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不死鳥の乙女  作者: ren
精霊の花嫁
34/87

狂犬

 ラリー達の話を聞いて、いよいよ“花嫁”に直接会わなければならないと思った私たちだった。だがさすがに、いきなり花嫁が住む屋敷に押し掛けても目的は果たせないことぐらいは分かっていた。そこで私たちは、とりあえず昼食を取りながら状況を整理することにした。


 ピアの家からふらふらと歩き、私たちは一軒の食堂に入った。そこはテラスは無いが窓が道に面して大きく設けられていて、食べながら花嫁の屋敷を見ることが出来るのだった。


 花嫁の屋敷――。それは遠くからでも分かる、立派な建物だった。とにかく広く、上にも高く、まさに村のトップが住むに相応しいものだといえた。


 私はイザムが一生懸命話しているのを聞き流しながら、そんな屋敷の入り口を閉ざす門を遠目に見ていた。


 ――あの高さなら、無理やり越えられないことも……。


「――レナさん、聞いてますか?」


「ふぇっ!? き、聞いてるよ!」


 ふいにイザムの声が思考を遮り、私は慌ててそう言った。


「……どうせ、不法侵入出来ないか考えていたんだろ」


「……」


 オルの呆れた声に言い返せないのが、凄く悔しくまた気まずかった。


「――とにかく、ですね。 今僕達が知りたいのは、花嫁様が無事なのかどうなのかということです」


 イザムはそれた話を戻すべく、やや強引にそう言った。それに対しオルは、少し考えた後に自らの考えを切り出した。


「……俺は、花嫁が無事だとは考えられない」


「……! そんな……!」


 おもわず声を上げた私に、オルは冷静にこう言った。


「……もし無事なら、村人の前に姿を現さない意味が無い。 そのせいで無駄に不安を煽っている様なものなのだからな」


「――でもっ」


 暗に花嫁がかなりの重傷、最悪の場合は死んでいると言われ私は反射的に反論しようとした。しかしラリーやピアの話しぶりを思い出すと何も返すことが出来ず、代わりに違うことを後に続けた。


「――でも。 炎の悪魔もあれ以来悪さしてないってことは、花嫁はちゃんと悪魔を倒したんじゃないの?」


「……それなら何故花嫁は、倒したことを公表しないんだ?」


「それは……」


 オルの的を得た質問に、私は困り果てた私はイザムに助けを求めた。


「イザムもなんか言ってよー。 ……ってイザム?」


 先程からやけに静かだと思ったイザムは、私たちの会話を聞いてすらいなかった。それどころか彼は、声を掛けられている今も意識を窓の外へと向けていた。


「ちょっとイザム、何して――」


「――何か聞こえませんか、二人共?」


 しかしイザムは、悪びれることなく逆に私たちに聞いてきた。


「何かって何よ」


 むっとして私は言い返した。しかしオルはすぐに私には分からない何かに気付いた様に、食い入る様に窓の外を見た。


「……こちらに向かっている様だな」


「ええ。 それになんだか様子がおかしい……」


 私は意味が分からない話をしている二人に、少々苛々いながら聞いた。


「もう! さっきから何の話をしてるのよ」


 しかしその答えを聞くまでに、にわかに窓の外が騒がしくなった。お昼時ということもあって数々のお店が集まる通りにいた人々が一斉に、何かに怯えるような仕草をし始めたのだ。


「……え、何? 何が起きてるの?」


 ようやく窓の外を注視し始めた私。その視界に映ったのは、今しがた通りに現れた一匹の犬だった。


「――あれは、野犬……!」


 ――人通りの少ない場所を歩いているとどこからともなく湧いてきたあいつが、どうしてこんなところに……?


 私はその答えを導き出す前に、店の外へと飛び出していた。


「――あ、レナさん!」


「……ちっ!」


 後ろからイザムとオルの声が追いかけてきたが、今はそれどころではない。案の定、大通りに突然現れた野犬に人々は振り回されていた。


「――オイッ! あっちへ行け!」


「きゃあっ! こっちに来ないで!」


 大人たちは野犬が近づく素振りを見せるや否や、大声をあげたり持っている物大きく振り回して威嚇して追い払っていた。しかし、少数だがその場にいた子供は――。


 私の目の前で、一人の子供――言うまでも無く緑の髪をした小さな女の子に、その野犬は狙いを定めていた。その子は前触れ無くやってきた恐怖に、逃げることも出来ずただ怯えていた。


 その野犬は涎をぼとぼと地面に零しながら、少女の持つ籠をじっと見ていた。そして――。


「危ないっ!」


 野犬が少女に飛びかかった瞬間、私は自らも少女に飛び掛かった。そしてどうにか彼女を抱え込み、野犬の直撃を間一髪で避けることに成功した。


「――っ! 大丈夫!?」


「……」


 私はすぐに腕の中の少女に、怪我が無いかを確認した。持っていた籠は反動で手から離れ、遠くに転がってその中身をぶちまけてしまっていた。しかし幸いなことに、少女には特に傷はついていなさそうだった。ただ彼女は今や、ガタガタと震えている。それもそのはず――。私のせいで見事空振りを決めた野犬が、すでに体勢を立て直してこちらに向かって唸り声をあげているからだ。


「ねえ、止めなさいよ!」


 私は少女を置いて立ち上がり、周囲の目を気にせずに野犬に向かって話しかけた。……目を決して逸らさず、出来るだけ自分が大きく見える様に堂々と。そうすれば大概の動物は、尻尾を巻いて逃げ出して行くのを知っていたからだ。しかし――。


 目の前の犬は、私の決死の威嚇を何とも思っていない様だった。むしろ構って貰えたことを嬉しがっているかのように、先にもまして涎をたらしながら私に向かって尻尾を振っていたのだ。


「――っ! なんなんのよホントに!」


 そこへようやくやってきたイザムが、私に大声で叫んだ。


「――レナさんっ! その犬は――病です!」


「――ええっ! 今なんて!?」


 私は絶対に視線を外さない様にしながら、イザムに叫び返した。


「――狂犬病です!!」


「……絶対に咬まれるな!!」


 ――狂犬病……!


 私はその言葉に、アスナさんの忠告を思い出していた。最近村で野犬が増えてきているから気をつけろと言った彼に、私は野犬ぐらい大丈夫と言ったのだ。すると彼は――。


「なに言ってんだ! 野犬は狂犬病を持ってるから危険なんだぜ!!」


「……狂犬病?」


「ああ。 噛まれたら、頭がパーになっちまう怖い病気なんだ」


「なにそれ怖い! ……あ、でもうちにはイザムがいるから……」


 病気に関しては何も心配はいらないよと続ける私に、イザムは黙って首を振った。


「残念ながら狂犬病に関しては、効く薬が無いんです」


「――ええっ! イザムでも治せない病気ってあるの!?」


 薬師としてのイザムを全面的に信頼していた私は、驚いて叫んだ。


「……ええ。 ですから絶対に咬まれないで下さいよ、レナさん――」


 今私と対峙している、野犬。その口から溢れているのは、涎ではなく――泡だった。泡を吹きながらその犬は、私に飛びかかろうとしていたのだ。


 ――こんな時に“不死鳥の剣”があれば……!


 私は焦りを感じながら、手元に無い愛用の剣を思った。残念ながらその剣は、宿に置きっぱなしになっていた。私は丸腰で、さらにすぐ後ろの少女がいるというどうしようも無い状況で狂犬病の犬と向き合わざるを得ない状況だった。


 ――くそーっ!


 思わず人に聞かせられない悪態をついた時、ついに野犬はこちらにジャンプをかましてきた。咄嗟に避けようとして、慌てて踏みとどまった私は全身でその犬を受け止めながら片手で顎を掴んだ。


「――ぐっ」


 決して小さくは無い犬に飛び掛かられた反動で、私は少女を巻き込んで地面に押し倒された。


「……このっ! 大人しくしなさいよ!」


 私は胸の上で暴れる犬をどうにかしようと試みた。しかし犬は犬で、口を押さえられていて息が出来ないため必死でもがいていた。


「――……!」


 私は右手で掴んだ顎を、どうにか自分の下にいる少女から遠ざけ様として野犬の顔をのぞきこんだ。そしてその目を見た時、悟ってしまった……。野犬の目は既に、私を見てはいないということを。


 ――噛まれたら、頭がパーになっちまう怖い病気なんだ。


「――っ!」


 それまでは野犬も傷付けることなく、穏便に終わらせれたらと思っていた。しかし――。この犬に私の心は、絶対に届かないのだ。そしてこの犬が助かることも、絶対に無いのだ。


 ――そんな可哀想なことって……。


 一瞬憐みの情を覚えた瞬間、顎を押さえていた手がずるっとずれてしまった。そ

の瞬間を逃さない野犬は、ぶるっと顔を振って私の手を払いのけ真っ直ぐに少女目掛けて鋭い歯を向けた。


「――駄目っ!」


 咄嗟に伸ばした、私の左手。逆手になったそれは、奇跡的に野犬の頭を地面に押さえつけることに成功していた。だが――。


 左の肘を地面にうちつけて軸とし、無理やり反転して少女と野犬の間に入った私。その無謀な行動は、結果的に少女を狂犬の脅威から救うことになった。ただし、私の右腕を犠牲にして。


「――うっ」


 私は激痛が走る腕を――。野犬が咬みついている腕を――。どうすることも出来なかった。


 無理に回転したせいで、私はただでさえ掴みにくかった野犬の頭を完全に離してしまっていた。すると当然、野犬は自由に動ける時間があったわけで。


 解放された瞬間の野犬の目の前に差し出されたのは、私の無防備すぎる右腕だった。それにがぶりと咬みついたのは、別に狂犬でなくても自然な流れだった。


「レナさん!?」


「……レナっ!」


 聞こえてきた二人の声は、最早悲鳴に近かった。しかし私は、野犬を見ていた。まるで私の腕を咬みきらんとする様に、ふかぶかと咥えこんでいる野犬。その瞳をじっと、ただじっと見て――。


 ――ふっ。


 急に野犬は、大人しくなった。先程までは無駄に力んでいたその身体からは力が抜け、野犬は私の腕をすっと離したのだった。それどころか野犬は自ら付けてしまった傷を、まるで心配するかのように舌を出して舐めているのだ。


「――良い子良い子」


 私はそんな野犬の頭を、左手で撫でてやった。その瞳には今、しっかりと私が映っている。


「――そうか、あの犬はレナさんの血を飲んだから……」


「……“不死鳥”の再生能力か」


 少し離れたところでイザムとオルは、今しがた起こった奇跡に驚きを露わにしていた。そんな二人に私は笑って見せて、ようやく立ち上がった。すると野犬は、尻尾を振りながらぱたぱたと私の周囲を歩き出した。そんな犬にも微笑みながら、私は下敷きにしてしまっていた少女に手を差し伸べ――。


「……炎の悪魔」


「――え?」


 もう恐れることは何も無くなったというのに、少女は未だに全身を震わせていた。それどころか、私を見て怯えている。

 はっと気づくと、狂犬病騒ぎでいなくなっていた人々が私の周りに集まって来ていた。てっきりことが上手く片付いたので、彼らは安心して戻ってきたのだと私は思った。だが――。


「……」


「……」


「……」


 憎悪の表情さえ浮かべ、人々は一歩、また一歩と周囲網を狭めていく。ただならないその雰囲気に、私は焦って声を上げた。


「――こ、今度は何なの!?」


 そんな私に、イザムの声が届いた。


「――レナさん、逃げて下さい! その髪色では――ぐふっ」


 不自然に途切れる、イザムの言葉。私ははっとして、後で一つくくりにしている自分の長い髪を前に持って来た。


「――嘘っ!? 赤色に戻ってる……」


 そこで見たのは、燃え盛る炎の様な色をした本来の髪だった。


「――今、“戻ってる”って言ったな」


「し、しまった――」


 時すでに遅し。私が不用心に漏らしたその言葉は、人々を動かすのに十分過ぎた。


「――かかれっ!!」


 誰があげたのか分からない、時の声。それを合図に一丸となって飛び掛かって来た、人人人。私はもみくちゃに抑え込まれ、意識を失った――。


ここまで読んでくださってありがとうございました! 精霊の花嫁後半は、年内にUP予定です。

よければ感想、評価よろしくお願いします!!

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