30 エッセンシャルワーカー
「病院に食料が届いたって。」
瑠奈から連絡がきた。
ちょうど父親の上半身に生えた植物の芽を摘み取り終わったところだった。
両親に生えてくる植物の芽を摘み取り続けることと、病院から支給された抗菌薬を注射器でその摘み取り跡から少しずつ注入すること。
それが啓介の日課のようになっている。
そうしていても病状の進行は遅らせられるだけであり、根本的な解決にはならない。
長田先生から、両親に例の治療法を試してもいいという返事はもらったが、そのリスクについても説明を受けて啓介は逡巡した。
「最悪、亡くなることもあり得ます。スタッフは幸い全員が生還しましたが、体力のない中高年は耐えられない可能性があります。」
実際、全国の情報が集まる厚労省からは死亡例についての情報も回ってきたという。
啓介は感染した両親を見る。
父親は、毎日ぼーっとテレビを見ている。
自動音声のニュースと風景が映って音楽が流れているだけのテレビ。過去のドラマが何度も流されたり、それ以外は砂嵐になるテレビを——。
テレビ局にはまだ無事なスタッフがいて、最低限の情報を流そうと働いているのだろうか?
と啓介は思う。
それとも、他のインフラと同じようにわずかな非感染者が、AI と感染者たちを使って日常のルーティンをかろうじて回しているのだろうか?
母親は、時々料理を作ろうとしてキッチンに立ったりする。
「お父さーん、お茶ぁーいれるわねー。」
ガスは止まっている。
お湯はレンジで沸かす以外にないが、母親はそれが理解できないらしく、火のつかないコンロの上にケトルを乗せてぼーっと待っている。
「ほら、母さん。お茶はいったよ。」
啓介はレンジで沸かしたお湯で、残り少ない日本茶を淹れる。
「けーすけー。気が利くわねー。」
それなりに穏やかで幸福そうな2人を見ていて、啓介は思わざるを得ない。
彼らに死の危険を冒させてまで、連れ戻すべきなのか?
そんな権利が、啓介にあるのだろうか?
このまま、静かに藪になってしまった方が幸せなのではないだろうか‥‥。
啓介を悩ませている問題はそれだけではない。
食料がなくなってきたのだ。
冷凍食品はあらかた食べ尽くし、米も缶詰も残り少ない。
近くのスーパーはガラスが割られ、とっくに棚は空っぽになっている。
このまま芽を摘まないで葉を茂らせれば‥‥
食べる必要さえなくなる——。
そんな中での瑠奈からの連絡だった。
「お父さんが車で啓介を迎えに行くって。」
「ああ。助かる。」
そう言いながら、啓介の中に、ふい、とどす黒い嫉妬のような感情が湧き上がる。
瑠奈の両親は2人とも、今も無事だ。
瑠奈のためには、それは喜ばしいことなんだけど‥‥。
啓介の父親が感染したのは、皆のためにと検査会社で頑張っていたからだ。そのあげくに感染してしまった。
そしておそらく、父親が持ち込んだであろう胞子で母親も感染してしまった。
どん!
と啓介は拳でテーブルを叩く。
その一挙でどす黒い感情を吹き散らし、啓介は無理に笑顔を作った。
瑠奈が幸せでよかった——。
そう。瑠奈には幸せでいてほしい。
リュックや袋、用意しなきゃ。瑠奈のお父さんが迎えにくる。
病院に薬や食料を運んできた大型トラックの運転手は、全身を覆う防護服のような服装にゴーグルとバルブ付きの高性能マスクといういでたちだった。
「政府から優先的に支給されたんです。物流を止めるわけにはいかないから、ということで。」
マスク越しのくぐもった声でその人は言った。
志衣奈と名乗ったその小柄な運転手は女性だった。
「このあと、医療関係者やインフラの維持にあたっている人たちに順次支給されるはずです。なんせ工場自体の稼働率が落ちちゃってるもんで‥‥。一般の人たちに行き渡るのはずっと先になっちゃいそうです。」
その人はそんな政府の内部情報も話してくれた。
「なんか、わたしたちばっかり申し訳ないです。」
「いや、とても助かります。」
長田先生はそう言って、手袋をはめたそのトラックドライバーの手を握った。
「我々はすでに感染者ですから、その分だけでも他に回すことができれば‥‥。」