6 感染する?
長田輝彦が学会と厚労省への報告書に悪戦苦闘しているとき、そのニュースは流れた。
カナダ、アメリカ、ドイツなど、複数の国で人間が植物に寄生されるという奇妙な症状を呈する患者が報告された——というものだ。
「同じじゃないか!」
スマホをスタンドに立ててニュース番組を聞き流していた輝彦は、思わず口に出して言ってしまった。
ニュース画面に映し出された映像は、苔や何かの植物が生えた手や足の画像だった。
輝彦は思わずスマホだけを持って部屋を飛び出し、待合室の大画面のテレビを見に行く。
そこでは看護師や職員が、一様に立ち止まったままテレビ画面に釘付けになっていた。
「あ、長田先生。あれ‥‥」
「はい、私も今スマホでニュースを見てて‥‥」
ニュースによれば、カナダの保険当局がカナダ時間の昨日、新しい症例の報告を受けたと発表したということだった。
その後、アメリカとドイツでも同様の症例が確認されたと伝えていた。
「なんですかね、これ? フェイク画像じゃないんですよね?」
「人体に寄生する植物ですか?」
キャスターたちが呑気に画像に対する感想をしゃべっている。
しかしこの病院の職員たちの受け止めは違った。
輝彦は何か新しい情報があるかと思ってニュースを食い入るように見つめたが、ニュースは興味本位のコメントだけで終わって、次の話題に移ってしまった。
輝彦は踵を返して部屋に戻る。
報告書を仕上げなければ!
世界で同時多発的に起こったとすれば、なんらかの感染症の疑いがある。
それも、潜伏期間が長く、我々が気づく前にかなり拡がってしまっている可能性が——。
自分も病院スタッフも‥‥。すでに感染したかもしれない。
輝彦は院内回線で検査部の飯沼結衣を呼び出した。
「なんでもいい。患者の血液中にウイルスがいないか、徹底的に調べてみてくれ。植物本体じゃない。患者の体内の方に、植物に対する免疫反応を抑止するような何かが入り込んでるはずだ!」
「感染症なんですか?」
受話器の向こうで結衣が怪訝な声を出す。
「テレビのニュース見たか? 世界中で同じことが起こってる。」
寄生している植物が多様であるということは、植物の方が何らかの変化を起こしたとは見るべきでない。
人体の方に、植物の寄生を無条件に許す何かが起きている——と見るべきだ。
それを引き起こしているウイルスか何かがある、と考えるのが妥当なんじゃないか‥‥。
輝彦は唇を噛んだ。
院長はもう帰ったか?
輝彦が想像するような感染症だったら、院内体制を根本から変えないと‥‥。
輝彦はもう一度検査部にコールを入れた。
「何? 検査始めようとしてたとこなんだけど?」
結衣のイラついた声が聞こえた。
「結衣。くれぐれも血液の取り扱いには気をつけて。それから、接触する人間は極力減らしてくれ。僕とは当面、接触するな。」
「え? 何? どういうこと?」
あのニュースが流れた翌日から、皮膚に植物が生えたという患者が急に増えた。
増えたのは感染が拡がったというわけではなく、医者にかかるのを躊躇っていた患者がニュースを見て一気にやってきた——ということらしかった。
病院では万一の感染の可能性を考えて、植物に寄生された患者だけの隔離病棟を作るという体制がとられることになった。
輝彦の主張した「長期潜伏期間」説は木見田院長の一言で却下された。
「考えすぎだ、長田くん。病院のスタッフの誰も感染なんかしていないじゃないか。潜伏期間中に感染? 何がだね? それを見つけたのか?」
輝彦は答えようがない。
今のところ、検査部の飯沼結衣は何も見つけられていないのだ。
木見田院長にしてみれば、外来患者の受け入れを一時止めるような大規模な体制をとったら即座に病院経営に跳ね返る。
そういうことは、何かがわかって政府の要請があってからでいい。
その後、輝彦が心配したようなことは起こらず、患者の容態は安定していた。
木見田院長が「ほら見ろ」という視線を輝彦に投げかけてきた。
だからといって、治療法があるわけではない。
患者の皮膚からは相変わらず、苔や草の新芽が出てくるのだ。
抗生物質の投与で根の成長は止められるようだったが、根を枯らすことはできなかった。
マジで庭師に話を聞いてみると、根を取ることのできない場所に生えた有害植物を枯らすには出てくる新芽を摘み続ければいい、ということだった。新芽の成長に使われた栄養を光合成で補充できなければ、やがて根は枯れるという。
しかし、患者に生えた植物はいくら芽を摘んでも、一向に枯れることはなかった。
患者の体内から栄養を吸い取っているのか?
と考えてみたが、しかし、患者の方もバイタルは正常なままで衰弱する様子もないのである。
変な言い方だが、元気だった。
植物の芽がひっきりなしに伸びてくる、ということを除けば。
学会では様々な議論がなされたが、誰も原因を突き止められていないようだった。
患者の血液からも、原因となるようなウイルスのDNAも検出されない。
「生検ができれば‥‥。」
と結衣が言ってきたが、治療でもないのに患者の皮膚の一部を切り取るわけにもいくまい。
そうこうして1週間ほど過ぎた頃、WHOがこの症例の仮の名前を発表した。
免疫回避性植物寄生症候群:Immune Evasion Plants Parasitic Syndrome 。
通称 IEPPS。