31-5.結末
※ちょっと暴力的なシーンあります。ご注意ください。
どうしよう。
今、屋上には歩君がいる。
それも、怒りでかなり興奮した状態の。
あと、声は聞こえないけど……
ちょっと前に見た紫の髪……ちよちゃんももしかしたらそこに……
コンコンコンコン。
誰かが階段を上がってくる音がする。
「えっ……唯?」
(違う……!)
上から見て、黄色じゃない色が見えた。
「む、紫……色……」
コンコンコンコン……
リズム良く階段を上がってくる。なんの躊躇いもなく、真っ直ぐに。
「……」
唯に話しかけられた時、私は無意識に端に寄っていた。
だから、今も脇に人一人ギリギリ倒れるくらいのスペースはあって。
「ち、千世君……」
とうとう同じ段に来て、そして……
「……」
何も言わずに彼はさらに上へ。
「え?え?あれ、千世く……」
反応は一切ない。
「え、あ……お、お〜い?」
「……」
表情はいつになく固く、なんだかすごく緊張した雰囲気で。
私に話しかけられたことすら気づかないまま、吸い込まれるように上がっていった。
(え……ちよちゃんも……)
直接見る勇気は……残念ながら、今回もない。
結局また今の数段下がった位置から盗み聞き……
「はっ!な〜んだ、最後はお前かよ!」
後輩が相手だからか、いつもにも増して傲慢な感じ。
「まぁ、神澤も姉小路も違うっつったら……残りはお前しかいねぇもんな」
「……」
「本命チョコ……もらったんだろ、お前」
「……」
「おい、何黙ってんだよ」
「……」
ああ、それは怒りを増幅させるやつ……
他の人なら違うリアクションもあったのかもしれないけど、歩君の場合はそれ絶対怒る……
「おい!」
「……」
「おいっつってんだろ!」
「……」
「おいっ!」
「……」
「ちっ、舐めやがって……!」
言い終わるより先に、大きく振りかぶる腕。
遠くからでもそのシルエットが見えていた。
(え?!ちょ、ちょっと!何して……!)
「なんか、言えよっ……!」
言い終わると同時に、辺りに鈍い音が響く。
(やめて……!)
まさかの事態だ。
これまで怪しい発言はあったけど、まさか本気で言ってたなんて思ってなかった。
まさか、こんな……本気で攻撃するなんて。
(やめて!お願い、やめて……!)
そんなの、見たくない。
(いくら想いが重いキャラだからって……そんなの……!)
二人の間に割って入りたい衝動に駆られるも、忙しなく動き回るのは頭の中だけで……足はまるで張り付いてしまったかのようにピクリとも動かない。
防衛本能とやらがきっと私を邪魔している……いや、守ってくれていると言うべきか。
あの場では歳の差なんて全くの無意味。
向こうは男性、私は女性。幼い子供ならまだしも、ほぼ大人同然のその体格……考えるまでもなく力の差は歴然だ。
今の私には何もできない……むしろ危険しかない。
怒りに我を失っている彼、その目の前に行ったところでおそらく私は見えない……
でも鈍い音が一発しただけで、倒れる音はしていない。
(つまり、最悪の事態は免れた……?)
「ここまでしても、何も言わない……やっぱりお前なんだな」
返事は相変わらずない。
「くそ!こんなの……認められるかよ!どうして最近知り合ったばっかのお前が……!ぽっと出のお前が……!なんで!どうして!」
「俺がどんだけ愛してたか!俺にとって静音がどんな存在なのか!最近知り合ったばっかりのお前なんかと違って!」
聞いていて胸が苦しくなるほどの、心の叫び。
「お前には分かんねぇだろうな!長い間片想いを続ける事がどんなに苦しいかなんて、お前には分かんねぇよな!」
「そりゃさ!ほんとはすぐにでも、気持ち伝えたかったさ!」
「けど、静音はまだそこまでじゃなかったから!静音にとっては、ただの幼馴染みでしかなかったから……!」
「だからその時が来るまで待つしかなかった!その気持ちの温度差さえなけりゃ、すぐにでも結ばれてた!」
「だけど!くそっ!お前も神澤も、姉小路も……みんな寄ってたかって邪魔しやがって!」
「もうとっくにその時は来てるはずだったのに!もうとっくに結ばれてるはずだったのに!お前らが気を引くから……!」
耳を塞ぎたくなるほどの悲痛な叫び。
これほどに愛されていたのか、と今更気づかされてしまった。
ガシャガシャ、と靴の底が砂を擦る音がした。
ここまで完全にノーリアクションだったちよちゃんが、ようやく少し身じろぎしたらしい。
「なんだよ、文句あんのか?」
「……」
「そっか、そっかそっか。じゃ〜、もう一発やってやろうか?」
「……どうぞ」
「……あ゛?」
「気が済むまで、どうぞ」
淡々と落ち着き払った口調でそう言う、ちよちゃん。
(えっ?!ちょ、ちょっと、何言って……!)
「はぁ?」
「どうぞって言ってるんです」
「お前……やんのか?」
「僕はやらない」
「ははっ、怖いんだ?」
「別に怖くなんかない。でも……」
「でも?」
「でも、自分の気持ちを押し通すために人を痛めつけるのは……おかしいと思う。だから、やりません」
「……」
「……」
「……っ!お前……!」
勢いよく踏み込み、力いっぱいちよちゃんに掴みかかる。
たった一歳しか違いがないとはいえ……歩君の方が背が高く、わずかながら体格もいい。
誰がどう見ても、ちよちゃんの方が不利。
「っぐ……っ!」
首元を掴んでくる歩くんの健康的な濃い肌色の手と、それを必死に止めようとするちよちゃんの細く青白い手。
案の定攻防は一方的で、みるみる首が閉まっていく。
「……っ、く、っが……っ!」
「ま……待って!」
気づいたら、もうすでに二人の目の前にいた。
無意識で体が勝手に動き、二人の前へ飛び出していったらしい。
「静音?!お前、どうしてここに?!」
鼓動がけたたましく早鐘を打っている。
「ちょっと!早乙女君、何してんの!」
「おい、なんでいんだよ?!誰に聞いた?!」
微妙に噛み合わない会話。
お互いに焦っているのがよく分かる。
「誰からも聞いてない!ただなんとなく嫌な予感がしたから来たの!」
「なんだよそれ!」
「と、とにかく……!あの、それ、やめて!」
それって何だよ!と内心自分に突っ込む。
焦りすぎて頭が真っ白で、名称の類が一切すっぽ抜けてしまって出てこなかった。
けど、今はそんなのどうでもいい。それよりも……
「……」
「今すぐ、その手を離して!」
「……」
「聞いてるの?!やめて!」
「……やめない!」
「どうして!」
歩君はキッと地面を睨んだまま、黙り込んでしまった。
でもそのおかげで手から意識が離れたようで……ちよちゃんの体がへなへなと揺れ、地面に落ちていく。
「千世君……!」
慌てて駆け寄り、ずるずると落ちていく上半身をどうにか引っ張り上げる。
「げほっ、げほ……っ!せんぱ、あ、ありが……っ!」
「無理に喋らなくていいから!今は呼吸に集中して!」
「で、でも……!」
「いいから、休んでて!」
華奢な見た目の割にめちゃくちゃ重くて手こずったけど……引きずっていって、どうにかフェンスを背もたれに座らせる事ができた。
「……」
「……」
これ以上喋る余裕は無いらしく、心配そうな目が私をじっと見上げている。
それもそうだろう。
さっきから手の震えが止まらなくて、ブルブルしてるんだから。
心臓だってまだバクバクいってる。
自分じゃ見えないけど、きっと顔色も真っ青だ。
正直言って怖い。すごく怖い。
立ってるだけで必死なくらいに。
私なんかじゃ、今の歩君に対抗できる気がしない……力でも言葉でも。
怖くて怖くて……今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
ここでふとなんだかドロリとした視線を感じて、そっとを向くと……
「……なぁ、静音」
ずるりずるりとゾンビのような動きで、歩君がこちらを向いて近づいてきていた。
「静音はさ……どうなんだよ?」
「ど……どうって……」
「俺の事、どう思ってんだよ?」
ここで答えないなんて選択肢は、おそらくない。
息が苦しい。
なんだか急に吸っても吸っても空気が足りなくなった。
「そ、それは……」
「好き……なんだよな?違うか?」
強すぎる視線に思わず目を逸らす。
「俺は、今まで全力で静音を愛してきた。今まで俺の全てを捧げてきた……他の奴らとは訳が違う。積み重ねてきた重みが違う」
分かってる。
これまで二人で積み上げてきた思い出と、彼の積もりに積もった想い……それは知ってる。
「静音……なぁ、答えてくれよ……」
ふと彼の長年の想いに応えるべきかと心が揺れる。
ここで断っちゃったら……彼があまりに可哀想過ぎる……
「なぁ……静音……」
なんと言われようとも、断るつもりでここに来た。
彼にこうやって言われる事はある程度予想してたから……想定内の反応だった。
断りの言葉はもう、自分の中である程度決めてある。
あとは言うだけ。
でも、果たしてそれでいいのか。
今はもう元の世界に帰れる事になったんだし、答えはどちらでも良い。どちらでも問題はない。
だけど……
私も、彼も……その結末でいいのか。
(……)
赤い瞳が不安げに揺れている。
彼の顔をもう一度、まじまじと見た。
見慣れたいつもの顔だけど……改めて見ると、印象が違って見える。
(……やっぱり)
答えはもう出ていた。
何度彼の方をじっくり見ても、私の結論は同じだった。
それなら……
いや、だからこそ……言わなきゃいけない。あの言葉を。
「まさか、俺の今まで全てが無駄だった……なんてそんなの、ないよな?違うよな?」
今、あれを……言わなきゃ。
「そう、だよな……?」
今だ、言わなきゃ。
「なぁ、静音……」
「……」
「静音?」
「あ、その……」
「……」
「……ご……ごめん、なさい……」
大きく見開かれた彼の目に、私の影が黒く映り込む。
「ごめんなさい。その……ただの幼なじみとしか思えなくて」
自分のものとは思えないような声。
カスカスで音がほとんど出てない、変な声。
「……」
「……っけほっ!」
強張った喉に唾液が溢れ、思わず咽せる。
「……」
「……」
何も言わずとも、ただ立ってるだけでヒシヒシと伝わってくる。
「……」
「……」
彼の絶望が……伝わってくる……
「あ、歩……君……」
「……」
「歩君……」
頭は全然回ってない。まるで回せてない。
けど……この場な空気に耐えきれず、口が勝手に話しかけようとしている……
「……う、う……う、嘘だ……!」
「……!ご、ごめんなさい……」
「そんなの……嘘だ!嘘だ、嘘だろ……!」
「……ごめんなさい」
全く同じ返事。でも、今はそれしか答えられない。
「嘘だ!こんな事……!こんなのって……ありかよ……っ!」
私が声をかける間もなく、怒りの勢いのまま走り去ってしまった。
「待っ……待って!早乙女君……!」
階段を駆け降りるけたたましい音も、やがてすぐに小さくなっていって……
(……)
最低だ。
最低だ、私。彼を傷つけた。
長年の強い想いを……今とうとう、拒絶してしまった。
今の、どうにかできなかったのかな?
もっと良い言い方、あったのかな?
(……)
相手を傷つけずに断る事って、できたのかな?
いや、きっと……できない。どうしたって、きっとこうなる。
断られたら、誰だって傷つく。
彼の場合、想いが人一倍強くて……
人一倍、いやそれ以上だったから……傷もそれだけ深く……
(……)
猪突猛進な愛。それが彼の原動力だった。
本当は全然悪い人じゃない。
でも、想いがあまりにも強すぎて……犯罪ギリギリな事とか色々やらかしてて……
でも、根は真面目で情熱的で。
長年想い続けて、その過程が無駄になるはずがないと素直に信じ込み……
こちらの気持ち以上に押しが強く、独りよがり気味……
優しさを少し履き違えている、そんなまだ成長途中の可愛いキャラだった。
(でも……彼の相手はきっと私じゃない)
この経験を糧に……彼にはいつか、所謂『いい男』になってほしい。
それこそ、振った私ですら羨ましくなるほどの器の大きな男性に。
一途な彼なら、今みたいに方向を間違えさえしなければ……きっと愛情たっぷりのいい旦那さんになれる、そんな気がするから。
(なんて、罪滅ぼし代わりにちょっと良い感じの事言ってみる……)
「あ、あの……」
不意に話しかけられ、ハッと我に返る。
「わ、ちよちゃん!」
ごめん、今ちょっと忘れかけてたよ君の事。
「その……ありがとうございます。また助けてもらっちゃって……」
「いいよいいよ。それより……首は大丈夫?」
「今はもう全然大丈夫です。しばらく休ませていただいたので……」
とは言うものの……彼の首には、まだ赤い跡がほんのり残っていた。
薄いとはいえ、なんかちょっと痛々しい。
「あの……先輩」
「?」
「あの、ちょっとお話……しても……?」
「え、あ、うん」
急にかしこまってどうしたんだろう。
「あの……実は……『迷い人』って、僕の事なんです」
時が止まった。
……ような気がした。
あまりに唐突過ぎて、耳を通った音を頭がなかなか処理できない。
『マヨイビトッテボクノコトナンデス』
え?
『マヨイビトッテボクノコトナンデス』
え?
『マヨイビトッテボクノコトナンデス』
えっ???
え、え……?ええっと……ええっと……え?




