ベイビー
僕のアパートに赤ちゃんの死体が届いた。
段ボールに梱包され差し出し人の名前が無かった。
荷物を開けていないうちは随分古臭い手口の詐欺だなと思いつつ僕は段ボールを開けるのも面倒でしばらくしたら段ボールを捨てようと考えていた。
普段の僕なら間違いなくこういった怪しい荷物は受け取らないのだがこの時の僕はとても疲れていたしなにより人と会話するのが嫌だった。
僕が荷物を持った宅急便の配達者に荷物を受け取りたくないが受け取らないという気持ちを伝えるとなると荷物を持った配達人と会話をしなければならない。
僕は会話をするくらいなら荷物を受け取ろうと思い荷物を受け取った。
荷物を受け取った日、僕は荷物の中身を見なかった。
ドイツビールを飲みながら輸入代理店で買った少々高いナッツをつまみ、ヴァンパイアウィークエンドというニューヨーク出身のロックバンドのCDを流して今日の疲れを消化していった。
僕はよく疲れる種類の人間だ。
幼い頃から常に疲れと闘いながら人生を過ごしてきたように思える。疲れについてはどこかで対処しなければいけない。
対処方法は人生を進めていくうちに少しずつ変容していったが変わらず残っている考え方は1人になることである。
僕の存在する空間に他者を入れないことが僕が考える疲れへの対処の基本原理であった。
最近は酒をよく好んで飲む。
酒の種類は問わない。好みはあまりないが、ベストを決めるとするならばドイツビールがベストである。一定の量を長い時間をかけて飲む。
僕は大学のころドイツビールをよく好んで飲んでいた。
同じクラスの友人がドイツと日本人のハーフで僕はハーフの友人とよく冷えたグラスに常温のドイツビールを注ぎ古いアパートの小さなハーフの友人の部屋でオセロをした。
僕のドイツビールの最初のイメージとしては温いビールをそのまま飲むと思っていたので冷えたグラスに注いだときは驚きを覚えた。
オセロをしながらよくハーフの友人はドイツのオクトーバーフェストについて話をしてくれた。
「オクトーバーフェストでは祭りが終わる最後まで1リットルのジョッキにビールを注ぎ続けるんだ。ミュンヘンの修道女もその日ばかりはつまみも食べずビールテントの中や路上で1リットルのジョッキを片手にビールだけを一心不乱に飲み続ける。僕も父と一緒に参加した時は口の中が口内炎だったけどビールでのどを鳴らし続けたよオクトーバーフェストはミュンヘンの町が小麦色に染まる夢のような祭りなんだ」
僕は毎晩のようにこの話を聞いていたが話を聞くたびにドイツに行きたくなる。
友人の小さな部屋でドイツビールを飲んでいるだけで気分が高まるのにドイツの小麦色の町で飲んだら自分の気持ちがどこまで高まるのか知りたかった。
ハーフの友人はオセロが1ゲーム終わるたびにドイツの様々な話をしてくれたがオクトーバーフェストの話は今でも思い出せる話の一つだ。
大学時代のハーフの友人は今でも面識がある。
2年に1度ぐらいのペースでお互いの近況を報告し合い、やはりあの頃のようによく冷えたグラスにドイツビールを注いで飲んでいる。
あの頃の僕らとは違うのはオセロをやめたことと若干の飲むペースの老化くらいである。
あの頃の僕は毎日のように大学の講義のあとロリポップが好きな女性の家で裸を見せ合ったり、友人とダーツやビリヤードをしたり、夕日の見える丘を探しに車を走らせたり(結局僕が車を走らせた限り夕日の見える丘は日本になかった)AVの撮影を行う現場をデジタルビデオで撮影したり、水商売のバイトをしたり、水商売の女性と大麻を吸いながら水商売の女性の家でセックスをしたり(この時吸った大麻がきっかけで僕は警察に捕まりそうになった)新宿で夜通し飲み続け朝目覚めると暴力団の事務所のソファーに寝ていたり比較的多少の刺激のある退屈な日々を消化していった。
旧友について考えていた日の数日後、段ボールを空け赤ちゃんの死体が目に映った時はこの日のことを思い出し大学時代と同じような時間がこれから先流れていくのではないかと感じた。
刺激と退屈さが混在し未来を考える隙間を埋めてしまう時が流れ、様々な刺激を抱えながら自分自身への意味のある時間は減っていく。
退屈さというのはその物事に対し興味または関心が薄れる際に生まれてくるものだ。究極に退屈になるのは自分についての興味や関心が薄らいでくることであり、今の僕(毎日意味不明な仕事に終われ生産的なことを成さない僕)の状況はまさに究極の退屈であった。
そして大学生の僕も毎日が自分に興味が無かった。
自分を変えたいだとか自分について考える時間は皆無だったように思われる。
そういった僕にはなぜか退屈さに呼応するように刺激がついて回ってくる。
僕は一旦段ボールを閉じた。
段ボールから離れて部屋の隅で深呼吸をし腰のストレッチを入念に行った。
腰からは腰椎と腰骨が擦れる音が綺麗に鳴り僕は少し興奮している自分に気がついた。