43 達成すべき目標
どうするべきなのか?
火炎放射器の扱い方について再訓練が始まった時、古渡吾朗は足元が揺らぐような大きな不安に襲われた。
ゼロイープス。
国防省幹部上がりの佐藤新総理の方針が示された——と通達があったのが2日前だ。
「一気に作戦を推し進める。まずは次の新月までの9日間に基地から半径30㎞圏内のイープス菌を全て駆除する。」
鷺原隊長は全隊員を前にそう訓示した。
全隊員といっても、ここ朝奈駐屯地にはすでに千人を切る人数しか残っていない。
あとは無断欠勤のまま出てこなくなった者か、基地内で感染が発覚して隔離病棟に隔離された患者ばかりだ。
出てこなくなった者も、逃げたのか感染したのか、定かではない。
いずれにせよ部隊運用にも支障が出ていたが、幸いにもC国もR国も領空侵犯や領海侵犯をしてくるようなことはなかった。
おそらくは彼の国も日本と同様の有り様なのだろう。
そんな中で、最高指揮官である首相の命令が下った。
イープス菌を残らず駆除せよ。
植物の侵略から国を守れ。
「拒否します。」
隊員の1人が決死の目をしてそう言った。
「命令拒否は許されん。自衛隊員であることを自覚しろ。」
「自分の両親は感染者です。この‥‥この命令は、親を殺せということじゃありませんか!」
「再度言う。自衛隊員であることを自覚せよ。」
その隊員の目を見て、一呼吸おいてから鷺原隊長は有無を言わせぬ声で言った。
「これは最高指揮官の戦地派遣命令だ。我々に拒否権はない。」
「明らかな違法命令には従う義務はないはずです。」
「何の法律違反がある?」
「人権を定めた憲法に抵触します。患者にも人権があります!」
「敵の人権を考慮しないからと、攻撃命令を拒否するというのか?」
「患者は敵ではありません!」
「イープスは敵だ。我々は敵の侵略からこの国を守らねばならん。そのためにのみ自衛隊は存在する。命令された達成すべき目標は、ゼロイープスだ。」
「そ‥‥‥」
その隊員は言葉を失った。
「本来ならば懲役刑の範囲だが、今は国家存亡の危機。非常事態だ。きさまを懲戒解雇する。支給された装備一切を置いて、今すぐここから出てゆけ。」
それはマスクも防護服も脱げということだ。
部隊全体が静かにざわついた。
命令を拒否するなら、イープスとして処理する。——ということだ。
「あ‥‥はっ! あはははははは‥‥!」
その隊員はマスクをむしり取り、防護服を破るようにしてその場に脱ぎ捨てた。
「育ててくれた親もろとも、俺も焼き殺すがいい!」
隊員の中に動揺が走る。
次の瞬間‥‥
パン!
乾いた音がして、その隊員の頭から血が噴き出した。
そのまま、仰向けにゆっくりと倒れる。
鷺原隊長が、やや憐れむような眼差しで拳銃を構えていた。その銃口から、ふわりと硝煙がたちのぼってゆく。
まだ心臓は動いているのだろう。倒れた隊員の頭の穴から、とくり、とくり、と鼓動に合わせるように血が湧き出て地面を染めていった。
部隊全体が凍りつく。
「気持ちはわかる。」
鷺原隊長は気の毒そうな表情で、そうつぶやいた。
「後で丁寧に葬ってやれ。」
それから隊長は表情と声を改めた。
「2時間後に出動する。装備を確認しておけ。」
鷺原隊長は昨日、感染した隊員を閉じ込めてあった隔離棟を焼き払った。
まだ意識がある者には麻酔を打たせ、その後、自らの手で火をつけたのである。
昨日までの仲間と部下を‥‥。
普段は温厚で部下思いの鷺原隊長が——だ。
非情の覚悟——と言うしかない。
命令に従う以外の選択肢はないわけか‥‥。
吾朗は心のどこかを固く閉ざしたまま、そう思った。
非常事態なんだ‥‥。
両親とも従兄弟とも連絡がつかなくなって1週間以上経つ。
NET通信の不具合だけならいいけど‥‥。おそらくは‥‥‥。
小学校の頃、憧れていたあの女の子は‥‥今どこでどうしているだろう? 感染していないだろうか?
できるなら‥‥
部隊として直接出会いたくはない‥‥。




