13の月第2週4日目
アッケンデーレの種子と思われる物を拾い集め(かなりの広範囲に散らばっていた)研究所に保管した後は急いで宿舎に戻って日記を漁った。該当箇所にしおりを挟んで翌日授業前にバルバ助教の元へと持って行く。助教は講義を休みにする気らしいが、僕は必修の講義もある。サボるわけにはいかない。
研究室に泊まり込んだのか、机の上のカップの底に眠気覚ましの苦い飲料が渇いてこびりついていて、床には寝袋が転がっていた。助教の無精髭も今日はより無精な感じだ。
「了解了解。俺ももうひと眠りしたいから、丁度いいかな。後で来た時まだ寝てたら起こしてくれ。教授にも連絡しておいたから、近いうちに戻ってくるだろう」
つい気になってカップに水を入れてシンクに置き、寝袋を端に寄せる。助教はと言えば頓着しない様子で、受け取った日記をそのまま机の上に置いて、大きなあくびをした。
「連絡って……手紙でも書いたんですか? どこにいるのかご存じで?」
教授は見かけより腕が立つので、野宿も平気らしい。どう連絡をつけるのかと首を傾げれば、助教はおや? という顔をしながら、机の中から手のひらに握りこめそうなくらいの巻貝のような魔道具を取り出した。
「言ってなかったっけ? 通信具があるから、連絡はいつでも」
「聞いてませんよ!? ってか、初めて見ました! 個人で持てるものなんですね?!」
「くそ高価だけど、二人で払ってるからまあ、なんとかな。見たいなら、これも後でゆっくり見るといい。そのうち使う機会もあるだろう。早く行かないと遅刻するぞ?」
「うあ」
時計を見て、僕は慌てて踵を返した。
* * *
三つほど講義を受けた後で研究室に戻れば、ドアの前で髪をひとつにひっつめた女性がウロウロしていた。
事務の人だったような気がする。
僕に気付くとその人は、やや八つ当たり気味に早口でまくし立てた。
「『魔帯研』の人? 教授がまた鍵をかけて引きこもってるみたいなんだけど、起こすか開けるかしてくれない?」
普段ならこれで開けると怒られるのだが、僕が戻ったら起こせとも言っていたし、まあいいかとドアの前に進み出る。助教は魔術的な鍵をかけてしまうので、合鍵があっても一般人には開けられないのだ。
「教授は出掛けていてバルバ助教しかいませんけど、彼で用事間に合います?」
朝見せられた魔道具を思い出して、助教に話が通れば大丈夫なのかもしれないと、鍵穴に魔力を流していく。僕の魔力も登録してあるので、これで開くようになっていた。
ドアを少し開けて振り返れば、女性はきょとんとさっきの僕のように首を傾げていた。
「昨日も今朝も見かけたけど……だいたい、バルバ助教じゃ普通の鍵しかかけられないでしょう?」
「……え?」
「え?」
噛み合わない会話の間にもドアは開いていって、寝袋の中から身体を起こしたバルバ助教が見えた。
「あ、ほら、やっぱり! ヘルバリア教授! 温室火災の件、やっぱり関わってるんじゃないですか! きっちり聞かせてもらいますよ! それと、教え子をからかうのもいいかげんにしてくださいね? 入学から何ヶ月経ってると思ってるんですか! バルバ助教が戻ってきたら困惑するでしょう!?」
寝ぼけ眼だった助教は……いや、教授? だって? 本当に?
ともかく、彼は「げっ」とか口走りながら僕に一瞬だけ視線を走らせて、詰め寄る女性から一歩後退る。
「ま、待て。誤解だ。断じてからかってはいなくてだな……」
冷や汗をかきながらしどろもどろで言い訳を重ねる彼の言葉は、耳に入ってこなかった。
僕は呆然と突っ立ったまま、内心ひどくパニックに陥ってたのだ。
僕は彼の前で何度も教授の本を褒めたし、得意げに引用を披露もした。教授は――助教、は? 数度顔を合わせただけでフィールドワークに行ってしまったので、ずっと代理でバルバ助教が――教授、が? 講義をしていたけど、あれ? 代理じゃないってことで……
ああ、いや、代理だと思っていたのは、僕だけだったのかも?
早く教授の講義を受けたいと、本人の前で愚痴ったりしちゃったりもしたような?!
夏休みのことも、彼が教授だからごり押しが通ったってことだったんじゃ!
待ってくれ! 今すぐここに穴を掘って埋まってしまいたい!
どうして僕ってやつは……
思わずその場から逃げ出そうとして、慌てて追いかけてきた助教に――教授にがっしりと抱きつかれる。
「うわ! 待て! 待ってくれ! 違うんだ! 立場を間違われるのはいつものことなんだよ! だって、あいつの方が教授っぽいだろう? それは昔からそうで、本当にあだ名も『教授』だったんだよ。俺が説明するより、同じことを話してもあいつの方がそれらしく聞こえるって具合さ。で、俺はこのヒゲだ。せっかく有用な人材が来てくれたのに、期待を壊して辞められたくないだろう?!」
そこまで一息でまくし立てて、懇願するように膝までついちゃう教授は、確かに憧れた人だと思えば情けない。だけど、その人に少しは期待されてると思うのは、悪い気分ではなかった。
「最初はちょっとしたおふざけだったのは認めるし謝る。バルバに戻ってこられるとバレそうだから、帰ってくるなって言って、手が足りないふりで研究を手伝わせてたのも謝るから」
「その調子で、火災とケガ人の原因が温室にあなたが持ち込んだ植物だと認めてくれませんかね?」
冷たい女性の声に、一瞬ちっ、というような顔をした教授は、僕が見ているのに気付いてまた情けない表情に戻った。この人、割と計算してだらしなさを装ってるんじゃないだろうか。
「頼むよ~。この後、アッケンデーレの発芽も見たいだろ? 魔力の与え方で育ち方に違いがあるのかとか、実験したいよな? はじけるメカニズムも、予想してるだろう? 辞めるなんて、言わないで、部屋に戻ろう!!」
僕が食いつきそうなことを並べて、器用に向きを変えながら研究室の方に押し戻される。
なんだかただ絆されているような気もしないでもないけど、このままここを離れてしまえば、もう足を向けにくくなるのは決まってる。
僕は天井を仰いで、小さく息を吐き出した。残ればこの先、開き直った彼の世話をさらにあれこれ焼かされる気がする。いいのか? と自問するけど、頭の中では「憧れの人の世話を焼けるなんて光栄!」という意見と「いや、そもそも憧れるほどの人物じゃないんじゃ?」という意見がいつまでも戦っているのだった。
* とある植物学者の卵の日記(炎の平原にて) おわり *