①
この世界には、神がいる。それは紛れも無い事実であると同時に、今となっては伝説に等しい昔話だ。呪術で成り立っていた時代はとうに過ぎ、人間は沢山の知恵を身に付けていた。天候の把握、食糧の入手方法、様々な道具の作り方……。私たちは日々進歩を重ね、その暮らしぶりは変化の一途を辿っていた。
それでも尚、私たちの生活の中には古くから変わらない物がある。例えばその地方に伝わる“伝説”を受け継いでいくことは、大切な慣習の一つだった。
赤の国の辺境にある、不死鳥の村。この村の名は、その昔不死鳥神が舞い降りた山の麓に興ったことから付けられた。
年に一度の“全てを映す月の日”が近づくと、村は急に活気づく。何故なら、この国の救世主である不死鳥神を称える祭りが開催されるからだ。
大人は当然として、普段は野山を走り回っている子供たちもこの時ばかりは立派な働き手となる。日常を村の外で過ごす男たちも、この時期に合わせて続々と帰村してくる。――つまり一年を通して一番人が多く一番熱気があるのが、この祭りの期間なのだ。だからこそ、村人の熱の入り様には凄まじい物があるのだが――。
「――それにしたって、毎年毎年頑張りすぎじゃない?」
ぼやきぼやき、私は袖口で額の汗を拭った。毎年恒例となった、祭りの準備。うちの家が担当しているのは、羽根飾りの製作だ。鶏の羽根をむしっては、一つ一つ丁寧に洗っていく。紅花から作った赤い液で綺麗に染めれば、これは立派な“不死鳥の羽根”となる。
「うふふ。 皆張り切ってるものね」
私の愚痴に答えたのは、隣で作業を手伝ってくれている友達のリリアだ。彼女はほとんど家族みたいな存在で、小さい頃からずっと一緒に暮らしている。
「はああ……。 今日だけで、一生分の羽根を見ちゃった気がするよ」
羽柄を持ってくるくる回しながら、私は溜め息を吐いた。
「まあまあ。 聖なる不死鳥神の羽根だと思えば、光栄じゃない?」
リリアはそう言って、可愛らしく笑った。祭りに関わる物には、全て何等かの意味がある。ちなみにこの羽根には、不死鳥神に選ばれた者だけが見える炎が宿るという云われがある。
「いやでも、これはニワト――」
「――それは言っちゃ駄目!」
身も蓋も無い私の言葉は、言い終わる寸前で遮られてしまった。
「拗ねてばっかり、今日はどうしちゃったの?」
しっかりと手だけは動かしつつ、リリアは私を見て聞いた。
「……だって。 ここ一カ月ぐらい、ずーっとこればっかりじゃん」
最近成人の仲間入りをした私は、今回からぐっと仕事量が増えた。けれどリリアとは違って、私はちまちまとした作業が大の苦手だ。加えてせっかくの秋晴れだというのに、家の中に閉じ籠っているなんて有り得ない。
「レナももう子供じゃないんだから、しょうがないでしょ。 それに今年は、夜の部にも参加出来るじゃない」
「それは……」
祭りには昼の部と、大人しか参加出来ない夜の部がある。リリアは去年から参加しているが、私はこれが初めてだった。
「あれ? 去年は早く大人になりたいって言ってたよね?」
「それは、まさか……。 夜の部が、恋人探しのためにあるって知らなかったの!」
過去の自分の浅はかさに身悶えしつつ、私は思わずそう叫んでいた。どうしてこれまで、若い男女がいやに着飾る理由に気付かなかったのか。
男達のほとんどは、成人すると一旦村の外に働きに出る。そのためこの祭りこそが、唯一の出会いの機会なのだ。許された期間は、わずかに一週間。気合が入るのも、頷ける話だった。
――だが。ついこの間まで木刀を振り回していた、名の通った悪がきあがりの私は違う。気付いたら年だけ大人にはなっていたが、今はそれらしく振る舞うことだけで精一杯なのだ。だから……。
「……結婚とか、そんなの、急に言われても……」
「レナは男の子達と仲が良いから、すぐにお相手見つかるわよ」
「あれはただのケンカ仲間! そういう問題じゃないの!」
笑顔ですっ呆けたことを言うリリアに全力で突っ込みを入れながら、私は溜め息をついた。百歩譲って、男友達が多いことは認めよう。だが多くの男性が求めるのは、お淑やかで、一歩後ろに控えている様な女性――つまりは私の真逆だ。なまじ昔から良くつるんでいたせいで、私の性格は良く知られている。突然品を作ったところで、気持ち悪がられるのがオチなのだ。
その点リリアはと言えば……。去年の夜の部で、初参戦にして全ての男性を虜にした伝説の女性。内面や仕草もさることながら、その美貌は村どころか赤の国で一番とも言われている。燃える様な赤い髪ばかりのこの村では珍しいふわふわな桃色の髪も、彼女の可憐さを後押ししているだろう。しかも、その上、さらに、今年のリリアは“不死鳥の乙女”なのだ。
不死鳥の乙女とは、夜の部の始まりを飾る演劇――“不死鳥伝説”の主役のことである。その大役を拝命することは、栄誉中の栄誉、全女子の憧れである。
つまりただでさえ人目を引くリリアには、不死鳥の乙女という称号までもが加わってしまったというわけだ。祭り当日はきっと、彼女を一目見ようと人だかりが出来るに違いない。……想像しただけで遠い目になってしまった私の隣で、何故かリリアが溜め息を吐いた。
「私も……本当は夜の部に行くの、嫌なんだ」
「――えぇっ、何で!? リリアはどこ言っても人気なのに……」
驚く私に、リリアは可愛らしく苦笑して見せた。
「私は男の人より、レナと一緒にいる方が楽しいかな」
「リリア……」
何の冗談よそれと笑い飛ばそうとした私は、思わず言葉に詰まってしまった。それほどまでに、リリアの表情は切なげで……。琥珀色の大きな瞳に見つめられ、私は理由もなく頬が熱くなるのを感じた。
「もう、リリアはまたそういうことを……」
「えー。 本当だよ?」
「はいはい」
わざとぶっきらぼうに言って、私は伸びをしながら立ち上がった。
「休憩しよ、リリア!」
「うん!」
待ってましたとばかりにさっと立ち上がった彼女は、子供の頃から何も変わっていない。そのことに私は、少し安心した。
「いつもの場所で良いよね?」
「勿論!」
にっこりと微笑むリリアと連れ立って、私たちは家を出た。これから向かうのは子供の頃からの二人だけの秘密の場所で、今ではこっそりサボりたい時にうってつけの場所なのだ。
「間に合って良かったね、レナ」
「うん」
崖の端っこに座り、足をぶらぶらさせながら私たちは呑気に笑いあった。一歩間違えれば眼下に広がる黒い森に真っ逆様……だったりするここは、実はぎりぎり村の外だ。
「――あ、始まったよ」
「うん!」
何の変哲もない森の情景は、日没を迎える頃に劇的に変化する。何故ならこの崖の先端は丁度真西を向いていて、太陽が沈む一部始終を見ることが出来るのだ。
ああ、もうすぐ始まるんだな……と思った頃には既に、辺りは母なる太陽によって赤く染められている。空も森も、遠く離れた私たちでさえも、その聖なる光によって燃やされていく。――それは一日の終わりであり、明日への始まりでもあった。
「……」
「……」
いつの頃からか、私たちの間には太陽を見送るまでは喋らないという暗黙のルールが出来ていた。それにあえて理由を付けるとすれば、こんな素晴らしい光景を見せてくれる太陽に敬意を払っているからか。特に圧巻なのは、日没の瞬間。まるで最後の力を振り絞るかの様に、太陽はその日最大の光を放つのだ。……その後にはゆっくりと、何にも染まらない夜がやってくる。
「……終わっちゃったね」
「……うん」
私たちは余韻を楽しむかの様に、辺りが闇に包まれるまでじっとそこにいた。日が暮れてしまえば、ここはただの暗い山の中。隣にいるリリアの表情さえ、良く分からなくなる。
儚げな光を放つ星が見える様になってきてようやく、私たちはゆっくりと立ち上がった。そろそろ戻らないと、母さんにサボりがばれてしまう。
しかし、慣れという物は恐ろしい。最初にここに来た日は、泣きながら帰ったというのに。今では、何なら目を瞑ったままでも無事に帰れる自信がある。
それなのに、ふっと心に影が差したのはどうしてだろうか。
「……レナ?」
私が急に立ち止まったので、後ろを歩くリリアが首を傾げている気配がした。
「ねえ、リリア……」
私はその続きを、声に出すことが出来なかった。言ってしまえばそれが、現実になってしまいそうだったから。――すなわち、リリアがどこかに消えてしまいそうな気がしたのだ。
「大丈夫だよ、レナ」
「――!」
気が付けば私は、リリアに後ろからすっぽり抱きしめられていた。
「……リリア……」
「私はどこにもいかないよ?」
ああ、どうしてリリアには、私が今一番言って欲しいことが分かるのだろうか。私は彼女の手に、自分の手を重ねた。
「リリア、ありがとう」
「ううん、私こそ」
リリアはそう言うと、ぎゅっと手に力を込めた。
「帰ろう、レナ」
「うん」
リリアと手を繋いで歩くのは、すでにただのよく通る道だった。その途中、私はそっと後ろを振り返ってみた。
「……また、見れるかな」
「――え?」
私が洩らしたひとり言は、リリアには聞こえなかった様だ。
「ううん、何でも無い」
そう言うと、私はリリアを引っ張る様にして走り出した。
「ちょっと、レナ!」
「帰ろ、リリア!」
「――走ったら転んじゃうわよ!」
リリアはそう言ったが、声からむしろ喜んでいるのが伝わってきた。
「あー楽しい!!」
「うふふ。 レナと一緒だもんね」
表情は見えなくても、リリアはきっと笑っている。私たちは昔の様に風を切りながら、どこまでも走り続けた。




