13-5-5.でも、変わるんだ
※神様視点です。
(……っ!)
短く息を吸い込むような、微かな声がした。
(……ま、また……こんな事考えてる……!何してんだ僕は……!)
まるで何かに夢中になってて、ふと我に返ったかのようなその動揺っぷり……今の数秒で一体何が起きたんじゃ?
(駄目駄目!もう過去の自分は終わりにするって決めたんだから……!だから、駄目……!)
駄目と言う度に、視界が左右にぶんぶん大きく揺れて……気分はまるで船の中。
お、おい!ちょっと!やめんか!
真っ暗とはいえ、そんなに視界を揺らすと……!うっぷ……
(いつまでもこんな事考えてるから変われないんだ!せっかくやっと今日お母さんに習い事始めるって言えたのに……!それを台無しにするなんて……駄目だ、駄目!)
(これから考えを改めるんだから……だから……駄目なんだ、こんなの……!)
うえっぷ……よ、酔った……
(過去は過去、今は今!あんな毎日はもう終わり!変わるんだから、今から……!)
な、なんだ……どうした急に。なんだかやけに張り切ってるじゃないか。
(僕には……やりたい事がある。もう、僕は今のままじゃいられない……変わらなきゃいけない。そう自分で決めたんだから)
やりたい事、か……そう言えば、さっき母親にもそう言っておったのぅ。
(思った通りうまくいくか不安はあるけど……でもどうなったとしても、どんな結末だとしても、もう……僕は逃げない)
ネガティブで捻くれていた彼の言葉から、暗いオーラが抜けていく。
突然すぎてよく分からんが……随分な変わりようじゃのぅ。さっきまでとはまるで別人じゃ。
変わりたいと言いながら、なんだかもうすでに変わってきてるような……
なんじゃなんじゃ、急に。何が君をいきなりそこまで変えた?
(強くなるんだ……人間として。体も心も鍛えて、もっとずっと強くなって、先輩が会って恥ずかしくないような人間になるんだ。今はなんだか申し訳なくて落ち着かないけど、いつかは堂々と先輩の側にいられるようになりたいんだ……)
(それでも僕なんかじゃ釣り合わないのは百も承知……でも、それでもいいから……先輩の隣にいたい)
(自分が釣り合わない奴だって思う気持ちもあるけど、でも……それ以上に、そんなのどうでもいいって思っちゃうくらいに、もっと近くにいたいんだ。もっと喋りたいし、もっと聞きたいし、もっと知りたいし、もっと……)
ほっほ。あれほど釣り合わないだの違う世界だのなんだかんだ言っておきながら……自分の恋心には逆らえなかったか。
ああも葛藤するくらいじゃし、今までの安寧を手放すものかとこれまで散々足掻いたんじゃろうが……とうとう堪えきれなかった、と。
これまた面白い奴じゃのぅ。
だが、それで良い。歪んだ世界にずっと篭っていてはいずれおかしくなってしまう……だから、いつかは思い切ってその外に出なければならん。
だから、これで良かったのじゃ。君の場合はそのきっかけがたまたまこの恋だった、ただそれだけの事……
(こんなの、今までの僕からしたらありえないよな。こんな風に自分から何かしようとするなんて……全然なかった。むしろ自分は動かないまま、画面ごしの安全地帯から他の人を馬鹿にして揶揄して、まやかしの万能感で喜んでいた……)
(『人を好きになるのはただの脳の錯覚。脳内物質が麻薬のように作用した結果であって、愛でもなんでもない』『恋愛なんて存在しない、恋だの愛だのなんて馬鹿の言う事』『リア充なんてみんな頭が病気』)
(……なんて、そんな感じの事よく書き込んでたっけ。そう言うとみんな一斉にあれこれ書き込み出して盛り上がるから、お祭りみたいで楽しかったな……まぁ、その内容は酷いもんだったけど)
(だけど……皮肉かな、今の僕はまさにそうなのかもしれない。あんまりにも前と考えが変わり過ぎてる……本当にその通りただ脳の作用で、一時的に躁になってるだけなのかもしれないな)
(でも、)
(でもそうだとしても……それでもいいんだ。それでもいいから、少しでもいいから、変わりたい。駄目で元々だけど……でも、それでも……近づきたいんだ、先輩に)
恋はある意味、脳の誤作動。
良い方にも悪い方にも作用する、強い幻覚の力。
あまりに強過ぎるがために、人格をまるごと変えてしまうというのもそれほど珍しくはない。
じゃが、君ほど極端なのはそうそういないと思うがなぁ……
(最初は……ちょっと気になるってだけで、ただの憧れのままで良いと思ってた。遠くからこっそり見てるだけで全然よかった)
(僕にはもったいないくらいの人だから。僕なんかと付き合うくらいなら、もっと良い人なんて他にたくさんいるから)
(だから、それでよかったはずなのに……見れば見るほど、考えれば考えるほど、もっと近づきたくなって……)
(そして見てるだけじゃ足りなくなって……じっとしていられなくなって……)
(どうせ駄目だしって思って、興味本位でたまに見てただけのつもりが……いつの間にか、ほんとのほんとに……)
(好きに、なっちゃった……)
(……)
恋に落ちるとはよく言うが、今のこの彼ほど『好きになっちゃった』がしっくりくる人間はいない……そんな気がした。
(……っ……まただ……!また、ドキドキしてる……!)
不意に、何やら布が擦れる音がした。
騒ぐ胸をどうにか落ち着かせるかのように、小刻みにさする音が。
(ふぅ……もうこんな状態じゃ、この気持ちを無視するなんてできない……先輩の事諦めてまた前みたいな生活に戻るなんて、これじゃもう……できないよ)
(あ〜あ……先輩のせいで……もう元に戻れなくなっちゃった。ほんとに、ずるい人……)
(……)
(……って、また!だから、こんな事考えてる場合じゃないんだって!今すぐ変わらなきゃ、駄目駄目!)
ちょ、その動き、やめ……!これ、揺らすなって!
……うっぷ……せっかく落ち着いてきたのに、またこれ……うぷぷ。
(今の僕じゃ駄目だ。こんな情けない奴、先輩だって嫌だろうし……それに、僕自身も嫌だ。こんな碌でもない奴が先輩に近づくなんて……僕自身が許せないし、耐えられない)
(なんとかして、先輩に釣り合うようなもっと強い人にならないと。まずはチラシが目についたから空手教室始めてみるけど、それはあくまで手段の一つ……もし駄目なら次だ)
(そうやって……何でもいいから、先輩が卒業する前までには仕上げて……そして、駄目でもいいから先輩に伝えるんだ……)
(好きです、って……!)
が、頑張れ……!
ここまで聞いて、ちょっとホロリと来てしまったわい。まさかここで泣かされるとは……
強くなる、か……なかなかいいじゃないか。目標に向かって頑張る、結構結構。
ふ〜む。ここはもう、迷わず彼を応援したくなるところじゃが……
ここで忘れちゃいかんのが、他にももう四人いるって事……
他の四人だって、皆それぞれの魅力がある。
それもこの彼と違ってもうすでにほぼ完成された状態の、な。
早乙女は昔からの付き合いという設定で、最初から当たり前のように七崎の日常に溶け込んでおり、心理的アドバンテージがある。
姉小路はなにより女慣れしているという最大の強みがあり、女子の察してよにも普通に対応できるかなりの恋愛強者。
神澤は天邪鬼なのがかえって本人の邪魔になってるんじゃが、ふとした時に見せる素直さがまた高ポイント。
市ノ川は……どう出るかまだ分からんが、普段の冷静な態度が崩れる瞬間の最大火力は目を見張るものがある。
こんなメンバーの中で、今から急ピッチで仕上げたとして……果たしてそう追いつけるものか……
本人の力だけでどこまで行けるか……見ものじゃのぅ。
まぁ……そうは言っても、結局『迷い人』以外はお断りされる運命なんじゃがな⭐︎
可哀想でも、そこは譲れんからなぁ。
まぁあれだ、運命は時に残酷……そういう事じゃよ、うん。
鬼?人でなし?ドS?
し、失礼な……!ワシは神じゃし、ドSでもないぞ!
あと、ワシはどちらかというとMじゃ!
ボンテージ着た綺麗なお姉さんに、ピンヒールで……え?ワシの趣味の話は聞いてない?
『じぃじ〜!』
むおっ、何事?!
やけにはっきりした子供の声、まさか……
『ね〜ぇ!じぃじってば!いないの?!』
こ、これは……ワシの世界の音声!っていうか、ワシの孫の声じゃないか!
という事は、もう来たのか!ま、まずい……時間がない……!
じゃがとりあえず、まず今の優先は目の前の彼じゃ!
え〜、なんじゃ……君の思考は大体分かった、ありがとう!
あ、そういえば君も眠いんじゃったな?ならば尚のこと……急げ急げ……!
ええと……今から安眠の魔法をかけてやるからの、待ってな……一、に〜の、それっ!
(……?え……?)
(えっ、何?何これ、急に頭がふわふわして……き……)
(すぅ……)
さぁ、おやすみ。
なんだかんだで長々と夜更かしさせてしまったのぅ、申し訳ない。
最後かなり駆け足になってしまったが……じゃが、君の気持ちはしっかり分かったぞ。
君にとって今夜はちょうど転換期だったんじゃな、このタイミングで分かってよかった……これで後で慌てずに済んだ、助かったわい。
まぁ今から頑張ってどこまで変われるかは、ワシにも分からん。
じゃが、君が満足できるまで頑張るといい。
君が『迷い人』でなかったとしても、決してそれは無駄にはならないはずじゃよ……
『じぃじ!!!どこ〜!!!』
うぉっ?!
す、すごいボリュームだこと……甲高いソプラノで耳が千切れそうじゃ。
小さな体の一体どこにそんな力が……
しかも、ドタドタドタ!とけたたましい足音付き。これは……近いぞ。
『どこ?!じぃじいないの?!ねぇ!』
うわぁ……めちゃくちゃ呼ばれとる……
ほら、最初の方に言ったじゃろ?ワシ、めちゃくちゃ忙しいって。この通りよ。自分の仕事終わったと思ったら、すぐこれ……
いくら神でも、幼子がいればこの通り。休んでなんていられない。
諦めが必要なのは、むしろワシの方かもしれんな……
『じぃじ〜っ!!!』
むおっ!こ、鼓膜が……破れる……!
はぁ……ここでぼやいてても仕方ない、諦めてそろそろ行くとしようか……
『あ!今、足音聞こえた!じぃじ、いるんでしょ!どこ?!』
はいはい、じぃじ今行くよ〜。




