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その差、一回り以上  作者: あさぎ
平和のようでなんか不穏な
107/168

16-4-3.毒と薬は紙一重

 


「うちの店……アンタ、継がなくていい事になったよ」




「え……?!っけほっ、けほ……え、えっ?!っけほっ!」


 驚きのあまり大きく咽せる唯。


「あ、やっぱり?!まじ?!全然聞いてない?!」

「え、えっ……なん……えっ?!知らないよそんなの!初耳!」

「え〜っ!そういう大事な話は私からするからって、お母さん言ってたのに〜!うそ〜!」

「あ〜……電話、着拒してるからかも」

「あっそういう事?!だから前、電話あんまり出てくれないってぼやいてたんだ!」

「あんまりってか、一度も出てないはずだけど?」

「ええ〜?!そんなのってあり〜?!」


 聞いてる方は何が何だかだが……どうやら彼らの中で点と点が繋がったらしい。




「まぁ起きちゃった事はもう仕方ない。いいわ、アタシが説明するから」

「……」

「あのね、旦那が店を継ぐことになるかもしれないの」

「えっ?!だ、旦那さんが……?!」

「うん」

「それ、本気?」

「本気」

「正気?」

「正気」

「え……え……」


 彼が動揺するのも無理はない。

 なんと言っても彼女の旦那は普通のサラリーマンなのだから。


「えっ?!え、いやいやいや……会社員なんでしょ?仕事どうすんの?」

「辞めるって」

「えっ?!副業とかじゃなくて?!」

「うん、辞めるって。精神的に参っちゃったらしくて」

「えっ?!」


 さっきから『えっ?!』ばかり……あまりに急展開過ぎて。


「なんかね、急に会社行けなくなっちゃったの。布団から起き上がるのも無理とか言って」

「体の具合、悪いの?」

「う〜ん……なんだろ。健康診断は引っかかってないんだけど……朝吐き気がして、涙が止まらなくて、体が重くて起きれなくて……って」

「えっと……?健康なのに駄目なの?」

「ん〜?いやぁ、ぶっちゃけアタシもよく分かんないんだけど……ともかくなんか色々駄目みたいでさぁ」

「……?え、どういう……?」

「分かんないけど、もう無理って言われちゃ……それ以上アタシどうしようもないじゃん?」

「……」


 会話の雰囲気で色々察したらしく、それ以上追求はしなかった。


「元々、今の仕事あんま向いてなかったっぽい。周りの人ともいまいち馬が合わないみたいで……まぁ、それ以外にも色々あったんだろうけど」

「でも、大丈夫なの?」

「何が?」

「え……だ、だって、これからさらに子供増えるじゃん?金やばくね?」

「ん?ん〜……まぁ……大丈夫っしょ⭐︎なんとかなるなる⭐︎」

「大丈夫かよ……」

「まぁでも、確かに大きくなったら学費やばそうだよね〜。やっぱりさ、大学までは行かせたいじゃん?」

「じゃん?って。知らないって」

「三人分、ちゃんと払えっかな〜?めちゃくちゃ借金してたりして〜?あははっ⭐︎超やばいんですけど⭐︎」


 笑ってる場合か!と言いたげな顔の唯。


 しかし、彼女なりに何かあるのだろう。

 弟の前で心配させたくないというのもあるにはあるだろうが……そうだとしても、本当に困ってなさそうな雰囲気。


「……」

「……」


 唯の方も最初は訝しんでいたが、姉の態度にやがて何やら納得したようだ。




「ふぅん……そうなんだ」

「そうそう。んで、なんか前言ってたんだけど〜、会社の一員として働くんじゃなくってこう……一人で?職人さんみたいな?じっくり一人一人お客さんと向き合った?仕事がしたいんだって」

「へ〜」


 彼女自身もまたよく分かってないらしく、途中で何度かはてなマークが挟まったが……大体の意味は伝わった。


「といっても……まぁ、それはアタシらの話。アンタは無理に手伝えとは言わないよ」

「うん。そうしてくれると嬉しい」

「……」

「そっか……俺、もう……継がなくていいんだ」

「あれ、あんま嬉しくなさそうね?」


 悩みの種が無くなって大喜びかと思いきや、さっきまでと表情は対して変わっていなかったのだった。


「いや、嬉しいよ。そりゃ、嬉しいけどさ……なんか実感湧かなくて」

「そうね、アンタにとっちゃ急だもんね」

「急過ぎるよ、こんなの。なんで?何かあったの?」

「知りたい?」

「うん。意味分かんないもん」

「そうね……そもそもね、この話……アンタに店を継ぐ以外の道を選んで欲しくて、アタシが言い出したんだ」

「えっ……姉ちゃんが?」

「厳密に言うとアタシと旦那、だけどね」

「なんで……?どうして……?」

「だって……散々嫌がってたじゃん、今まで」

「まぁ、うん……」

「だから、アンタには他の道を進んで欲しかったの。ぶっちゃけ……アンタ、自営業向いてないしね」

「……っ!」


 突然核心に切り込まれ、言葉を失う唯。

 薄々分かってはいたが、いざ面と向かって言われると衝撃の規模がまるで違う。


「正直アンタには無理よ、あれは」

「姉ちゃん……」

「絶対に無理」


 言葉のナイフがぐさりと胸に突き刺さる。


「向いて、ない……?」

「うん。全っ然」


 しかし胸の鋭い痛みに反して、表情がみるみる晴れていく。


 全然向いてない。

 実は、その言葉こそ彼が一番言われたくない言葉であり……一番言って欲しかった言葉なのだった。




「誰が見てもそう……親も、親戚も、アタシの旦那が見ても。アンタには無理よ」

「旦那……?旦那は関係なくない?」

「ううん、関係あるよ」

「……?」


 愛の旦那には何度か会っている。

 一人暮らし始める時にも、色々力仕事を手伝ってもらっていた。


 しかし、それでも少し仲のいい知り合いといった感じで、その程度だった。


「旦那、アンタくらいの歳の弟がいるんだ。といっても向こうは親と仲良いし普通に実家暮らしだけど」

「ふぅん」

「でもね、やっぱりその彼も家出しちゃって……色々一悶着あったらしくて」

「え……一緒じゃん」


 旦那の弟もまた、唯と違って短時間ではあったが家を出てしまったのだ。


 彼の場合は愛が言うように家族仲は良好で、何か深刻な問題が起きた訳ではない。

 ただその時たまたま虫のいどころが悪く、親にスマホの見過ぎを咎められて逆上、怒りのまま飛び出した……それだけだった。


 単純に反抗期としての、ある意味正常な行動ではあったが……それでも家族の動揺はかなりのものだった。

 彼としては、ちょうどその姿と唯が重なって見えていて、どうにも心配で仕方ないようだ。


 さらに、それに加えて….

 精神的に未熟な親達の機嫌取りをし、それから店という面倒事を押し付けられ、そしてうまくいかないあれこれへの八つ当たりを一身に受ける……


 まだまだ子供だというのに、そんな極端な重荷を背負わされている唯を見て、とうとういても立ってもいられなくなってしまったようだった。


「唯の事、すごく心配してて……店の事は前からずっと反対してたの」

「なんで?」

「向いてないの分かってて、駄目そうなの分かってて……でも無理矢理継がせようとしてる……」


 唯の瞳がハッと大きく見開かれていく。


「しかも、それならそうとちゃんと仕事を教えてあげなきゃいけないってのに、これまでずっと意地張って教えたがらなくて」


 黄色い瞳に光の玉がいくつも浮かび上がり、キラキラと輝き始めた。


「結局教えるのをサボってたのと一緒、今となっちゃもう本人達には教える余裕なんてない……それなのに継がせようだなんて、そんなの無茶だ!って」

「……」

「すごい穏やかな人なのよ、アタシの旦那。知ってるっしょ?いっつもぼーっとしてるタイプでさ」

「ああうん、知ってる……」

「だけど……前にね、実家に帰ってみんなで店の話してた時……珍しく声を張り上げて怒ってたの」

「え」

「今までそんなの見た事なかった……めちゃくちゃ怖かったよ。お母さんも怯えて泣き出しちゃったくらいだし。アタシでもちょっと怖かったくらい」

「……」

「だからアタシその時……その流れでお父さんに言ったの、無理だって」

「そしたら、なんて?」

「『俺も薄々そう思ってた』って。なら、早く先に言えって話」


 輝きはやがてうるうるとした濁りに変わり、何やら細かく震え始めた。


 今にも雫となって溢れ落ちてきそうなのだが、落ちそうで落ちない。

 どこかにうまく引っかかっているのか、それとも。


「で、でも……どうしてそこまで俺を……」

「だから言ったじゃん、世界が違うから覚悟しなって」

「へっ?」


 きょとんとする弟に、おどけて笑う姉。


「……ってのはまぁ、冗談だけど。でも……うちの両親だけが全てだと思ってほしくないな」

「……」

「少なくともアタシと、旦那は……ずっとアンタの味方だから」

「でも!だから、なんで……!」

「『家族』だから。本当の意味での、ね」

「……!」


 まん丸になった唯の目は、姉の顔と側の壁を交互に見ながら瞬きを高速で繰り返している。


 他の部位はほぼ動いていないのに、瞼だけが素早く動くものだから余計により一層早く見えた。


「家族って、ほんとは良いもののはずなんだけどね。見本になるはずの人達があまりにひど過ぎた」

「……」

「アンタはもう、頑張ったよ。あんな環境で今までよく頑張った……アタシは早いうちから同棲したり結婚したりで抜けちゃったけど、その分も耐えてたんだもんね」


 唯の全身からみるみる力が抜けて……まるでそういったツボでも押されたかのように、体がだらんとしていく。


「ほんと、お疲れ様。よく頑張った」


 まるで無重力空間に放り出されたかのような、ふわふわとした感じ。


 固く封印された扉がふっと解放されるような、鎖に縛りつけられた何かが解き放たれるような……

 そんなよく分からない感覚だった。


 おそらく自分は喜んでいるんだろうという事は本人には分かっていた。

 だが、それ以上に信じられないという思いが強過ぎて。


「……だから、アンタには別の道を歩んで欲しくて。まだ若いんだから、家がなんだとかそんなんに縛られてないで……もっとこう、自由でいて欲しいのよ」

「……」

「だから、アンタの一人暮らしするって言い出した時も大賛成だったし……それからの生活もこうやって支えてきたって訳」


 姉の声の後に小さく唯の声が聞こえたような気がしたが、掠れて震えるそれは誰の耳にも入らないまま空気に溶けていった。



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