26 ネットワーク政府
百合葉はオンラインで病院の状況の報告を受けることができた。報告というよりは、オンライン視察に近い。
むしろ学ばせてもらっている——といった方がいい。
驚いたことに、理科医大病院では奮闘しているスタッフの全員が「感染者」であった。
それでいて、全員が溌剌とした精神の働きを失っておらず、合理的思考や新しい発想に基づいて防疫体制や治療体制を築いていたのだ。
そのアイデアのいくつかは、あの須々木原という理科教師から出ていた。
須々木原は、百合葉が接したこれまでのどの専門家よりも役に立つ人物だった。
専門家というのはえてして、その専門家としての立場を守ろうとするのか、これまでにない新しい事態に対してはほとんど無力だった。
須々木原は違っている。一言で言えば洞察力に優れていた。
もちろん、彼の広範な知識がそれを支えているのだが、他の専門家たちのようにその中にとどまることなく、まるで預言者のようにこれから起こりうることや仮説を提示してみせた。
おどおどと自信なさげに話す人物だが、百合葉がまっすぐ目を見ていちいちうなずきながら聞いてやるとどんどん饒舌になっていった。
それでいて、自説にこだわる頑迷さがない。
理想のアドバイザーと言ってよかった。
百合葉は百万の味方を得たような気持ちになれた。
このところ、本当に苦しかったのだ。
長田医師にも意見を聞いた。
彼は、必要な医薬品等の供給ルートを作ってほしいと要望してきた。
「できるだけお応えできるよう、最優先で取り組みます。それにしても皆さん感染者であるにもかかわらず、症状を発症しないのはどのような方法で‥‥?」
百合葉はその方法がわかれば政府機能をある程度回復できると思ったのだが、長田は黙った。
画面に映る他のスタッフを見ても、みな目を合わさないよう視線を逸らしている。
ははぁーん。
と百合葉は察した。
「医師法の問題なら気にしないでください。国家の緊急事態なのです。なんなら厚労大臣、いや、総理からその旨の指示書を書いてもらいますよ。法務大臣からも『法的な責任は問わない』と。」
それから百合葉は、少し悪戯っぽくにやりと笑う。
「なにしろ、大臣も次官も皆イープスの感染者ですから。」
百合葉は菅野らにも手伝ってもらって製薬会社や各地の病院に片っ端からメールを入れた。
一斉配信を避けたのは自動的に「スパムメール」に振り分けられてしまうことを避けるためだ。
そして理科医大病院の状況を簡潔にまとめて付けた。情報を欲しがっているところは、反応してくるだろう。
とにかく通常のルートではなく、直接情報を得る必要があると判断したのだ。
立場もルートも関係ない。
つながれる人とつながって、社会の機能を回復しなければ——。
はたして。
製薬会社も病院も、かろうじて回っているところがいくつもあった。
そうしたローカルなコミュニティは無数にあった。
行政がマヒしているにも関わらず、現場現場で人々は生き延びるためのシステムを構築して活動していた。
そこに各コミュニティーからの情報を流し、連携して動くことのできるネットワークを構築する。
政府は、ネットワークそのものになる。中心のある動物的システムから、中心のない植物的システムに——。
そのアイデアは、あの須々木原から提供されたものだった。
そのインフラはアルゴリズムによって半ば自動化されているから、簡単には壊れない。
メンテナンスができるスタッフと、電力さえ確保できれば。
人間はまだ植物などには負けない。
植物が侵略してくるなら、こちらも植物的システムで対抗してみせる。
人間という生物は状況に応じてその社会システムを変えることのできる能力を持っていたから、ここまで繁栄してきたのだ。
各省庁で生き残った官僚たちの協力を得て、百合葉はこのネットワーク構想を具現化していった。
次第に、日本という国が新たな形で動き出し始めた。