよ」
カラカラの喉で、私は絞り出す様にそう言った。
「じゃあお姉ちゃん、ミラと一緒に逃げて」
彼女はまるで、昼御飯を一緒に食べてくれとでも言うような口調でそう言うのだった。
「……逃げるって、何から?」
ミラが逃げたいものとはきっと、火の手では無いだろうと。私はゆっくり、一言一言区切る様にして言った。
「何ってそんなの、全部だよ」
ころころと可愛らしく笑いながら、彼女はそう言うのだ。
「全部って……?」
「ブリリアントもギーヤも、イザムもオルも、精霊の村も、緑の国も、この世界も、ぜーんぶだよぜんぶ! 私にはお姉ちゃんさえいてくれたら、それで良いの。 だからお姉ちゃんも、私だけを見て!!」
「……」
満面の笑みでそう言うミラを、私はどこか遠くから眺めている気分だった。こんなにもミラのことが、分からないと感じたことは無かった。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
純真無垢な表情でこちらを見るミラ。少女は早く行こうよと言うように、私に向かって手を差し伸べたのだ。
「……」
小さな手を見ながら、私は意外と冷静に考えていた。今私がしなければならないのは、ミラと一緒に安全な場所へと移動することだ。どうしていきなりミラが、この様なことを言いだしたのかは分からない。もしかしたら……両親を亡くすという非常に衝撃的な過去を持つ彼女が、再び火事に巻き込まれたことが関係しているのかもしれない。――だとすれば、ここは一旦手を握り、安心させることが必要なのではないか。
私はそう思って、そっと自分の手を伸ばし――。その場で硬直した。
「……お姉ちゃん?」
「――っ」
当然手を取ってくれると思っていたらしいミラは、途中で固まった私を見て不審そうにこちらを見た。だが私は、それ以上手を伸ばすことなど出来なかった。何故なら突然、本能的な危険を察知したからだ。
「……ごめんね、ミラ。 やっぱり、逃げるなんて駄目だよ」
「――!」
まるで横っ面を殴られたかの様にショックを受けているミラを見るのは、正直辛かった。しかし私には、嘘をつくことは出来なかったのだ。
「ふーん、そっか。 やっぱりレナは、本音より建て前の人間なんだね」
ミラは上げていた腕をパンと下ろして、先程までとは打って変って冷たい口調でそう言った。
「昔と何も変わらない。 臆病な、“不死鳥の乙女”さん」
「……何言ってるの……?」
「うふふ。 薄々は気付いてくるくせに」
ミラはクスクスと笑うと、緑色の前髪を後ろに掻き上げた。たったそれだけの動作で、“ミラ”という少女は姿を消し……そこには、私の良く知る“彼女”が立っていた。
「……り、りあ?」




