⑤
そして迎えた、祭り当日――。
「レナー! 会いたかったよ!!」
「リリア!!」
私は聖なる山から戻ったリリアと、一週間ぶりの再会を喜んでいた。
「レナ。 私がいない間怪我してなかった? 無理してなかった?」
それはこっちの台詞だよと突っ込みつつ、私はリリアに羽根飾りを手渡した。
「はい、これリリアの分」
「ありがとう!」
私たちは羽根飾りを耳の横に差し、準備に取り掛かった。まず行われる昼の祭りでは、広場に繋がる道に出店が立ち並ぶ。家族営業の屋台では、それぞれが一家の誇りをかけて“伝統”を売っていた。
例えばある店では、その家に伝わる柄を織り込んだ美しい布を売っていた。またある店では、秘伝のタレで作った焼き鳥を売っていた。さらにこの村の屋台では、何も扱われているのは形ある物だけでは無い。ある店では屈強な大男が自身の冒険物語を披露して子供たちから注目を集めていたし、またある店では楽しい音楽が奏でられていた。
「いらっしゃいませー!!」
どの店も十分に気合を入れている中、私も張り切って声を上げていた。ちなみにうちの屋台では、林檎飴を売っている。母さんが作る特製の飴を絡めた林檎は艶やかで、太陽の光にかざすと輝いて見えた。甘くて美味しいそれは子供から人気であるのは勿論、大人にも毎年買いにきてくれるお客さんがいる程だ。
「え! レナ姐じゃん―?」
「ラッシー!」
ラッシーは悪がき仲間の一人で、天然パーマが特徴の男の子だった。
「レナ姐こんなところで何してるの?」
「何って……林檎飴売ってるんだけど」
「えー。 レナ姐働いてるのー?」
「当たり前でしょ! もう大人なんだから!」
威張る私に、ラッシーは黙って右手を差し出した。
「……えっと?」
「林檎飴ちょーだい!」
「あ……毎度ありー」
ラッシーに急かされ、私は慌てて商品を手渡した。
「じゃあな、レナ姐。 ちゃんと仕事しろよ」
「……あ、当たり前でしょ!」
小走りで去っていくラッシーに、私はやけくそでありがとうございましたーと叫んだ。
「ちょっとレナ。 お客さんに大声だしてどうするの!」
声が大きすぎたのか、屋台の奥に座っていた母さんが慌てて表に出てきた。
「あはは、元気良い方がお客さんに受けるかなーと思って……」
「まったく。 リリアちゃんが頑張ってくれてるっていうのに……」
母さんはぼやきつつ、視線を別の方向に向けた。
「いらっしゃいませ!」
そこにいたのは勿論、うちの看板娘を務めてくれているリリアだ。人を惹きつける可愛い声と笑顔で呼び込みをしている彼女に、誰もが二度は振り返っていた。
「いや、あれはもう……別次元でしょ」
「それはそうね」
リリアの前には、長い長い行列が出来ていた。それも、並んでいるのは成人した男ばかり。
「どう考えても、リリア目当てだよね」
「美味しく食べてくれてるみたいだから、あれはあれで良いのかしら」
私たち母子がぼそぼそしゃべっている間にも、リリアはてきぱきと客をさばいていた。そんな時私に、ふっと影が掛かった。
「――おい、聞こえてるのか?」
視線を上げれば、なんと私の前にも大人の客が来ていたのだ。
「い、いらっしゃいま――」
慌てて笑顔を作ろうとした私は、途中でぴしりと固まった。
「……なんだよ」
「サイ!?」
そこにいたのは、数日前にケンカ別れしたはずのサイだった。茫然としている私に代わって、差し出されたお金を受け取ったのは母さんだった。
「ほらレナ! お客さん待たせちゃだめでしょ?」
「え、ええっと……」
突っ立っている私に溜息をつきつつ、母さんはさっさとサイに商品を手渡した。それでも彼はまだ、そこを動こうとはしなかった。気まずい沈黙の中、私は仕方なく口を開いた。
「えっと……。 サイはリリアを見に来たんじゃ無いの?」
「……あ?」
「ご、ごめんっ」
サイに睨みつけながら舌打ちされ、私はついに黙った。
「……」
早く次のお客さん来てくれないかなとー思うのだが、相変わらずリリアの前にしか人はいない。ちょっと悲しいっちゃ悲しいけど、楽出来るから別に良いかなーというか。夜の部でもきっと同じことが起きるんだろうなーというか。私何考えてるんだろう……とか。
「――来いよ」
「えっ?」
考え事をしていたせいで、私はサイの言葉が聞き取れなかった。
「だ、か、ら! 早目に舞台に来いって言ってんだよ!」
「う、うん?」
余りの剣幕にたじろぐ私に、絶対来いよと念押ししてサイは去って行った。
「何、あれ……」
呆気に取られている私に、いつの間にお客を捌いてきたのか、満面の笑みを浮かべたリリアがすすっと寄ってきて言った。
「レナ、サイと良い感じじゃない!」
「……はい?」
「だって今、普通にしゃべってたじゃない」
「……どこが?」
私にはどうにも納得がいかないのだが、リリアが言うのでそういうことにしておいた。
「それじゃあ私、そろそろ行くね!」
「あ、もうそんな時間か」
リリアはこれから、夜に向けて“不死鳥の乙女”になるのだ。
「うん! 続き頑張って――あっ」
「何?」
リリアは突然、私の右手をとった。
「レナ、血が出てるよ」
「えっ」
リリアが見つけたのは、私の親指に出来た小さな傷だった。
「これは……」
さすがに血が付いたまま売り子をするのは憚られるため、私は一旦その場を離れようとした。
「母さ――」
「大丈夫。 私が舐めてあげるよ」
後ろを向きかけた私の指に、ちろりと出されたリリアの舌が触れた瞬間――。
「――!」
「――!」
気づけば私は、リリアを強く振り払ってしまっていた。
――何なの、今の感覚!?
突然強烈な寒気を左手――正確に言うとリリアの舌が当たった左親指に感じた私は、小刻みに震えるそれを庇う様に右手で手首をぎゅっと掴んだ。
「……レナ?」
訝し気なリリアの声に、恐る恐る顔をあげると……。彼女は、何事も無かったかの様に笑顔で私を見つめていた。
――いや、違う。 リリアは笑顔なんじゃない……。 白だ。 白の顔なんだ。
咄嗟にそう思った理由は、自分でも分からなかった。
リリアはぎこちない表情を浮かべる私を気にするでも無く、朗らかに笑いながら言った。
「レナ、行ってくるね」
「……うん」
「演劇、絶対見に来てよ!」
「い、行くよ、勿論!」
「じゃあ、また後でね」
「……うん。 また」
ひらひらと手を振りつつ、リリアは軽やかに去って行った。その後ろ姿には何の変化も見られなかったが、私は激しく動揺していた。寒気が走った瞬間、私の目は見えるはずが無いものを捉えていたのだ。
「……有り得ない、よね」
薄ら寒さを感じて、私は両手で肩を抱いてみた。自然と立っていた鳥肌を撫でつつ、私はどうにか落ち着こうとしていた。
一方で、自分が見た物を否定しきれない気持ちもあった。あの瞬間、私ははっきりと見てしまったのだ。リリアの舌が、二股に分かれているのを。
「リリア……。 結局まで聞けてないけど、白い巫女って、本当にあなたのこと?」
生まれて初めて、私はリリアに白を感じた。それは可愛いとか美しいとかそういう類のものでは無く、ただ、何も無い白だった。




