③
「レナさん、その棍棒を取って貰えますか?」
「はい!」
「レナさん、ここに水を運んで貰えますか?」
「はい!」
「レナさ――」
「はいただいま!」
水龍の村を訪れた私は……色々あって、足早に立ち去るどころかイザムの家に泊めさせて貰っていた。泊まるといっても、私は当然、無一文。ただで寝床から食事までお世話になっている以上、雑用ぐらい頑張らせて貰おうと毎日必死だった。
――それにしも、薬師の仕事ってこんな大変だったんだ……。
今度は大量のお湯を沸かしていると、開けっ放しの扉から明るい声と共に一人の少女が入ってきた。
「兄さん、レナさん、ただいま戻りました!」
「カナちゃん、おかえりなさい!」
「カナ、丁度良かったよ。 この薬草を刻んでくれないか?」
何やら白い岩みたいな物を砕いているイザムは、妹であるカナちゃんの方を見もせずに言った。しかし彼女は気にすることもなく、さっと前掛けをつけると言われた通りの作業に取り掛かった。
――本当に良い子だな……。
私が汗を拭い拭いそちらを見ると、カナちゃんはこちらを見てニッコリと笑いかけてくれた。
「レナさん、適当に休んで下さいね。 兄さんの言う通りに動いていたら、きっと倒れちゃいますから」
「大丈夫、時々勝手に休んでるし。 それよりイザムの方が、ずっと働きっぱなしで大変だと思うんだけど……」
この一週間、私が見た限りではイザムは一睡もしていない。今やその目の下には、はっきりと隈が出来ていた。
「兄さんの場合は、いつものことなので。 それに今は、ちょっとでも急いだ方が良いですから」
「……そっか」
らしくもなく、溜息をつくカナちゃん。
――私も、もうちょっと頑張ろうと。
見ず知らずの人間を受け入れてくれた二人の為にも、水龍の村の為にも。団扇を持つ手に力を籠め、私は竈に向かって勢いよく風を送り始めた。
そもそも二人がこんなに頑張って働いているのは、村で突然流行り出した“病”のせいだった。最初に現れた変化は、本当に小さなものだった。春先にかけて、軽い違和感が村人全体に出始めたのだ。食欲が無くなる、なんとなく怠い、疲れが取れない……など、これといった特徴が無い症状ばかり。イザムとしては身体の中から元気が出る様な薬を煎じてみたのだが、大した効果も出ず。試しに風邪薬を煎じても、精の付く物を食べさせても、その症状は良くならなかった。
どんな軽い症状であれ、長引けば長引く程体は蝕まれていく。ほとほと困ったイザムは、最後の手段としてどんな毒にも効く薬を煎じて飲ませてみた。すると……なんとこれが効いてしまったのだ。
イザムは勿論、その事実をすぐさま村長に伝えた。この病――通称“不明病”の原因が、何らかの毒である可能性が高いということを。
村長はこの信じがたい説を、最初は受け入れなかった。何しろ村人のほぼ全員が、この不明病にかかっていたのだ。むしろ信じろという方が難しい。
しかしながら村長歴二十年の好好爺は、決して堅物でも無能でも無かった。程なくして覚悟を決めた村長は、イザムにこの説を他言しないことを約束させた上で、解毒剤作りに全面的に協力する旨を表明した。
こうしてとりあえずではあるが、村の平穏は守られた。代わりにイザム達薬師兄弟は、多忙の生活を強いられることになった。たった二人で村全員分の解毒剤を作るのだから、無理も無い話だ。文字通り寝る間も惜しんで、兄妹は朝から晩まで薬作りを進めていたのだ。
私がこの村にやってきたのは、そんな状況の中でだった。薬師だけが立ち入ることを許される神聖な山に登り、女を連れて帰ってきた兄を見て……薬師見習いの妹は、こう言った。
「もしかして、解毒剤作りを手伝ってくれる人が来てくれたの!?」
「いや、カナ、それはちがーー」
「……解毒剤?」
慌てふためくイザムに、事情を説明して貰った私は、すぐさま協力を申し出た。しかしながらイザムは、最初は無関係の私を不明病の脅威にさらすことを拒んだ。それを私が、一晩掛かりで説得したのだ。不死鳥の乙女である私が、不明病などに罹るはずが無い。私にも、人助けの手伝いをさせて欲しいと。結局イザムが折れ、渋々始まった薬師手伝い生活。今では普通に仕事を頼まれるから、一応受け入れてくれたものだとは思うが……。
「それにしても……。 まだ原因は分かりそうに無いの、兄さん」
「村長が独自に調べてくれてはいるけど、まだ分からないらしい」
「……そっかあ」
また溜息をつくカナちゃんに、イザムは少しだけ手を止めて言った。
「これ以上悪い方向に行かない為にも、僕たちは今出来ることを全力でしないとね」
「……はい!」
私はそんな二人の会話を聞いて、正直心が痛むのを否定することは出来なかった。私がここにいるのは……本当言うと、行くあてがないからだ。勿論、不明病の原因が早く分かって、村から病気が無くなって欲しいと思う。だが、この忙しくて過去のことなど振り返っている暇も無い程の今の生活が続いて欲しいと……少しばかり思ってしまうのだった。
――私、随分自分勝手な人間になっちゃったみたい。
密かに自己嫌悪に陥っていると、イザムが背中越しに声を掛けてきた。
「レナさん、 今からカナと一緒に村を回って、空瓶を集めてきて貰えませんか?」
「あ……うん!」
「レナさん、行きましょう!」
ついでにちょっと休憩も、と小声で言うカナちゃんに、私もこっそり微笑んだ。
「あー! やっぱり外は気持ち良いねー!」
私は大きな口を開けて、思いっきり空気を吸い込んだ。
「うちは暑いですからねー!」
イザムのこだわりだかなんだか知らないが、薬造りに使うのは一度沸かして湯気にしたものを覚ました水だった。そのおかげで、家の竈では一日中大きな鍋がぐつぐつ音を立てているのだ。
水龍の村は山々の麓に広がる、縦に長い村だった。私が倒れていた近くを流れていた川はニトウ川という名前がついており、聖なる山から始まってこの村の中央を貫き、ずっと下流まで繋がっているらしい。村では豊かな土壌を生かした稲作が盛んで、狩猟を生業としていた不死鳥の村とは全く違った光景が随所で見られた。
村の多くの人は、平坦な土地が多い中流周辺に家を構えていた。しかしイザムの家は一軒だけ離れていて、上流付近に建っている。これは薬師という仕事上、日常的に山に登るかららしい。
「多い時で一日に三回、山に登るんですー!」
「ええっ、そんなにー!」
そこそこ急な斜面を、二人で一台の台車を引くという作業をしながら。私たちは車輪の音に負けないように、大声で叫びあっていた。
「カナちゃんは、他の人と家が離れて困ることとか無いのー?」
「ちょっと面倒くさい時もありますけどー、全然平気ですー!」
「本当に、お兄さん想いなんだねー!」
私がそう言うと、カナちゃんは照れたように言った。
「まあ、兄妹ですからねー!」
「……羨ましいよー!」
一人っ子だからお兄さんって羨ましいなあーと言おうとした私の脳裏に、姉妹の様だと言われて育った彼女が過った。それを打ち消す様に、私はまた大声をあげた。
「早く、見つかると良いねー!」
「はいー! 兄さんも頑張ってるし、私も頑張りますー!」
カナちゃんの声にはもう、一切悲壮感などは無かった。彼女は兄が、必ずこの病を鎮めてみせると信じているのだ。
「一刻でも早く、“不明病”の原因が分かりますようにー!」
それは偽りで笑顔はない、心からの願い。いつの間にか私の中のもやもやは、叫び声とともに霧散していた。