16-4-2.子供な大人と大人な子供
「……まぁそうね、アンタからしたら完全に他人だもんね」
「……」
「まぁ、そこまで嫌なら無理強いはしないけどさ〜。でも、せめてうちの方は……」
「別にうちの親でも同じだよ、変わんない」
「え〜。やっぱ駄目?」
ようやく顔を上げた唯。
穏やかな表情はそのまま、だがどこか少し暗いのもそのまま。
これだけ喋っていながら顔が向き合っていたのは、実は最初のほんの数分だけで……ここでようやく兄弟二人の視線がちゃんと合った。
「違くて」
「え?」
「家族っていう空気感が嫌なの。同じ家の人間だからって何してもいいって感じが嫌なの」
「あ〜……」
「他人に自分の気持ちのお世話をさせて……怒りをひたすらぶつけて、サンドバッグみたいにして……」
「……」
「アンタのためだなんて口ばっかり、自分の気まぐれで振り回してるだけで……!」
色々思い出してきたのか語気が荒くなっていく唯を、どうどうどうどう……と手をハタハタさせ宥める姉。
動かすたびにギラギラと輝く彼女の指先には、ラメやら何やらでゴテゴテに凝ったネイルが。
「あいつら、俺の事を何だと……!」
「ま、まぁ……まぁまぁ、まぁまぁまぁ」
「……」
「それね、確かにやばいよね。うん。うちの両親ちょっと……その、気分屋なとこあるから……」
「ちょっと?かなり、だろ?」
「ああ、うん……そうね。まぁ普通に考えて、やばい人よねあれは」
「だって、あんなの……!」
「分かる」
「癇癪起こした子供みたい、大人のくせに。もう、どっちが子供か分かんないじゃん」
「それな」
怒りをぶつけるつもりだったらしい唯だが……話をすんなり受け止めてもらえて、空振りに。
宙ぶらりんになった勢いは、彼の中でモヤモヤしながら心の中にしまわれていった。
「でもさ、例外っていうか……あそこまで極端なのは滅多にいるもんじゃないから……」
怒りをかわし、かつうまく自分のペースに戻していく。
姉の方が一枚……いや、それ以上に上手のようだ。
「それは知ってる」
「あら。知ってんじゃん」
「そりゃ、俺だって全部知ってる訳じゃないし。それは分かってるけど……けどさ。もうなんか、懲りちゃった」
「懲りたぁ?」
「他の家がどうなのかなんて、知らない。けど……でももう、知る気力もない」
「……」
「もうなんか、しんどい……ほんと、無理……」
静音の前ではずっと笑顔ばかりだった彼の表情に、疲労の色がじんわりと滲み出てきていた。
「しんどいから家を出てきたってのに……未成年だからって、書類とか手続きとか色々繋がってるし。わざわざ逃げてきたのに、これじゃ意味ねぇじゃん」
「未成年じゃ、まだ保護者いないと駄目だしね。保護者ってつまり、イコール家族って事だからねぇ」
「保護どころか、俺とっちゃ害でしかないってのに……」
「そうねぇ」
「もうこれ、縁を切るしかなくない?」
家族と……いや、唯一本当に気を許した姉にしか見せない、彼の本音の部分。
「もう無理。もう、ほんと……無理……」
顔はあくまで崩さない。
しかしまるで死人のような冷め切った冷たい瞳をして、ダラダラと口から言葉を垂れ流していく。
両親の事を思い出したのがきっかけで、彼の中で溜まりに溜まった膿がとうとう溢れてしまった。
無理矢理元気なふりをし続けて、どうにか誤魔化してきた傷口が……今ので破裂してしまったようだ。
「え、ええっと……じゃあ、じゃあさ。尚の事リフレッシュしよ?」
「え……」
「普段と違う景色見てさ、気持ち切り替えてこ?気分アゲてこ?」
「……」
「言っとくけど、向こうの人達めっちゃ優しいかんね!まじ世界変わるよ!覚悟しときなよ!」
「覚悟って……」
「冗談じゃないよ!ほんとよほんと!みんなの前でガチ泣きしてもアタシ知らないからね!」
「……」
「まぁ、それでもどうしても駄目ってんならしゃあない!人間の方は綺麗さっぱり諦めよ!」
「人間を……諦める?」
「そう!そうなったらもう、目的変更だ!ご飯食べることを旅の目的にしよ!」
「ご飯?目的?」
「うん!三が日だし、向こうも気合い入れて色々ご飯出してくれるだろうし!美味しいもん好きなだけ食べて、満足して帰ろ!」
「なにそれ……それ、もはや帰省じゃなくてご飯食べに行っただけじゃん」
「い〜の、それで!ちょっとは気分変わるっしょ?」
「でも、一応人の家だし少しは気を遣わないと……」
「いいから!そ〜ゆ〜の、アタシが適当に誤魔化す!付き合いとか面倒事はぜ〜んぶアタシに任せて、アンタは美味しいもん食べて!」
「あ、ああ……そういう事……」
「うん、そういう事!はいっ、けって〜!」
「相変わらずすごいパワーだな」
「ありがと〜⭐︎元気なのがアタシの取り柄だからっ⭐︎」
「褒めたつもりじゃなかったんだけど」
「あれ?違った?」
「そういや旦那と結婚したのだって、押しかけ女房だもんな」
「だってだって〜!なかなか結婚するって言ってくれなかったんだもん!だから、周りにうちら結婚するんだ〜⭐︎って言いまくってたら、ある日急にOKしてくれてさ!」
「OKせざるを得なかったんだろ、強引にも程があるって……旦那さんがちょっと可哀想……」
「え、旦那?今幸せ?って聞くと『うん』っていうよ?」
「今度は脅迫……」
「違うし〜!自分から言ってくれるし!私が聞いた時は!」
「だからそれ……いや、何でもない。どんだけポジティブなんだよ……」
「……ぶっ!」
「何吹いてんだよ」
「え、だって!だって……っはははっ!あははははっ!」
「えええ……」
「ちょ、ウケる〜!ウケるんですけど!あはははっ!」
呆れる弟、爆笑する姉。
「も〜何〜?!さっきからずっと暗〜い顔しちゃって〜!」
「声でかいし、テンションやばいし……流石、元ギャル……」
「『元』だし!今全然かんけ〜ないから!」
「喋り方といい雰囲気といい、当時からほとんど変わってないんだもんな。相変わらずキ◯ィちゃん大好きだし」
「好みは関係ないでしょ、も〜!今ので全国の◯ティちゃん好きを敵に回したぞ〜?!」
底抜けに明るくパワフルな姉。
それに対して唯はどんよりと暗く……本来の彼は元々このくらいのテンションなのかもしれない。
普段わざと明るく振る舞っているだけで。
「そういや……ところで、希星と帝羅は?」
話の流れからして、どうやら彼女の娘の名前のようだ。
なかなかすごい字面だが……
「ああ、旦那が家にいるから見てもらってんの」
「へ〜。でもだからって、こんな時間までフラフラしてていいの?」
「ん〜。そうね、流石にそろそろ帰るか。あんまり遅いと心配するだろうし」
「……」
「いや〜、病院に行く道のちょうど途中でさ。ほんと良い位置にあるのよここ」
「え?だったら尚更いいのに……」
「何が?」
「病院の帰りなんでしょ?なら寄り道してないで、さっさと帰りなよ」
「え〜?ただの健診だし〜。別に病気じゃないしぃ」
「バリバリ元気って訳でもないじゃん」
「え、だってだって〜!アンタの部屋ほっとくとすぐ汚くなるんだもん、ほらっ!」
ほら、と言って指差した先にはゴミ箱が。
「ほぉら⭐︎」
「う……」
真っ黒なクイックルワ◯パーのシートが大量に捨てられているのが見える。
元々そういう色だったと言われても信じてしまいそうになるくらいに真っ黒。
そこにさらにモコモコした灰色の塊が大量にへばりついている……それが何かは言わずもがな。
「そ、それは……」
「お風呂のカビだって、結構やばかったじゃん?そこはもう掃除したけど」
「うっ……」
「あ、しまった!肝心のキッチンがまだだった……!でももう時間無いし……しょうがない、これは次回ね……」
「ううう……」
あっちもこっちもと止まらない指摘。
そこそこ綺麗に整理整頓されてはいるのだが……掃除は苦手のようだ。
とはいえ彼ぐらいの年齢で掃除まで完璧なんて、そうそういないだろうが。
「だけど……こんな腹出てて、よくそんな動き回れるね」
「あ〜これ?あはっ、まだまだよこんなの」
「だってそんな息ゼーハーしててさ……」
「しょうがないじゃん、二人で酸素の取り合いしてんだから」
「そんな大丈夫なもんなの?」
「そりゃ大丈夫よ〜。大丈夫じゃなかったら、助けてって言うもん」
「えええ……他力本願……」
姉の勢いに呑まれ、突っ込みのキレが今ひとつ悪い。
「あ、そっか。これくらいの時見てないんだっけ」
「……?そうだったっけ?」
「ほら。下の子産まれる時、アンタお母さんとめっちゃ揉めてたじゃん」
「ああ……あの時か……」
そう言って俯く唯。
明るくなったと思った彼のオーラが、またじわじわと影を取り戻していく。
「毎日のように言い争って……いつもその事ばっか考えてて……それ以外はなんも覚えてねぇや」
実家に帰らないと答えた時以来の、強い拒否のオーラが辺りに充満していく。
「ああ、あれね〜」
しかし、姉の口調は変わらない。
重苦しい空気に飲まれる事なく、明るいまま。
「突然お父さんの具合が一気に悪くなって、しかもいきなり手術するってなってさぁ。お母さんパニックになっちゃってたからね〜」
「……」
「それまで調子いい日がずっと続いててさ、お医者さんからもしばらくは大丈夫みたいな事言われた後だったからね」
「……」
「お父さんがまだしばらく元気っていう前提で、色々あれやろうとかこれやらなきゃとか考えてて……なのに、突然全部パーにされちゃったからなぁ」
「気持ちは分かるけど……だからって、あんな言い方する事ないだろ」
「あんな言い方?」
「いや、いい……なんでもない。とにかくひどい八つ当たりで……ほんと最悪だった」
「精神的に余裕がなかったのよ、きっと」
「……」
「でも、流石に今はないでしょ?」
「多分ね。あれから話してないから分かんないけど」
「あれ、まだ駄目なの?」
「……」
「今、だいぶ落ち着いてるよ?前みたくいきなり騒ぐとかなくなったし、たまには電話してみたら?」
「いや、いい」
「……?」
「いつも愚痴か八つ当たり……向こうは言いたいだけ言ってスッキリ、こっちはヘトヘト。わざわざ俺が電話してやる意味ある?」
会話がピタッと止まり、なんだか気まずい空気が流れ出す。
「……」
「……」
彼としてはあまり触れてほしくない話題なのだろう。
それ以上追求させないような空気が彼の周りに漂っている。
「……」
「唯……?」
返事すら嫌なのか。
言葉もそうだが、ちらりと見もしない。
「ゆ、唯……?」
「……」
「ちょ、ちょっと……」
「ごめん……これ以上は」
「……あの、さ。なんか、その……すぐにでも唯に伝えなきゃいけなかった事、まだ伝わってない気がして」
あれほどマイペースだった姉がなんだか焦っている。
「え?なにそれ?」
「あ……もしかして、聞いてない感じ?うそ……」
「何の話?」
「うん、あのね……」