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小さくて大きなわがまま  作者: しがない竜
第2章1節 施しの植木鉢 上

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第55話 「外壁際の惨劇」

風が街に吹いてきている。そんなのは今までに無かった。


 セロンは気になり、街の外壁が見える方向を見上げる。


「風の壁が消えてる……」


 つい、独り言が()れてしまう。


 セロンの目線の先、街の外で、()が出ている時は存在した風壁がきれいさっぱり見当たらなかった。そして、吹いて来る自然な風からは、ざわめくような唸り声と血生臭いにおいが運ばれて来ていた。


 嫌な予感がする。


 セロンは、確認しておかなければいけない、という気持ちから、再び外壁に向かって走り出した。もう日が沈みかけていて黄昏時を迎えている。すでに宿舎に帰らなければならない時間帯だが、セロンの脚は止まらなかった。


 一気に外壁の方まで突き進んで行く。次第に、唸り声や血生臭さも強くなってくる。


 外壁まで辿り着くと、外に出るための階段がある大通りまで、壁沿いを走って行く。外壁は、外側から見ると、黒い土壁がむき出しなのが明らかだが、内側から見ると、灰色の石垣になっていた。外壁の裏から、無数の獣の気配を感じる。威嚇(いかく)の声や爪が硬いものに触れる(にぶ)い音、荒い息遣いも聞こえてくる。


 セロンは、石階段まで辿り着くと、そこから慎重に階段を登り始める。一段、また一段と階段を上がっていき、壁の上部に達すると、セロンは思はず息を飲んだ。


 目の前に広がる光景は無数の猛獣の群れだった。狼種から、ハイエナ種、大型の猫種やクマ種まで入り乱れている。互いを傷つけることなどお構いなしに、黒い土壁に押し寄せてきている。ひと際多く群がっている中心には、(ただ)れて腐敗色になった肉塊が、錆びた鎖によって、土壁に(くく)りつけられていた。


 セロンは、顔を(しか)めて、不快感を示した。肉の腐った匂いと獣臭さが鼻につき、吐き気を(もよお)してくる。


 一体、これは何をやっているのか。何故(なぜ)、猛獣たちを外壁に呼び寄せているのか意味が分からなかった。とにかく(くさ)く、汚らしかった。自分の手前の壁元を見ると、石の階段は、一段一段取り外され、すぐ横に投げ出されていた。どうやら、街の中に入ってこないようにしているらしかった。


 ふと、目線を前の方に向ける。森と手前の平地の間付近に複数の人影が見えた。背を向けて対峙しているのは、長クロークと仮面後ろの覆い布が視認できることから、グロウ族だと分かった。そしてその対面に対峙している人影を見た時、セロンは、あっと声を漏らし、目を見開いていた。


 対峙していた者達は、治安維持部隊だった。


壁近辺で猛獣が盛んに舌鼓(したつづみ)を打っているというのに、両者は、突っ立って対話をしている風に見えた。セロンは、この事態を早くあっくんに伝えないと、と思い、足を運びかけた。ふと、遠くの外壁の上部に人が立っているのが目に入った。セロンは、よく目を凝らして見た。白竜であるセロンは、人よりもずっと遠くまで子細(しさい)に見通せるのである。


 壁の縁に立っていたのは、平民だと分かった。平民の男性が、細長い棒状の物を壁元に向けている。セロンは良く見ようとするあまり、引き寄せられるように、足が動いた。外壁は、街を取り囲むように円形になっているため、遠くなればなるほど、屈曲(くっきょく)し、壁の外側は隠れて見えなくなる。セロンは、その男性が立っている壁元が見える位置まで行きたいと思った。しかし、壁元が見えた瞬間、反応的に身を固くして立ち止まる。


 男性は、細長い棒のようなもので、炎を噴射し、壁元にいる猛獣を攻撃していたのである。猛獣は、炎に包まれると焦げ(ただ)れ、息絶えている。それでも、溢れんばかりの猛獣は、焼かれた死体に食らいつき、壁元に固定された、人の()りをした肉塊にかぶりつこうとしている。男性は、その上から、次々と炎を浴びせ、無慈悲に猛獣を丸焼きにしていく。焦げ臭いにおいが鼻に刺さる。一体これは何事なのかと、セロンは、当惑した。


そして、猛獣の一体が黒土の外壁に倒れ込んだ時だった。セロンは、目を疑うような光景を目の当たりにした。


 猛獣の死体が土壁に飲み込まれてく。頭から背中、胴体、足、尻尾と順にゆっくりとまるで底なし沼に沈んでいくように、吸い込まれていく。セロンは、奇怪な現象に恐れおののき、身の毛が逆立つような感覚に襲われた。


 さらに追い打ちをかけるように、状況は急転する。森林際の木立の影から、明らかに規模の違う躯体の獣が姿を(あらわ)にした。全身がどす黒く、四肢が黄ばみがかった、赤爪のクマ型獣である。


 そのクマは、開けた外壁前の土地まで来て、立ち止まると、壁の上にいる男性を凝視した。


 胸の奥がざわつくのを感じた。


 セロンは危険知らせようと声を張り上げた。しかし、それと同時に、鋭利な岩塊が男性目掛けて撃たれる。男性は気づくのが遅れた。岩塊に胸を貫かれ、勢いのまま、壁下の道に吹き飛ぶ。血しぶきが、宙を舞い、沈みかけの陽に照らされる。


 戦慄が走った。同時に、本能的な危機感を感じた。咄嗟に、セロンは、背を向けて走り出した。


怖い。


クマの死角になる位置まで必死に逃げる。


恐ろしい。


クマが見えなくなる位置まで外壁を駆け抜けていく。


セロンは、惨めな気持ちになった。心底自分は弱く、情けない竜だと思い知らされた。白竜なのに、たとえ魔法を使える魔獣であったとしても、クマごときに(おく)した。尻尾を巻いて逃げたのである。


 街の中に行く階段まで辿り着き、走るのをやめて、ゆっくりと歩き出す。息を整えて、気持ちを落ち着かせようとした。少し経つと、緊張は和らいだ。しかし、後を追って、心の底から湧きだすように、ひどい虚無感と罪悪感が押し寄せてきた。


 僕は目の前で人が殺されようとしているのに何もできなかった。何もできない能無しだった。それに、ランデールを懲らしめると宣言しておきながら、いざ、自分よりも強いと感じる者を前にすると、足が(すく)んで、立ち向かえなかった。やっぱり、僕は、白竜の落ちこぼれなのかもしれない。


セロンは泣きそうになりながら、階段を降りた。胸が押しつぶされそうになる。


「あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝!」


 突然、影から野太い悲鳴が聞こえて来る。セロンは身が強張った。


 感情がぐちゃぐちゃになった。先から立て続けに起こる出来事に頭の理解が追い付かない。また、誰かが、危険な目にあっている。


助けに行ってもどうせ、自分じゃあ、どうすることもできないと怖気づいた。相手を見たら、また怖くて逃げだしてしまうと。だけど、心の底では、それではいけないと、分かっていた。また、逃げるのかと自問自答していた。


やるべきことは分かっていた。たとえ、力が無くても、強くなくても、立ち向かわないと後悔する。


逃げたらだめだ。逃げたらだめだ。


 セロンは勇気を振り絞った。


人を助ける為に、悲鳴が聞こえた方へ、走り出して行った。


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