(22)エピローグ
レクシアはルミナを抱いたまま、馬車屋に駆け込んだ。あの場では追ってこなかったが、このまま見逃してくれるかは分からない。
「どうした、ばあさん」
レクシアは声をかけられて、ゆっくり顔を上げた。
「見ての通り配達屋だよ。話は通っているはずだけどね」
「ああ、タイカストまで行くんだったな。タイカストは遠いぞ。途中いくつかの町を経由するし、だいたい一週間くらいはかかる。大丈夫か」
「こう見えても丈夫なんでね。むしろ旅行が楽しみさ」
「で、その女の子は何だ?」
馬車屋の受付はレクシアが抱えている女の子を見ていう。ルミナはすっかり眠ってしまっている。
実はルミナはレクシアに抱きついた途端に眠りに落ちてしまった。どうしてそうなったのかは分からない。長い間ルクスだったことの副作用だろうか。呼吸はしているし、魔力も安定しているので問題はないと思う。
「私の孫でね。両親に頼まれちまったのさ。なに、この子の分の運賃は私が払うよ」
「いや、そんな幼いガキの運賃なんて取らねぇよ。だが、そのガキがぐずったって俺たちは止まらないぞ。それで大丈夫か」
「問題無いさ。ちゃんと私が言い聞かせるからね」
そしてレクシアは馬車に乗り込んだ。
やがて馬車が動き出す。今のうちにできるだけベアトリスから離れておきたい。
よくわからないが、どうやら仕事中の彼女はレクシアを捕まえるつもりはなかったようだ。だが、仕事が終わったとしたらどうだろう。すぐに追いかけてくるかもしれない。
道中に寄った場所で配達をしながら、新しい荷物を受け取り、一週間後に、レクシアはタイカストまでたどり着いた。
移動中、盗賊たちが何度も襲ってきたが、雇われの冒険者が全部追い払った。客の中には恐怖で馬車から逃げ出し、結局盗賊に殺された人もいたが、レクシアは盗賊が襲ってきても大人しく馬車にとどまり、大事なく過ごした。
ルミナはほとんど目を覚まさなかった。目を覚ますのは空腹時だけ。それでも夢うつつの表情で、レクシアから与えられた食事を淡々と喉に流し込み、腹一杯になると眠ってしまった。
普通なら心配な症状だが、レクシアにとってはありがたかった。ルミナの時もルクスの時も、この子は好奇心旺盛で元気なのである。大人しくしていてくれるなら都合が良い。
タイカストの配達屋で、仕事を終えると、レクシアは配達屋を辞めた。本来ならここからグレスタに帰るのが仕事なのだが、レクシアにそのつもりはない。
給金だけ受け取って、レクシアは配達屋を去った。結構長距離の仕事だったので、それなりに給金はもらえた。
レクシアはそこから適当な馬車に乗り、更に遠くの町へと旅立っていった。
レクシアはアンダカットという街に来た。しかしこれ以上遠くには行けなかった。なぜならもうお金を使い果たしてしまったからだ。これから当分このアンダカットという町で日銭を稼ぎながら暮らしていかなくてはいけない。
さすがにここまでログもベアトリスもたどり着くことはないと思えた。そもそもレクシア自体がこの場所がどの辺りなのか分かっていないのだ。
アンダカットに着いて、レクシアは宿を決めると仕事を探しに町へ出た。ちなみにタイカストに着いた辺りでルミナは復活し、それ以来常にレクシアに甘えている。
レクシアは甘えてくるルミナを見て、三歳児というのはこんなに小さいものなのだと改めて感じた。ルクスは十分に大きかったから、三歳のルミナを新鮮に感じてしまう。
レクシアはこの町でも配達屋の仕事を選んだ。
やってみて、結構自分に向いていると思ったからだった。レクシアは元々地図を読むのが得意であり、通りの名前や番地を覚えるのに苦労しない。それに脚で歩き回るとこの町の様子がはっきりと分かるようになる。この町に熟知していれば、いざというときどこに逃げれば良いのかも分かる。また、歩き回る仕事は体力維持にも丁度良い。
レクシアの見た目は老女のままで、ルミナは孫と言うことにした。
仕事の間、レクシアはルミナを部屋に閉じ込めた。ルミナは不満そうだが、今のところ一日中部屋で過ごしてくれる。
そして夜はルミナと裸で抱き合って寝ながら、魔力を注ぎ込んだ。ルミナをルクスの体にするまでに前回は半年もかかった。今回はもう少し早く成長させられると思うが、それでも一月、二月でというわけには行かないだろう。
レクシアはルミナがルクスに成長するまで、いくつかの町を転々としなくてはいけないだろうなと思っている。つまり、それまでは極貧生活が続くということだ。
配達屋の仕事はグレスタよりも賃金が良かった。ただ、グレスタの時と違って宿代がかかる。ルミナと暮らすには部屋を借りるしかないからだ。賃金はほとんど宿代に消えてしまった。
食事については残飯を恵んでもらいながら生活した。レクシアもルミナも質素な暮らしに慣れているから、毎日一食でも食べられるだけで贅沢な暮らしだ。
だけど配達屋以外の仕事もしないと、旅費が稼げそうにない。いつまでもルミナを閉じ込めておくのも限界がある。
アンダカットに着いてから四日目の朝。
レクシアはルミナをベッドに置いたまま、身支度を調えていた。早めに配達屋の仕事を終えて、その後別の仕事を探しに行こうと思っていた。これからは今以上に忙しくなるだろう。
その時ノックがなった。レクシアは身構える。レクシアを訪ねてくる人なんているわけがない。あるとしたら宿主が苦情を言いに来るくらいだろう。ルミナが部屋で走りまわっていることがあるようで、何度か苦情を言われたことがある。しかしこんな早朝というのは妙だ。
「だれじゃね」
レクシアはしわがれた声で言う。
「お客さんだよ」
宿主の声だった。あり得ないことだが、それでも無視するわけには行かないのでレクシアは鍵を開けて扉を開いた。
「こんにちは」
そこにはベアトリスがいた。レクシアは驚く気持ちを飲み込む。
「どちら様かな」
見た目なら絶対にわからないという自信があった。同じ老婆と言ってもグレスタにいたときとは容姿を変えている。
ベアトリスは店主に礼を言い、店主のおじさんはすぐにその場を去った。
ベアトリスはレクシアを見て言った。
「なるほど。でも毎回老婆だと、意味がなくない? たとえば中年のおばさんに化けるとかなら騙されるかもしれないけど」
レクシアは扉の前から離れなかった。どうどうと人違いだという線を通そうとする。
「何を言っているのかよくわからないのじゃが」
「私にちょっかいをかけて、ただですむとは思っていないわよね、レクシア。仕事があったから遅れちゃったけど、ちゃんとお仕置きしに来て上げたわよ」
どうしてここが分かったんだろうか。
「そんなに大声出さないでおくれ、中に幼い子がいるんだよ。全く最近の若い者は」
レクシアは愚痴を言って、部屋の中に引っ込もうとした。すぐにベアトリスが、扉を掴んで強引に開けると中に入ってきた。
「あら、可愛い」
ベアトリスは裸ん坊のままベッドで寝ているルミナを見つけた。その時、ルミナは目を覚ました。眠そうな目をこすって、ベアトリスを見る。
「ママァ?」
ベアトリスの顔がとろけた。
その瞬間、レクシアは部屋から飛び出した。そのまま、二階から飛び降りて、すぐに宿の出口に降り立つ。そして宿から逃げ出した。
レクシアはまっすぐ走って、乗合馬車屋に向かう。見た目は老婆でも中身は十五歳だ。足の速さには自信がある。
ちょうど、目の前で乗合馬車が出発したところだった。レクシアは更に速度を上げて、その馬車に飛び乗った。
「おい、ばあさん」
御者がぎょっとした顔で言う。レクシアは御者席の側に行って早口で言った。
「止めなくて良いよ。悪いね。次の馬車を待っている暇はなかったんだよ」
御者は馬を御しながら肩をすくめる。
「仕方がねぇな。後でちゃんと金払えよ」
レクシアは馬車内に掛けられている標識を見て、馬車の行き先を確認した。どうやら隣町まで行く定期便だ。
都合が良い。この際、ルミナのことはベアトリスに押しつけよう。まだ、三歳児のままだから、ベアトリスも扱いに困るはずだ。
残念ながら、偽体魔法によるルミナの成長はそれほど進んでいない。腕や脚を一回り大きくした程度だ。そのため、ルミナの感覚が少し伝わってくるだけで、ルクスの時のようにルミナを使っての盗聴はできない。
アンダカットを逃げだしたとはいえ、まだ安心できない。どうやってレクシアにたどり着いたのか。初めは何かの魔法かと思ったが、レクシアはベアトリスと接触していない。魔法を掛けられたとは思えなかった。
思い当たったのは配達屋ルートである。レクシアがタイカストに向かったのは配達屋に聞けばすぐに分かることだ。そこからアンダカットまで来たが、幼い女の子と老婆の組み合わせは目立ったに違いない。レクシアは顔を変えているので大丈夫だと思っていた。でも老婆である以上、違いが分かる人なんていない。たしかにベアトリスの言うように、おばさん辺りにしておけば良かったのだろう。いつも老婆の姿で、相手を騙してきたので、それ以外考えていなかった。
この馬車も特定される可能性が高い。乗合馬車の受付に聞けば、この馬車がどこに向かったのかなどすぐに分かるだろう。
「何だよ。飛び乗るなんて、かなり運動神経のいいババァだな」
「もしかして元冒険者か?」
馬車の中には旅行者らしき人が三人。そして護衛と思われる冒険者が三人いた。
「昔取った杵柄ってところかね」
レクシアは澄まして言うと椅子に座った。
隣の町のスパッタまではそれほど離れていない。昼過ぎには着く。途中で降りて逃げることも考えたが、結局この御者に聞けばばれてしまうだろう。だとしたら、スパッタで姿を変え、それから時を見て逃げた方がいい。
昼過ぎにレクシアはスパッタについた。
「おい、ばあさん。足りねぇよ」
レクシアがお金を払うと、御者が言う。
「勘弁してくれないかね。持ち合わせがこれしかないんだよ」
「そんな事言ってもなぁ」
レクシアは貯めていた全財産を払ったが、当然足りない。とはいえ、これ以上金目の物はない。
しばらく呆れた顔をしていた御者はとうとう肩をすくめた。
「送り返すわけにも行かないし、仕方がねぇや。だが、次は止めてくれよ。じゃないといくらばあさんでも衛兵に突き出すぞ」
「ありがとうね」
そしてレクシアは馬車屋を後にする。おばあさん相手だと、このように諦めてくれることも多い。
レクシアはそのまま物陰に入っていき、羽織っていたフードを脱いで、体の形を変えた。だいたい四十代くらいのみすぼらしいおばさんの姿になる。
脱いだフードは袋の中に入れる。これで、ぱっと見あのおばあさんと同一人物には見えないだろう。
無一文で宿に泊まるのは難しいが、グレスタでの経験もある。宿で厩の手伝いか下働きとして、雇ってもらおうと思った。
通りを歩きながら安くてみすぼらしい宿を探した。
きょろきょろしながら歩いていると、いきなり後ろから肩を掴まれた。
レクシアが驚いて振り返ると、そこにベアトリスがいた。悲鳴を上げそうになるのを何とかこらえる。
「先に宿を取って置いたわよ。あんな可愛い子置いて逃げちゃダメじゃない」
レクシアは青ざめるが、レクシアの肩に置いてある手から絶対逃がさないという圧が伝わってくる。
レクシアはがっくりうなだれ、そのままベアトリスに連行されていった。
宿に入って速攻レクシアは擬態魔法を解除させられ、そのままベッドに押し倒された。そして尋問と称する、激しい辱めを受けた。
「こ、子供の前で・・・」
「いいから、いいから」
レクシアは、ベアトリスに勝負を仕掛けたことを心から後悔した。




