④
「……終わった」
今日も今日とて一睡もせずに朝を迎えたイザムは、出来上がったばかりの薬を瓶詰した後そう宣言し、倒れた。
「い、イザム!? ちょっとしっかりしてよ、ねえっ!」
「大丈夫です、レナさん。 ただ寝てるだけなんでそっとしておいて下さい」
慌てる私に、カナちゃんはいかにも日常茶飯事といった風に言った。確かによく耳を傾けてみると、イザムは規則正しい寝息を立てていた。
「……」
床に転がっている兄に毛布を掛け、彼女は明るく宣言した。
「さあレナさん。 出来上がった薬を皆の家まで運びましょう!」
「あ……うん」
私たちは毒々しい青色の液体が入った瓶を、次々に台車に乗せて広場を目指した。そこにいけば、村の人が薬を受け取りに来てくれるのだ。最後に一つだけ残った瓶を乗せ、台車を転がして訪れるのは決まっていつも村長の家だった。
「今日も重かっただろうに、ご苦労様じゃ」
私たちは奥に上がって、お茶を頂いていた。どうしても保存が難しい解毒剤を配る為に、黄の国から瓶を大量に購入してくれたのはこのお爺さんなのだ。
カナちゃんが薬作りが一段落したことを伝えると、村長はたいそう喜んでみせた。
「それはそれは! して、イザムは?」
「兄さんはいつも通り、燃え尽きて寝ています」
「そうじゃったそうじゃった。 いやはや、イザムには頭が上がらないのう」
たっぷりの白い顎鬚を撫でながら、村長は本当にすまなさそうに言った。
「それで、原因の方は何か分かりましたか?」
「むむ。 あれから色々と考えて見たのじゃが……」
ちらっと私の方に視線を寄越した村長は、よっこらせと椅子に座り直してからこう言った。
「イザムの意見も聞かせて欲しいところじゃし、今夜もう一度うちに来てくれぬかのう」
「そうですね! 夜には兄さんも起きてくると思います」
「すまないがレナさん、あなたにも来て欲しいのじゃ」
「えっ、私ですか?」
急に村長さんに話を振られ、私は面食らった。
「ああ、勿論じゃ。 そなたはあのイザムがわざわざ赤の国から呼び寄せた薬師なのじゃからな」
「……ははは」
水龍の村におけるイザムの信頼度は抜群で、彼がそう紹介するだけで村人は皆、異国人である私の存在を受け入れてくれていた。
「私からもお願いします、レナさん」
イザム以外で唯一、私が薬師ではないと知っているカナちゃんは、問題解決には新しい視点が必要ですしと助け船を出してくれた。
「えっと、まあ……私で良ければ参加させて貰います」
頭使うの苦手なんだけどな……と思いつつ、私はそう言った。
「話は変わるがレナさんは、魚は好きか?」
「え? ええと、好きですけど……」
私は村長からの突然の質問に驚きつつ、にこにこしているカナちゃんに気付いた。
「ルカ――我が妻に、夕食を用意させておこう」
「やったー!」
村長の言葉に満面の笑みで両手をあげたカナちゃんは、ルカさんのお料理は村で一番美味しんですよと言った。
「あらあら、若い子にそう言って貰えるなら、張り切っちゃうわ」
そう言いながら奥から出てきたのは、柔和な表情のおばあ様だった。
――お似合いの夫婦だ……。
なんとなくほっこりしつつ、私は二人にお礼を言った。
時が過ぎるのは早く、あっという間に夕方は来た。イザム、カナちゃん、村長、私の四人は、大きな机を挟んで議論を交わしていた。話に付いていけるか不安だった私だったが、初めに確認ということで村長さんが丁寧に解説して下さったのでどうにか脱落せずにすんでいた。
「つまり……。 村中の人が罹っているのに、イザムとカナちゃんだけは元気ということですか?」
「うむ。 まさしくその通りじゃ」
村長さん曰く、“不明病”は老若男女問わずに発症し、一度発症した者は解毒剤により完治した後も薬を飲み続けなければ、一~二週間で同じ症状が出ることが多かったという。にも関わらず、薬師の兄妹だけは一度も不明病に罹ったことが無かった。
「初めはイザムとカナだけ毒に耐性があるのかと思ったのじゃが……。 ここに来て新たな事実が加わった」
「ああ、そういうことですか!」
「え、何ですか?」
思わず質問した私に、納得した表情のイザムが答えてくれた。
「レナさんのことですよ」
「えっ、私……?」
――正直例外だらけで、何のことかさっぱりだ……。
首をひねる私に、彼は言った。
「レナさんがこの村に来て二週間以上は経ちましたが、不明病を発症してはいませんね」
「その通りじゃ。 勿論これから先、発症するという可能性もあるが……。 イザムとカナが特異体質では無いということが、これで分かったということじゃ」
「……なるほど」
皆頭良いな、と私は思った。
「それではやはり、環境説が有力でしょうか」
「うむ。 しかし、その説は前にも検討したはずじゃがのう」
ふむむむと腕を組みながら、村長さんが言った。
「私たち、特に変わった生活をしているわけでは無いですしね」
「強いて言えば、聖なる山の近くに住んでいるぐらいじゃな」
「それに正直な話“不明病”の原因が毒かどうかも、まだはっきりしてませんしね」
「え、そうなの?」
黙って話を聞いていた私は、また質問を挟んだ。
「はい。 ……実は僕、昔から“毒”が見える体質でして」
「――は!?」
何の冗談かとイザムを見たが、彼は至って真剣な表情を浮かべていた。
「例えば山菜とかでしたら、見ただけで分かるんです」
「へ、へえ……」
不信感が滲んでいる私の声に、イザムはさらに言葉を重ねた。
「書を読んで知識を得る前……三歳頃には既に、山に入ってもどれが毒があって触れてはいけない山菜なのか、自然に判断出来ていたんですよ」
「それは……凄い。 じゃあ今回は?」
「それがさっぱり、でして。 だから本当に毒なのかどうか、怪しいと思っているんです」
「そう、なんだ……」
イザムもなかなかの例外って訳ね……と思いつつも、私は余りのややこしさに頭を抱えたくなった。
「こうなれば一度環境説とみて、徹底的にそちらと儂らの生活を比べてみるしかないかのう」
溜息をつきながらそう言った村長は、やれやれと奥にいるルカさんに声を掛けた。
「ルカ、準備の程はどうじゃ?」
「こちらはいつでもいけますよ」」
そう答えたルカさんは、お盆を持って部屋に入ってきた。
「うわあ、凄い!」
私は豪華な料理の数々に、思わず声を上げた。丁寧に盛り付けられたそれらは、食べる芸術品と言って過言ではない程の美しさだったのだ。
「え、ルカさん! これってまさか、生のお魚ですか?」
私が一番気になったのは、机の中央で大輪の花を咲かせている皿だった。どうやら一切れ一切れが、向こう側が見えるぐらい薄く切られているらしい。
「あら、レナさんはお造りは初めて?」
「はい。 私の村は……お肉が中心なので」
「まあ、そうだったのね」
ルカさんは笑いながら、なにやら黒い液体を小皿に入れて私に渡した。
「えっと……?」
「お造りは、醤油につけて食べるのよ。 毒消しになるの」
「毒消し……」
先程まで不明病の話をしていたせいか、私はやたらと“毒”という単語に反応してしまった。
「大丈夫ですよ、レナさん。 お肉でいう、胡椒みたいなものですから」
イザムが分かりやすい例えで説明してくれたので、私はなるほどと呟いた。
「胡椒とは何ぞ?」
「さあ……。 後で兄さんに聞いておきます」
「じゃあレナさん、最初に一口どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
ルカさんに勧められ、私は皆に見守られながらそーっと箸を伸ばした。ちょんちょんと醤油をつけ、一切れを優しく口の中に入れてみる。
――んんん!
それは今まで味わったことのない、不思議な触感だった。
「美味しい……」
思わず漏れた呟きに、ルカさん達はどっと笑った。
「じゃあ私たちも、頂きましょう」
「待ってましたー!」
カナちゃんが元気よくそう言うのを聞きながら、イザムは私に言った。
「ここまで美味しいお造りを出して下さるのは、この村でもルカさんだけなんですよ。 同じ魚でも切り方次第で全く味が変わってきますからね」
「へー! でも、意外と刺激的な味でびっくりしちゃった」
「刺激的?」
「うん! なんというか……舌が焼ける感じ?」
「山葵もつけてないのに何故……」
イザムが余りにも不思議そうな顔をするので、私は先ほどと同じ様にもう一切れ口に入れてみた。舌に広がるのは、やはりなにかがちりちりっと焼ける様な、それでいて何かが生まれる様な熱い心地よさだった。
――そういえばこの感じ、前にもどこかで……。
「……レナさん? 少し顔が赤い様ですが、もしかして体調が……」
「赤い……」
イザムの言葉は、大事だが思い出したくない記憶を刺激した。
――そうだ、確か林檎酒を飲んで……。
『……お前、顔赤すぎるだろ』
「ふぇっ?」
突然あげた奇声に、四人がびっくりして一斉にこちらを見た。
「どうかされたの、レナさん」
「レナさんやっぱり体調が――」
皆が口々に話しかけてくるが、そんなものに構っている暇は無かった。私は立ち上がり、今まさにお造りを口に運ぼうとしているカナちゃんの手をぎゅっと握ってそれを阻止した。
「れ、レナさん何するんですか!?」
「食べちゃ駄目!」
「え、何で?」
ちょっと涙目になっているカナちゃんには悪いが、私ははっきりと言い切った。
「このお造り、毒なの!」
「な、なんじゃと!?」
私の飛んでもない発言に、村長は大きな音を立てて椅子から立ち上がった。当然皆がざわついていたが、私は構わず並べられた全部の料理にほんの少しずつ、立ったまま箸をつけた。
「……」
最後に湯呑のお茶をごくりと飲み干し、私は呆然とこちらを見ている村長達に告げた。
「間違いない。 お造りだけ、毒の味がするんです」
「……」
「……」
「……」
沈黙に包まれた部屋で、イザムだけがこう呟いた。
「レナさんも、特異体質だったんですね……」