第34話 「マーサおばさんへ感謝」
貧民区、布に囲まれた住居、しわしわな敷物の上で少年は考え込んでいた。妹のムムルは隣で気持ちよさそうにスース―寝息を立てながら眠っていた。
少年は自分が犯した詐欺について思いを巡らせていた。
***
少年はこの街に移住してきて日を追うごとに盗みと詐欺が手に馴染んできていた。きまぐれ市場での掏摸や街に来た何も知らない人への詐欺行為を高い確率で成功させていた。
今回も街の入り口の門に張り込み、獲物を網に掛けようとしていた。櫓にいる守衛がいつもうたた寝しているのは把握している。彼らときたら、いったいいつ起きてるのかと思うほど寝るのが仕事の様だった。故に、少年が良からぬ企みをしてようとも気づくはずもなかった。
しばらく辛抱強く待っていると鴨にするのに格好の的であるカーキ色ハットの被ったおじさんがやって来た。少年はつかさず、門の前で声をかける。
「旅の方でしょうか?」
警戒されないようにへりくだった確認をとる。以前住んでいた村でおばさんから学んだ語学スキルだった。
「この街にしばらく滞在したいと思って来たんじゃが……」
やった、当たりだと内心ほくそ笑んだ。何も知らずに足を運んできたおじさんを獲物にする気である。
「それなら、住む家に案内しますよ」
自然な笑みでおじさんの荷物を預かろうとする。
「どうも」
何も疑わないおじさんは、少年に背嚢を預ける。しかし、少年はこの荷物がお目当てという訳ではない。少年はおじさんがついて来るように手で促した。
おじさんを連れて住居区内にある空き家まで案内した。常に何処の部屋が空いているのか目を光らせている為、見つける必要はなかった。そして、ここからが本題である。
「ここが今空いていますので、使っても問題ないですよ」
少年は空き家の前に立ち、紹介するように身振り手振りをして老人に伝えた。
「硬貨は払わなくていいのかい?」
おじさんは当然の疑問を聞く。
「いま伝えようと思っていました。この部屋に住むには前金で金貨十枚と月が満ちる度に銀貨五枚かかります」
少年はスラスラともっともらしい案内をした。実際に月が満ちる度に銀貨五枚かかるのは事実だった。街の役人が徴収しに来るようになっているからだ。
「ふむ、それでは何処に払えばいい?」
少年はこの言葉を待っていた。
「前金の金貨十枚は今、貰います」
少年は当然かのように答えた。
「子供にか?」
おじさんは、難色を示した。
「この街の役人から任されてるんです」
真っ赤な嘘である。
「子供の手も借りないとこの街はやっていけないんですよ。ほらあそこにも居るでしょ?」
少年が手で示した方には、子供が壊れた住居の修理をしていた。布の張替え作業を小さな子供二人で協力して取り組んでいるのである。それを目撃したおじさんは、釈然とはしていなかったが、受け入れた。
「そうか、それならお願いしよう」
おじさんは金貨十枚を上着のポケットから取り出し少年に渡した。少年はそれを受け取り、褐色の荒んだ服の中にしまい込んだ。服の裏には内ポケットが縫ってあり、いつもそこに盗品などをしまい込んでいた。
「それではどうぞお入り下さい。今後は月が満ちる頃に五枚の銀貨を支払いください」
最後まで抜かりなく、丁寧に案内を終えた。おじさんは全く疑っていなかった。
少年はその場を後にし、住居を修理している子供の前を通り過ぎて行った。すると後ろから二人の子供がついてきて、人気のない所まで来ると声をかけてきた。
「約束の銀貨をよこせ」
飢えた態度だった。
「ああ、やるよ」
少年はそう言うと、服の内側から銀貨を二枚取り出し、指で弾いて飛ばした。子供二人は地面に落ちた銀貨をそれぞれ拾い上げ、走り去って行った。
少年はチョロいと思った。少年の一人勝ちである。たとえ、後にバレたとしても騙し取った金貨は人目につかない場所に隠すので、奪い返されるような事態にはならない。街の役人に訴えられたとしても、この街の上の者はやる気がなく、対処はしない。なぜなら、この街では常日頃掏摸や詐欺が蔓延っているため、キリがないからだ。泣き寝入りするしかない。騙された方が悪いんだ。そんな街なんだから。
*
盗みや騙しはもはや日々の日課のように当然の如く働いていた。おかげで、着実に硬貨は集まり、食つなげられた。しかし、同時に誰からも信用されず、嫌われ者になった。店で何も買えなくなったし、硬貨を稼ぐ術も失ってしまった。
そもそも貧民区出身というだけで、街の者は相手にしないし、目の上のたんこぶ的扱いだった。少年が来る前からそうだったし、そこで過ごしていても変わらなかった。真っ当に、誠実に接していたら本当に暮らしも違っていたのだろうか?
住居の中、しわしわの敷物の上で少年はまだもやもやする気持ちで思い悩んでいた。貧民区内がざわざわと騒がしくなってきた。
「やっとこれで俺達は救われるんだ。部隊の御方が俺達全員に働き口を与えてくれて、もう暮らすのに困らないように取り計らってくれるらしい」
「ああ、なんだろうな。この湧き上がってくる晴れやかな気持ちは。部隊の方達が来てくれてよかった。けど何て言えばいいのだろうか? 言葉では言い表せないな」
話し声は通り過ぎて行った。なんだか、この貧民区がつい数刻前までどんよりしていたのが噓のようだった。
そして少年は感謝の言葉すらも知らない者がいるという事実に少し驚いた。同時に、マーサおばさんは意外にも識者だったのだと感心した。
マーサおばさん……あんまり好きじゃなかった。うるさくて、お節介で、お人好しで竜に村が襲われた時、少年とムムルを逃がす為に囮になって死んでしまった。優しい奴は貧乏くじを引くんだ。優しい人は……。
少年は、すがるようにムムルに訊いてみた。
「なあ、ムムル?」
「うん? なに?」
仰向けになって目を閉じていたムムルが答えた。寝息を立てて寝てるように見えたが起きていたようだ。
「『ありがとう』というのは、役に立つのかな? いや、大事なのかな?」
少年は自信が無さそうにまごついていた。
「お兄ちゃん……」
ムムルは少年の発言と態度に驚いていた。最近の兄には無縁の言動だったからだ。
「覚えてる? お兄ちゃん。そのことで約束したの」
「……ぼんやりと」
約束したのは覚えているが、会話の内容までは覚えていなかった。思い出そうと俯いている少年にムムルは、話してくれた。
「どんなことがあっても『ありがとう』の気持ちは忘れないようにしようねって言ったんだよ」
それを聞いて、少年はぼんやりとしていた記憶が蘇ってきた。
「私は『ありがとう』を知った時から一度も辛いと思わなかったよ。どんなに貧しくてもお腹が空いていても明るい気持ちにまた戻れたよ。私にとっては魔法の言葉なんだ」
こんな劣悪な環境下でもムムルはとびっきりの幸せそうな笑顔だった。村にいた頃とは比べ物にならない程、過酷なこの環境なのに。
少年はやっと胸のつっかえが取れた。やっと理解できた。今まで悩んでいたのが嘘のようだった。
「そうだな…ムムル、ありがとう」
少年はいつの間にか涙が零れ落ちていた。今更になって、マーサおばさんに深く感謝していた。おばさんの教えのありがたみが分かったのだ。自分がやっと成長できたことを直接伝えたかった。
少年はゆっくりと立ち上がった。そして、住居の隙間から雲一つない青く澄み渡った天に向かって叫んだ。
「マーサおばさん。ありがとうございました」
その声は枯れた涙声だったが、何処までも遠く温かく広がって行った。ムムルもマネをして叫んでいた。
少年は涙を拭いて言った。
「俺、言わなきゃいけない人が一杯いるよ……」
「言いに行こうよ! 一緒に」
ムムルは明るく嬉しそうだった。
二人は治安維持部隊の人や温情を与えてくれた人にお礼を言いながら歩いた。それは傍から見ると滑稽に見えて、いきなり言われた人にとっても当惑する姿だった。けれど、気を悪くする人は誰一人いなかった。
少年は盗んだものも全て返さなければいけないと考えていた。なので、悪党に渡してしまった硬貨の入った袋を取り戻そうと、上位地区にある役所まで来ていた。
役所を行き来しているひょろ長の部隊の人に訊く。もう既にお礼はした後だった。
「回収品の中に硬貨の入った汚れた袋ってありませんでしたか?」
「うん? そうだな~、悪党達から押収した盗品や詐取品は沢山あるから、何とも言えないなぁ~」
部隊の人は首を傾げて考える仕草をして答えた。
「それじゃあ、見せてくれませんか? 俺、見れば分かります」
少年は必死だった。
「いやぁ~、残念だけど証明できるものがないと引き渡し出来ないようになってるんだ。ごめんね」
部隊の人は申し訳なさそうに答えた後、役所の中に入って行った。
「……しょうがないね」
ムムルは少年を励まそうとした。
少年は申し訳なさで一杯だった。今すぐにでも盗んだ硬貨を返したい気持ちで溢れていた。もう盗みはしないと決めてたけど、最後に一度だけ償いの為にかっぱらおうかと気持ちが揺らいだ。
そう思った矢先、頭に女性の深みのある声が響いてきた。
『お前が悪いんだよ』
それは厳格な声だった。
そうだった。マーサおばさんは自分が悪さをしたら叱ってくれていた。
少年は懐かしい記憶に諭されることになった。




