22 新たなる戦士
しばらくメールは沈黙した後、須々木原は返事を返してきた。
『その可能性はあると思います。敵を従順にしてしまえるなら、核兵器以上の兵器になるはずですから。
しかし私は、これは兵器としては完成していないと思います。コントロールができていませんから。おそらくどこかの国の「攻撃」ではなく、事故で漏れ出したのではないかと思います』
輝彦は、ようやくある種の孤独感から解放されたような気がした。
これまで誰にも打ち明けられなかった疑問を、この人も持ってくれている。
『ぜひお会いして、もっとお話を伺いたいのですが』
しかし、輝彦のそのメールに対して須々木原はなんの返事もせず、別のことを言ってきた。
『最初にうちの生徒が発症した日と、そちらでイープスの子実体が胞子を噴出させた日について気になることがあって、調べてみたんです。
うちの生徒が感染した日は完全に特定できていませんが、発症の3日前くらいだと仮定すると、新月に重なるんです。次の胞子放出の日、つまり宮迫純恋が子実体を爆発させた日は満月です。』
なにを言い出したのだ? この人は‥‥。
『その生理リズムを月の潮汐力に合わせるように発動させる生物は多くあります。
もしイープスの胞子放出もそれに合わせて一斉に起こるのだとしたら、次の放出日は新月になる2日後ということになります。』
輝彦は戦慄した。
そんなふうに周期を計算してみたことはなかったが、言われてみればあの1回目の胞子噴出は患者の全てが一斉に行なった。
そのあとそれは起こっていない。
であれば、次は2日後?
『すでにそちらは感染者ばかりということですが、拡大を防ぐには各地の病院だけでも放出や拡散を止める手立てを打つべきではないかと思います。』
それはたしかにそうだが‥‥。
理科医大病院だけでそれをやっても‥‥。
* * *
須々木原亨がそのコメントを見たのは、新たに胞子噴出の周期についてブログ記事を書こうとしてそのページを開いた時だった。
新着コメントのアイコンが出ている。
開いてみると、驚いたことに生徒3人が入院している理科医大病院の医師からだった。プライベートのメールアドレスまで載せてある。
須々木原はそのコメントが他の人には見られないよう承認はせず、そのままパソコンからその医師=長田輝彦に直接返信を送った。
病院は戦場になっているようだった。
生徒3人を含む患者たちを守るため、我が身を犠牲にしてまで戦ってくれている長田医師たち病院のスタッフに頭が下がる思いがした。
感染を恐れて一切外に出なくなった自分が少し恥ずかしく、情けなくも思えた。
どんなに微力でも、自分にできることがあればやる。
そう言っていた樹神瑠奈の顔が浮かんだ。
それを聞いてこのブログ記事を書いた結果、ひとつの反響があったわけだ。それも理科医大病院でイープスと最前線の戦いを繰り広げている医師から。
それでもまだ、須々木原は外へ出ることに怖気付いている。
「会いたい」と言う長田医師の言葉に答えることができなかった。
自分が自分であることすらわからなくなってしまうかもしれないイープスの症状は、知を求める須々木原には何よりも恐ろしいことだった。
それでも自分にできることを——と、須々木原は胞子拡散の周期についての自分の予測を長田医師に伝えた。
理科医大病院の医師なら、あるいは中央とのわずかなパイプでもあるかもしれない。
『長田先生のお力で、政府に働きかけていただくことはできないものでしょうか?』
メールのやり取りを終えてから、須々木原はどっと疲れたように首をうなだれた。
俺は、何をしている?
長田医師は危険を顧みず、自らを実験台に治療法を探していた。
送られてきた写真の生徒3人は、顔中に緑色の小さな粒を付けてぼーっとベッドに座っていた。
そのうちの宮迫純恋のことを樹神瑠奈はずっと心配していたな。
「どんなに微力でも、自分にできることがあればやる」
そうだできることでいいんだ‥‥。
学校は休校になってしまっているが‥‥。胞子放出の周期について警告するだけでも‥‥。
ブログに書くだけではなく、生徒やその家族にわかり得る限りの情報や推測を伝えるだけでも‥‥。
できることをやれば——。
須々木原は連絡網の構築を頼もうと、樹神瑠奈に連絡をとってみることにした。
今、1人の臆病者が、恐る恐る動き出そうとし始めた。
微力の中の微力ではあっても、また1人の戦士が生まれようとしている。




