51 人間であること
「いちばん最初にここを制圧に来るようです。病院を拠点に周辺の藪を焼き払うつもりです。」
早朝、病院の中に入ってきた双葉圭介は、鈴木たちにそう言った。
「途中の藪を無視して、まずここへ進軍してくるというのはラッキーでした。これ以上犠牲者が出なくて済む。」
* * *
吾朗の部隊は総勢20人。
まだ夜が明けきらぬうちに駐屯地を出た。
空に雲が多いが、雨は降らなさそうだ。
それはありがたい。
雨が降れば空気中を飛ぶ胞子は減るが、藪を焼くのに燃料が余分に要る。石油の輸入が止まってしまった今、燃料も潤沢ではないのだ。
そもそも、日本全土の藪を焼き払うだけの燃料があるのか?
『ゼロイープス』など、可能なのか?
そんな疑問が隊員たちの中でも出はじめていたが、隊長はそれを抑えた。
我々には全体のことは関係ない。命令された任務を遂行するだけだ。
今日は駐屯地から30㎞東方にある理科医大病院に移動する。
この部隊はそこを拠点に、さらに東方にゼロエリアを拡大するのが任務だった。
途中遭遇する「藪」は無視してゆく。
どうせそれらはそこから移動するわけではないのだ。
まずは病院の建物を制圧し、体勢を整える。全てはそれからだ。
「藪」が胞子を噴出する新月まであと2日。それまでにできる限り多くの「藪」を駆除しなければならないのだ。
そんな吾朗たちを「藪」の中の目が追うように動いて視線を送ってくる。
嫌な感触だ。
病院にはまだ人の形をした感染者がいるのだろうか?
それを‥‥‥
吾朗はなるべく考えないようにして、ひたすら歩くことに専念した。
ガソリンは貴重品だ。20人ほどの部隊の移動に使うわけにはいかないのだ。30㎞程度は歩いての行軍になる。
敵が動くなら機動力も必要だが、敵は動かないのだ。
目的の病院に着いたのは、午前9時頃だった。
周囲に「藪」が多い。
病院の駐車場も「藪」だらけだった。
診療を求めて集まった患者だろうか。
「この中に医者もいるのかな? それこそ藪医者だな。」
誰かが冗談を言ったが、うすら寒い笑いが少し起きただけだった。
「よし。まず駐車場をきれいにするぞ。」
隊長が言って、吾朗は手近な「薮」に向けて火炎放射器を構えた。
「藪」の目が吾朗を見てくる。
この瞬間が、嫌だ。
作業は慣れたが、これだけはどうしても慣れることができなかった。
吾朗はその目から視線を外して、いつもどおり引き金を引いた。
火炎が放出を始めたその直後。
バン!
と「藪」との間に板のようなものが立ち上がって、火炎のゆく手をふさいだ。
同時に‥‥‥
バン! バババ、バン! バン!
あたり中から発砲音のような爆発音のようなものが聞こえ、吾朗は全身に痛みを感じた。
「痛っ!」
「敵襲!」
隊長が叫ぶ声が聞こえ、吾朗は反射的に身を低くした。
訓練どおり、身を低くしたまま物陰へと身を移動する。
何かを踏んだ。
バン!
背中に激痛を感じた。
バン! バン! バン! バン!
あちこちで破裂音が聞こえ、隊員たちの悲鳴が聞こえた。
敵はどこだ?
吾朗は見回すが、どこにも敵の姿など見えない。銃を発砲する閃光すら‥‥。
パパパパ!
誰かが後方で発砲する音が聞こえた。
「やめろ! やみくもに発砲するな! 味方に当たる!」
隊長が叫んでいる。
銃で撃たれた瞬間は痛みを感じない——と聞いていたが、全身が痛い。
皮膚が‥‥、子どもの頃の擦り傷みたいに‥‥?
これは銃による攻撃ではないのか——?
吾朗は自分の手足を見た。
防護服がボロボロに破れ、皮膚が見えた。血だらけになっている。
ふいに病院の方から拡声器の割れた声が響いた。
「防護服を破った。おまえたちは感染した。」
「ひいぃ‥‥」と情けない声が吾朗の喉から漏れた。
空気中には無数の胞子が漂っている‥‥はずだ‥‥。
吾朗はあたりを見回した。
「藪」の目が、こちらを見ている。
あれになってしまうのか? 俺も‥‥‥
「いやだあああっ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「黙れ! 見苦しい!」
怒鳴った隊長の声も、うわずっていた。
バン!
また前方で音がして、吾朗は身をすくめた。
‥‥が、それは爆発ではなく、何かの板が立ち上がった音だった。
そこに大きな文字が書かれていた。
『当病院には治療法があります
あなたたちの選択肢は2つ
そのまま藪になるか
武器を捨てて降伏し、治療を受けるか』
吾朗は隊長の方をふり返る。
隊長も、その看板の方に呆然とした様子で顔を向けていた。
吾朗はもう一度、その文字を見る。
『当病院には治療法があります』




