第45話 「9番目の兄シェルク」
砂埃で直視は出来ないが、目の前にいるのは紛れもなく、セロンの九番目の兄である白竜のシェルクだった。セロンは、驚きと塵の煩わしさで何とも言えない微妙なリアクションになった。
「ここはさー、落ち着いて話せないからさー、一旦中に入らないっ? うぇっ」
シェルクは口に砂が入ったのか、ペッと唾を吐いているのが見えた。風が唸ってまともに会話にならない。あっくんの指示で馬車は暴風の壁に向かって進み始めた。御者は覚悟を決めたようだったが、顔が引きつっている。外側に流れてくる風よりもさらに明確に風の強度に差がある暴風の壁に差し掛かると、切り刻まれるのではないかと危惧した。しかし、馬が壁に触れても、流されず、切り刻まれはしなかった。そのまま、御者、車室と入って行き、その後に続いてシェルクが入って来た。
暴風の壁の中は嘘だと思える程穏やかだった。全く濁った空気ではなく、むしろ澄んでいるようなはっきりとした視界が広がっている。セロンは馬車を降りてシェルクの元に向かった。あっくんも降りて来て、上着の砂を払うような仕草をしながら近くに来た。
「やあ、セロン。そして、案内役の哀れな人紳士くん。初陣だね。おいらの名前はシェクルだよ。よろしくね~」
口の中をじゃりじゃり鳴らして、唾を吐きながらシェルクは自己紹介した。
シェルクは、兄弟の中でも三番目に大きい躯体をしていて、大人の人の二倍程の高さである。二足歩行と四足歩行の間のナックルウォークを思わせる程、後ろ脚は大きく、前足は器用な動作が出来るようになっている。三角錐のような形の細長い顔で、含み笑いをしている。
シェルクはしゃがんで、四つ別れの翼を折りたたんでいた。あっくんは珍妙な生物を見るような目でシェルクを品定めしている。
「そんなにジロジロ見られると、恥ずかしくて身構えちゃうな~」
シェルクはわざとらしく前足で胸を隠して恥ずかしそうな仕草をする。セロンは兄が茶化すのが好きなのを知っていた。
「ねえ、シェルクお兄ちゃん、どうしてここに居るの?」
セロンは最前に不思議に思っていた質問をした。
「それはね~、この街の子供達を味見してみようかなって思ってね~。美味しいのかな~」
シェルクは嘲るように笑って答える。
「冗談言わないでよ」
セロンは答えを逸らされたのを穏やかに抗議した。
「いや、本当に答えをはっきりさせに来たんだよね」
シェルクは先の調子とは打って変わって、神妙な面持ちでハッキリと答えた。セロンは兄の見たことない真剣な調子に、目をぱちくりさせた。兄が本気で言っているのか、冗談なのか自信が持てなくなってきた。
「俺を監視しに来たって事か?」
あっくんは試すような目でシェルクに詰問した。シェルクはたちまち先程の調子に戻り、ククッと笑って、前足をあっくんの右手に向ける。あっくんの右手には〈セロンの勇気に従います〉と書かれた白い腕輪がついていた。
「お婆に脅迫されて可哀そうに……同情するよ。だけど、そのことは関係あるかな~」
シェルクは雲をつかむようなフワフワした曖昧な答えをする。それからも、あっくんとシェルクはお互い腹の内をさらさないような会話の応酬をしていた。
セロンはシェルクと過去に話した会話を思い出した。その時、山の茂みで二人っきりで他愛もない話をしていた。シェルクは気さくに接してくれて気軽に何でも聞けた。中でも印象に残っているのは、シェルクが『人間の子供が好きだったけど嫌いになった』と暴露したことだった。あの発言といま答えた内容は関係あるのだろうか、そもそもどういう意味で言ったのだろうかとセロンは再び考えさせられた。
セロンは二人を漠然と眺めながら、思考に耽っていた。なので、二人の会話がいつの間にか終わったのをしばらく気がつかなかった。シェルクは街の土壁の方に顔を向けて何かに狙いを定める仕草をしていた。
「それじゃあ、行くぞ」
あっくんがセロンの方を向いて軽く告げた後、街の門に向かって歩き出した。セロンは狼狽えつつもそれについていく。まだ、兄と話したい内容もあったけど、今聞いてもはぐらかされるだけで、それにまたすぐに会えるような気がしたので、後回しにした。
その代わり、セロンの興味は街の外壁周辺に移った。ざっと見ただけでも異様で不気味だった。外壁はそびえるように高く、黒い土で出来ている。その土の壁には錆びた鎖が等間隔でいくつも打ち込まれていて、欠けて爛れた生々しい一部が繋がれ、ぶら下がっている箇所があった。さらに、人の死体にみえるものまで鎖で固定され、壁に張り付いていた。奇妙な状況はそれだけではなかった。土の黒い壁には血のような赤い付着物は全くついていないのに、地面の土や散らばった瓦礫の残骸には血痕がまき散らしたようにこべりついていた。辺りの臭いも血生臭い。いったい、この街では何が行われているのだろうかとセロンは戦々恐々した。
「あっくん、あの壁に張り付けられているのって……」
セロンは得体のしれない不穏な光景に思わず訊いた。
「街の中に答えはある。中に入るぞ」
あっくんは淡々とした口調で答え、街の入り口の階段へ歩いて行く。セロンはあっくんの素っ気なさに戸惑いつつ、何度も異様な土の壁の周辺の有様を見ながら、後について歩いた。
この街入り口には門は無かった。その代わり、黒土の壁の上に登れるように石で積み上げられた階段が道の途中から設けられていた。どうやら壁を登って上から越えて入るようになっているらしい。あっくんは、御者に自分が馬車を後ろから押して階段を登るのを補助すると告げて、馬車の車室の後ろに立ち、押し始めた。すると、何の淀みもなく馬車は階段を上がり始め、壁の上まで達した。壁の内側の方にも階段があり、今度はあっくんは引っ張る動作をしながら、馬車をゆっくりと下らせた。それを目撃したセロンは手伝える要素はないと分かり、もどかしかった。階段を降りたところで、馬車はすぐ脇に停めておくことになった。
街は道も建物も煉瓦造りになっていた。どれも高さの高い二階建て以上になっており、真っすぐに綺麗に並んでいる。セロンは整った街並みに思わず見惚れた。右左と首を回し、口を半開きになっているのにも気づかず、眺めまわす。あっくんに声をかけられて、ようやく尻尾を揺らしながら歩くが、意識は周りの景色に釘付けだった。
周りをキョロキョロしていると、煉瓦の建物群の中、尖った屋根の一つの上に人を発見した。セロンは気になり、思わずじっと見つめた。相手もセロンの視線に気づいたのか目が合って、逸らそうとしたところ、驚いたことにその人は長クロークの袖を捲り、いきなりこちらに向かって飛び降りて来た。腕に緑色の翼が生えていて、鳥のように滑空してくる。セロンが慌ててあっくんに伝えるのもままならいまま、飛んできた人は、目の前に見事に着地し、行く手に立ちふさがった。




