7・待ち合わせ
「アリア! 遅いぞ。もう来ないかと思った。寒くて凍死してしまう!」
昇は鼻の頭を赤くして、大げさに体を震わせている。
既に約束の時間より一時間近く過ぎて、午後六時を回っていた。
駅前のホテルにある電光掲示板には、氷点下十度と気温の表示がある。雪はやんでいたが、かなり冷え込んできていた。
昇は旭川駅の入り口で寒くてじっとしていられず、行ったり来たりしていたようだった。
「ごめん、寝不足でちょっと横になっていたら時間過ぎちゃった」
「ホテルの部屋とったのか?」
「柚子がツインに一人で泊まっていたから、一緒に泊まろうと思って」
「おい、同じ部屋はまずいだろ」
「そうかな」
「って、おまえなぁ。柚子だって年頃の女の子だろう」
ああそうか、今の私は男だった。と、アリアは納得した。
「で、俺の部屋は?」
「あ、すっかり忘れていた」
「なにい!」
「冗談、ちゃんととってあるよ」
アリアはくすっと笑った。
「まったく」
「お腹空いたね。昇、夕食は和食でいいかな。もう予約しているけれど」
「いいよ。柚子はどうした?」
「後で真っ直ぐ店に来るって」
「変な奴だな」
「ここからだと店まで少し歩くけれどいい?」
「寒いついでだ、かまわないよ」
昇は訳のわからないことを言い、二人はメインストリートの歩行者天国である買い物公園の、ライトアップされた氷像群を眺めながら、飲食店が立ち並ぶ三六街に向かって歩き出した。
「へえ、なかなか綺麗だな」
「そういえば明日から冬祭りだ」
「札幌みたいな雪像は無いのか」
「河川敷に大きいのがあったと思うけれど」
「ふうん」
黙って氷像を眺めながら歩いていた昇だったが、五分もしないうちに、弱音を吐いた。
「だめだ、寒い! やっぱりタクシーに乗ろう」
「え? ちょっとしか歩いてないよ。それに綺麗だし、歩こうよ」
「俺は一時間近く待って冷えきっていたんだぞ」
「ごめん、夕食はおごるからさ」
アリアはそう言って、昇の腕に手をかけた。
「何だよ、そうひっつくな」
「こうすると暖かいでしょ」
「男同士じゃ、変だろ」
「そうか」
アリアが腕から手を離すと、昇は「いや、やっぱりそのままで……」と言いかけてやめた。
「何?」
「あー、だめだ俺! なんでもない、独り言だ」
「随分大きい声の独り言だね」
「大きい声でも出さないとストレスがたまりそうだ!」
「……なんだか大変そう」
アリアは昇のわけのわからない態度が可笑しくて、吹きだした。
結局、変な会話をしながら店まで歩いた。
ホテルで紹介された店は、花本と言う三十人も入れば満席になるような、こぢんまりとした創作料理店だった。
モダンな和風の店内には既に、何組か客が入り賑わっていたが、案内された席は個室のように区切られており、黒い大きなテ―ブルを囲んで、堀コタツのように足が下ろせるようになっていた。
柚子はまだ来ていない。
二人が向かい合わせに席に着くと、アリアの携帯が鳴った。
「アリア、私は行かないから二人でゆっくりどうぞ。でも昇に襲われない様に気をつけてね、じゃあまた明日ね」
「ちょっと、柚子どういうこと?」
アリアがそう言った時には、もう電話は切れていた。何を考えているのやら。
「どうした? 柚子か」
「来ないって、何を考えているのか……」
「いなくなったわけじゃないだろ」
「うん」
「じゃ、大丈夫だ」
柚子と久しぶりにゆっくり話したかったアリアは、少しがっかりした。
アリアがお任せのコースを頼むと、お通しと一緒にワインが運ばれてきた。
「はい、お疲れ様」
二人はグラスを合わせた。赤ワインがすうっと喉に降りると、体が温まった。
「ずっと気になっていたんだけれど、柚子とお前って、いったいどういう関係?」
「どうって、何て言ったらいいのか、兄妹みたいなものかな」
「本当の兄妹ではないんだろう? ……恋人ってわけでもないよな」
昇があれこれと探りを入れてくるので、面倒くさくなり、「わからない」と、一言答え、アリアはワインを一気にグラスの半分程飲んだ。
「わからないって、兄妹かもしれないということか、それとも恋人……」
「どうかな?」
真面目な顔をして昇が聞いてきたので、アリアはついからかってしまった。
昇は目を丸くしている。
「それより、何か分かった?」
アリアが話題を変えると、昇はそれ以上聞き返してこなかった。
「まだ分からない。叔父さんに連絡は取れたけれど、合間見て調べてくれることになった」
「そう」
「おまえ、美原工業と関係があるのか?」
「なぜそう思うの?」
「美原工業社長の美原博一には息子がいるが、行方不明だと聞いた。おまえのことか?」
「違う」
「矢萩孝介の命日に墓参りに行ったのは、本当に柚子を探すためだけだったのか?」
「どこで聞いてきたか知らないけれど、そうだよ」
「自分の父親が会社を乗っ取ってしまい、柚子に悪いと思ったからじゃないのか」
「全然違う、それに美原の息子は海外にいるらしいよ」
「それは表向きで、実際はどこにいるかわからないということだ」
矢萩孝介の行方不明の息子はヒロのことだ。昇はヒロとアリアを混同しているようだった。アリアが男だと通しているのだから無理はない。
昇が有能だとよくわかった。焦点はややずれているが、かなり確信に近い情報にたどり着いているのだ。
昇に問い詰められたが、料理とワインが運ばれて来て、話しは中断した。
アリアはほっとした。
「柚子は私をどう思っているのだろう」
刺身が入ったサラダ風の前菜をつまみながら、アリアはポツリと言った。
「仲が良い訳じゃないのか?」
「悪くは無いけれど、やっぱりどこか一歩おかれている感じかな」
「おまえ達の関係が良くわからないが、気にしすぎだろ」
アリアのワイングラスは、もう空になっていた。
「おまえアルコールに強いのか? 随分ピッチが早いな、大丈夫か」
「そう? なんだか飲みやすくて、普段はあまりワインを飲まないけれど」
「潰れるなよ、帰りが大変だから」
「大丈夫」
アリアはにっこりした。
数時間後、昇の心配が本当になった。
「だから、やめろって言ったのに」
昇はため息をつきながら、よろけるアリアを支えた。
「そんなに酔ってないよ」
「嘘つけ、転びそうだぞ」
花本で食事をした後、アリアがカクテルを飲みたいと言って、昇を無理にカクテルバーへ連れて行ったのだった。
昇は店を出ると直ぐにタクシーに乗り込み、駅前のホテルへ向かった。
「やれやれ、とんだ酔っ払いだ」
ホテル前に着くと、昇は文句を言いながら、ロビーまでアリアを抱きかかえて歩いた。
昇がフロントで部屋番号を伝えると、キーと一緒に手紙を渡された。
それは柚子からだった。
『アリアへ。今まで同居はしていたけれど、隣のベッドに眠るのはちょっとね。私がシングル使わせてもらうから、ツインの部屋を使ってね。柚子より』
「ほら、柚子はもう子供じゃないんだから、気を使ってやらないと」
昇はメモに目を通すと、そう言いながらアリアにもそれを見せた。
「違う、柚子は面白がっているだけだ」
アリアは額に手を当て、ため息をついた。
「面白がっているって何を」
「あの、すいませんがもう一部屋空いていませんか」
アリアは、よろけていた割にはしっかりとした口調でフロントに尋ねた。
「あいにく、本日は満室となっておりますが」
「そうですか」
諦めるほかなさそうだ。柚子め、余計なことを企んで。
アリアはため息をついた。
「何もダブルに寝るわけじゃないんだから、別にいいだろ」
昇はそう言ってから、自分の言葉にはっとしたようだった。
「アリアと、同じ部屋で寝るのか?」
「……そうだね」
少し困った顔をして、アリアが返事をした。
「グラサンとっても顔は絶対見ない。今のおまえは仕事の依頼人だからな」
冷静に言ったつもりなのだろうが、昇の声は上ずっていた。
二人はエレベーターを降り、まだ幾分ふらついているアリアを昇が支えて歩いたが、一緒によろけていた。
「ふふ、大丈夫? 昇も酔いが回ってきた?」
アリアは気持ちよく酔っ払っていて、自然と笑いがこみ上げてくるのだった。
「違う、おまえが重いからだ」
「もう歩ける」
「いいや、部屋まで連れて行く」
昇はむきになっているようだった。
部屋に入るなり、アリアはベッドの隅にすとんと座った。
「ちょっと飲みすぎだったよね」
アリアは抑えても笑いがこみ上げてきて、またふふっと笑った。
「おまえ、まだ飲もうとしていたんだぞ」
昇もアリアと向かい合わせにベッドに腰掛けた。
「だって、カクテル美味しかったでしょ?」
「家でもよく飲むって言ったな。体壊すぞ」
「もう壊れているか」
「茶化すな、おまえ笑い上戸か?」
アリアはずっとくすくす笑っている。
口も軽くなり、気分がよく、何でもできそうな気分だった。
「昇って面倒見がいいね。そういえば、柚子が昇に襲われないようにって言っていたな」
「何だって?」
昇は顔どころか、耳まで真っ赤になった。
「柚子の悪い冗談」
アリアは笑いたいのをこらえている。
「襲うって……」昇は絶句した。
「そんなこと絶対にしそうにないよね、私が襲っちゃおうか」
「はあ?」
アリアは急に立ち上がり、昇の肩に腕をまわして、キスをした。
昇は硬直した。
「あ、やっぱり女の子が良かったね。ごめん、男で」
またくすくす笑いながら、アリアはどさりと仰向けにベッドへ横になった。
「おまえって、キス魔? 誰にでもするのか? 俺、本気にするぞ。……ヒロとはそういう関係なのか? それとも柚子が……俺は男相手に何馬鹿なことを」
昇は自分でも何を口走っているのか訳がわからなくなり、混乱していた。
「おい、アリア」
呼んでもアリアからの返事はなく、かわりに静かな寝息が聞こえた。
「なんだ、話しの途中で寝るな」
アリアの側に座り、昇は顔を覗き込んだ。
「誰が絶対にしそうに無いって? 本当に襲うぞ」
アリアの髪をそっと撫ぜると、昇はつい唇を重ねてしまった。
「ん……ヒロ、嫌だ」
昇ははっとし、「ヒロか」と呟きながら苦笑し、ため息をついた。
「俺、いったい何をしているんだ?」