③
それから数日後――。私たちは満を持して、卵の村に辿り着いていた。
「いよいよだね」
「ええ」
短く会話をする私たち。引き返すという選択肢は、最初から無かった。
――この奥に、鬼がいる。
一つ深呼吸をし、私が村の境界を跨ごうとした、まさにその瞬間。隣を歩いていたイザムが、すっと腕を出して私を遮った。
「……イザム?」
「……」
彼は黙ったまま、宙を睨んで言った。
「ここに、壁があります」
「……壁?」
首を傾げる私の右手を、イザムの左手が掴んだ。
――!
掌から伝わる表現し様の無い安心感に、私は一旦目を閉じた。再度目を開くとーー。そこには、天にまで届く様な巨大で、端が見えない程広大な壁がそびえ建っていたのだった。
「なにこれ」
「結界ですね」
さっと私の手を放しつつ、イザムは言った。
「おー」
良く見ると壁には、薄っすらと文字の様なものがびっしりと書かれていた。
――……全然読めない。
そもそも私は、簡単な文字しか読めない。しかし壁のものは凄く複雑で、一つ一つが刺刺しく芸術的だった。一方でイザムは、壁に触れない様にしながらも熱心に文字を眺めていた。
「イザム、読めるの?」
「いいえ。 でも、感じるんです」
そう言ってイザムは、丁度私の目の高さ位の文字を指で示した。
「恐らくこれは、遥か昔に失われた文字です。 侵入者を防ぐ為の物の様ですが……。 否、それだけではありませんね。 これは……。 とにかく、簡単に破れそうです」
「……イザム、凄い」
ただただ感心するしかない私に、イザムはすっと目を細めて言った。
「この結界、前に水龍神に掛けられていた呪いとよく似ているんです」
「それってまさか……!」
「勿論、呪いを掛けられる人が他にもいないとは言えません。 ですが、白き者が関わっている可能性は高いと思います」
「――!」
余りに衝撃的な話に、私はポカンと口を開けた。イザムは珍しく鋭い目で壁を睨んだ後、ふっと普段通りの彼に戻った。
「それではレナさん」
「あ、うん……!」
イザムが水龍の宝刀を抜くと同時に、私も眼前に不死鳥の剣を出した。
「――焼き尽くせ、解除の炎!」
「――打ち破れ、聖なる滝!」
至近距離から放たれた技は、乾いた音を立てて壁全体を粉々に砕いた。
「行きましょう、レナさん」
「うん!」
私たちは一歩、村へと踏み出した。
村の中は想像通りーー否、想像以上に酷い有様だった。半分傾いている家屋は、人の気配が全く見られず、あまつさえ風化が進んでいる様に見えた。かつては田んぼが広がっていた場所はすっかり干上がっており、ひび割れた地面の奥からところどころ雑草が生えていた。
「……ここ、本当に人が住んでる?」
思わずそう口にした私に、イザムも困った様に言った。
「皆さん、どこにいらっしゃるのでしょうか」
しばらく歩いていくと、少し開けた場所に出た。そして正面には、木の祠だったであろうものが見えてきた。だがそれは、何者かによって破壊しつくされていた。
「なにこれ……」
「随分なことをしますね」
イザムはそう言って、泥のついた木の板を手に取った。
「これは……麒麟神を祀っていた様ですね」
「……その通りだ」
突然、私たちの後ろで知らない声がした。
「――!?」
「――!?」
振り返った先にはたった一人、少年が立っていた。
「――あなた誰!?」
「いつの間に……」
気配も無く、私たちの背後を取っていた少年。その容姿はこの村に負けず劣らず、ボロボロだった。ぼさぼさの黄色の髪の毛と、目が全く見えない程長い前髪。服……という名の襤褸からは、棒の様に細い手足がはみ出していた。
少年は私たちの質問には答えず、黙って両腕を身体の前で交差させた。その手には、一対の短剣が握られていた。
「イザム……!」
「どうやら、お出迎えでは無さそうですね」
落ち着いているイザムの目の前で、少年は二人に“分身”した。
「――ええっ!? どういうこと!?」
私は思わず、大声で叫んでいた。なにしろ完全に同じ容姿の少年が、二人並んでいるのだから。
――これって昔話で聞いた、“分身の術”?
激しく動揺している私に対し、イザムはほぼ変わらない声の調子で言った。
「双子でしょうか?」
「……馬鹿な奴らだ」
少年達は口を揃えてそう言うと、同時に走り出した。
――来る!
私は咄嗟に、剣で少年の短剣を受け止めた。その一撃は思いの外重く、手に衝撃が伝わってくる。
――この子、強い……!
「……その程度なのか」
「――は!?」
一旦間合いを取った少年は、怒涛の攻撃を仕掛けて来た。それはまるで光の様に速く、私は受けきるだけで精一杯だった。
「……踊っている様だな」
「くっ! ……ここからよ!」
一瞬の隙をついて私は、剣を大きく振り回した。初めての攻撃をすっと屈むことで躱した少年は、私の空いた腹を狙って飛び込もうとし……動きを止めた。
「――ちっ」
少年を迎え撃つべく準備していた右足を下ろし、私は改めて聞いた。
「あなた誰? なんでいきなり攻撃してくるの?」
「……お前に言う必要は無い」
「――なっ!」
余りにも冷たく、人を見下した態度。私は久しぶりに、怒りが湧いてくるのを感じた。
「舐めてたら痛い目に合うわよ!」
「……ふふっ」
少年は不敵に、口元を歪めた。
――何……?
私は嫌な予感に、思わず剣をぎゅっと握りしめた。そんな中、少年は二つの短剣の先を合わせると天に向かって叫んだ。
「……孤高の雷!」
その瞬間、少年の剣から私目掛けて雷が放たれたのだ。
「――!?」
雷は私の右耳すれすれを通り、背後に抜けた。
「……ふん。 勘だけは良いようだな」
「あ、危ないじゃない!?」
あとほんの少し身体を動かすのが遅れていたら、間違いなく私を直撃していた。それはつまり、私の死を意味していた。
――この子、本当に私を……。
今更ながら、背筋に冷たいものが走っていく。
「……少しは楽しませてくれ」
しかし少年は、そんな私を嘲笑うかの様に再び短剣を合わせた。
――また来る!
ぐっと腰を落として身構えた私に、少年は口元だけ笑いを浮かべながら突っ込んで来た。一見遊んでいる様に見えて、その一撃一撃は私の命を確実に狙っていた。
「……ふふふ、怖気づいたか。 動きが硬いぞ」
「う、うるさい!」
私はこれでも、人生の半分以上の時間を木刀を振り回して来たのだ。少年の短剣は確かに凄いが、実戦経験はほとんど無いのはすぐ分かった。恐らく剣自体の実力は、私の方が少し上だ。だがーー。
「……孤高の雷!」
「――!?」
絶妙に繰り出される、雷技。私は必死に身体を捻って、それを避けた。
「ず、ずるい!」
「……お前も、炎を出せば良いだけだ」
「え……?」
この状況で無防備に手を下ろすなど、自殺行為に他ならない。にもかかわらず、私は間抜けな姿で立ち尽くしていた。
「今……なんて?」
私と少年の間を、一陣の風が通り抜けていった。少年の前髪が揺れ、私は、自分を見据えている二つの獰猛な目を確かに見た。胸が痛い程に脈打つ中、私は少年の口が薄く微笑むのを見た。
「……どうせなら全力を見せろ、不死鳥の乙女」