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不死鳥の乙女  作者: ren
水龍の遣い
14/87

「段々毒が、強くなってきてる」


 私はニトウ川の水を一口飲んで、冷静にそう判断した。


「――この川の上流に、やはり何かがあるのですね」


 イザムは険しい表情で、これから向かう先を見つめている。


「イザム……」


「行きましょう、レナさん」


 私は念のためにと持ってきた不死鳥の剣をぎゅっと握り、黙って頷いた。早朝に家を出た私たちは、川沿いを上へ上へと上って行っていた。


 初めてイザムと会った場所などとうに過ぎたが、時おり掬って飲む川の水はどんどん毒の味が濃くなる一方で。自分たちが真実に近づいているのは、もう間違いなかった。


「……」


「……」


 今日は天気も良く、山に登るには絶好の機会かもしれない。しかしながら理由が理由だけに、私たちは口数も少なくただ黙々と歩いていた。


 何回目かに川の水を飲んだところで、イザムが深く息を吐いて言った。


「……レナさん、本当にすみません」


「――え、何が?」


「その……。 毒と分かっているものを飲んで貰っているのが申し訳なくて……」


「あ……」


 私はそう言えばそうだった、とどこか他人事の様に思い、それをそのままイザムに言った。


「別に、どうせ効かないんだから全然良いよ」


「ですが――っ」


 イザムは何故か怒った様にそう言い、言葉に詰まった。だから私は、イザムに言った。


「ありがとう、イザム」


「――!」


 驚く彼に、私はふっと笑いかけた。イザムは今、私のことを薬師でも無ければ救世主でも無く、不死鳥の乙女ですら無く、ただの“レナ”として見てくれている。その事実だけで私は、逆に救われる気がしていた。


「私の事、心配してくれてありがとう。 でもね……これは私がやりたいと思ってやっていることだから、気にしないで」


「……すみません」


 それでもイザムは、私に深々と頭を下げてきた。


 ――意外と譲らない性格なんだね。


 だから私は彼の気をそらす為に、適当に思いついたことを口にした。


「それよりさ、イザム。 私そろそろ昼食にしたいかな―……なんて」


「――あ、実は僕もそう思ってました」


 顔をあげたイザムは、深刻そうな表情から一転して笑顔で答えた。


「この先に景色の綺麗なところがあるんです。 小さな湖なんですけど、レナさんも気に入ると思いますよ」


「へええ、楽しみ!」


「まあ、多分毒の湖ですけど」


「それは言わないの!」


「ははは、すみません。 それじゃちょっと近道しましょうか」


 イザムは一旦川から外れ、森の中の道を選んだ。そして再び水の音が聞こえ始めた頃、前を歩いていた彼は前方を指差しながら言った。


「ここを抜ければ、湖まですぐです」


「よっし!」


「いざ参りましょう、水龍の宝石と称えられる青玉≪サファイヤ>の湖へ」


 イザムは私に見て欲しいとばかり、道を譲ってくれた。期待に胸を膨らませ、私は最後の木々の間を潜り抜け……余りの光景にその場で固まった。


「どうですか、レナさん?」


 後ろからイザムが楽しそうに声をかけてくるが、それどころでは無かった。


「な、なんなのよこれ……」


 呆然と呟く私の横通り抜けそれを見てしまったイザムは、同じ様に言った。


「なんなんですか、これは……」


 この湖はきっと、少し前までは澄んだ青色だったのであろう。しかし今は見る影も無く、全体的に白く、濁りきっていたのだ。


「……」


 私は突っ立ったままのイザムを残し、湖岸へと近づいて行く。誰がどう見ても異常としか言いようの無い水が、そこにあった。奥の方を見れば、湖から繋がる川が下流に流れて行っているのが見て取れた。おそらく、途中でニトウ川に合流するのだろう。


 ――飲まなくても、この水が“不明病”の原因だって分かる。


 汚く濁った水の表面には、魚が腹を見せて浮いていた。


「――酷過ぎる」


 こみ上げる何かを胡麻化す様に、私はイザムを呼んだ。


「イザム、ちょっと……」


「……レナさん、僕は……」


 聞こえてきた声は、尋常では無いぐらい弱弱しかった。そこで私は初めて、イザムの様子がおかしいことに気付いた。彼は両手で頭を抱えて、地面に蹲っていたのだ。


「イザム! どうかしたの?」


 慌ててかけより、私はイザムの肩に手を置いた。


「……突然……眩暈がして……」


「大丈夫!? えっと、横になって――」


「そんなんじゃ……ない……ん……です!」


「――えっ」


 ぎゅっと目を閉じたまま、イザムは絞り出す様にそう言った。


「僕は……僕は……」


「と、とりあえずちゃんと座って、イザム! それからえっと――」


「今分かりました……。 僕は、僕は――」


 イザムは私を振り切るように、無理やり立ち上がった。そして驚いている私に目もくれず、すたすたと湖岸へと歩いて行った。


「あの、イザム……?」


「――見える、見えるんです、レナさん」


「……え?」


 イザムは湖を見つめたまま、滔々と語り出した。


「不明病の原因と思われる物質がなんなのか、僕は僕なりに色々と考えました。 色も無く臭いもなく、僕が見えないので毒でも無い。 唯一の手がかりはレナさんが教えてくれた、熱に弱いという性質」


「……」


「水の中にいる目に見えない小さな生き物が原因なのではないか。 もしくは水に含まれているなんらかの物質が、体内に入ってから毒に変わるのではないか……。 無い知識を総動員して考えましたが、答えはもっとシンプルだった」


「――不明病の原因が“見える”の、イザム?」


「はい。 答えは“呪い”だったんですよ、レナさん」


「……呪い?」


 私はポカンとして、イザムが言った言葉をただ繰り返した。


「レナさん、こっちに来て貰えますか」


「……うん」


 私は異臭すら漂っている湖に近づいて行き、イザムが差し出した左手を右手で握った。


「力を抜いて、もう一度湖を見て下さい」


「……」


 私は眼を閉じ、深く息を吐いてからゆっくりと目をあけた。そこにあるのは先程と何も変わらない、白い湖と――。


「――!」


 突如私の目の前には、山が現れた。池のど真ん中にあるその山は上下に絶えず振動――息をしていたのだ。荒々しい息づかい、見る者に畏怖を与えるその姿。あれはもしかして――。


「伝説の、水龍神です――」


 隣にいるはずのイザムの声が、どこか遠くから響いてきた。


「……どうしてここに、水龍神が……。 それになんであんなに辛そうなの!?」


「分かりません。 でもきっと、あれが原因でしょう」


 イザムが左手で指を差したのは、横たわる水龍神の背に刺さる一本の矢だった。


「――!」


 イザムに言われて初めてその存在に気付いた私は、思わず言葉を失ったt。


「あの矢には呪いが掛かっている様に見えます。 恐らくそれが、水龍様をむしばんでいます。 そして傷口から流れ出た血が――呪いが掛かった血が、この湖を穢しているのでしょう……」


「――そんなっ! そんなのって……」


 言葉が繋がらず、私は口を閉じた。淡々と残酷なことを述べるイザムに、私の許容量はとっくの昔に一杯になっていたのだ。


「……レナさんはここにいて下さい」


「――え?」


「あの矢を抜けるかどうか、試してきます」


 そう言ってイザムは、勢いよく白い湖に飛び込んでいった。


「――ちょっ! イザム待って――」


 私は慌てて後に続こうとした時、ふいにあの声が聞こえた。


『止めておけ、レナ』


 ――!


 水面ぎりぎりまで足を下していたにも関わらず、私はその場で踏みとどまった。何故ならその声は、不死鳥の村で私を導いてくれた声に相違なかったからだ。


「あ、あなたは誰なの!?」


 思わず叫んだ私に、その声の主は不敵に笑いながら言った。


『不死鳥の乙女たる者が、この私を知らないとは傑作だな』


「え、え、それって、まさか――」


『左様。 私は不死鳥神だ』


 衝撃の事実をさらっと告げた不死鳥神は、私が固まっているのを良いことにどんどん一人で話していく。


『この湖にかけられた呪いは、人を内側から弱めていくもの。 今のお前では、再生の力が及ばず力尽きる』


「え、じゃあイザムは!? イザムのことも止めてよ!」


 憤りながら言うと、神はふうとため息をついた。


『あやつは仮にも水龍の遣い。 しばらくなら、己の持つ浄化の力で持ちこたえられる。 まあそれも、時間の問題ではあるが』


「……えええ?」


 ――イザムが、水龍の遣い? しかも浄化の力って、何……!?


 混乱する私だったが、不死鳥神は理解するまで待ってはくれなかった。


『お前にはお前の役割がある。 友を救う気があるなら、剣を使え……』


 それを最後に、また声は聞こえなくなった。


 ――なんなのよ、意味分かんない!


 私は少々苛々しつつ、今や水龍神の元へと辿り着こうとしているイザムに向かって声をあげた。


「イザムー! 大丈夫なのー?」


「ええ。 問題ありません」


 肩まで水に浸かりながら、彼はそう言い切った。ついに湖の中心までたどり着いた彼は、背に刺さる矢を掴んだ。そのままえいやと水龍神の背に乗り、それを抜こうとするイザム。


 遠くから見てもさほど大きくは見えなかった矢だが、やはりその大きさは普通に人間が使うのと同じであるらしい。打ち損じてしまった矢を抜く狩人さながら、彼は渾身の力を振り絞っていた。


「どうイザム、抜けそうなの?」


「――凄く硬いです……! でも絶対抜きます!」


 ここまで一切の感情を消したかの様に淡々と話しているイザムだったが、実は珍しいぐらい怒っているらしい。それを見て私は、何も出来ない自分に次第に腹が立ってきた。


 ――何も出来ない? そうじゃない。 私には私の役割があるってさっき聞いたばっかりじゃん!


 ぎゅっと不死鳥の剣を持つ手に力を込めると、混乱していた気持ちがすっと落ち着いていく気がした。


 ――そう。 私が今すべきことは、ただ一つ――。


「あの矢を、斬る――!」


 剣を真っ直ぐに掲げ、瞼を閉じ、私は自分の中にある炎に感じた。もし私が本当に“不死鳥の乙女”だというならば――。


「イザム! ちょっとどいてて!」


「――え!?」


 目を見開いた私には、しっかりと呪われた矢≪目的≫を捕えていた。


「呪いには術を。 ――“燃やし尽くせ、劫火の炎よ!!”」


 真っ直ぐ水平に振った剣の先から生まれたのは、真っ赤な炎だった。それは一直線に湖の中心に向かって行き、驚いて尻餅をついているイザムの前で呪われた矢にぶち当たった。


「……」


「……」


 言葉を失くす私たちの前で、矢は掛けられた呪いごと跡形も無く燃え尽きた。


「やった……」


 私は無意識に堪えていた息を深く、深く吐き出した。これでやっと終わった――わけでは、無かった。


「――大丈夫ですか!?」


 その場に座り込んでいたイザムだったが、矢が消えたのを見るや、水龍神の背から滑り降りた。彼は神の眼前に回ると、必死になって呼びかけた。


「水龍様、水龍様!」


「……」


 忌々しき矢は消え去ったにも関わらず、水龍神は依然としてぐったりとしたままだった。


「水龍様、しっかりして下さい! 水龍様!」


 イザムの必死の呼びかけに、水龍神はうっすらと目を開けた。


「――! 水龍様!」


『……イザム、ですか』


「――っ。 僕の名前をご存知なんですか?」


 イザムが驚いて尋ねると、神はうっすら微笑んで言った。


『……勿論です。 貴方は私の――“水龍の遣い”なのですから』


「――!」


 水龍がさらっと言った言葉に、イザムははっと息を飲んだ。


「……僕が、僕が――“水龍の遣い”……?」


『その通りですよ、イザム。 貴方が幼き時より、私はずっと見守っていました。 いずれ覚醒し、自らの使命を全うできる様に』


「……僕の、使命?」


『ええ。 予定通りに事が運んだなら、貴方は既に目覚めているはずだった。 しかし、何者かが私に害をなしたのです』


「――!」


『あの日の夜……。 久方ぶりに眠りから覚めた私は、この場所を訪れました。 私自身が掛けた術を解こうとした、まさにその時――突如あの者が現れたのです』


「あの者……とは?」


『……白き者、です。 その者は私に、矢を射ました。 私は全ての力を抑えられ、何も出来ない身体にされてしまったのです』


「そんな、水龍様が敵わないなんて……」


 イザムは水龍の衝撃的な告白に、愕然とした。


『本当に情けない話です……。 しかし貴方は、自らこの場所まで辿り着いてくれました。 それも“不死鳥の乙女”という強力な友を連れて』


 そう言って水龍神は、何も無い空間から小さな刀を出現させ、イザムの目の前に差し出した。


『それは水龍の宝刀。 それを使って……』


「……水龍様?」


 水龍はほんの少し話しただけで疲れたと言う様に、再び目をつむってしまった。


『……水龍の遣いとして……』


「――水龍様!?」


 それ以上水龍神は、ぴくりとも動きそうに無かった。慌てている彼に、私は岸から大声で叫んだ。


「イザムー! 浄化の力を使うのよー!」


「――レナさん! 浄化の力とは何ですかー!?」


「それは知らない!!」


「ええっ!?」


 もしかしたら私の助言は、イザムを余計に混乱させただけかもしれなかった。しかし彼は、この事態をどうにかしようともがいていた。


「僕は、水龍の遣い……。 ならば、きっと、こうするはずだ!」


 彼は右手で、青玉サファイヤのついた刀を天に掲げた。


「呪いには救いを。 洗い流せ、浄化の濁流!」


 その声が湖面に響くや否や、静かだった湖が突然荒れ狂い始めた。イザムを中心に、まるで渦を描くように波が立ったのだ。


「――うわっ」


 私は岸にまで押し寄せてきた水に飲み込まれない様に、慌てて後ろに下がった。


「イザム、やりすぎじゃない!?」


 私の叫びも空しく、ついに波は湖全体を覆ってしまった。


「イザムー!!」


 まるで水龍神が天に上るかの様に、湖の水は頭上高くまで持ち上がり……糸が切れたかの様に地に戻った。


 ――イザム……無事よね……?


 湖はやがて、嘘のように静けさを取り戻した。その色は先程までの様に汚い白ではなくこの湖の本来の色――すなわち透き通る様な青色をしていた。そして湖の中心にはイザムが一人で、静かに佇むばかりだった。


「……イザム」


 聞きたいことは山ほどあったが、どう声をかけて良いのか分からなかった私はどうしようもなくその名を呼んだ。すると彼は、ゆっくりとこちらに微笑みかけた。


「水龍様は、この地でもう少しお休みになるとおっしゃいました」


「そう……」


「レナさん。 今やっと、全てが終わりました」


「うん」


「……」


「……」


「――ただいまです、レナさん」


「……お帰り、イザム」


「……」


「……」


 言葉など、私たちにはもう必要無かった。ただそこには、優しい風が吹いていた。





「見て下さい、レナさん」


「ああ、さっきのやつね」


 湖での戦いの後――。イザムの家へと戻ってきた私たちは、服を着替えて再び外へと出た。大きな木が生み出す木陰に座り、イザムは手の平より少し大きいぐらいの刀を私に見せた。


「水龍様は去っていく時、僕にこう仰いました。 僕にはこれを使う“義務”があると。 そして続けてこうも。 東の方角に、僕たちが会うべき人物がいると」


「東……?」


 私はイザムの言葉にどこか引っかかりながらも、ただ一言だけ呟いた。


「ええ。 具体的なことは、聞けませんでしたが」


「そう……」


 私は頭の中で、世界地図を思い浮かべた。青の国の東には、広大な面積を誇る黄の国が横たわっているはずだ。


 ――ここでお別れ……か。


 少し寂しさを感じる私に、イザムは満面の笑みでこう言った。


「これから忙しくなります」


「……」


「僕がいない間の薬の貯蓄を作ったり、カナに伝えきれていない薬師の技術を教え

たり……。 また寝る暇が無くなってしまいますね」


「えっと……」


「レナさんとなら、上手くやっていける気がします。 僕たち、特異体質同士ですからね」


 ――僕たち……。


 ここで私は、先ほど自分がどこに引っかかったのかにようやく気付いていた。


「イザム、まさか……!」


 ――水龍の村を、出るって言うの……?


 信じられない思いで彼を見ると、真っ直ぐな視線とぶつかった。


「僕は行きますよ。 例えどんなに遠くでも、運命が示す方向へと」


 そう言って彼は、私に微笑みかけた。その表情は、初めて見たイザムと全く別の……。自らの定めを悟り、覚悟を決めた者だけが見せる物だった。


「よろしくお願いします、レナさん」


 イザムはそう言って、私に手を差し出した。


「――!」


 私もこの時、初めて覚悟を決めた。不死鳥の乙女として、自らの意志で彼の手を取ったのだ。


「行きましょう。 風の吹くまま、運命が示す地へと」


 手を固く握ったまま、私たちは微笑みあった。私とイザムの間には今、新たな絆が生まれようとしていた――。


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