第44話 「薄黄色の壁」
山から降りて次の目的地には一日では足りなかった。日が傾き、やっとのことで昨日泊った道沿いの旅籠の集落まで辿り着いたものの、門前払いをくらった。理由は明確であっくんとツエトが被害を与えたからだった。渋々集落の脇を通って、さらに先に進むしか選択肢はなかった。集落の脇を通る時、治安維持部隊の隊員が建物の修復作業を地道に進めていた。それを遠目に見たセロンは申し訳ない気持ちになった。その報いとして、道中に休む宿も見当たらず、夜が更け、セロンとあっくんは結局、道端で野営をしなければならなくなった。
早朝、野営後に集落の近くで滞在していた馬車に再び乗って、次の目的までの道のりに進むことになった。途中、空腹な水源地とくすぐられる原生林と標された分かれ道の立て札があり、好奇心がくすぐられて寄りたいと言ったが、そんな時間はないとあっくんに諭され、セロンは口を尖らせた。
その代わり移動中は魔法の練習に熱中していた。あっくんに訊いたところ、魔法は感覚と想像が大事だと答えたので、セロンは貰った透明な物質Pに念じるように集中してみた。ただでさえ、透明なのにその物質に対してどう感覚を掴めばいいのだろうかと四苦八苦した。そのかいあってか、触れずに動かす動作が出来たような気がした。物質Pの存在も何となく認識できている気がした。充実した気分になった。群青色の空の下、広原や遠方に溶け込む山々の美しい景色は、セロンの成果を祝福するご褒美だと思った。
馬車の後ろの縁に乗っているセロンは、あっくんから借りている地図を開いた。次の目的地は〈安らぎを渇望する街〉だった。下には小さめに『怠惰を貪るたまり場』と書かれている。セロンは前から気になっていたので尋ねてみた。
「この街の名前の下に『怠惰を貪るたまり場』って書かれているのは何なの?」
車室内で楽な体勢で居たあっくんは無感情な顔でセロンの方を向き、地図に目を止めた。
「ああ、それはちょっと変わった奴が作った地図なんだよ。だから、勝手に各町に変な異名を付けられてるんだ」
「どんな人なの?」
「あー…それはな」
その時だった。周りが森林に差し掛かり、道沿いにある木々の間から生物の気配がした。こちらの方へ、徐々に迫って来る数匹の小型の生物。森林狼だった。七匹の狼が群れをなして、木立の間を疾走し、襲い掛かってくる。あっくんはすぐさま馬車を飛び出し、開けた道沿いに飛び出してきた狼をあっという間に体術で蹴散らした。森林狼は一目散に鬱蒼と生い茂った草木の中に潰走していく。セロンは止まった馬車を降りて、あっくんの元に駆け寄った。
「まだ諦めていない奴がいるな」
あっくんは森の奥に目を細めていた。セロンも音や視野、臭いで樹木の影に潜む猛獣の存在を感知していた。
「こういう猛獣の襲撃って頻繁にあるものなの?」
「ない訳じゃないが、この森の猛獣の気配は異様だ。これほど露骨な襲撃と敵意むき出しの気配。旅をしていたとしてもそうそう遭遇するものじゃない」
セロンも確かに違和感があった。住んでいた山ではそんな経験はなかった。ここまでの道のりも穏やかだった。それに比べて、眼前の森林は際に来ただけで襲われたのだ。いったい森の中にはどれだけの猛獣が居るのだろうかとセロンは思った。
二人は馬車に乗り込み、森に囲まれた道を進んだ。懸念通り、森に囲まれた道を少し進んだだけで、度々(たびたび)猛獣が襲い掛かって来た。その様子は、飢餓状態である野生動物がなりふり構わず、餌食を得ようとしているようにも、ただ本能で牙を向いているようにも見えた。道脇の所々には引き裂かれた服や麻布などの荷物が投げ出されて散らかっていた。この先の街を訪れようとした者もしくは出ようとした者が、猛獣に襲われ、無惨にも森の中に引きずられていったのは明らかだった。セロンは人が通る道なのに余りにも危険が大きすぎないかと訝しげに思った。
「まるでこの道を進むのを拒んでるみたいだな」
あっくんが森林狼の群れの一団を追い払った後に呟いた。
「でも、この先に街があるんだよね?」
セロンは素朴な疑問を訊いた。
「これは裏がありそうだな」
あっくんは面倒くさそうに答えた。
それからも道を進んでいる最中は両脇の森から常に獲物を狙うような視線が感じられた。しかし、あっくんがひたすら歯向かってくる猛獣を撃退していると、流石に学習したのか、気配も次第に感じられなくなり、風が強さを増してくるようになった。
風は先を進むたびに強くなっていくようだった。あまりにも顕著に強さが増している為、何が原因なのかとセロンは前方を馬車の側面から覗き込んだ。すると、進行先の遠方に細く広がるように薄黄色の壁のようなものが見えた。
「何、あの黄色っぽいもやもやした壁?」
セロンは思わず、傍にいるあっくんに訊いた。
「なんだろうな?」
あっくんも無表情で前方を眺めながら答えた。
馬車がどんどんと薄黄色の壁に近づいていく。距離が縮まっていく毎に、風速が早さを増し、周りの落ち葉や砂を巻き上げていた。セロンは堪らず、後ろの縁から車室の方へ逃げ込み、薄目で壁を観察した。注視しなくても分かる程近づいて来るとその壁が森林の林冠よりも高いのが分かった。砂埃が酷くなり、視界が黄ばみがかってきて、ようやく壁の正体がわかった。近づけば近づく程、壁の輪郭はぼやけていく。絶え間なく動き、塵やゴミを巻き上げる。その壁の正体は、大きく取り囲むように右から左に流れる暴風だった。
「どうなってるの? あの風の中に街があるんだよね?」
セロンはほぼ目を瞑りながら風にかき消されないように声を張り上げた。
「そうみたいだな。何かが外界から来る者を拒絶しようとしているのか、それとも……」
「やあ、酷い天気だね」
突如、暴風の轟音と共にそれに負けない陽気な声が聞こえてきた。セロンは声の方を振り向き、手で目元を覆いながら指の隙間から覗くと、驚きのあまり思わず目を丸くした。視界に入ったのは、セロンにとってなじみ深い存在。それは、砂塵の中でも見分けがつく、白く大きな体躯。セロンの兄だった。




