②
「さあさあどうぞ、召し上がれ」
にこにこと満面の笑みを浮かべた老婦人は、私たちの前に山に盛られた茶碗を置いた。
「イザム様とレナ様にも、この味を知って頂きたくてですな」
老婦人の夫であり、稲の村の村長でもある老人は、手を握りながら私たちに言った。
――う、うわあ……。
「……圧巻ですね」
イザムと顔を見合わせつつ、私は思わずごくっと唾を飲んだ。
――これが、噂の……!
高級な調度品に囲まれた、“和室”という部屋に通された私たち。大の大人が寝そべってもはみ出ない程大きな机の上には所狭しと、これまた豪華な料理の数々が並べられていた。しかし本日の主役は、目の前でほかほかと湯気を立てている白ご飯なのだ。
――逆に落ち着かないよー。
完全に雰囲気に飲まれ、委縮している私。先に動いたのは、イザムの方だった。
「いただきます」
丁寧に両手を合わせ、彼は朗らかに宣言した。流れる様な仕草で、彼は煌めく粒を、口に運んだ。
「これは……!」
突き動かされるかの様に、イザムはもう一口、もう一口と箸を動かした。
「美味しい……」
まるで珍しい薬草を見つけた時の様に、イザムの目は輝いていた。それを見て、私も恐る恐る、箸を取った。
「……いただきます」
老婦人と村長の視線を存分に浴びつつ。私も生まれて初めて、白ご飯を口に運んだ。
――……。
口の中でふわっと広がる甘みは、幸せの味だった。
「……」
私たちは二人して、黙々と茶碗の中身を平らげていった。言葉にこそださなかったものの、私はきっとうっとりした表情を浮かべていたのだろう。ほっとした様に胸をなでおろした村長は、急に自信を取り戻したかの様にこう言った。
「やはり、客人をもてなす時は白米に限りますからなあ。 ……これから玄米に戻さなければならないかと思うと、どうにも気が重いのです」
「あなたったら、まだそんなことを!」
老婦人は慌てて夫を窘めたが、イザムは気分よく笑いながら言った。
「一生食べてはいけない、とは言ってませんからね。 しっかり野菜や魚も取って、精をつけないと!」
「……ほら、薬師の先生もああ言って下さっているじゃないか」
「ではあなた、明日からしっかりおひたしも食べて下さいよ!」
「わ、分かっているとも……」
微笑ましい夫婦の会話に、私とイザムは笑わない様に必死だった。
「あの時、無理やりここに連れて来られて良かったね」
「ええ、本当に」
そもそもの始まりは、麒麟の村を目指す途中、たまたま稲の村に立ち寄ったことだった。ここは稲作がとても盛んで、かなり裕福な村だった。その秘密は豊かな水源に恵まれた、良く肥えた土地にあるらしいのだが。旅の途中で幾度となく米は食べて来たものの、この村の米は格別だった。村の食堂でをご飯食べた時、イザムと二人で感激して村人に笑われたのはつい最近のことだ。
「旅人さんよ。 ご飯でそんなに喜んでちゃ、安上がりだなあ」
「だって、他の村と全然違いますよ、このご飯!」
「ははは! そんなら、白米なんざ食べたら腰ぬかしちまうな!」
「ちげえねえ!」
いつの間に集まってきたのか、周囲でげらげら笑っている村人達。私は片手を挙げて、彼らに聞いてみた。
「白米って何?」
「お、お嬢さん。 良い質問だねえ」
「お前さん達が食べている米の薄皮を剥いだものさ。 手間はかかるが、その分美味さは桁違いよ!」
「村長さんの家じゃ、白米しか食べねえって聞くぜ」
「全く羨ましい限りだぜ」
「その代わり、贅沢病に掛かって早死にしちまうって話だけどな」
「……贅沢病、ですか」
何やら思案顔になるイザムに、私は聞いた。
「イザム、その病気治せないの?」
「……まあ、治せないことはないですが」
いとも簡単にそう言ったイザムに、村人達はまたざわざわし始めた。
「……治すって、あんたら一体――」
「イザムはこう見えて、何でも治しちゃう腕利きの薬師よ!」
「いやあレナさん、それは言いすぎーー」
しかしイザムの声に耳を傾ける者は、誰もいなかった。村人達はいよいよ興奮し、収拾がつかなくなっていったのだった。
「えええ、その若さで!?」
「それなら話は早い! 今すぐ村長さんの家に行ってやってくれよ!」
「「――!?」」
全く話が見えないまま、私たちは追い立てられる様に村の中心部に連れていかれた。そこで贅沢病で寝込んでいる村長を治療することになり……。見事に回復を遂げた村長に、丁重にもてなされていたという訳である。
「治すも何も……。 玄米の皮には、驚くぐらいたくさんの精が含まれているんです。 だから白米ばかり食べていると、その精が取れないので病気になってしまうんです」
「……まさに贅沢病……」
老婦人がよそってくれたおかわりを見ながら、私はぼそっと呟いた。
「まあ、一度上げた水準を下げるのはなかなか難しいと思いますが……」
漬物をぽりぽりと噛みながら、イザムは言った。
「こればかりは、自分でどうにかして頂くしかないですからね」
「うーん」
例え病気になったとしても、白ご飯は止められない。自分ならそう言う気がして、私はこっそり身震いした。
「……それはそうと、イザム様たちは元々、どちらに向かわれる予定でしたかな?」
老婦人に怒られ困り顔の村長は、話を逸らそうとしたのか私たちに声を掛けてきた。
「麒麟の村に行くつもりです」
イザムが何気なくそう言った瞬間、老夫婦の表情がさっと強張った。
「き、麒麟の村ですと……?」
「どうしてまた、その様なところへ?」
口にするのも恐ろしい言った二人の様子に、イザムはゆっくりと言葉を紡いだ。
「麒麟の村に、探している人がいると思うんです」
「お、思う……!? そんな不確かな理由のみならば、絶対行ってはなりませんぞ!」
突然大きな声をあげた村長に、私は思わず肩をびくっと震わせた。しかしイザムは、あくまでも冷静だった。
「ここに来る途中で、麒麟の村には鬼がいると聞きました。 どういうことか、教えて頂けませんか?」
「それは……」
口ごもった村長は、老婦人と顔を見合わせしばらく固まっていた。
「……今から十数年前に、麒麟の村で鬼が生まれました」
ようやく口を開いたものの、未だに言うべきかどうか迷っている。そんな様子の村長に、イザムは先を促す様に質問をした。
「生まれた? 鬼は……実在するのですか」
「……ええ。 鬼は人間として、村に生まれました。 その年からどういうわけか、彼の村では不作が始まりましてな。 古きを重んじる彼の村人が、それを“鬼”と結びつけるのにそう時間は掛からなかったのです。 ……災いを恐れた村人によって、彼は地下牢に幽閉され細々と命を繋げておりました」
「幽閉……」
嫌な響きに、私は顔をしかめた。
「それにも関わらず、麒麟の村は衰退の一途を辿っていきました。 ……まあ私に言わせれば、昔ながらの農法にこだわりすぎたのも……。 まあとにかく、いよいよ立ちいかなくなった時、村人達は地下牢から鬼を引っ張り出したのです」
――え……なんで?
首を傾げる私の隣で、イザムは感情を殺した様な声でぽつりと呟いた。
「見せしめ、ですね」
「……えっ」
「……まさに、その通りです。 あ奴らは、あろうことか鬼を磔にしたのです」
私は、絶句するしか無かった。深い溜息を吐いた村長は、重々しく話を続けた。
「大昔ならまだしも、そんな野蛮なことを見逃せるはずがありません。 知らせを聞いて私は、村の男どもを率いて麒麟の村に向かいましたとも。 ……ですが」
僅かに震え出した拳を握りつつ、村長は言った。
「今でも覚えています。 ……あの日は今にも雨が降り出しそうな、暗い昼でした。 私どもが麒麟の村に着こうとした時、突然村に雷が落ちたのです」
「――雷!」
「――雷ですか!」
私とイザムは、口を揃えて言った。
「ええ。 雷は引き寄せられる様に、鬼がくくりつけられた丸太を直撃しました。 当然丸太は黒焦げ、鬼も無事では済まない。 誰もが、そう思いました。 ですが、鬼は……。 鬼は全くの無傷で、鋭い眼光でそこにいた全ての人間を睨みつけたのです」
今やガチガチと歯を鳴らしている村長は、必死で自分の袖を掴んでいた。老婦人はすでに涙を流し、嗚咽を漏らさない様に口を堅く押さえていた。
「……鬼はその時、真の鬼になったのです。 彼は雷を操り、村人達を次々に殺戮していきました。 私たちはそれを、ただ眺めていることしか出来ませんでした」
「……」
「……」
私もイザムも、しばらく口をきけなかった。痛いほどの沈黙の中、村長は溜息と共にこの話の結末を語った。
「……後日埋葬した死体はどれも骨と皮ばかりで、放っておいても三日程の命だったろうという有様でした。 いくら閉鎖的な村だったとは言え、何か出来たことがあったのでは無いかと……。 何とも後味に悪い話です」
「……」
私は唇を噛みしめたまま、じっと黙っていた。
「――鬼は、今どこに?」
イザムは強い怒りを抑え損ねた様な、低い声で聞いた、
「……鬼は今、卵の村にいます。 かつて自分がされた様に村人を虐げ、暴力であの村を支配しているのです。 ただ、私共ではそれをどうにもすることが出来ないのです」
村長はそう言って、悔しそうに机を叩いた。私はそれを見て、心の中で静かに炎が燃え始めるのを感じた。
「卵の村は、どこにあるんですか?」
だから、思ったことをそのまま口にした。
「――!」
「――!」
部屋の視線が、さっと私に集中する。
「れ、レナ様、今の話を聞いていたのですか!?」
唾を飛ばしながら叫ぶ村長に、私はじっと目を見つめながら言った。
「勿論! とりあえず、鬼を止めれば良いんでしょ」
「――!?」
口をパクパクさせている村長に、私は堂々と宣言した。
「話を聞いちゃった以上、放っておけるわけないじゃん!」
「そう言われましても、どうやってーー」
「……レナさんの言う通りです」
「――い、イザム様まで!?」
いよいよ慌てふためく村長に、イザムは頭を下げながら言った。
「これはもう、僕たちの問題でもあるんです。 どうしても卵の村に行かせて下さい!!」
「お願いします!!」
私も彼に倣って、頭を下げた。その向こうには、ただただ気圧された村長夫婦が呆然と座っているのだった。