(19)レクシアの過去4
私は朝、お兄ちゃんがいないことに気がついた。昨日の夜に出て行ってから帰ってきていないみたいだ。
だけど心配してはいない。お兄ちゃんにはプリックさんがいるし、他にも友達がたくさんいる。私と違ってこの家に帰ってこなくても帰る場所はたくさんある。
一通り朝の作業を終えてから、私は修行に入る。
もう時間は無かった。私は魔法を使えるようにならないといけない。お母さんに教わった呪文は何度唱えても、全然発動しない。ひとまず、他のやり方を考えないといけない。
他のやり方で思いつくのはキャロンさんに教わった呪文を作るという方法。あの中でキャロンさんはどのような魔法を作るかをイメージすることが重要だと言っていた。具体的な魔法のイメージができれば、呪文は頭に浮かぶと。
私は呪文作りに没頭した。
それから二日が経った。
さすがに私は違和感を感じていた。お兄ちゃんが帰ってこない。食料の差し入れもない。備蓄があるので、すぐに困ることはないけど、これだけ家を空けるのはちょっとおかしい。
私がそれでも修行をしていると、いきなり扉が強く叩かれた。
一瞬お兄ちゃんかと思ったけど、お兄ちゃんならこんな叩き方はしない。
「どちら様ですか」
私は慎重に扉を開けた。
扉の前にいたのは鬼のような形相をした、プリックさんだった。
少しだけ開いた扉を掴んで大きく開き、勝手に家の中に入ってきた。私は思わず家の中に逃げ込む。
「ログをどこに隠したのよ! 早く出しなさいよ!」
プリックさんは言って、どんどん家の中に入ってくると、部屋を荒らし始めた。
「や、やめて」
私が、プリックさんを止めようとしたら、プリックさんは私をにらみつけて、拳で顔を殴った。
まさかそんなことされるなんて思わなかった。倒れそうになる私の服を掴んで立ち上がらせると、更にプリックさんは私を殴った。
「ログを出しなさいよ! ログを独り占めにしてどうするつもり。いい加減私たちの邪魔をするのは止めて!」
抵抗しなくてはいけないと思いながらも、私自身混乱して何もできない。
「何の・・・」
プリックさんは倒れる私のお腹に座って、何度も私の顔をびんたした。
「ちょっと顔が良いからって、いい気になって。実の兄も誘惑するの! ふざけないで、ログは、ログは私の旦那様になるの!」
プリックさんは私の顔を掌で叩きつける。でも、このままでいられるほど私は大人しくない。
冷静になった私は、痛みをこらえて、体をひねり、彼女を転ばせる。そして彼女から逃げ出して、距離をとった。
顔が痛くてたまらない。ルクスも大声で泣いているし、本当に修羅場みたいになっている。私はプリックさんから離れたところで立ち上がって、身構えた。
プリックさんは体を起こしたけど、座り込んだまま大声で泣き出した。
「ログー、ログー、どこなの、早く私のところに帰ってきてー!」
やっと私はわかった。お兄ちゃんは逃げたんだ。私も、ルクスも、そして、婚約者であるプリックさんも捨てて逃げた。
それは決して許されることじゃない。
私は元々お兄ちゃんを当てにしていなかった。それでも、プリックさんと結婚するなら、ある程度時間は稼げると思っていた。その間に、どうにかして自分とルミナで生きる時間を作ろうとしていた。
でも、お兄ちゃんはプリックさんすら捨てて、出奔した。
私は村を出るのに、慎重に準備しなくてはいけないのに、お兄ちゃんはあっさり村を捨ててしまった。
いきなり剣の練習をしていたのも、きっと村から逃げることを想定していたからだろう。戦士の修行をしていたお兄ちゃんなら、ルミナの面倒なんて見なくてすむお兄ちゃんなら、いつでも村を捨てられる。村を出奔する前に、自分に惚れている女に手をつけることも平気でできる。
初めから、私たちの事なんて全く考えていなかった。自分がやりたいように生きることしか考えていなかった。
殺してやりたい。
プリックさんは泣いている。暴力を振るわれてすごくむかつくけど、それよりもお兄ちゃんを恨む気持ちの方が強い。手を出したなら、最後まで面倒を見れば良いのに。いや、私に対しても同じだ。手を出したクセに、子供ができたら知らん顔だ。最低だ。あんな男、生きる価値もない。
プリックさんはお兄ちゃんの名前を叫びながら泣き続けていた。胸が苦しくなる。でも、暴力を振るわれたのは私だ。優しくなんてできない。
「私、お兄ちゃんがどこにいるのか知りません。二日前から一度も帰ってきていません」
私はプリックさんに告げる。
「あんたが、なんかしたんでしょ!」
プリックさんは私を殺す勢いでにらんで言った。でも立ち上がることはできないようだ。
「知りません。言いがかりをつけないで」
プリックさんはつらいのかもしれないけど、私よりまし。私は淫売扱いなんだから。
「返してよぉ・・・、ログを返してよぉ」
プリックさんは地面に手をつけて泣いてしまった。これ以上居着かれても困る。人も集まってくるだろうし。
「早く出て行って。私はお兄ちゃんの事なんて何も知らない。自分勝手に逃げた奴なんて兄でも何でもない。どうでもいいから早く出ていって」
私は意図的に大声で叫んだ。
正直顔が痛い。本気で殴られた事なんて初めてだ。殴られたところが熱くなっている。
プリックさんはのろのろと立ち上がって、何も言わずに家から出て行った。
困ったことになった。
お兄ちゃんがいないのなら、ここを立て替える話も消えるだろう。だからといって、私がここに住み続けられるということもない。お兄ちゃんのしでかしたことであっても、私は村長一家から恨みを買ったことになる。
ぎりぎりまで閉じこもって、粘るしかない。だけどもう食料もあまり残っていないから長くは籠もれそうにない。
私は部屋も片付けずに、家中の鍵をかけて、考えた。
今こそ魔法を使うときだ。
どんな魔法が使えれば良いのか。何か当分ここから追い出されなくなるような方法を考えないと。
殴られた場所がひりひりと痛んできて、私は思いついた。そして私はイメージを練り始めた。
魔法を作るには正確なイメージが必要だと言われた。今回の魔法なら正確にイメージしやすい。イメージができれば、呪文がなくても魔法は発現させられる。ただ、魔力を喰うので私に向かないだけ。イメージが正確なら呪文は頭に浮かぶと言われたので、それを信じて頑張ろう。
一日中魔法を考えて、実行した。
途中何度かルミナに食事を上げたり、寝かしつけたりしないといけなかったけど、できるだけ魔法を作ろうとした。
無理矢理魔法を行使しようとしているから、魔法が発動せずに魔力切れで気を失った。でも鍵をかけているから家の中なら安全だ。何度倒れてもいい。魔力は空気中から吸うことができると教わっている。気がついたらすぐに魔力吸収に意識を向け、そしてイメージ通りの魔法を使う。
一日経っても、二日経っても魔法が発動した気配は感じられなかった。呪文も頭に浮かばない。だからどうしても魔力切れを起こしてしまう。早く呪文が浮かばないかと思ってあせっても何の言葉も浮かばなかった。キャロンさんに騙されたんじゃないかと思う。
魔力切れが嫌で、魔力吸収を意識しながら魔法を使うように心がけた。それでも魔力量の少ない私は魔力を使い果たして何度か倒れた。
三日目。とうとう食糧が尽きる。ルミナを最優先にしているので、私はほとんど食事をしていない。
それでも私は魔法を使う。食料のことは夜に考えよう。少しルミナに我慢させてしまうことになるが、夜になったら家を出て、何か食料を探しに行こう。野菜屑を捨ててあるところは分かっている。本当はそれも泥棒だからやってはいけないのだけど、捨てるものくらいなら盗んでも大丈夫だろう。
昼になって、扉を叩く音がした。
今まで誰も尋ねてこなかった。もしかしたら気絶している間に誰か来たのかもしれないけど、それは分からない。
私は立ち上がって扉の方に行く。魔法を使っているのと、栄養不足で体がふらつく。
「誰」
「プリックよ。謝りに来たの。お父さんとお母さんも一緒。ねぇ、開けて」
どういうことなのか分からない。でも、食料も切れたし好都合でもある。魔法ができているかの確認にもなる。魔力切れが起きないように、できるだけ魔力を吸収することを意識しながら私は扉の鍵を開けた。
「よかった。昨日来たんだけど、開けてくれなかったから、お父さんたちにも来てもらった・・・、きゃー!!」
扉を開けて入ってこようとしたプリックさんは私の顔を見て悲鳴を上げた。
私はそのまま外に出て行く。
「嘘、嘘よ」
「プリック、何が・・・、レクシア、どうした、その顔は!」
「大変、治療しないと。薬、薬」
村長が叫んで、村長の奥さんが走って家に戻っていく。
うまくいったようだ。
殴られた私の顔は腫れて大きくなり、青色に鬱血したままになっている。両目の下辺りとあご、そして額。かなり痛々しい状態のままになっている。
実際にはもう腫れは引いている。多少まだ赤く瘤のようになっているところもあるけど、そのうち治ると思う。私は殴られたことを利用して、魔法で醜い顔になろうとした。
プリックさんは私から目をそらして泣いている。
「どうして、どうして」
「何があったんだ。レクシア」
「なにもないです。いつの間にか腫れていました」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
「家に行こう。治療しなくては」
私は村長に手を引かれる。抵抗しようとして、私は脚がふらついて膝をついてしまった。
「ルミナを置いてはいけない。食事をさせないと」
「レクシア!」
膝から崩れた私に驚いて、プリックさんが私の肩を抱いて立たせようとした。
ああ、魔力の消費がつらい。意識を失ったら、せっかくの魔法が解けてしまう。私は更に頑張って魔力吸収に努めた。この三日でもう大分長い間使い続けられるようになってきている。呪文無しの魔法にしては健闘しているのではないだろうか。
「大丈夫。ねぇ、食事はしているの」
そういえば、食事もしていないから、顔もかなりこけていることだろう。こけた顔で腫ればかり大きければ、異様な顔立ちになっているに違いない。
「ルミナには、朝食べさせたから」
「ルミナじゃなくて、あなたでしょ! 早く、私の家に行きましょう」
「ルミナを置いてはいけない」
「じゃあ、私がルミナを連れて行くから」
「ルミナは誰にも抱かせない。何されるか分からない」
私は何とかプリックさんを押し返す。これは魔力の消費だけでは無い。栄養不足がかなり来ている。ずっと座って修行をしているから気がつかなかったけど、どうやら私は本当にまずい状態のようだ。立っているだけでふらついてくる。
そして家に戻ろうとした。
「ちょっと、ダメよ」
プリックさんは私の肩を抱いて一緒に家に入ってくる。あらがう力は無かった。今なら襲われても抵抗できない。
村長と二人になることだけは避けたいと思う。
「座って」
プリックさんは私を椅子に座らせた。
私は顔を上げてプリックさんと勝手に家に入ってきた村長を見た。
プリックさんは私の顔を見て泣き出した。
「ごめんなさい。ごめんなさい、レクシア。私のせいだ」
その時、村長の奥さんが戻ってくる。私は少しほっとする。この中で一番信用できるのは村長の奥さんだ。
村長の奥さんはすぐに私の側に来た。何か塗り薬を持ってきている。
「痛いかもしれないけど、ちょっと見せて」
ここからが勝負だ。私のイメージが正確なら、多分ばれないはず。でももしも私のイメージが中途半端なら、違和感を感じさせるだろう。自分でも何度か触って確かめたので、大丈夫だとは思う。
村長の奥さんは優しく私の腫れているところに塗り薬を塗ってくれる。
左右の頬の上、あごの辺り、額。
「こんなに腫れて。ぶつけたのならすぐに治療しないとダメじゃない。可愛い顔がもったいないでしょ」
触っても普通の肌だと感じてくれている。魔法はうまくいっている。
「薬はないし、ルミナを放っておけないから外にも出られない。もうお兄ちゃんは帰ってこないみたいだし」
村長の奥さんは優しく私の頬を触った。
「だから家から出なかったの。早く言ってくれればよかったのに」
そしてただ立ちすくんでいる村長に言った。
「あなた、台所から何でも良いから食べられるものを持ってきて。できるだけたくさん」
「あ、ああ、分かった」
そして村長は家から出て行った。
「ちょっと。お鍋借りるわよ。ほら、プリックも手伝いなさい」
村長の奥さんは私から離れた。プリックさんも立ち上がった。
「お母さん。レクシアの怪我は・・・」
「転んだだけです」
私はプリックさんの言葉を遮る。
正直なところ、あまりプリックさんを追い詰めてしまいたくない。そもそもこの腫れは嘘である。騙しているのが申し訳ない。
プリックさんは私を見るけど、私は目をそらして立ち上がった。
「座っていなさい。安静にしていた方がいいわ」
村長の奥さんはそう言ってくれる。
「痛みはもうありません。ちょっと貧血気味で倒れただけです」
私はルミナを見に行った。
その時村長が入ってきた。
「これで足りるかな」
村長は箱にいっぱいの野菜や果物を持ってきてくれた。
村長の奥さんが料理を作ってくれる横で、私は野菜を分けてもらって離乳食を作る。村長の奥さんは休んでいなさいと何度も言うのだけど、別に私は病気というわけじゃない。魔力の消費と空腹でそう見えるだけだ。
「レクシアは頑固ね。でも、上手になったわね」
私が手際よく離乳食を作るのを見ながら村長の奥さんは言った。
料理を作り終えると、村長の奥さんは私に優しく言った。
「これからはもっと色々と話してちょうだい。自分で抱え込まないでね」
「ありがとうございます」
そして村長一家は帰っていった。
村長一家がいなくなってから私はやっと、息をつく。
魔法を解除して、鏡で顔の状態を見る。すっかり腫れは引いていて、元の顔だ。でも今後いつ見られるか分からないから、あの醜くなる魔法を一日中続けていられるくらいになりたい。そのためには何とか呪文を使えないといけないのに、この醜くなる魔法の呪文はまったく浮かんでこない。困ってしまう。
とりあえず、村長たちを追い返すのには成功した。この顔が元に戻らなければ、すぐにこの家を追い出されるということはないだろう。更に、村長に襲われるリスクも下がった。村長は私の顔を見てかなり幻滅していたみたいだから。
それから数日家の中で過ごし、村長の持ってきてくれた食材も底をつきそうになったので、私は家の外に出ることにした。
醜い顔のアピールをしなくてはいけない。もうかなり長い時間この顔で過ごしていても魔力の消費はしなくなってきた。
醜い顔になった私を見て、村の人たちの態度は大きく変わった。特に大きいのは男たちが私を性的な目で見なくなったことだ。私はそれがとても快適だと初めて感じた。今までこんなにもいやらしい目で見られていたんだと実感した。
女の子たちや大人たちは私を同情の目で見てくれて、何かと手を焼いてくれようとした。
掌を返すとはこのことだろう。顔が醜くなればこんなに優しくできるものなのだろうか。特にプリックさんはかいがいしく私に声をかけてくれる。それはそれでうっとうしい。
私はいつか村を出ると決めているので、お兄ちゃんのように村の手伝いをして食料を得るつもりはなかった。山に入って草や木の実を集めたり、捨てる野菜などを見つけて交渉し、もらったりした。親切な人はちゃんとしたものを私に渡そうとするのだけど、私は頑固に断った。貸しなんて作りたくない。
「おかしいわ。どうしてこんなに腫れが引かないのかしら。大きな町のお医者さんに見てもらった方がいいんじゃないかしら」
数日して、村長の奥さんが私の様子を見に来て言った。
確かに腫れっぱなしの顔は不自然だ。気がつかなかった。
「私は気にしていませんし、お金もありませんから」
「そう。でも、これ以上様子見ても変わらないようなら、グレスタに行きましょうか」
「大丈夫です。ありがとうございます」
その夜。私は鏡を見ながら考えた。醜い顔のままにするためには工夫が必要だ。
鏡を見ながらイメージを作り上げていく。もっと早くからやっておけばよかった。同じ顔じゃないと不自然だと思い込んでいたから、顔の形をずっと変えていなかった。それではダメだ。不自然にならない程度に醜くしていかないと。
私は醜くなる魔法をもっと使いこなすための訓練を続けた。
醜くなる魔法の呪文は結局見つけられなかったけど、かなり使いこなせるようにはなった。今の私の顔は腫れは引いたものの、少し瘤が残り、ニキビやそばかすが多い。肌の色も黒っぽい。違和感がない程度に工夫しながら、できるだけ醜く見えるようにした。
魔力の消費も軽減し、一日中使っていてもほとんど消費がなかった。外から吸収する魔力と均衡しているようだ。
色々挑戦してみると、顔だけじゃなく、手のしわをふやしたり、髪の色をまだらにしたりと、色々醜くできることが分かった。




