33-1.目覚めたらそこは
真っ暗な視界に突然、細くて眩しい線が一本現れた。
(……?)
その線は段々と太くなっていって、やがて……パチパチとスイッチで切り替えるかのように、どこかの景色と暗闇を交互に映し始めて……
「ん……んんん……」
「あ……起きました?」
聞き覚えのある声。
記憶のものより嬉しそうで明るいトーンだけど、喋り方はほとんどそのまんまだった。
(この声……まさか、ちよちゃん?)
「よかった。先輩、目覚めなかったらどうしようって思って……」
ハッと目を開けると、そこは知らない人の部屋。
「ちよちゃ……えっ?」
なぜか私はベッドの上で横になっていた。
(えっ……ここ、どこ……?)
壁の本棚にぎっしり詰め込まれた漫画本、机の上のディスプレイと何かのコントローラー、デカくてゴツいゲーミングチェアに、壁のハンガーに掛けられた大きな男物の服……
なんだか見た事がない景色だ。
(漫画とかゲームが好きな男の人の部屋って感じだけど……)
まさか、ちよちゃんの部屋?
いや、なんか高校生の部屋っぽくない……何が違うってはっきり言えないけど……なんか、違う。
多分そうじゃなくって、ここは大人の男性の部屋。
感覚的になんとなくそう思う。
「七崎さん。僕です、僕……分かりますか?」
そう言いながら、端正な顔立ちが私を覗き込んでいる。
ちよちゃんによく似た声の、成人男性。
(うわ……!)
正直、実は内心めっちゃドキドキしてる。
だって急に見知らぬイケメン出てくるんだもん。
しかも、顔覗き込んでるとか……こんなのドキドキしないなんて無理。
だけど、それを悟られないようにあくまで真顔をキープ。
今自分が置かれてる状況すら分かんない状態で、恋愛モードなんてやってる場合じゃない。
今は状況把握が先だ。
(って、顔……!あっつ……!)
今の私、多分ほんのり赤い顔になってる。
いや、ほんのりどころじゃないかも。真っ赤かも。
でも、それはもうもはやどうしようもなかった。
態度だけでも落ち着いているフリをするだけで精一杯、顔がどうかなんてところまで気が回らない。
「えっと……あなたは……?もしかして、ちよちゃ……」
おっと危ない。
「じゃない、ああ、ええと……龍樹君のお兄さん?」
下の名前が出なくてちょっと悩んでしまった。
声に出した事なかったしな。
「……いえ。僕です」
「へ?」
「あの……僕がその、『千世 龍樹』です」
え?
意味分からなさ過ぎて、大量のえ?が頭の中に溢れかえっている。
え?なんで?
え?ちよちゃん?この人が?
え?どうして?
え?元の世界だよねこれ?
え?なんで?
え?ほんとにちよちゃん?
(え?え?え?)
でも声のトーンや喋り方、下がり気味でどこか自信なさげな眉毛は、彼そのもので。
(でも……こんなだったっけ?)
こんなに背、高かったっけ?
こんなに顔大人っぽかったっけ?
こんなに落ち着いてたっけ?
こんなに……
(あっ、そうやって彼の事観察してたらまた……!)
やばい!うっかり変に意識しちゃって、顔がさらに熱く……!
(落ち着け落ち着け!これ以上赤くなるな私!)
落ち着け落ち着……あ、無理。
駄目だ、今ので余計赤くなった。
無理だわ。死んだわ今ので。もうこれ隠せてないわ。
「え、えっと?ほ……ほんとに……千世君なの?」
「そう、なんです……」
「え?え?ほんとに?え?」
「信じられないですよね、やっぱり。根拠も何もない訳ですし……」
そう言いながら、力なく笑う彼。
私の顔が赤いのは気にしてないのか、気づいてるけど触れないようにしてるのか。
いや、それは今考えないことにする。考えるともっと赤くなって収集つかなくなっちゃうから。
(しかし、だ……)
話を戻そう。
目の前の彼がちよちゃんだって……まじか。
う〜ん。そう言われてみれば……確かにちよちゃんっぽいっちゃ、ぽいんだけど……
(あまりに……顔が良すぎる……!)
いざって時にキリッとなったりなんかしたら、もれなく私が死ぬであろう太めの下がり眉に……
一重で垂れ目でまつ毛長くて泣きぼくろついてるっていう、これでもかってくらい私の性癖ど真ん中ハッピーセット……
それをこうもまとめてぶつけてくるなんて……やめてください死んでしまいます。
(わ〜っ!正気に戻れ!戻れ私!)
さっきからず〜っと性癖スイッチ押され過ぎて、頭おかしくなりそう。
っていうかなってる。助けて。
意味分からんくらいのどタイプが普通にいて、まじ意味分からん。
意味が分からないからこうして混乱してるんだけど……今まさに目の前にその元凶が平然といらっしゃる訳で。
ほんとに意味分からん。
んで?
しかも、なんだって?彼、なんつった?
ここに来て、やっとちょっとだけ頭回るようになってきたよ私。
(この人があの、ちよちゃん?うそでしょ……?)
いや、いやいやいや。ないないない。
だって、目の前にいるのは爽やかな好青年。
ちゃんと目を合わせられる程度に前髪は短く、ビジネスマンって感じのさっぱりとしたショートヘアで……彼の特徴だったあのもっさり前髪じゃない。
もはや全くの別人。
もし本当に彼だとしたら……あの高校生の可愛い童顔からの、超進化。
芋虫から蝶どころか、もはや別種の生き物になってる。
すごくちよちゃんそっくりなんだけど、全然違う。
でも、これが……ちよちゃん本人だって……言ってて……
(え?え?え?え?)
ひたすら混乱する私を……彼は控えめに、でもじっと私を見ている。
恥ずかしいからほんとは今すぐやめてほしいんだけど、言えず……
でも多分今、またさらに赤くなってる……助けて。
「……」
「……」
見つめ返すと、目線をフッと外し……それに合わせて私も視線を逸らすと、またじっと見つめてくる。
視線を合わせられないあたり、やっぱりそこはちよちゃんだった。
「……」
「……」
でも、ビジュアルは同い年くらいの成人男性。
ますます訳が分からない。
「……」
「……」
どうにも落ち着かず、部屋の中をキョロキョロ見回すと……ふと鏡に映った自分の姿が目に入った。
(うわ、戻ってる?!しかもすっぴん?!)
三十路のお姉さ……おばさんの姿だ。
あの若々しいお肌はどこへやら……年相応の姿に完全に戻ってしまった。
しばらく高校生としての顔に見慣れてたせいか、今の自分がより血色悪く見える。
(うげっ!ゾンビじゃん!)
ちゃんと元の世界に戻って来れたっていうのは、これではっきり分かった。
(嬉しくない判明の仕方……)
でも……せめて自分の部屋に帰らせてほしかったなぁ、なんて。
こうなるならせめて、それなりの化粧はさせてほしかったな……
(……あれ?でも待てよ、という事は……)
そもそも私、あの世界に転移するなり高校生にさせられてしまった訳じゃん?
30才から17〜18才になってしまった、と。
じゃあ……もし、ちよちゃんもそうだったんだとしたら……?
ちよちゃんも、私と同じでよそからあの世界に来た人間……だから、私と同じように『あの世界では十代にさせられていた』んだとしたら?
彼にも『本来の年齢』があるんだとしたら?
この世界に戻ってきて、その本来の年齢に戻れたんだとしたら?
(それなら、目の前のちよちゃんが大人の状態なのも辻褄が合う……!)
「そっかぁ!」
「……っ!」
思わず手を叩いてしまい、彼の肩が大きくビクッと跳ねた。
(あ、この感じ……初めて会った時の……)
「ああ、いきなりごめん。その……やっと理解できてさ」
「えっ、何をですか?」
「ええ。年齢の事なんだけどね」
「年齢……」
「おいくつ?」
「えっ、僕ですか?に、29です」
「ほらやっぱり!」
ビクゥッ!
二回目。今度は私の大声で。
そういや彼、大きい音苦手なんだった。
「という事は、よ。今、目の前にいるあなたは……」
彼は静かにコクンと頷いた。
「あなたはこの世界の千世君、つまり……」
「……静音さんっ!」
言い終わるより先に、溢れんばかりの笑顔が近づいてきた……と思ったら、次の瞬間視界が真っ暗に。
「うわぶっ!」
またこうやって会えた喜びか、あるいは本人だと分かってもらえた嬉しさか……どうやら待ちきれなかったらしい。
(……)
ふわっと柔軟剤の良い香りがする。
香水じゃないあたり、いかにも彼らしい。
息苦しくて身じろぐも、背中に回された手にガッシリ固定され顔は胸板に押し付けられて、ほとんど動けてなかった。
「……く、苦し……!」
必死に彼の背中を両手でバシバシ叩き格闘する事数秒。
あ、と小さく漏れた声と共に腕が緩んでいき、ようやく解放された。
「っぷはぁっ!」
「あ……ご、ごめん、なさい……」
「し、死ぬかと思った……!」
「ごめんなさい……嬉しくて、つい……」
嬉しくて。
(……っ!)
ドキッと跳ねる心臓。
自分が素直な好意に弱いのは、もう散々やったからよく分かってた……分かってたけど!
(面と向かって言われちゃうと、ほんと無理……!)
あの時よりビジュアルが進化してる状態でそれは……オーバーキルだ。
「ちょっと!手加減してよ、も〜!」
多分今、顔真っ赤。
それでも言葉だけはと平静を装い、精一杯の強がりを吐き出す。
ふと彼の方を見ると、穏やかな微笑みがそこにあって。
余計に顔が熱くなっていく。