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GREEN FOREST  作者: Aju
18/38

18 ヒポクラテスの誓い

 輝彦の自分自身を使った人体実験は一応の成功をみた。


 成功したといっても、かなりキツイ症状に耐えなければならない。

 注射した顔の右半分が赤く腫れあがり、まる1日高熱に苦しんだ。しかしそれが引くと、顔の右半分から菌糸らしきものの痕跡も消えたのだ。

 もっとも、技師がいなくなってMRIが使えないのでエコーによる粗い画像での診断でしかないが。それでも左半分とは明らかに状態が違った。


「一度に何ヶ所も打ったら、体力がもたないな‥‥。」


 首から肩にかけてまで蔓延った菌糸を駆除するには、2日程度はインターバルをとった上で4回くらいに分けて注射する必要がありそうだった。


「2人目は、わたしが志願する。」

 輝彦の苦しむ様子を見ていた他のスタッフが躊躇する中、結衣が手を上げた。

 一瞬ためらう輝彦に顔を寄せて、結衣が小声でささやいた。

「同じロットの方が安心。」


 そうか。

 と輝彦は納得した。

 どのみち、()()()()()()()()ほどの臨床例は作れないのだ。

 ならば、輝彦が打った同じロットの培養製剤を使った方が、少なくとも戻ってこられる確率が高い。変なウイルスも潜んでいなさそうだ。



 木見田院長が発芽したことで、病院は組織としての機能を完全に失っってしまった。

 そんな中で、なお戦う姿勢を見せている輝彦は、自然にスタッフたちのリーダーの役割を担うことになっている。


 スタッフたちには順次、マウスの免疫細胞を培養した(なま)抗菌製剤を注射していくことにした。

 培養に時間がかかるため、一度にはできない。


 一方、今のところ入院させている患者には、食事の提供と生えてくる植物の芽を摘み取るくらいで、それ以外の()()を施す余裕はない。

 自分で食事を摂れない患者には点滴も行っているが、そうした薬剤の入荷も止まってしまっている。

 在庫が切れれば彼らは見捨てざるを得ないだろう。

 輝彦たちは、()()を施す患者とそうでない患者のトリアージを行なった。


 共に戦っているスタッフたちの()()が終わったら、入院患者にもこの治療法を試すべきか‥‥?

 悩ましいところだ。


「やるべきではないでしょうか。」

 そう言うスタッフもいた。


 ‥‥が。

 スタッフはまだいい。自らの意思で志願したのだから。


 しかし、症状の進んだイープスの患者たちは脳に何らかの影響を受け、特有の従順さを見せるようになる。たとえ()()を承諾したとしてもそれは本当に()()()()()といえるのだろうか?


 今のところ、この危険な荒療治が最も有効な手段ではありそうだったが、治験のための手続きも踏まず、こんなことをやったことが明るみに出れば‥‥。

 下手をすれば輝彦も結衣も刑務所行きだ。

 いや、今ここで共に戦っているスタッフも巻き添えになるだろう。

 輝彦は厚労省や学会に報告を上げることをためらった。


 厚労省のホームページはここ1週間ほど全く更新されていなかった。

『オンラインにより最低限の社会機能は維持されています。デマに惑わされないで、冷静に対処してください。』

 政府のホームページにはそう書かれたままで、新しい情報は何もない。

 テレビは同じニュースを繰り返し流しているだけで、ネットの情報はさらに信用がならない。


 ただそれでも、ネット環境は生きているし、テレビもAI 音声とはいえ放送は続けている。電気も水道も、たしかに最低限の社会インフラは維持されていた。

 しかし、物流が滞っている。

 薬をはじめ、必要な医療資材が入ってこない。

 それどころか、食料品の入手でさえ困難になりつつある。



 そんな中で、院長室に食事を運んでいるスタッフの1人が妙なことに気がついた。

「院長先生、トイレとかいつ行ってるんでしょうね?」


 食事はあまり手をつけていないが、水はよく飲むという。

 それなのに、トイレに行くところを見たことがないというのだ。ずっとあそこに座ったままのようだ——と。

 椅子から窓の方に向かって伸びたツルがそのままブラインドに絡みついたままだというのだ。

「動いたら、ちぎれますよね?」


 輝彦も院長室に行ってみた。

 たしかに、スタッフが言っていたとおり、木見田院長はそこから1歩も動いていないようだった。


 輝彦は院長の足元を見る。

 床は汚れていない。

 椅子も汚れていない。

 ‥‥‥‥‥‥

 つまり‥‥‥‥。


「今日から食事を与えることを止めよう。代わりに空いたペットボトルに水を入れて——水道の水でいい——何本もデスクの上に置いてみよう。1日にどのくらい消費するか——。」


 院長は衰弱していない。排泄もしていない。

 それは、つまり‥‥。


 植物が光合成で作り出した炭水化物を提供され、一方で排泄するはずのものを植物の栄養として提供しているということなのでは‥‥?

 院長はすでに人間ではなく、植物との合体生物(キメラ)になってしまっているということなのではないか?


 輝彦はさらなる人体実験に踏み込もうとしている。

 それは「治療法」を見つけるための()()ではなく、単なる知的好奇心なのかもしれなかった。


 イープスとは何なのか?


 医師としての道を完全に踏み外そうとしている。

 もしここにヒポクラテスがいたら、なんと言うだろう。



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― 新着の感想 ―
 ヒポクラテスがこの病気を見たら、人類の一番厄介な病気である戦争癖が治ったと喜ぶんじゃないかなーとか。  薬剤の性質としては、免疫を刺激する添加剤のようなものでしょうか。免疫システムが異物と認識して…
やはり、排泄の必要性がなくなっているんですね。 今までの描写からそうではないかと思っていましたが。 いよいよ人類は、森の一部に取り込まれてゆきそうですね。 なんとなく……それはそれで、人類という種の…
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