(21)終演、7日目
レクシアはログの元を離れてから、いつも通り少年たちに配達のお駄賃をあげて、配達屋に戻った。
「今帰ったよ」
「お疲れさん。これが報酬だ」
レクシアは賃金を受け取ったが、すぐに帰ろうとはしなかった。
「何だよ。また値上げの交渉か? もうこれ以上はダメだぞ」
「そうじゃないよ。そろそろこの町以外の配達をやりたいんでね。明日出発で配達してきて欲しいところがあれば私が行ってやるよ」
「おいおい、いきなりどうしたんだ」
ブットは驚くが、レクシアはひっひと笑う。
「何言っているんだい。町の中の配達なんて安いじゃないか。やっぱりこの賃金で生活し続けるのはきついんだよ。町や国をまたいだ配達の方が手取りが良いんだろ。元々配達に慣れたら、そっちに回してもらおうと思っていたのさ」
「言っちゃ悪いが、ばあさんにはきつい仕事だぜ。長く馬車に乗っていなくちゃならねぇし、盗賊も現れて危険だ」
「別に配達屋が盗賊と戦うわけじゃないだろ。年取ってようが若造だろうが一緒だよ。ようはしっかり責任を持って届ければ良いんだ。私の働きはどうだった? 十分信頼を得たつもりなんだけどね」
「うーん、もう少し町中の配達をしてくれよ。人手不足なんだ」
「嫌なら辞めちまうよ。私もね、このままここにいても稼ぎは増えないし、そろそろ見切りをつけるか考えていたところなんだ。でも配達の仕事は結構気にいってるよ」
しばらく考えていたが、とうとうブットは折れた。
「分かったよ。実際そっちも人手が足りなくて、遅れ遅れになっている案件も多いんだ。喫緊では、タイカスト方面がたまってきている。今外に配達に行っている奴が戻ってきてからにしようと思ってたが、何ならやってくれるか?」
「良いよ。出発はいつだね」
「今から手配するから明日の正午だな」
「分かったよ」
そしてレクシアは宿に戻った。
宿に着くと宿の裏口を叩いて、女将を呼び出す。
「今日は早かったね。これが鍵だ」
女将が鍵を渡そうとしたところでレクシアは言った。
「長い間ありがとうね。配達屋の仕事で遠くに行くことになった。今晩で引き上げさせてもらうよ」
女将は驚いた顔をした。
「なんだい、急だねぇ。そういうことは早く言ってくれなくちゃ」
「仕事も急だったからね。仕方がないさ」
「だけど、そんな歳で町を出るのかい」
「年は食っているけど、丈夫なんでね。大丈夫さ」
「分かった。じゃあ、今日は店で喰っていきな。おごるよ」
レクシアは首を振る。
「止めてくれよ。また帰ってきたら寄らせてもらうさ」
「いいから入んなって」
レクシアは強引に中に入れられ、食事をごちそうになることになった。
「いいかい、今回は本当に金はいらないからね。今までしっかり馬の世話をやってくれたお礼だよ」
女将に言われたので、レクシアは仕方がなく、ごちそうになることにした。
立派な食事をすると、どうしてもルクスのことが気になってしまう。ルクスよりも良い食事をすることに罪悪感があるのだ。
どうせルクスは捨てるつもりなんだから。
もう一度自分に言い聞かせて食べるが、罪悪感はなくならない。そもそも常に繋がっているため、捨てているという感覚自体がない。いずれルミナが成長し、今のルクスと同じ歳になったら、魔法を解いて完全に自由にして上げようと思うが、それまでにはあと三年以上かかるだろう。
レクシアは久しぶりにお腹いっぱいに食べた。
夜、レクシアは馬の世話をしたあと、藁の上に寝転がった。
レクシアはつぶやく。
「困った」
もともと結界が破られたらすぐに逃げるつもりだったので、あの後そのままこの町を出ようかとも思っていた。しかし、キャロンたち三人がログやルクスと合流し、その会話を聞いたことで迷いが生じた。
ルクスの死体をそのまま死体として扱ってくれるのなら問題ない。後で回収できる。しかし・・・。
※※
「ふーん。変ね」
アクアがログを小屋に運び入れている間、ベアトリスはルクスの死体を確認していた。
「どうした?」
キャロンが聞く。
「キャロンはこの子の死体を見て変なところに気がつかない?」
キャロンはルクスの死体を触ったり魔法を使ったりしながら調べた。
「おかしいところはないな。完全に斬られて絶命している。当然だが回復魔法も効果は無かった」
するとベアトリスはルクスを触りながら言った。
「じゃあ、明日また聞くわね。どうせログが目を覚ますのは明日でしょ。明日この子の死体はどう変化するのかしら」
「悪趣味だな。まだ夜でも暖かいから、腐敗する危険があるぞ」
「とりあえず、しっかり縛っておきましょ。もしかしたら生き返って逃げちゃうかもしれないし」
※※
ベアトリスとキャロンの間でそんなやりとりがあった。
これでは心配で放っておけない。
レクシアの死体偽装はかなり完全なものだと自負している。ルミナの生命力も落としているので、普通なら気がつかないはずだ
レクシアはその日のうちに町を出ることを諦めて、配達屋の仕事と宿の宿泊を終わらせることにしたのである。
元々何も言わずに消えるのが心苦しいと思っていた。
考えてもどうすべきか分からないので、そのまま寝てしまった。
夜中。声が聞こえて目を覚ました。実際は自分の耳ではない。ルクスの耳だ。
「キャロンとアクアから話を聞いたけど、この子はログ宛ての手紙を持ってきていて、ログはその返事をこの子に預けなくてはならなかったのね」
独り言?
声はベアトリスのものだった。声を潜めているので、周りに知られないように話しているのだろう。しかし、なぜ?
「ログはなかなか手紙が書けなくて、さっき荷物を調べたけど、やっぱり返事は書いていなかったみたい」
ベアトリスは続ける。
「この子も仕事が途中のまま死んじゃって、きっと悔やんでいるでしょうね」
ルクスに話しかけているのか、誰かと話しているのか。それが分からない。
「明日、この子の代わりに、ちゃんと手紙を届けるわね。湖畔で待っていて」
そして声は聞こえなくなった。
※※
ログは朦朧としたまま目を覚ました。ログが頭を振りながら体を起こすと、部屋の床に寝ていたことが分かった。
日の光が入ってきている。朝のようだ。
ログは長い夢を見ていた。そのせいでどこまでが夢でどこからが現実なのか分からなくなる。
部屋はがらんどうだった。ログは立ち上がって、部屋を出た。小屋の中も何も残っていない。自分の荷物だけが置いてある。
ログは混乱した。
わからない。何が信実なのか。
ログは荷物を持って小屋を出た。
まだ日が昇ったばかりのようだった。そしてログは霧が晴れている事に気がついた。
ログはまた混乱する。あの霧すら夢だったのだろうか。記憶の整理が追いつかないまま歩いているといきなり背中を叩かれた。
「やっと目を覚ましたか」
ログが振り返るとそこにアクアがいた。
「アクア・・・」
「なにびっくりした顔しているんだよ」
「あ、ログが起きたの」
小屋の横からベアトリスも顔を出した。
「全部焼き終わったぞ。これでこの小屋も元通りだな」
最後にキャロンが出てきた。
小屋ががらんどうだったのは、三人で荷物の最終処分をしていたからである。そのせいでログは混乱してしまった。
「あの、僕は一体・・・」
「なんだよ。まだ寝ぼけているのか」
そう言われてもログはどこまでが現実なのか把握できない。
キャロンがログの前に来た。
「それより聞かせてくれ。なんでルクスを斬ったんだ」
ログは青ざめ、身をかがめた。
「おいおい、キャロン。もう少し優しい表現で聞けねぇのかよ」
アクアがあきれ顔で言う。
「仕方がないだろう。これだけは本人に聞かないとわからない」
ログはしばらく頭を下げて息を整えていた。
つまり夢なんて一つも無かった。全ては現実。
「じゃあ、アクアとベアトリスが行方不明だったのも現実だったんだ」
「何言っているんだ。おまえ」
ログのつぶやきをアクアが聞き取る。キャロンが言った。
「単なる事実だろ。あんたらが消えちまうから、私が出張らなくてはならなかったんだ。ログには心配に値しないと伝えたがな」
「少しは心配しろよ」
「そうよ。危機的状況よ。危機的状況」
「それがどうにも信じられなくてな」
三人は口々に言う。
「まぁ、そんなことはいい。とにかく説明しろ」
キャロンが言った。ログはビクンと震える。しかし観念したように、ログは記憶を整理しながら少しずつ語り出した。
「なるほど。わかってきたぞ」
ログが話しているところでキャロンが言った。ログは続けた。
「他に考えられなかった。ただ、今の攻撃を抜け出すためには目の前のものを斬るしか無いと思ってしまった。だから僕は、ルクスを・・・」
ログはそれ以上語れないようだった。
キャロンが感心したように言った。
「なるほど。あの霧にそんな効果があったというのか。それは想定外だ。ベアトリスを閉じ込めるためだけのものだと思っていたが」
アクアが不思議そうに言う。
「そもそもなんでベアトリスを閉じ込めたんだ。おまえ恨まれているのかよ」
するとベアトリスが不敵に笑った。
「そうね。恨みと言えるのかも。結界に使った石を見たけどね。なんというか、執念を感じたわ。一個一個だと、ほとんど魔力の効果を示さない。それを湖畔に蒔くことで、効果を発揮させる。私も何度も湖と町を行き来していたのにぜんぜん気がつかなかった」
「それは私も同じだ。あんたを閉じ込めておいている状態だったからやっと気づけただけで、そうじゃなければあんな石があるということにすら気がつかなかっただろう」
キャロンが続けると、ベアトリスは胸を張って言う。
「これはね。私への挑戦なのよ。多分今回の私たちの仕事と関係ないわ。たまたまなのかわからないけど、私を見つけたから、この大がかりな結界魔法を作ったんだと思う。そしてそれは成功したの。私は彼女の魔法に気がつくことができなくて、あっさり閉じ込められたんだから」
「彼女? おまえ、犯人がわかったのか」
突然の宣言にアクアが不思議そうに言う。
「まぁね。あの石に私への愛を感じたもの。でもログのことはわからない」
すると、キャロンが続ける。
「それは本人に聞くしかない。ログの見た幻覚が霧の結界の効果なのかどうか。ルクスが死んだのも偶然なのか意図的なものなのか」
「意図的?」
ログが反応した。ログの瞳に怒りが浮かんでいた。もし意図的にルクスを殺させたというのなら、ログは相手を許せそうにない。
「まぁ、可能性は低いか。聞いた感じだと、ルクスのその時の行動は事前に予測できたものではなさそうだしな。しかし、ルクスの今の状態は奇妙だ。何か魔法が使われているのは間違いない」
続くキャロンの言葉に、ログは驚いた。
キャロンは地面に置いてあった布に包まれたものを持ち上げた。
「この死体は時が止まっている」
「じゃあ、ルクスは!」
ログが期待を持って尋ねるが、キャロンは残酷に言った。
「死んでいる。失血死だ。それは間違いない。生命活動は一切止まっている。しかし死体だけがその状態で変化しない」
「どういうことなの」
ログが理解ができずに尋ねるが、キャロンは肩をすくめる。
「それは私にもわからない。ベアトリスはこの状態を解除できるようだが、解除すれば腐敗が始まる可能性もあるし、そもそもどんな魔法がかけられているのかがわからない」
「ベアトリスでもわからないの」
ログの問いに、ベアトリスは苦笑した。
「予想はできているけどね。ただ、私がいじるよりも、魔法をかけた人に預けた方が良さそうだと思ったのよ」
ログが考え込んだところで、アクアが呆れたように言う。
「つまり、犯人のところに行くって事でいいんだろ。とっとと行こうぜ」
そしてすぐに歩き出した。
「そうだな。私たちの仕事を遅らせたのだから、少しは懲らしめてやらないといけないだろうな」
キャロンがルクスの死体を抱えたまま後に続く。
「まぁまぁ、それほど被害を受けていないんだし、一番の被害者である私が怒っていないんだから、いきり立たないでよ」
なぜかベアトリスは機嫌が良い。
三人が歩き出したので、ログも彼女たちについていった。
昨日までの霧が嘘だったかのように晴れ渡っている。
四人は湖畔を無言で進んでいた。人の多い場所をすぎ、更に歩き続ける。
無言が退屈なのか、ベアトリスがつぶやいた。
「すごいわよね。この大きさの湖を全部魔力を込めた石で包もうとするなんて」
「石に与えられた魔力は小さいから、一つ一つを作る手間はそれほどでもないだろ。ただ、これだけの数を用意するとなると気が狂いそうになるな」
キャロンが言う。
「そうよ。それにそれをグレスタ湖全体に配置したのよ。この湖畔を何回も歩き続けたことになるわ」
ベアトリスは嬉しそうだ。
「暇だったんじゃねぇの」
アクアだけがつまらなそうに言った。
※※
レクシアは湖畔まで来ていた。
湖畔と言っても広い。レクシアが選んだのは周りに人がいなくなる山の麓の辺りだ。そこに椅子を置いて座る。
レクシアはいつも通り年老いたおばあさんに化けているが、今までとは少し違う。この街に始めてきたときのおばあさんに化けているのだ。
レクシアは三人のおばあさんに化けていた。一人目はルクスと旅をしているときに化けていたおばあさん。髪の白い、顔に瘤のあるおばあさんだ。他にも色々化けることはできるが、ルクスが混乱してしまうので、ルクスと一緒にいるときはその姿で過ごした。この街に入ってからは一度も使っていない。
二つ目は配達屋のおばあさん。これは元気に動き回るために、少し若い設定だ。しわだらけの顔だが、黒髪にしていた。皺以外は特に老けたようにもしていない。
三つ目は湖畔を歩き回るときのおばあさん。酒屋でアクアに姿を見られてしまったため、湖畔を歩き回るときは本当に年老いたあばただらけの老婆の姿になっていた。
一つ目のおばあさんは彼女たちと全く面識がない。だから、今回はその姿にした。ただ、配達屋の赤い服は着ている。この後、配達に行くつもりなのだ。横に置いてある灰色の袋の中には今朝受け取ったタイカスト行きの荷物が入っている。
レクシアは念のため、自分の周りに例の石を埋めておいた。あの、霧を発生させる石だ。いざというとき、目くらましに使えるかもしれない。
やがて三人の女性と一人の男が現れる。レクシアは緊張したが、それを顔に出さずにジッと湖を見続けていた。
四人の会話はルクスを通じて伝わってくる。
レクシアは霧を発生させて、周りを白く囲った。
「あれは?」
ログがキャロンに尋ねた。
「配達屋の格好だな。そうすると、あれがルクスに手紙を依頼した相手か。ルクスはおばあさんと言っていたからな。しかし、こんなところにいるのは不自然だな」
「あれが?」
四人はどんどんこちらに近づいてきている。レクシアはこれ以上近づいてきて欲しくないので、霧を濃くしていく。霧が彼女たちも包み始めた。
そのおかげで、先頭を歩くキャロンが立ち止まり、警戒を強めたようだ。
「やはりあれが今回の犯人か。この霧には魔力が入っているな」
私は動かない。ただ様子を見守る。
「ふーん。もしかして、あれが結界を作った奴か? 思ってたのと違うな。いい年こいて、よくあんなことできたな」
アクアがつぶやいた。
「ふーん。そっか。あれか。もう、誰も気がつかないのね」
ベアトリスだけが楽しそうだ。どうやら本当にベアトリスだけがレクシアのことに気づいているようだ。レクシアは逃げたくなった。脚が震えてくる。
キャロンはため息をついてベアトリスを見た。
「わかるわけはない。おまえの知り合いか? また男がらみで変な恨みを買っているんじゃないだろうな」
しかしベアトリスは気にせずキャロンに言った。
「でも、これ以上近づいたらさすがに逃げちゃうかも。ルクスをちょうだい」
「どうするつもりだ?」
それはレクシアも考えていたことだ。ベアトリスはルクスをどうするつもりなのだろう。
ベアトリスはキャロンからルクスを手渡されると、ルクスを地面に置き、布を解いて、ルクスの遺体をあらわにした。
ログが目を背けた。
見るからに痛々しいものだった。右肩から左脇までまっすぐに斬られている。血の気はなく蒼白。生前の面影はなかった。
我ながらよくできたと思う。ルクスに死体の振りをさせるのはこれで三回目だが、その間にもルクスを使って実験を繰り返していた。今回のはかなりの自信作だ。
「ログはどう思う」
ベアトリスはいとおしげにルクスの頬を撫でた。
「どうって・・・」
ログが言いよどんでいると、ベアトリスは笑みを浮かべて私に向かって大声で言った。
「ログからの手紙の返事は、よくわからない、みたいよ」
え? 昨日の手紙の返事ってそう言うこと?
顔を見ていないので分からないが、きっとベアトリスはこちらを見て笑っているのだろう。やっぱり昨日の夜の話はレクシアをここにおびき寄せるための方便だったようだ。なら、これ以上ここにいても仕方がない。
レクシアは立ち上がった。もちろん老婆として立ち上がっているので、のろのろとしていて腰も曲がったままだ。
ばれているのはベアトリスだけなのだから、何とかこのまま押し通して逃げようと考えた。恐らくベアトリスは見逃してくれる。そうじゃなければ、他の人にも私の正体を明かしたはずだからだ。
でもその前にレクシアはルクスを回収しなくてはいけない。
レクシアはベアトリスの方に手を伸ばした。
「攻撃か?」
キャロンが杖を構えて警戒する。でも、ベアトリスは手でそれを制した。
霧をルクスに流す。霧には魔力がたくさん詰まっている。ルクスの仮死状態はルクスの魔力切れを利用している。だから、ルクスに魔力を注ぎ込めば、ルクスは復活するのである。今まではルクスが外から魔力を吸収するのを阻害していたが、それを解除した。
霧はベアトリスの足下にあるルクスの体に吸い込まれていく。
アクアがあっけにとられて言った。
「どういうことだ」
ベアトリスがルクスを見て微笑んだ。
「私がルクスにいたずらしようとしたから、ちょっかいを出される前に終わらせようとしただけよ」
ルクスが身を起こした。
「なんだと」
キャロンが驚く。レクシアはキャロンをだまし続けられたことを少し誇りに思った。レクシアの魔法はキャロンに基礎を習ったものだ。師匠をあっと言わせた達成感がある。
ルクスは起き上がったが、見た目は死体のまんまだ。
「ルクス」
ログが急にルクスに近寄って抱きしめた。
「ごめん。ルクス。ずっとおまえと一緒にいるつもりだった。おまえを斬る気なんて無かったんだ。許してくれ。ルクス」
ログが泣きながら謝罪する。うまくだませたと思いながら、レクシアは少しいらだった。
たった数日しかいなかったルクスにはあんなに涙を流すのに、ルミナにはまるで愛情をかけてくれなかった。それが自分勝手に写る。
アクアが眉を寄せた。
「なんだこりゃ。死体を動かす魔法か」
キャロンは考えながら言う。
「現在伝わっていない魔法に死霊系と呼ばれるものがあるが・・・」
レクシアはそろそろ終わりにしようと思った。ルクスを完全に覚醒させる。
「痛いよ。お兄ちゃん」
「うわっ」
ルクスが言うと、ログは驚いて転び、尻餅をつく。
ログが見上げる中、ルクスの体に急にヒビが入り始めた。
ルクスの体がヒビだらけになり、とうとう砕けて散った。そして中から、裸の幼児が現れた。女の子だった。ルクスと同じ黄色い髪の幼女だ。
レクシアも久しぶりに本当のルミナに出会った。
もともとルクスの体を一旦完全に壊してしまう必要があると感じていた。自分の体を変化させる場合は、壊しては作り直すと言うことができるが、ルクスの場合は魔法の重ね掛けを続けているので、だんだん古い部分の魔法が変形の妨げになっていた。今回レクシアの姿に変形させた後、死体に擬態させたので、今まで以上に負荷がかかってしまっている。もう一度ルクスに戻すにしても、今のまま重ね掛けするのは良くないと感じていた。
ルミナは不思議そうな顔でログを見ていたが、きょろきょろと周りを見て、やっと老婆の姿のレクシアに気がついた。
ルミナは笑顔で叫んだ。
「あ、ママぁ」
久しぶりにルミナに呼ばれてちょっと嬉しかった。捨てようとしたのにまだママと呼んでくれるみたいだ。
ルミナが走ってきてレクシアの胸に飛び込んだ。レクシアはルミナを抱き上げると、ベアトリスたちに背中を向けて去って行った。
※※
あっけにとられているのはログだけではなかった。
「おい、ベアトリス。説明しろ。あんたはわかっていたんだろ」
キャロンが少し怒り口調でベアトリスに言った。
「そうだよ。なんなんだよあれは。しかもママ? あんなばばぁがか」
アクアも言う。
「まぁまぁ、落ち着いて」
そしてベアトリスはログの手をつかんで立たせた。
「ねぇ、ログ。あなたはあの女の子のことを知っている?」
ベアトリスはログに尋ねた。
ログはあの幼女を知らない。だがこれまでのことを思い返せば分かってくる。「三歳」と書かれた手紙の意味。ログはルミナが一歳の誕生日に家を出た。そのルミナが走っていった明るい栗色の髪の幼女に重なる。
ログは小さくうなずいた。
ベアトリスがキャロンとアクアに答えた。
「つまり、彼女は二種類の魔法を使っていた。一つはキャロンが見つけてくれた小石を使った霧の結界魔法。これは多分私に対する挑戦ね。私に魔法で挑みたかったということでしょう。もう一つがさっきのルクス。ルクスは初めから魔法で作られた存在よ」
「魔法で作った? そんなことが可能か」
アクアが言う。ベアトリスが答えた。
「私も知らない魔法よ。オリジナルなんでしょう。ほら、以前竜を退治したでしょ。死んだ竜は骨以外は何も残さずに消えた。つまり魔力で肉体を作っていたって事なのよ。多分あの女の子を素体に魔力を乗せて肉体にしたんだと思う。でも、あれだけスムーズに動けるようになっているということは、かなり前からルクスの体で過ごしていたんでしょう。きっとそれだけじゃなくて、意識にも影響を与えている。あの子は見た感じ三歳くらいだったけど、ルクスは六歳くらいだった。キャロンはそれでも違和感なく話していたんでしょうから」
「そうだな。しかし目的がわからん」
キャロンが言う。
「私たちは関係ないわよ。だってもともとルクスはログに用があって会いに来たんでしょ。初めからログ一人を狙い撃ちよ。目的はログしか分からない」
「で、結局あいつは誰なんだ。あんなばばぁ、知らねぇぞ」
アクアが言った。
「自分の肉体の上にも魔力で肉体を盛っていたのよ。あのままの姿じゃないわ。キャロンにも気づかれないなんて、かなり気合いの入った魔法ね」
「なるほど。もしかすると、彼奴か。まぁ、私はそれほど面識があるわけではないから、思い出すのは無理だろう」
ベアトリスは嬉しそうに笑った。
「またいつか、会ったときに、今回の評価をして上げるわ。きっと、ものすごい美少女に育っていてくれているだろうし、楽しみ」
アクアがのびをした。
「まぁ、良いか。私たちには関係の無い事って訳だ。そろそろ仕事も終わらせようぜ」
「青い鉱石があと少しだ。ベアトリスがサボっていたせいで遅れてる」
キャロンが言った。
「もう十分採れているわよ。引き上げていないだけ」
三人の会話にログだけはついて行ってなかった。ただレクシアの消えた方向を見ている。
そんなログにアクアが気がついた。
「で、おまえはどうするんだよ」
ログは驚いてアクアを見る。そして一度深呼吸してから応えた。
「さっきの人と話をしてきます。じゃないと、先に進めない」
「ふーん、ま、好きにしろ」
アクアが言って歩き出した。キャロンはとうに歩き出している。ベアトリスがログに近づいてきて耳元で言った。
「もし彼女に会ったら今度は私から捕まえに行くと伝えておいてね。今回の魔法についてじっくり聞かせてもらうから。何しろあの子は私の弟子なんだし」
そして二人を追っていく。
「ベアトリス、青い鉱石を拾ってこい。アクアも手伝え。私はモンテスのところに行っている。急げよ。サボるんじゃないぞ」
ログはしばらく三人を見送っていたが、やがてレクシアが消えた方向に走っていった。




