19 蝕まれゆく日常
「お父さんが‥‥?」
モニターの中で瑠奈が眉をひそめた。
「みんなのために頑張ってくれてたのにね‥‥。」
「本人はいたって呑気な感じだよ。」
「それ、イープスの症状なんでしょ?」
実際、父親を見てると悲痛といった言葉が全く当てはまらない雰囲気なのだ。
ぼーっとテレビを見ていて時々力なく笑ってみたり、気がついたら庭の散水栓のホースを顔に向けて水をかけていたり‥‥。
「本人見てる限りは平和そうなんだよな。むしろ、おふくろの方がやつれちゃってるというか‥‥。」
「啓介は大丈夫なの?」
瑠奈の目の中に怯えのようなものがある。
「わかんない。親父だって、植物が芽を出すまでは普通に見えた。‥‥今は、検査してくれる病院もないし。」
「ねえ、わたしそっちに行っていい?」
「うちは、どこかに胞子があるかもしれない。」
瑠奈は泣き出しそうな目になる。
「じゃあ、うちに来てよ。ずぶ濡れで入っていいから!」
瑠奈の気持ちは、わからなくはない。
啓介も瑠奈に会いたい。
‥‥しかし。
「今、おふくろはスーパーに買い出しに行ってるんだ。車がないし、親父を1人にしておくわけにもいかない。」
そうなのだ。問題は日用品、特に食料品の入手が困難になってきていることだ。
スーパーは次第に品薄になってきていて、それがさらに買い占めに拍車をかけている。通販は「お届け日を確約できません」——だ。
生協などの食料品宅配は、新規会員の受付を停止している。
「開店と同時に戦争だわよ。」
と母親は水をかぶりながら言っていた。
おそらく、トラックのドライバーがいないのだろう。
流通が滞っている——とニュースでも言っていたし、ネットにも悲痛なトラックドライバーの自撮り画像が投稿されて拡散されていた。
事故ったトラックの運転席で、植物の生えた頭をふくらんだエアバッグに埋めたままの運転手の画像も拡散されていた。
画像が本物かどうかは、わからない。
「店員の数も少なくて、みんな白い防護服みたいなの着てるの。レジもセルフレジだけになってるし、現金は使えないし‥‥。」
母親は愚痴を言わなきゃやってられない、という顔で啓介が聞いていようがいまいがお構いなくしゃべり続ける。
「レジで並んでたら『それ半分、分けてくれ』って言う若い女が来たのよ。『子どもがいるから』って。図々しいよね。」
子どもいるんなら大変だろう。食料品少しくらい分けてやってもよかったんじゃないか? と啓介は思ったが口には出さなかった。
おふくろだって限界ギリギリで頑張ってるんだろう。
「うちだって、子どもいるんだっての。」
高校生だけどね——。
「はあぁ‥‥。もう、やだ‥‥。」
母親は買い出してきた荷物を脇に置いて、びしょ濡れのまま玄関に座り込んだ。
「母さん。ほら、荷物持つから。お風呂場に行って着替えよう。」
啓介は片手で荷物を持って、母親に呼びかける。
「うん‥‥」
母親は素直に従って、浴室の方に歩き出した。
啓介が食料品を1つひとつ丁寧に濡れタオルで拭いて冷蔵庫にしまい、おふくろは? とあたりを見回すと、浴室の方でまだ、シャワーの音が聞こえている。
嫌な予感がした。
「母さん?」
母親は下着だけでシャワーを浴び続けていた。顔をシャワーに向けたまま、口を開けて‥‥。シャワーの水を、飲んでいる‥‥?
「母さん! 何やってんだ?」
「あーばばば‥‥。けーすぶけーれべれべれれれ‥‥‥」
母親の頬に、何か緑色のものがくっ付いている。
啓介はシャワーを止めて、それをこすり取ろうとした。
それは、付いているのではなく、生えていた。
啓介の腹のあたりから、それまで抑え込んでいた何かが嘔吐くように食堂を逆流してくる。
それは喉元を焼き尽くすほどの熱さであふれ出てきて、ついには啓介の口の中で叫びとなった。
「うあああああああああああああああ!」