24 ささやかなパーティー
百合葉は疲れ切った精神にもうひと鞭くれるようにして、パソコンに向き直った。
思い出したあれ。
そう、どこの誰ともわからない人物の書いたブログ。
その「仮説」どおりに、現実は進んできたじゃないか。
なぜもっと早くその人物を探そうとしなかったか‥‥。
いや、現実に追いつくだけで手いっぱいだった‥‥。
百合葉は自分に言い訳しながら、100以上あるブクマの中からそのブログタイトルを探した。
頼む。まだ残っていてくれ!
この状況だ。
すでに当の人物も感染してしまっているかもしれない。
しかし、百合葉のその不安は、いい意味で裏切られた。
ブログは更新されていた。
それどころか、現時点で考えられ得る限りの対処法まで書かれ、連絡先のメールアドレスまで載せてあった。
なぜ、もっと早くこうしなかったか。
百合葉は今度こそ自分に言い訳することなく、後悔した。
そうしていれば、もう少し政府機能を残せたかもしれなかったじゃないか。
百合葉はその人物にメールを送った。
「アドバイスがいただきたい」
ただそれだけを簡潔に書こうとしたのに、延々と経緯まで書いて、半ば愚痴のようになってしまった。
これでは‥‥。もう少しちゃんとまとめた方がいい‥‥。
そうは思ったが、もう書き直す気力すらなくなっていて、百合葉はそのまま送信のアイコンを押した。
* * *
樹神瑠奈はすぐに応えてくれた。
「先生とつながっていられれば心強いです!」
送ったメールに即座に返事が来たときに、須々木原享は嬉しさと同時に腹の片側のどこかに恥ずかしさも湧き上がるのを感じていた。
どんなに微力でも、自分にできることがあればやる——。
須々木原の背中を押したその言葉は、他ならぬ樹神瑠奈から出てきた言葉なのだ。
俺は‥‥生徒たちに教えられているな‥‥。
頑張れ、亨。
俺にできることをやるんだ。
亨は目立たない子どもだった。
生き物を観察することが好きで、特に植物に関してはオタクと言ってもよく、クラスの中では常に浮いていた。
亨にとって「雑草」という言葉はなく、道端の側溝とアスファルトの隙間に生えた小さな草にも、舗装ブロックの隙間に生えた大勢の靴で踏みつけられながらも生きている草にも、名前があることを知っていた。
もっと知りたい。
もっと見たい。
亨はそんな、知識に貪欲な少年であった。
それでいながら研究者の道に進むでもなく教職の道を選んだのは、それが生活の安定につながるという彼らしい臆病さによるものだったかもしれない。
小学校時代の級友で、いま彼が森脇高校で生物の教師をしている——と知っている人はほぼいないと言ってもいいだろう。
須々木原亨は無名の見本みたいな男で、彼自身「名をあげる」といった欲求をほとんど持っていないようだった。
あるいは、そうなることで襲いかかるリスクを恐れていたのかもしれない。
だからこの行動は、須々木原にとっては大冒険の類に入る。
樹神は行動力があった。
同じクラスの男子生徒の双葉と2人で手分けして、翌日には保護者も巻き込んだSNSの連絡網を構築し、全員の名簿とメールアドレスを須々木原のパソコンに送ってきた。
須々木原はそれをもとにオンライン授業と同じように会議室を立ち上げることにし、毎日決まった時間に「その時点でわかっていること」の報告会を行うことにした。
今度は理科医大病院の長田医師の情報も入るから、内容は充実する。
ブログにもその情報は書くが、機微な内容もあるため不特定多数には書けないこともある。
例えば、長田医師の人体実験。
それから得られた知見については、素性の知れた相手にしか今のところ伝えられないだろう——と考えたことが、この「連絡網」というローカルなネットワークのアイデアにつながったのだ。
長田医師自身が、この連絡網に加わってくれるというメールもきた。
動きが起きた。
自分なんて無力だと思っていたのに——。
微力でも、動けば何かが起きる。
* * *
30分もしないうちにメールに返信がきた。
死んだ魚のようになっていた百合葉の目に、光が戻る。
須々木原と名乗ったその人物の周囲には、襲いかかる運命に抵抗しようとする人たちの、ささやかな共助の組織ができあがっていた。
著名な人は誰もいない。
須々木原氏自身が、ただの高校教師である。
理科医大病院で戦っているのは院長ではなく、ただの皮膚科の医師だった。
そんな彼らが、ローカルな情報ネットワークを作り、感染者も自分たち自身も救うために政府への接点を求めていた。
力尽きて、絶望という大地に斃れかかっていた百合葉の気力が、再び頭をもたげ力を振り絞って起きあがろうとした。