16-2-2.その音色は誰の為に
こ、金平糖……ボソッ
「あのね……『金平 冬子』ちゃんって覚えてる?」
「ああ……あの、幼稚園の頃からの友達だろ?」
「そうそう。あの子とは昔からよく一緒に遊んでたのよね」
「へ〜」
「私達の家ってほら、普通の人よりだいぶ恵まれてる訳だけど……向こうはもっとすごくて……って、もう知ってるか」
「あの高飛車でやたら声がでかい、大企業の社長の娘だろ?毎日自家用ヘリで通学してた人」
「そうそう、そのお嬢様よ」
「なんか一度だけ会った事あったよな……語尾の『ですわ!』がいちいちうるせぇし、なんかやたら偉そうだしで、印象最悪だったけど」
「あはっ。結構キツい事言う子だったからね〜」
「キツいなんてもんじゃない、僕の事は『おぼっちゃん』呼ばわりだし……アンタだって『私のための盛り立て役』なんて言いやがって……よく耐えられたよなあんなの」
「違う違う、それがいいのよ〜」
「はぁ?」
「そうやってツンツンしてるけど、本当はただの恥ずかしがり屋さんで……根はすっごく優しい子なのよ」
「ほんとかよ、全然そうは見えなかったけど」
「ほんとほんと。いつも我儘で意地悪なお嬢様のフリしてるけど、本音が隠し切れてない事よくあったもん」
「どんなだよ」
「言わな〜い。彼女の尊厳のため秘密で〜す」
「いや別にそこまで知りたくもないけど」
「色々あったのよ〜。あんな事やこんな事、むふふ……むふふふ……」
一体何があったのか……
目を線のように細め、口をハム◯郎のように膨らませて……そんな彼女のニヤケ顔からして、あまり碌なことではなさそうだが。
「で、そのたんびに顔真っ赤にして慌てるもんだから……そこがもう、可愛くて可愛くて〜」
「……僕にはよく分からないや」
「あ。そう考えると……なんか秋水に似てるかも……?」
「最悪」
露骨に顔を歪ませる秋水にすかさず美露はビスケットを一つ手渡してみせた。
「……」
「……」
嫌そうな表情をしつつもちゃんと受け取り、彼はそれを口の中へ。
口の中いっぱいに広がるほんのりとした甘さに、思わず彼の表情も緩む。
「……にしても、性格までよく覚えてるね」
「そりゃ、しょっちゅう聞いてりゃ嫌でも覚えるよ。どこ行って遊んだだの何しただの、毎日食事のたびに聞かされて……」
「あはは〜、ごめんごめん。だって楽しかったんだもん」
「でももう、かれこれ何年だ……しばらくその人の話聞いてないから、てっきり関係切れたのかと思ってたけど」
「ああ、それね……」
美露の顔からふっと笑顔が消えた。
「そう、実はね……」
雰囲気が変わったのを感じ、秋水の顔が強張っていく。
「私が高校二年生の頃……そう、ちょうどあなたくらいの時に……死んじゃったの」
「え……」
「交通事故だって。私はその時側にいなかったから詳しくは知らないけど」
美露は何か言いたげに秋水の方を見た。
しかし彼はというと、どこか空中を見つめたまま固まっている。
姉が発した想定外の言葉に対して、うまい返事が思いつかなかったようだ。
「さよならなんて言えなかった。入院とかじゃなくってもう即死だったから」
「……」
「私がその話を聞いた時にはもう、この世にいなかった……」
秋水はおもむろに座っていた足の先を交差させる。
気まずさからか、それとも何か他の感情か……側から見ただけでは分からないが。
「……私達ね、小さい頃から約束してたの。一緒に世界一目指そうねって」
「私は腕を磨いて超一流のバイオリニストになって……そして彼女は会社を継いで、私の強力なスポンサーとなって……一緒に頑張って有名になろうね、って……」
「『アンタの演奏をダシに、がっぽり大儲けしてやるわ!』なんて意気込んでたっけ。一体何をする気だったんだか……録音でもして売るつもりだったのかな?」
「まぁ私としたら、理由はなんであれ音楽活動の援助してくれるのはありがたい話なんだけど……」
「だけど、それはもう……叶わなくなっちゃった。まさかそんな突然、私一人にされちゃうなんて……思ってもいなかったわ」
じわじわと彼女の目が潤んでいくのを見て、秋水はティッシュを一枚取り、手渡す。
「……ありがと。もう何年も前だしすっかり慣れたと思ってたのに……ふふっ、駄目ね」
目元の雫を拭い取り、まだ潤みっぱなしの目で精一杯微笑むも……どこかぎこちない。
「……それでね。それからしばらくずっと……バイオリン弾こうとするたびに彼女の事思い出しちゃって、気持ちが入らなくて」
「気分転換にって旅行とか色々連れてってもらったけど……それでも全然駄目。心ここに在らずって感じで、全く身が入らなかった……」
ここで突然部屋のカーテンがブワッと大きく翻り、思わず二人の視線はそちらへ。
といっても何かあった訳ではないが。
段々と日が暮れてきて、外の風が少し強くなってきているようだった。
「……」
「……」
二人はまた前を向き直し、会話はすぐに再開した。
「それで……そんな私を見かねてある日、冬子ちゃんのご両親が私を家に呼んでくれたの」
「本当は色々思い出しちゃいそうで嫌だったから、断ろうと思ったんだけど……親同士仲良かったし関係悪くしたくなくて、渋々行った……」
「で、そこで初めて聞いたの。冬子ちゃんは私の演奏が好きだったって……私の一番のファンだったって……」
「はぁ?アイツが?」
彼が素直に信じられないというのも、特におかしい話ではなかった。
いつも他人を見下し、威張ってばかりの彼女だ……いくら美露の腕前が素晴らしかったからといって、まさかそんな人を尊敬するだなんて。
もし本当にそうだとしても……いや、彼女がそう言うのだから真実なんだろうが、それにしてもイメージが一切沸かない、そんな傲慢で激しい性格の少女だった。
「ふん。ど〜せ、家族には良い顔してたんじゃないの?アイツ、父親大好きでベッタリだったじゃんか」
「もう、違うわよ。本当よ本当」
「え〜……信じらんない……」
「ほんとだって」
「……」
「そりゃあ、それを聞いた時はびっくりしたわ。嘘でしょ?!って……」
「だっていつも『ほんと下手くそね!』とか『こんなので世界一になれるとでも?!』『手抜きのつもり?!貴女のレベルこんなもんじゃないでしょ?!』とか……色々と言われてばっかりだったから」
「素直じゃない彼女なりに応援してくれてるのかもな、とは思ってたけど……まさかそこまで本当に好きで、本気で応援されてたなんて微塵も思ってなかった」
「その時聞いて初めて知ったんだけど、彼女の知り合いとか関係者達とか……私の見てないところでいっぱい良いところ褒めてくれてたらしくて….…まるで自分の事みたいに自慢してくれたみたいで……」
「ご両親が言うには、彼女の夢は『私の演奏をもっと多くの人に知ってもらって、楽しんでもらう事』だったそう。家でよくそう言ってたって」
「彼女、毎日毎日塾で遅くまで勉強しててね。一流の学校行って経営しっかり学んで、いつかはカリスマ女社長を目指すって言ってて……」
「別にそこまで頑張らなくたって、その時が来れば会社は継げるんだろうけどなぁって当時は不思議だったけど……ちゃんと理由があったんだ。そうやって、私を支えてくれようとしてた」
「私のスポンサーになりたいって言ってたのも……多分、本当はそのためだったんだと思う」
「大好きだった私の演奏をもっと世界中の色んな人に聞いてもらいたかった。そうして私も聴いた人もみんな、喜ばせたかった。それが彼女の本当の気持ちだった……」
秋水の瞳に小さな光の球が一つ、二つと増えていく。
言葉は無く、今この瞬間に本人がどう思っているのかは分からないが……それでも彼の心が何かしら動いているのは明白だった。
「だから私……それを聞いて、彼女の分まで頑張るって決めたの。天国の彼女の願いを叶えるために……大好きだった音色を世界に届けるために……」
「それに……世界一目指そうって約束も、きちんと果たしてあげたいし」
「そして、それこそ……私が頑張る理由」
ここで美露は紅茶を一口啜った。
カップの中にはまだ半分以上残ってるが、湯気は全く出ていない。
もうすっかり冷め切ってしまっているようだ。
「あら?」
「あ〜あ……早く飲まないから」
「しょうがないじゃな〜い。ついお喋りに夢中になっちゃったのよ」
嫌味ったらしい口調の弟。しかし彼女は全く動じない。
過去の親友といい、彼女はよくこういうタイプの人間と関わる事が多いようだ。
引き寄せられているのか、それとも引き寄せているのか……はたまた両方かもしれない。
おかげでその扱いには慣れているようだが。
「ねぇ、秋水」
「何?」
「ところでさ……あなたは?」
「……」
「あなたは今……誰のために弾いてるの?」
「誰のため?」
「うん」
訝しげな視線に、彼女は真っ直ぐな瞳で答える。
「だ、誰のためって……」
「うん」
笑顔の圧力。
別に尋問している訳ではないが、なんとも言えない強い力がこの場に働いていた。
言い逃れや誤魔化しは、今のこの彼女には効かない。
「それは……」
「そ、それは……」
「その、それは……」
『それは』まで言って口を閉ざす、をかれこれ何回繰り返しただろうか。
しばらくそうやってモニョモニョしていたが、やがて意を決したようで姉の方を向き直す。
「それは、」
彼が次の言葉を言おうとしたその瞬間、タイミングを見計らったかのように窓からゴーゴーと強い風が吹き込んできた。
見ると、窓の外では植木が今にも折れそうになりながら揺れている。
時間の経過につれて、風が強くなってきているようだ。
結局なんと言ったのかは、二人にしか分からない。
だが……彼の答えに美露はなにやら満足そうに頷いていた。