25-4-2.緑色のワニさんのアレ
あれから何分経ったんだろう。
「……あ」
小さく一言溢して、その足がピタッと止まった。
「っ、はぁ……はぁっ……!」
私?そりゃもう、言葉も発せないくらいヘトヘトよ?
「し、しまった……!」
今更ながらやっと正気に返ったらしい。
「すまん、七崎!置いていくつもりはなくて……!」
「……」
「そうじゃなくて、俺はただ……!」
「……」
無視じゃないよ?返事するのに、酸素が足りないだけ。
「え、ええっと!その……休憩、するか!」
「す……する……!」
(さ、酸素……!ギブミー空気……!)
近くにあったカフェに急いで入る。
連休らしく凄まじい混みっぷりだけど……今度もまた都合良く一箇所だけ席が空いていた。
「すまない……なんとお詫びしたらいいか……」
「いいよいいよ、ふざけて余計な事言った私も悪いし」
席に着いた途端にお通夜ムードである。
「せっかく来てもらっているというのに……俺は……」
「いいっていいって」
「前もこうだった。だから、反省したつもりだったんだが……」
ここでお互いアイスコーヒーを一口啜る。
(唇結構薄いんだなぁ)
みんな一緒っぽく見えて意外と個性が出るよね、そこ。
同じくらい薄いけど色味が濃いのが歩君で、艶々でぽってりしてるのが唯。
秋水はちょっと癖強でωみたいな形になってて、ちよちゃんは……普通。色も厚さも中間くらい?
「しっかし、混んでたね〜」
「いつもああなのか?」
「ううん、いつもより混んでるよ〜通路ギチギチだったじゃん」
「そうなのか……何から何まで本当に知らない世界だ」
「こういう所でいいなら、いつでも付き合うよ?」
「本当か?」
「うん全然。むしろ私、大好きだし……」
あっ。
覚えてる、前にもこんな事あったぞ……!
地味にピンチになった、あの……!
「ち、違くて!『お買い物』が大好きって意味で……!」
「そ……それくらい分かる!」
ほっぺたピンクでそう言われても。
「まぁ、また何か必要になった時は付き合ってもらおう。その方が心強いからな」
「う、うん。アドバイス的なのなら多少はできると思うよ」
まだ何にも買ってないけどな!ここまで長々滞在しておいて!
「そう、心強いと言えば……」
「ん?」
「こうやって、話を聞いてもらえる相手がいるって心強いんだな」
「話って?」
(話……)
……ってなんだっけ。
あっ、もしかしてあれ?
『吐き出したくなったら教えて?私、いつでも聞くから』……いつだった私が言った、あれ?
もしかして……七崎お悩み相談室、始まっちゃう?
「結局まだ、君には何も相談していないけどな……」
(あ、やっぱりあれの事だ)
「けど、それで良いんだ。別に本気で相談したかった訳じゃない。誰かに相談したところで、何か変わるとは思ってない……」
憂いを帯びた青い目が、また真っ直ぐに私を見つめてくる。
(……!)
この光景、前にも見た。
やっぱりどこか寂しそうな瞳……だけど、前ほどの悲しさは感じられなかった。
「それで……大丈夫なの?」
「ん?」
「いや、その……いつまでも解決できないんじゃ、つらいでしょ?」
「まぁな。でも……もう、大丈夫だ」
「……」
「以前の俺とは違う。今はいつでも言える人がいる……君という味方がいるから、大丈夫だ」
「……そっか」
おそらく、悲しみの根源はまだ……というか全然解決してないんだろう。継続中というべきか。
でも、そのまま悲しいまま消化不良になるんじゃなくって……そんな状況でも相談相手がいるっていう安心感でだいぶ希釈されて、彼の中でどうにかうまく消化されていってる……そんな感じ。
「前と今、全然違う。世界がまるで違って見える」
ポツリ、ポツリと溢れ落ちる彼の言葉を静かに受け止める。
私からの返事は、今は不要。
むしろ彼の言葉を止めてしまうから、黙る。
「この世界で、信じられるのは自分一人だけだと思っていた……かつての俺は」
相変わらず口調は硬いままだけど、なんとなく優しい。
幼い子供に話しかけるかのような……そんな柔らかい話し方。
まるで、かつての彼……子供の頃の小さな自分に話かけているかのよう。
「周りの誰も、俺の話を聞いてくれなかったからな」
「躾と称して何かと口出ししてきたが、俺の気持ちとか俺自身については放置だ。誰も関心がなかった」
こちらを向いていた視線が、いつの間にか彼のグラスに。
「彼らの関心は『市ノ川家の三男』についてであって……俺自身、つまり『市ノ川 聖』自体はどうでもよかったんだ」
「周りからどう見られるかが大事で……本人がどうかなんて気にしてなかった」
「彼らも彼らで言い分あるんだろうが……事実は変えられない。彼らの態度で俺は傷付いた、それは変えようがない事実」
「そしてそれを受けて俺が、『自分の苦しみや悲しみなんて、どうせ誰も聞いてくれない。どうせ誰にも理解されない』と考えたのも妥当な流れだろう」
「だから……どんなに辛くても、自分の中で解決した事にして無理矢理気持ちを封じ込める事しかできなかった。誰かに分かってもらおうともしなかった」
ここでふぅ〜と大きくため息をついて、彼の話が止まった。
「……」
「……」
今ので、色々と思い出したのかもしれない。
(……)
私もなんだか落ち着かなくて、コーヒーを啜る。
いつも以上に苦い味がした……ような気がした。
少し間を置いていっちーもコーヒーを啜り、チラッとこっちを見た。
(『続けてもいいか』って?うん、どうぞ)
「……確かに、当時の環境は劣悪だった。周りのみんな、冷たかった……だけど、それが全てじゃないんだ。世界中の全てが敵って訳じゃないんだ」
「きっと……どこかに味方はいるんだ。会ってないだけで、きっと……いる」
「ようやく今、それに気づくことができた。地獄からやっと脱出する事ができた」
「……だから、ありがとう」
「へっ?!」
彼自身の心の中を吐露してくれているなと思ってたら、突然私の話に。
「えっ、え……?私……?」
「味方になってくれる人がいるってだけで、全然違うんだ」
「何もしてないけど……」
「別に何もしてくれなくていい。ただ存在しているだけでいい……」
この流れ、唯の時にも聞いたな……?
「当たり前の景色が、あれほど無味乾燥だった景色が……こんなに鮮やかで暖かいなんて、知らなかった。君には……感謝してもしきれないよ」
「えっ、そう?」
「ああ」
「え、えっと……」
「いや、いい。無理に理解しなくていい……これは俺の独り言というか、俺が言いたいだけだから……」
あっ、これ気を遣わせてるやつ?!
「いいよ、いい。今のは忘れてくれ」
(うわ〜ん!私のコミュ障め!)
「ただ……分からなくてもこれだけは言わせてくれ」
「……」
「ありがとう」
穏やかな笑顔がそこにあった。
(え……なん、え?えっと?つまり?うん?)
なんだなんだ?めっちゃありがたがられてるやん。
いや……私、何もしてないぞ?
唯からも、ありがたいだのなんだのって話があったけど……ほんとのほんとに何にもしてないんだってば。
ここまでの流れで、たったの一度も私が彼らに何かした事って無い。
彼らがなんか勝手に反応して動いたってだけで……私は何もしてない。
強いて言うなら、恋愛のトリガーを引いたってくらいで……いや、それすらも気のせいかもしれない。
やっぱり、どうしたって感謝される理由を説明できない。
(……)
これでも一応誰かに恋をした事はある。
好きな人のためにちょっとメイク頑張ってみたり、好みのタイプに寄せてったり。
そうやって色々努力したい気持ちになるのは……分からなくもない。
でもそうだとして、人生そのものまで影響があるかというと……う〜ん。
(そこは……やっぱりゲームだから?)
「……さて、そろそろ行くか」
「あ〜……うん」
「なんだ?まだ足疲れてるのか?」
「ううん、大丈夫。それよりどこ行こっか?」
「そうだな……そこの店はどうだ?」
彼が指差す方を見ると、確かに何やら棚いっぱいに畳んだ状態のシャツが大量に売られている。
「ああ、あそこね。オッケー、じゃあまずそこに……」
ん?売り場のところにブランド名の看板が……
クロコダ……あっ。
途中で名前読むのやめちゃったけど……あの……
緑色のワニさんのあの……うん。
「ん?行かないのか?」
「あ、あ……えと……」
「駄目か?」
「ああいや、駄目じゃないんだけど……ええっと、その……」
「お、隣の店もいいな。淡い色味で落ち着いていて良い……さっきのよりこっちの方が好きかもしれない」
彼の言うそのお店には『何歳でも若々しく!』とかいうノボリが立っていて、爽やかに笑うお爺さんの写真が……
(シ、シニア服ぅぅぅ……?!)
気が遠くなっていく。
えっと……まずどこから説明したらいい、これ?
好みの話だし、強制はできない……けど、シニアはちょっとまだ早い……よね?だよね?
ティーンエイジャーよこの人。
孫はもちろん子供だっていないし、そもそも結婚だってしてない……
さっきのワニさんの方がまだ良いか……いや、どっちもどっちか。
結局は本人の自由だし、極力好きな服着て欲しいけど……でもまだ十代でシニアは……
(う〜ん……!)
「ど……た?」
(おっ)
意識がふわふわと……都合よく終わりが来てくれた。
「七崎……のか?」
助かった。
むしろここで終わってくれなかったら、変な空気になってたと思うから。
「……ろ?だから」
「……で……」
「か……」




