第33話 「少年が受けた街の洗礼」
助かった。助けられた。それでも生きた心地、実感がなかった。手がいまだに震えていた。
少年は貧民区にある自分の住居で、心身を落ち着かせる為に、座り込んで休んでいた。妹のムムルもくたびれた様子で、バツの悪そうにしわしわな敷物に腰を下ろしていた。
そこはただ細い木の棒に黄ばんだ布を括りつけて作られていて、家とは言い難い空間だった。周りもほぼ同じ陰鬱とした雰囲気で、決して環境が良いとは言えない場所である。けれど、少年とムムルにとっては、今では一番体を休められる場所となっていた。
ムムルを川沿いの小屋から救い出してから少し経っていた。少年は助かって妹も無事だったのに、気分が晴れなかった。きっと、つい先ほど竜に殺されそうになったからに違いないと少年は思った。だが、それとは無関係に頭の中で誰か知らない者の声が響いて来る。
『お前が悪い……お前が悪い……』
気味の悪い声が体中に響く。
少年は青ざめた顔で動悸が激しくなる。俺は悪くない。しょうがない、仕方がなかったんだ。どうにもならなかったんだ。微かに親しみのある声が聞こえて来た。誰の声かよくわからない。少年は、自分の内側にある何かと戦っていた。やっとはっきりと聞こえてくる。
「……お兄ちゃん?」
ムムルが心配そうな顔で見ていた。
「ああ、なんだ?」
息を切らしながら、平静を装った声で答える。
「大丈夫? お腹空いたから配給でも貰いに行かない? 焚火通りでやってるって聞いたよ」
「ああ、そうだな」
動揺していて、妹がなんて言ったかよくわからず、テキトーに答えた。
ムムルに促されて、焚火通りまで来た。かつてない程、ガヤガヤと騒がしく、大きな人の群がりがあった為、配給を行っている場所はすぐに分かった。妹について行き、深緑のテントに繋がる長い列の最後尾に並んだ。ムムルは先程とは別の意味で少年を窺うように見つめていた。きっと、少年が以前あったように癇癪を起すのではないかと心配している様だった。けど、今の少年にはもうそんな威勢も気力もなかった。
列は長かったが、体感ではそこまで長く感じずに配給を受け取れた。ムムルと二人で少し行った先にある焚火広場で、適当な段差に座った。辺りは同じことを考え、腰を掛けている者達で溢れていた。老若男女、異種族、入り混じって、群がっていた。
配給されたのは、芋と茶色く濁ったスープだった。芋は以前大人の人がくれたのと同じ紫色の皮がついた中身の黄色い芋で、半分に切ったような断面が見えていた。茶色いスープには、黄色のカケラ、橙色の半円の具、透明な薄い皮のようなもの、そして肉のようなものが沈んでいた。
一口芋を頬張り、スープを飲んでみた。体全身が温まり強張った筋肉が解きほぐされていくような感覚になった。久しく、ここまで美味しいと思えるものは食べていなかった。思わず遠い昔の記憶にある、緑溢れる光景が思い起こされた。
ムムルも同じように先程までの気力のない表情は嘘のように元気を取り戻していた。落ち着いた気分になったらしく、ムムルが口を開いた。
「ごめんね、お兄ちゃん。私のせいで大変な思いさせて……」
ムムルは申し訳なさそうな表情をした。少年は思いがけず、竜に食べられそうになった倉庫での出来事を思い出し身震いした。しかし、大したことがないというふうに装って、答えた。
「俺は全然平気だ」
強がっていた。妹は話を続けた。
「私、勝手なことした……お兄ちゃんが芋をくれた大人を追いかけて行った時に、ずっとその場で待っていたら、落ち葉色のハットを被った男の人に話かけられて……」
少年は、あの暗い物置小屋に閉じ込められた経緯についての話だと理解した。助かってからこれまで、ただ疲労感と安堵で話を聞く機会などなかったのだ。
「そして、悩みを聞かれて、どうすればお兄ちゃんを救えるかって聞いたんだ。お兄ちゃんが、私の為に無理をして、盗みとか人を騙しているのが耐えられなくて、どうにかしたかったんだ……」
ムムルはもどかしそうな表情をしていた。少年はスープを飲みながら、駄々(だだ)と聞いていた。
「そしたら【ユートピア】を紹介されて、怪しいのはずっと分かっていたけれど、ひょっとしたらと希望を抱いちゃったの。何でもある場所だから、お兄ちゃんが盗みをしなくたって欲しい物が手に入れられるって……」
今度は少年が申し訳なさそうな表情をした。ムムルは俺の為に、どうにかしようとして【ユートピア】という甘い誘惑にそそのかされてしまった。……俺が悪い。ムムルの話は続いた。
「そして、ついて行って、色々あって、倉庫に閉じ込められたの。閉じ込められて、凄く怖かった……」
ムムルはスープを見つめていた。少年は、自分も【ユートピア】というのに少しだけ期待してしまっていたのを思い出した。ムムルは悪くない。誰だって苦しい立場で生活をしていたら、誘惑に負けてしまう。そう考え込んでいると、ムムルが口を開いた。
「だから、お兄ちゃん。助けてくれてありがとう」
驚いた事にムムルはとびっきりの笑顔を少年に向けていた。さっきまで暗い場所で監禁されていたというのにこの上ない、満面な笑みだった。少年は、ムムルの言葉に懐かしさを覚えた。久しく言っていなかった……いやこの街なら聞く事なんて無かったし、言うのも止めてしまった言葉だった。
「お兄ちゃんが居て本当に心強いよ」
「ムムル……」
少年は、言葉につまった。ただ、自分も助けられただけだったから。
「だから、お兄ちゃんが沢山頑張る分だけ、私は感謝を忘れずに皆に伝えるようにするよ。無理しないでね」
ムムルは少年に微笑んだ。その言葉には、大きなムムルの思いが込められているような気がした。
「ムムル……感謝か……」
少年は思い詰めた。この街で、そんな言葉が通用するのだろうか? その気持ちを示すことが出来ていれば、少しはマシな生活が出来ていたのだろうか……いや、そんなにこの街は優しくなかった。そんなことしても、のたれ死ぬだけだった。だけど、捨てたことで結果的に苦しくて辛かったし、ムムルを不安にさせて危険な目に遭わせてしまったのも事実だった。
少年は配給の品を食べ終えた。ムムルも食べてしまい、一緒に貧民区の家に帰った。
布に覆われた住居の中で少年は座り込み考えた。ムムルはお腹が満たされ、満足した表情で横になっていた。
もしかしたら、始まりが酷すぎで生き方を間違えてしまったのかもしれない。間違った方法を覚えていなければ、ただ生きるために必死になる必要はなかったのかもしれない。何処で間違えたのだろうか? 少年は過去の出来事を思い起こした。
***
少年は、街から少し離れた山の近くの麓の村に住んでいた。しかし、村が竜に襲われ、村人の大半が死亡した。少年とムムルの二人は生き残ったが両親はおらず、他の生存者の村人は余裕が全くなかったので、保護してもらえなかった。少年とムムルは二人で生活できる場所を探して、遥々(はるばる)この街まで逃げて来たのである。
街にたどり着いた少年とムムルは、守衛が櫓の上で寝ている横の門をくぐり、街に入った。ジメジメと熱く日差しが照り付ける昼間だった。少年は大きな荷物を四つ抱え、ムムルも持てるだけ背負っていた。勝手がわからない街の中を休める場所を探す為に歩き回るが、住居の体を成している場所に入ろうとしたら、金貨を要求されて入れなかった。街の人々は冷たかった。街をあちこち彷徨って、ようやく居座ってもお咎めが無い地区にたどり着いた。
「ここしかない」
少年は、くたびれた声でムムルにそういうと、何もないただこじんまりと空いている隙間を陣取るように座り込んだ。辺りは、布の海のようにあちこち無造作にぼろ切れなどが張り巡らされていた。陰鬱な雰囲気で居心地はいいとは言えなかった。だけど、それ以上に疲れているので、休めるだけでも嬉しかった。
「……お腹空いたお兄ちゃん」
あまり経たずに、ムムルは駄々(だだ)をこねるように言った。持ってきた荷物の中に食べ物と言えるものはもう底をついていた。
「少し待ってろ、今もらってくるから」
そう言うなり、フラフラと立ち上がり歩き出した。
硬貨は持っていなかった。ムムルも待たせたくはない。少年は手短に食料が手に入りそうな所を捜し歩いた。
布の住居がひしめく小径を歩いていると地区の角、街の囲いに隣接する場所に薄板を重ねて作ったような歪な形の小屋があった。近くまで行き、その中を覗き込むと、かなり多くの穀類や芋が備蓄してあった。その前の入り口近くの椅子には男性が座り込んでいた。目の下にクマがあり、無精ひげを生やしている。少年は男性に声をかけた。椅子は脚の一つが若干短く、がくがくと不安定で、男性の体重移動に合わせて音を立てていた。
少年は茶褐色の荒んだ服から銀の小型の笛を取り出し、男性に見せた。
「これと食べ物を交換してほしい。銀貨五枚以上の価値はあると思う」
その笛は、滅んだ村でよくしてもらったおばさんの形見だった。手放すのは心苦しいが背に腹は代えられなかった。一刻も早く、食べ物を入手したかった。
男性は、じっと品定めする様に少年の笛を見つめていた。生気が感じられないような不気味な視線だった。少しの間があったあと、男性が応じた。
「あいよ」
目にクマのある男性は少年から銀の笛を受け取り、布に包まれたずっしりとした物を小屋の隅から取り出して渡してきた。少年はそれを受け取ると、ほっとした気持ちで走り出した。
急いでムムルの元まで戻っていき、成果を報告するようににこやかに言った。
「食べ物持ってきたよ」
「やった! やっと食べられる」
ムムルは待ちくたびれた分、嬉しそうだった。
期待を膨らませて急いで包みを開けた。紐をほどき、一つ一つ布を捲っていく毎に胸が高鳴り、胃が歓喜の音色を鳴らした。そして最後の布を捲った時、中を見た二人は衝撃で唖然とした。
中に入っていたのは石だった。拳ほどの大きさの石が数個入っていた。
二人はその石をじっと見続け、しばらく言葉が出なかった。
「なんだ、お兄ちゃんの悪ふざ……」
ムムルはガッカリして言いかけたが、少年が立ち上がりすぐさま走りだした。
「お兄ちゃん、何処に行くの……」
後ろの方からムムルの声が聞こえたが、構わず走り続けた。頭に血が上り、怒りに震えていた。あっという間に、地区の角にある薄板の店まで戻って来て、怒鳴り散らかした。
「どういうことだよ! なんで石が入ってるんだよ!」
「ここじゃあ、それを食べるのが当たり前なんだよ」
目にクマのある男性は、悪びれることなく隠し切れない笑みを浮かべていた。すぐに嘘だと分かった。それを聞いた少年は、絶句してもはや我慢できなくなった。
「返せ、俺の笛!」
男性に殴り掛かった。不意を突かれた男性は男の子の右ストレートの一撃をくらう。しかし、力が伝わらず男性にすぐに反撃された。怒り心頭の男性は少年を乱暴に殴り蹴り、つきとばした。そして汚い物を払うような仕草をして、罵声を浴びせた。
「もう横流ししたんだよ! 騙される方が悪いんだ! このくそ餓鬼が!」
目にクマのある男性は、建物内に戻って行った。諦めた少年はフラフラと立ち上がり、ムムルの元に帰るために歩き出した。怒りと悲しみと羞恥で震えていた。ここにある全てが憎いと感じた。
暗い表情でムムルのいる空地近くに戻ってくる。布囲いの住居に囲まれた小道を進んで、空地にたどり着いた時、さらにどん底に突き落とされた。
ムムルが、泥だらけになって弱弱しく荷物を抱えてうずくまっていた。殆どの荷物が無くなっている。
「どうした? 何があった?」
ムムルの元まで飛びつくように近づき、問いただした。
「荷物、知らない人に取られちゃった……ごめん……」
少年はついに全てが吹っ切れた。もはや、怒りも絶望も感じていなかった。
「けど、全部取られる前に近くを通りかかったお姉さんが追い払ってくれて……後で『ありがとう』しに行かないと……」
少年はもう聞いていなかった。
「ここはそういう場所か……」
少年は結論付けるように静かに呟いた。
「騙される方が悪い……取られる方が悪い……」
ブツブツと呟いている。少年はさっきボコボコにされたクマのある男性のニヤつき顔を思い出した。
「えっ?」
ムムルは少年が何を言ったのか分からなかった。
「わかったよ……俺もやってやるよ……」
「お兄ちゃん?」
全く耳に入っていなかった。
「もう、誰かにお礼なんて言う必要はない」
少年は冷たく言い放った。
「けど、お兄ちゃん……」
「そんなことしたって意味ない……そんなこと忘れろ……」
少年はただ地面を見つめて目を見開いていた。固い悪意の籠った決意だった。
*
胸糞悪い記憶だった。これがきっかけで、生きるために手段を択ばなくなった。他人なんてどうでもいいと思うようになった。俺のとった行動は悪くない。この場所の秩序に従っただけだ。
頭の中で不気味な声が響いて来る。
『お前が悪い……お前が悪い……』
やはり俺が悪いのか? もっと冷静になっていればあんな悲劇にはなっていなかったのか?
少年はもやもやが晴れず、さらに自分の過去の過ちを見つめなおした。




