⑥
「では早速、挨拶から始めましょうか。 僕は水龍の遣いこと、イザムです」
「私は不死鳥の乙女、レナ」
「……麒麟の申し子、オル」
ゆっくりと上体を起こし、どうにか座ることが出来た少年はそう言った。
「オル君、ですね。 君はどうして、僕たちに攻撃を?」
「……ある男にそう命令された。 いつの日か、結界を破って“不死鳥の乙女”と“水龍の遣い”がやってくる。 それを殺せと」
「ある男――!」
「その方はもしかして、“白い”人ですか?」
イザムは興奮気味に、オルに尋ねた。
「……白い? そう言えば、若い癖に髪の毛は真っ白だった」
首を傾げつつ、少年はそう答えた。
「――!」
「――!」
思わず顔を見合わせる、私たち。ある男とは恐らく、水龍神に害をなした“白き者”とみて間違いないだろう。イザムは期待を込めて、オルに質問した。
「その男とは、どういう関係だったんですか? その男は今どこに?」
「……。 俺が麒麟の村で、どういう扱いを受けていたかは知っているか?」
「稲の村で、噂には聞いてる」
私は口ごもりながら、そう言った。
「……。 あいつは、俺が飢饉の責任を取らされかけていた時に突然現れたんだ」
「――!」
苦々しそうに、オルは唇を動かした。
「……俺がくくりつけられていた丸太のすぐ後ろに、あいつはいつの間にか立っていた。 不思議と村人は、あいつの姿が見えていない様だった。 あいつは……俺の耳元で、こう言った」
オルはそこで、一旦口を閉じた。前髪に隠された目は、まるで昔を見ている様だった。
「……今こそ、麒麟の力を解き放つ時だと。 愚民共に、お前の真の力を知らしめる時だと」
自嘲の笑みを浮かべつつ、少年は語り続けた。
「……元々麒麟の申し子の役目は、天候を操り稲作の手助けをすることだ。 それが……俺が生まれてからは、全てが逆だった。 俺は雨一つ降らせることが出来ないのに、何を今更……。 そう、思った」
――オル……。
少年が語るにつれて、私は胸が痛くなって来ていた。それはイザムも同じ様で、膝の上に置いた手が震えていた。
「……だが、俺も結局は人間だった。 いよいよ殺されそうになった時、恐怖で身体が勝手に動いて……。 気が付いたら、村人が皆、倒れていた。 ……俺が。 俺が殺したんだ」
「……」
「……」
オルの声は、少し震えていた。私たちも口を挟むことなく、話は静かに進んでいく。
「……呆然とする俺に、あの男は再び語り掛けて来た。 良くやった、これでお前は自由の身だ。 今度はお前が、愚民共を支配する番だと。 ……実際は、あの男が俺を支配しただけだった。 俺とあいつは、あの村を捨ててこの村に移ることにした。 俺はあいつの命令で、村人に手を掛けた。 命令に背けば気絶するまで殴られて、何日も食事を抜かれた。 次第に俺は考えることを止め、言われた通りに動く駒と化した。 ……俺が完全に“鬼”になった時、あいつは村を去った。 これが全てだ」
「……」
「……」
想像よりも酷く暗い話に、私は少なからず衝撃を受けていた。まだ幼い少年がこんな残酷な目に合っていたなんて、信じたくも無かった。その一方で、目の前で震えている少年に、どう声を掛けて良いかも分からずにいた。
「話して下さって……ありがとうございます」
だから、イザムが先に動いてくれて正直ホッとした。
「……別に。 それで、お前らは俺をどうするつもりなんだ? どうせ“鬼退治”に来たんだろ?」
「違う! 私たち、最初からオルを止めるつもりで……」
私はオルの言葉を否定しようと必死で、でも上手く言えなくて、結局言葉は途中で止まった。
「……止めてどうするつもりだったんだ。 どのみち俺は、もう」
「……」
「……」
「……」
気まずい沈黙の中、話を変えてすみませんがとイザムは新たな話を切り出した。
「実は……。 この村に入る時に見た結界、力を抑え込む呪いが組み込まれていたんです」
「……呪い?」
「それって、水龍神と同じーー!」
「ええ。 それも、部分的に封じる力です。 きっとオル君は、あの男によってずっと、力を制限されていたんです」
イザムの言葉を飲み込んだ少年は、顔色を変えて反論した。
「……まさか! 俺は生まれた時からずっと……」
「長い間村全体を覆う結界を維持してきた相手ですから、不可能では無いはずです。 そうして村人の負の感情を利用し、オル君を精神的にも、肉体的にも追い詰めてーー」
「もう止めて!」
私は思わず、イザムの言葉を遮った。オルは愕然とした表情で、涙を流していた。
「……俺は最初から、罠に嵌められていたのか……?」
「オル……!」
気付けば私は、少年をぎゅっと抱きしめていた。
「もう良い。 もう良いから……。 もう、何も考えないで……」
「……」
私の腕の中で、少年はただただ泣いていた。きっと今まで、ろくに感情をぶつけることすら出来なかったに違いない。
――……今までもそうだったけど。 白い男、本当に赦せない。
オルの背中を撫でつつ、私の心の中ではふつふつと怒りが湧いていた。
「イザム、これからーー」
「勿論です」
私はイザムと、互いに頷きあった。そして、少年が落ち着くまで待ってからゆっくりと話を切り出した。
「オル、もし良かったら……なんだけど」
「僕たちと、旅に出ませんか?」
すると少年は、泣きはらした目を大きく見開いた。
「……旅?」
「実は僕も、白い男には大きな借しがありまして。 同じ“力”を持つもの同士、仲良くやっていける気がするんです」
「私も“力”のせいで村で命を狙われて、逃げ出した結果が今なんだけど……。 旅って気楽だし、案外楽しいよ?」
「……」
オルはしばし沈黙した後、首を横に振った。
「……本当に力が戻ったなら、俺がまずやることは、この地を元に戻すことだ。 今は荒れ果てているが、また豊かな田んぼにしなければならない。 ……誘いは魅力的だが、ここを離れるわけにはいかないんだ」
「でも……」
私はどうしても納得出来ず、説得を続けようとした。それをやんわりと止めたのは、イザムだった。
「オル君が自分で決めたことですから」
「うーん」
この時私は、とてつもない胸騒ぎがしていたのだ。ここでオルを連れて行かなければ、一生後悔する。そんな確信があった。しかしイザムはさっさと立ち上がると、元来た道を引き返そうとしていた。
「ちょっと待ってよ、イザム!」
「きっと村長さんが心配していますからね」
珍しい程強引な姿に、私は後ろ髪を引かれつつも慌てて後を追うしかなかった。
「それでは。 機会があれば、またどこかで。 ――命を大切に」
振り向きもせず、背中で語るイザム。
「オル、元気でね!」
私はイザムの背に手を回しつつ、可能な限り少年に手を振った。
「……ああ」
そんな短い会話を最後に。私たちは、足早に卵の村の出口を目指した。




