44 望みを託して
響紀さんと瑠奈が感染した翌々日、啓介は自分で車を運転して理科医大病院に行くことにした。
NET回線が不安定になり、あらゆる連絡がつけにくくなっているのだ。
まだ感染していない瑠奈のお母さんが一緒に行くと言ったが、啓介は断った。
「響紀さんと瑠奈を見ててください。外に出るのはリスクが大き過ぎます。もし僕たち2人も感染してしまったら、僕たちはもう植物になるしかなくなってしまう。」
車の運転自体は難しくはない。
アクセルとブレーキとシフトレバーとハンドルの操作だけわかれば、あとは交通ルールもへったくれもない。
今は走っている車もほぼない。自分で事故らないようにさえ気をつければいいだけだ。
操作方法自体は響紀さんが、ぼんやりとした口調ながらも教えてくれた。
「すーまないねー。けーすけーくんー。」
「絶対事故らないでよ?」
瑠奈が心配でたまらないという顔で啓介に言った。
「啓介にばっかり負担かけて、ごめんね‥‥。」
不思議なことに瑠奈には精神の退行が起きない。
発芽して2日目になるのに、響紀さんや純恋のように間延びした話し方にもならず、いつもどおりの瑠奈だった。
啓介はふと、瑠奈は感染していないのでは? とあえかな希望を持ってもみたが、ちぎってもちぎっても瑠奈の頬からは緑色の芽が出てきた。
それが啓介に、感染は紛れもない現実だと冷たく教えた。
瑠奈に取り憑いたイープス菌は、まだそれほど深くまで侵入していないのかもしれない。
とりあえず啓介の両親用にもらってあった抗生物質を2人に服用してもらい、啓介は今日、病院で長田先生に例の治療法を2人に施してもらうよう頼むつもりだった。
ガソリンスタンドに寄っていくか。
まだガソリンは十分入っているが、この先いつまで手に入るのかわからない。常に満タンにしておくことに越したことはない。
だが、ガソリンスタンドは閉鎖されていた。
2台ほど他の車も来ていたが、ノズルからは1滴のガソリンも出てこないということだった。政府の警備員もいない。
くそ! 貴重なガソリンを回り道で無駄にした。
啓介は舌打ちしながらも、少しでもガソリンを節約するために加速をゆっくりにして、極力ブレーキを踏まないようにして病院に向かった。
病院ではいつものように長田先生たちが頑張ってくれていた。
病院の一部は非感染者の避難場所にもなっていて、そのコミュニティの自治会長を務める鈴木さんも相変わらず精力的に働いていた。
「今日は樹神さんは来ないのかい? 今日もトラックは来ていないよ。」
鈴木さんは温厚な顔立ちのイメージどおり、声もふくらみのある優しい声をしている。
この人は、こんな状態にあってもどこかに余裕を失わないところがあって、啓介はいつも感心していた。
「響紀さんは‥‥感染しました。」
鈴木さんは驚いたように目を見開いた。
「それで、長田先生に例の治療を頼もうかと思って‥‥。」
「そうか‥‥。」
鈴木さんは気の毒そうな表情をする。
「双葉くん、君たちもこっちに来てここで暮らさないか? 患者も一緒にいるが、むしろ管理されている分病院の方が安全だぞ? 食料が届けば、すぐにここで分配できるし。ガソリンスタンドも昨日から閉鎖されてしまっているし——。」
「帰ったら、相談してみます。‥‥そうですか。ガソリンスタンド、昨日から閉鎖されてたんですか。」
「政府の方針らしい。一般人への販売は当面禁止だそうだ。タンクローリーが来て、スタンドの地下タンクから残っているガソリンを全部回収していったよ。灯油も軽油も全部。輸送車の燃料分、かえって無駄だと思うんだけどな——。」
鈴木さんが小さくため息をついたところで、長田先生が啓介たちに近づいてきた。
深刻な表情をしている。
「やあ、双葉くん。今日は樹神さんは?」
先生は少しやつれているようだった。
「響紀さんと瑠奈は‥‥感染しました。今日はその件で、相談に‥‥」
「そうですか。では、今日の午後にでもすぐ連れてきなさい。血清はまだ少し残っている。すぐに始めよう。」
若い瑠奈はともかく、50代の響紀さんについては体力面で難色を示されるかと思って身構えていた啓介はやや拍子抜けした。
「血清をとれる実験用マウスはもういない。餌がなくてね。野生動物を使うのはさすがに‥‥どんなウイルスを持っているかわからないから——。それより‥‥」
と長田先生は鈴木さんの顔を見る。
そのあと長田先生が話し出したリスクのあるこの治療を躊躇わない理由。それを聞いて、啓介は戦慄した。
「何ですって?」




