⑤
「レナさん、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
良く晴れた日の、昼下がり。私とイザムは、家でのんびりとくつろいでいた。
「ふあああ……。 やることが無いと、なんか眠いよね」
「平和で良いことでなんですけどね」
そういうイザムの目も、心なしかいつもよりトロンとしている様に見えた。
「それにしてもまさか、水が原因だったとは」
小さな茶器を片手に、イザムは首を横に傾けながら言った。
「私もまだ、半信半疑って感じだけどね」
でもまあ……結果的に、そういうことになっちゃったんだけどと私は続けた。
「お造りが毒じゃと……」
信じられないとばかりに、呟く村長。イザムは顎に手を当てて、考えをまとめているようだった。その横では村長に同調する様に、カナちゃんが声をあげた。
「でもレナさん、それは変です! 魚が原因だっていうなら、こっちの煮魚だって毒になるはずでしょ?」
「えっと……」
言葉に詰まる私の隣で、そうかと声をあげたのはイザムだった。
「もしかしたら、水が原因なのでは!」
「水じゃと?」
イザムの発言に半分呆れた様な村長だったが、それは私も同じだった。
「水って……。 それは無いよ、イザム。 水だったら私いつも飲んでるし」
反論する私に、イザムは冷静に言った。
「違うんです、レナさん。 僕たちがいつも飲んでいるのは、一度沸騰させたものなんですよ」
「――!」
驚いてカナちゃんを見ると、彼女は頷きながら言った。
「うちは……確かに、薬作りに使う水をそのまま使っていますけど……」
「それが毒と、どう関係あるんじゃ?」
立ち上がったままの村長が、イザムに尋ねた。
「元々川の水を沸騰させ湯気にして使っているのは、目に見えない不純物を取り除く為なんです」
「不純物じゃと? 聖なる山からの川じゃぞ!?」
何を言ってるのだと言いたげな村長に対し、イザムはあくまで冷静に対応した。
「普段飲むにはさほど問題無いのですが、薬を作る際には重要な作業になってきます」
「むむむ」
納得しきれていない表情の村長だったが、年の功だろうか。彼はイザムに、先を促した。
「もし僕の仮定が正しいとして、生の水が原因だとしたら……」
そこで言葉を切り、彼は私を見て言いよどんだ。
――あ、そういうことか。
イザムの言いたいことを理解出来た私は、自ら切り出すことにした。
「ルカさん、生の水を貰えますか?」
「え、ええっ」
呆然と私たちの会話を聞いていた彼女は、反射的に私に湯呑を渡してくれた。
「レナさん、その……」
「大丈夫。 ――頂きます!」
あえて明るく宣言した私は、ひと思いにそれを呷った。
「……」
「……」
静かな部屋の中で、私が喉を鳴らす音だけが響き……。
「あ、うん。 この水、毒の味がする」
その日は水龍の村にとって、忘れられない日となった。何しろ夜も遅くだというのに、村長の名のもと、“何人たりとも生の水を飲むべからず”という御触れが出回ったからだ。
当然困惑した住人が説明を求めて村長の家に押し掛けるという事態になったが、好好爺は一歩も引かなかった。
「――説明は後じゃ。 とにかく、一度儂を信じてみるのじゃ!」
最初は何を理不尽な……と文句を言っていた村人達だったが、彼らもどうにかして治りたいのは同じ。普段は穏やかな村長の権幕に何かを感じたのか、しっかり実践してくれたらしい。その結果、新たに不明病を発症する者はいなくなったのだった。
こうして半年に渡ってイザムの生活そのものとなっていた解毒剤作りは、ようやく終焉を迎えたのだった。
「こんなにゆっくり出来るのは、本当に久しぶりです」
両腕を組んで思いっきり伸びをしながら、イザムは嬉しそうに笑った。ちなみにカナちゃんは現在、友達の家に新しい服を作りに行っている最中だ。
「レナさんのお陰で、この村は落ち着きました。 レナさんは本当に……“水龍の遣い”みたいですね」
「止めてよ、これ以上二つ名を増やすのは」
「はは、そうでしたそうでした」
私には“不死鳥の乙女”という重すぎる名前と共に、“救世主のレナ”という大げさすぎる肩書がついていた。本当は病を解決に導いたのは全てイザムや村長で、私はほんの少しお手伝いをしただけなのに。
「なんで私、毒が分かっちゃうんだろ……」
今更首を傾げる私に、イザムはあくまで想像ですがと前置きしてこう言った。
「不死鳥の乙女の能力に、再生の力があるんですよね。 もしかしたら毒を飲んだ瞬間に、口の中が傷付いているんじゃ無いでしょうか」
「あー。 毒を感じてるんじゃ無くて、再生してるのを感じてるってことか」
妙にしっくり来る答えに、私はなるほどなるほどと頷いた。
「イザムのお陰で色々解決して良かったよ!」
あっけらかんと笑う私に、イザムは厳しい顔をして呟いた。
「まだ何も、解決してませんよ」
「……え?」
その余りに暗い声に、私は思わず彼を凝視した。
「生の水を飲んだら不明病になることは分かっても、それが何故なのか、僕たちは全く分かっていません」
「……」
「最初に不明病が発症したのは、半年前。 必ず、何らかのきっかけがあるはずなんです」
「……」
イザムの言葉を聞いて私は、急速に自分の目が覚めていくのを感じていた。
「それに、今回は毒が見えるはずの僕の目が全く役に立たなかった……。 これら全部を解決する鍵は、きっと上流にあるはずです」
「上流。 それって――」
ハッと息を飲む私に、イザムは決意に満ちた目で宣言した。
「行きましょう、レナさん。 僕たちが初めて会った聖なる山へ!」
「違う! 違うんだ!」
固く閉ざされた暗い部屋の中で、サイは力の限り叫んでいた。しかしその声は、誰にも届かなかった。彼は不死鳥の祭りを穢し、レナとリリアを崖から突き落とした犯人として捕らえられていたのだ。
レナが崖から身を投じた後――村人達ははっと正気に戻った。実は彼らは、全てリリアに操られて動いていたに過ぎなかった。舞台で見せたリリアの舞、それこそが術であったのである。ちなみにあの時広場で売られていた林檎酒には、リリアの手によって精神を惑わせやすくする薬が盛られていた。肝心のレナには、全く効かなかったのだが。
レナに逃げられたリリアはしばし呆然としていたが、レナのいないこの村に用は無いとばかり、すぐにそこを抜け出した。その時、彼女は再び村人に術をかけたのである。全ての出来事が、サイによって起こされたと錯覚する様に。その結果として、彼は今地下牢にいるのだった。
「違う、違うんだ……」
彼は自分の行いが全くの無駄であると悟った後も、弱々しく呟かずにはいられなかった。何故なら彼は、真実を知っていたからである。
全てはサイが、ずっとレナの隣にいたせいだった。レナが切り付けられた際、彼にはレナの返り血が飛んでいた。皮膚についたほんの少しの血液は、リリアの術を完全に打ち消していたのだ。
「俺は何も……やってないのに……」
ついに声をあげるのを諦め、項垂れるサイ。
「……もう、駄目か」
「そうでも無いぞ、サイ」
「――!」
なんだ、ついに幻聴が始まったのか。そう思いながら顔を上げたサイは、牢のすぐそばにいつの間にか人が立っていることに気付いた。
「――ヒト様っ!」
それは今の彼が、最も会いたかった人物に他ならなかった。
「ヒト様、違うんです! 俺は――」
彼は自らの行く手を阻む、太い柱と柱の隙間から首を突き出さんばかりにヒトに近づいた。
「分かっておる」
ヒトはただ、片手をあげることによって彼の動きを制した。
「お前さんがレナとリリアを殺めていないことは、重々承知だ」
「じゃ、じゃあ俺は――」
ぱっと表情を明るくさせた彼に、ヒトは静かに首を振った。
「残念ながら、お前さんを正式に解放することは出来ん」
「なっ――」
絶句する彼に、ヒトは苦々しげに言った。
「村全員がお前がやったと確信している以上、今さら覆すことは私の力では叶わんのじゃ」
「そ、そんな……。 リリアの力は、ヒト様をも超えるとでも言うのですか?」
「リリアは“白蛇の巫女”じゃ。 何人たりと、あやつを止められる者はいない」
「白蛇の、巫女……?」
彼にはヒトの話は全く理解出来なかったが、ヒトは黙って頷くとさらに言葉を連ねた。
「巫女は今、レナを追っているはずだ」
「レナ!? 彼女は生きているんですか!?」
サイは驚いて、思わず叫んでいた。
「ああ」
彼の興奮に対し、ヒトは素っ気なくそう言っただけだった。老婆はそのまま暫く口を閉ざしていたが、重々しくサイに問うた。
「お前さんは今でも、リリアのことを好いているのか?」
「――!?」
場違いとも思えるヒトの言葉に、サイは案の定言葉に詰まった。
「俺は……」
彼の脳裏に浮かんできたのは、リリアの最後の姿だった。レナの血のついた剣を持ち、大きな声で彼女を追い詰めるリリア……。それは彼が追い求めていたものとは正反対で、信じがたい姿だった。
「俺は――」
その日の夜、サイは不死鳥の村から消え失せた。彼の行方を知っているのは、かけ始めた月だけだった――。