⑦
「……命を大切に……か」
一人残ったオルは座り込んだまま、“その時”を待っていた。遠くを見つめる瞳と、薄ら微笑む口元――。それはおよそ鬼とは程遠く、“少年”らしいあどけなさの欠片も無かった。
言うならば少年は、すでに満足してしまっていたのだ。今日だけで、一生分の会話を優に超える程に口を動かした。生まれて初めて他人と対等に話し、感情をぶつけあうことが出来た。それで、十分だったのだ。
「……変な奴らだった」
オルはその時、素直な笑顔を浮かべていた。少年が感傷に浸っている間にも、その周囲には続々と村人が集まって来ていた。それこそが、少年の悲願だった。
「……もし、このままーー」
少年の意識は突然に、ガンという鈍い音と共に途切れた。それは村人の一人が、少年の頭を思い切り棍棒で殴り倒した音だった。
「……」
「……」
「……」
骨の芯まで凍えそうな冷たい視線が、動かぬ少年にいくつも刺さっていた。
「イザム……」
「はい、なんでしょう」
「やっぱり戻ろうよ」
「……」
どうしても嫌な予感が拭えず、私は彼にしつこく繰り返していた。しかしイザムは、そんな私をはぐらかすばかりだった。
――イザム、なんか変……。
「例えば……」
「え?」
「例えばある村に、傍若無人な村長がいたとして。 ある日突然心を入れ替えると宣言したら、レナさんはどう思いますか?」
イザムを説得する方法を考えていた私は、急に例え話始めた彼に面食らったものの正直に答えた。
「どうって……。 信じられない。 宣言しただけじゃ、本当かどうかも分からないし」
速足で歩く彼に置いて行かれない様、若干息を切らしながら私は答えた。
「普通、そうですよね」
「それがどうし……ってまさか!」
「ええ。 オル君が明日から村の為に頑張ると言ったところで、村人が信じるでしょうか?」
「……信じない」
「それどころか、良い機会であると反撃するかもしれません」
「……! じゃあオルは、最初からそうなることを分かっていてーー」
イザムは怖い顔をして、宙を見ていた。それは今すぐオルの元に戻りたい自分を、必死で抑えている様だった。
「なおさら戻らなきゃ、イザム」
「……」
彼は黙ったまま、足をピタリと止めた。
「イザム?」
「本当に良いのでしょうか」
「……何が?」
私には、イザムの逡巡の理由が分からなかった。だからこそ、語気を強めてこう言った。
「私は一度死んだつもりだった。 でも、イザムと出会って、生きてて良かったって本気で思ってる。 ……どれだけ過酷な運命でも、死んだ方が良いなんてことはない!」
「――!」
ハッとした様に、イザムは初めて私を見た。
「ならば、僕たちが取るべき行動はーー」
決意に満ちた表情で、彼は宣言した。
「――このまま歩き続けることです!
「――ええっ!?」
再び歩き出した彼に、私は結局ついていくしか無かったのだった。
「……うっ」
オルは意識を失った時と同様に、突然目を覚ました。なんのことはない、頭から冷たい水を浴びせられたのだ。
自分が丸太にくくりつけられ、手足の自由が利かないことをオルは確認した。
「……ふっ。 まるで、麒麟村の再現だな」
棍棒を持った村人達に周囲を取り囲まれているにも関わらず、少年は落ち着いていた。
「ぜ、全部聞いてたんだぞ。 これで雷はもう出せないんだろ!?」
「お前なんか、こうしちまえばただのガキだ!」
「やっちまえ!」
興奮している村人達に何を言っても無駄だと、少年は悟っていた。だから無抵抗に、殴られるのに身を任せた。勿論逃げ出そうと思えば、どうにでも出来ただろう。だがーー。
「……ぐっ」
顔を手加減無しに叩かれ、少年は口の中に鉄の味が広がるのを感じた。堪らず吐き出した唾は、紅い塊となって地面を汚した。
『……オル』
それは、少年の内側に潜む声だった。
『……良いのか』
「……すまない」
『……気にすんな』
「……ありがとう」
この会話を最後に、オルはもう、何も考えることが出来なくなった。霞んでいく視界と、徐々に遠ざかっていく痛み。悲劇的な状況にも関わらず、少年は確かに幸せだった。
「……ありがとう、麒麟、レナ、イザム」
静かに微笑みながら、オルは眠る様に意識を手放した。




