(17)レクシアの過去2
子供との生活は苦労続きだ。夜中に泣き出すし、お乳も吐くし。でも、この子のためには泣き言を言っていられない。
近所のおばさんたちも助けてくれた。子供に罪はないものね、なんて言われるのがかなりつらかったけど。
お兄ちゃんはそれまで以上に私たちから距離を置こうとした。でもそれは困る。私一人では結構手に余る。せめて私が料理を作っている間は見ていて欲しいし、もっとルミナにかまってあげて欲しい。
でもルミナもお兄ちゃんに抱かれるとすぐ泣いてしまう。そうするとお兄ちゃんはルミナを降ろしてしまう。そんなんだからルミナが慣れてくれないのに。
だから私はいつもお兄ちゃんに強く当たっていた。
体は安まらないし、心も落ち着かないけれど、私は子育てを頑張った。おばさんたちも褒めてくれた。もう立派な母親だね、なんて言われる。十二歳の私にはちょっと違和感を感じてしまう。私はまだ誰が見たって子供なんだから。
数ヶ月したらまた状況が変わった。
手伝いに来てくれるおばさんたちもそう頻繁には来なくなった。困ったときは呼ぶように言ってくれた。特に村長の奥さんは私にかいがいしく世話を焼いてくれた。
ただ、私はこの人がちょっと苦手だ。やたらと噂話が好きなのだ。おかげで、この村の知りたくない人間関係もたくさん学んでしまった。
今までは子供同士だけのコミュニティだったから、そんな情報は入ってこなかった。いきなり大人の集団に入れられてしまった感覚だ。
お兄ちゃんも帰りが遅くなった。畑仕事の手伝いが忙しくなったのかと思っていたら、どうやら村長の娘さんのプリックさんとつきあい始めたようだ。
私の気持ちは複雑。お兄ちゃんがもう私を女としてみていないことはわかっていたし、私もそれでいいと思っていた。でもまだルミナが生まれたばかりだというのに、私を置いて他の女とつきあい始めようとしているのが、どうにももやもやする。
私もプリックさんは良く知っているけれど、そこまで仲良かったわけではない。ちょっと年上なので、あまり一緒に遊ばなかったと言うのもあるし、一緒にいてもそれほど声をかけられなかった気がする。
みんなで話していても、レクシアは可愛いから良いわね、と言われるのがちょっと嫌だった。まぁ、他の子も私のことをはやし立てるから、プリックさんだけではないのだけど。
私は一人で子育てすることが増えた。あまり自分の時間はとれないけれど、少しでも空いた時間には服を作るようにしていた。私も頑張らないと生活していけない。
そんなある日、私の家に村長が尋ねてきた。
「やぁ、元気かい。差し入れを持ってきたよ」
村長は隣だから、よく顔を見かける。でも、私の家に来るのは奥さんの方で村長が来るのは珍しかった。
「ありがとうございます」
「中に入っていいかね。ルミナに私も会いたいんだ」
正直言って、私は男の人と二人きりになるのは嫌だった。でも相手は顔見知りだし、ルミナを持ち出されると私も断れない。
「はい、でも今寝ているところで」
私は村長を家に入れた。ここは元々納屋だったので一部屋しかない。
私は村長にお茶を出して、椅子に座った。村長はルミナを見に来たと言いながら、初めに顔を見ただけで、あとは興味がなさそうだ。私に、日々のことや悩みとか、苦労しているところとかを聞いてくる。
悩みも苦労もたくさんある。でも、村長に言うのは違う気がしたから、私は特に問題がないとだけ答えていた。
そのうち、話し声に気がついたのかルミナが泣き出した。私はすぐに抱き上げてあやしてみる。でも、どうやらルミナはお腹が空いたようだった。どうしても泣き止みそうにないので、私は村長に断って背中を向けると、乳房を出して授乳した。
こういう事していると、本当に自分が母親なのだと実感する。何とかルミナが泣き止んだので、私はルミナを寝かしつけた。
その時、私の肩を村長が掴んだ。
「レクシア。一人で子育てなんて大変だろう。私が世話をしてやっても良いんだよ」
そして村長は私を無理矢理振り向かせると、服をたくし上げて胸をあらわにさせた。
「い、嫌!」
私は暴れて、村長から離れる。
でも村長は今までの温和な表情から、まるで獣のような形相に変わっていた。
「安心して良いよ。悪いようにはしない。どうせ、この先もう結婚なんてできないだろ。傷物なんだから。私が慰めてあげるよ」
気持ち悪かった。
「絶対、嫌!」
私は大声を上げる。村長は私を押さえつけようとしてきた。私は押し倒されないように抵抗する。
「どうせ男を誘って抱かれたんだろう。この、淫婦が」
「やめて!」
その時ルミナが目を覚まし、大声で泣き出した。
村長がルミナの声に驚いた隙に、私は村長の腕から離れて逃げた。
村長は泣くルミナと私を見ていたけど、やがてまた最初の温厚な顔に戻った。
「なに、冗談だよ。冗談。でも、何か困ったことがあったら何でも相談してくれ。絶対悪いようにはしないよ。面倒を見てやろう」
そして村長はそそくさと家を出て行った。
私は村長がいなくなった途端に、力が抜けてその場に崩れ落ちた。私は泣いているルミナをあやすこともできなかった。
夜、遅くになって、お兄ちゃんが帰ってきた。
もうルミナは寝かしつけてある。きっとまた夜中に起きるだろうけど。
私はお兄ちゃんに言った。
「なにか食べる?」
「大丈夫」
お兄ちゃんは簡単に答えて持ってきた野菜を台所にしまった。きっとプリックさんと一緒に何か食べてきたのだと思う。
お兄ちゃんは水を汲んでテーブルに座った。そして息をつく。
私は悩んでいる。お兄ちゃんに聞いて欲しい。私が村長に何をされそうになったのか。
「何かあったの?」
私の様子がいつもと違いすぎたんだと思う。珍しくお兄ちゃんは私に話しかけた。私はお兄ちゃんの前の椅子に座る。
「私が体を売ったら、お兄ちゃんは怒る?」
私はいきなり尋ねた。村長の要求はそう言うことだ。よくしてやるから私の体を差し出せと。
「どういうこと」
お兄ちゃんは面をくらったようだ。私は続ける。
「ある人に言い寄られたのよ。もう結婚はできないだろうって、面倒見てやってもいいって言われた」
「誰だ、そんなことを言うのは!」
お兄ちゃんが怒った。それが少し嬉しかった。でも、夜中に大声はまずい。
「声が大きい」
お兄ちゃんは黙る。私は続けた。
「もう断ったから、相手のことは言わないでおく。でも、きっとこれからも同じ事が起こるんだろうなって思う。私はもう使い古しの女だから、遊び相手として丁度良いってことなんだよね」
きっとこれが現実だ。私はこれからもいろいろな男たちから好奇の目で見られる。それは愛情ではない。ヤレる女としてだ。
お兄ちゃんは無言だった。
私は寂しかった。他の男たちが信用できない。お兄ちゃんがずっと私を守ってくれれば良いのに。
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはもう私を抱いてくれないの?」
私はそう言っていた。別にお兄ちゃんを男としてみたかったわけじゃない。ただ、まだ一年前のあの時の方が幸せだったように思えたから。
でも、私は幻滅した。お兄ちゃんの顔は私を拒絶していた。その目はまるで見知らぬ人を見るかのようだ。
私の心は一気に冷めていった。
「やっぱりお兄ちゃんはもう私のものじゃないんだね」
私はそうつぶやく。わかりきっていたこと。お兄ちゃんにとって私は妹であり、恋人ではない。でも、今は誰かを頼りたかった。そうじゃないと、村長に襲われそうになったときの恐怖がよみがえってくる。
「僕らは兄妹だ。だから助け合わなくちゃ」
お兄ちゃんはやはり私を妹だという。もうこれからも私たちはずっとそれ以上の関係にはならない。それは正しいことだとわかっているけど、今だけはつらい。
「でもずっと、二人でいられるわけじゃないよね。お兄ちゃん、プリックさんと仲がいいんでしょ」
私は妹に過ぎないから、大切にされることはない。お兄ちゃんはプリックさんと結婚して幸せになる。私だけが置き去りになる。
「プリックとはそういう関係じゃないよ」
「プリックさんはお兄ちゃんとそういう関係になりたいと思っているよ。私を見る目が怖いもん。私がお兄ちゃんを独り占めにしているのが嫌みたい」
プリックさんは最近お兄ちゃんを迎えに来ることが増えた。その時の私を見る目がとても嫌だった。昔とは違う、嫉妬する女の目という感じだ。まさか私とお兄ちゃんの関係を知られたとは思わないけど。
「とにかく、僕はレクシアに体を売って欲しいなんて思っていない」
「私、寂しい。同年代の人の友達なんて一人もいなくなっちゃった。きっとこれからは体目当てで来る人ばっかりになっちゃう。お兄ちゃん、もう一度だけでも・・・」
「レクシア。僕たちは兄妹だ」
私は訴えたけど、お兄ちゃんは席を立って寝床に行った。
一人でずっと椅子に座っていたら、頭に登っていた血が下がってきた。私は無茶を言っている。お兄ちゃんと別に恋人関係に戻りたいわけじゃない。ただ、プリックさんにお兄ちゃんが奪われて、私が一人きりになるのが怖い。だから、体で止めようとしている。それが分かって私は恥ずかしくなった。
「ルミナは私が守らないと」
私も寝床に向かった。
プリックさんとお兄ちゃんの交際は順調に進んでいるようだった。
プリックさんが私を見ても、昔のように怖い顔で見なくなったから分かる。きっとお兄ちゃんとプリックさんは男と女の関係になったんだ。
村長はあれからも尋ねてきたけど、私は決して家の中に入れなかった。私が冷たくあしらっていると、仕方がなく村長は帰っていく。
「ねぇ、レクシア。今夜村長の家に行かないか。食事に呼ばれているんだ」
いつもより早く帰ってきたお兄ちゃんが私に言った。
「ルミナがいるから、私は行かない」
私がはっきり言うと、お兄ちゃんは少し残念な顔をしていた。
それから三日後、また村長が家に押しかけてきた。私は扉の外でしっかり身構えて対応する。今回は他に一人近所のおじさんがいる。
男が二人いるのは余計に怖い。
「中に入れてくれないかね。重要な話なんだ」
「男の人と一緒に部屋にいるのは怖いので」
私は前回のことを当てつけて冷静に言った。実際に私が男に襲われて子供を孕んでしまったのなら、男たちとは距離を置いたと思う。たまたま相手がお兄ちゃんだったから、そこまで傷を受けずにすんだ。
「いやいや、本当に重要な話だよ。ログにも話は通してある」
私は動揺する。お兄ちゃんが何を村長に言ったのだろう。
「分かりました。ちょっと待っていてください」
私は家に戻ると、裏口や窓を全開にして、すぐに締まらないように固定した。ルミナが何事かとこちらを見ていた。私はそれを見て、ルミナを真ん中に置くことにした。もし襲われそうになったら、ルミナを盾にして逃げる。
それから私は村長と取り巻きの男を家に入れた。
村長は部屋中がオープンになった家に入り少し驚いていた。
「いやいや。これじゃ、寒いだろう」
「いつでも逃げられるようにしておきたいので」
私はにらみつけるように言った。
村長の顔つきが怖くなった。
私は二人に椅子を勧めた。二人が椅子に座っても、私はお茶一つ出さないし、座りもしない。ただ、立って二人を見ていた。
「落ち着かないだろう。レクシアも座ってよく聞いてくれ」
「私は立ったままで構いません」
目の前にルミナが置いてあるのも気になるだろう。でも私はこの配置を変える気は無い。二人の男相手に私がどんなに抵抗しても敵わない。何かされそうになったら逃げるしかない。
「まったく」
村長はため息をつく。
「レクシア。村長は君にいい話を持ってきたんだ。そんなに警戒しなくても良いんじゃないか」
着いてきた男が言った。
「私がどんな目に遭ったのかを知っているなら、私が男の人を警戒する理由は分かると思います」
私はあえて襲われたという噂に乗る。以前男を誘ったとか、淫婦とか言われたのが気に入らない。でも私はそういう風に見られているみたいだ。
「そのままだと、いつまでたっても乗り越えられないよ。だから、レクシアはもっといろいろな人と打ち解けなくちゃ」
親切そうにその男は言う。
「まぁ、良いよ。さっそく本題に入ろう」
村長が口を挟んだ。
「話というのは他でもない。これからの話だよ。まだここだけの話しにしておいて欲しいのだけど、近いうち、娘とログ君は結婚する。ログ君はこの村の恩人でもあるランディ殿の息子だし、とても前向きで信用できる男だ。娘もログ君を気に入っている。私は二人を祝福するつもりだ」
もうそこまで話は進んでいるのか。
それが私の感想。村長が怪訝な顔をした。
「聞いていないのかね?」
お兄ちゃんからはそんなこと一言も聞いていない。
「話を続けてください」
私は言った。
「ふむ。ログ君には私から家をプレゼントしようと思う。この家はそもそも君たちのために納屋を改装して作ったものだから、ここにちゃんとした家を作ろうと思ってね。うちとも隣同士だし、丁度良いと思っているよ」
つまり、私は追い出されるらしい。元々村長の好意で住ませてもらっているに過ぎないのだから、私に拒否する権利はない。
私が唇をきつく結んでいると、慌てて村長は言った。
「いやいや、君を追い出そうと言うつもりではないんだ。そもそもこんな狭いところで子育ては大変だろう。娘が結婚すればわが家の部屋も空くし、レクシアとルミナにはぜひうちにすんでもらいたいと思っているよ」
そう言うことか。
「いえ、結構です。だったら他に住むところを探します」
「何を言っているんだレクシア。村長は君のことを考えて言ってくれているんだぞ。君のことは可哀相だと思うし、ルミナも可哀相な子供ではあるけど、村長のところで暮らせばきっと幸せになれる」
隣の男が立ち上がった。私はすぐに窓の側まで下がる。
男は慌てた。
「こら、君に何かしようというわけじゃない。何か勘違いしているんじゃないか」
「話は分かりました。お兄ちゃんと相談します」
私はその場で答えた。私は混乱している。適当に住むところを探すなんて言ったけど、本当は不可能だ。お兄ちゃんとプリックさんがこの場所の跡地に住むというのなら、私は強制的に村長に引き取られるだろう。
そして私は村長から逃げられなくなる。
「そうだね。そうするといい。じゃあ、帰るとしようか」
村長はそう言って立ち上がった。
私はただその場所で二人を見送る。
外に出るときに村長が振り返った。
「大丈夫だよ。君のことは悪いようにしないからね」
口調は優しかったけど、でもその目は私を舐め回すようだった。
どうすれば良いんだろう。
私はなにも考えられなかった。ルミナが私を見ているのに、抱き上げる気にもならない。どうして良いか分からないから、私は家を飛び出した。相談できる相手は一人しかいない。おばさんたちはよくしてくれているけど、心の中は分からない。私はきっとこの村で孤立している。
私はお兄ちゃんを探した。でも、人に見つかりたくなかったから、側に人が来たときはすぐに隠れた。
「ログのやろう、上手くやりやがって。どうせプリックとやりまくっているんだろうぜ。俺もやりてぇ」
「やっぱりよ。レクシアだろ。あんな美人とやりてぇよ。使い古しなんだから頼めばやらせてくれるんじゃねぇか」
「ログに掛け合ってみるか? どうせ傷物なんて誰も結婚相手に選ばねぇだろうしよ。ガキがいなければちょっとは考えても良いんだけどよ」
「マジかよ。他の男が手をつけた女なんて、結婚相手としては最悪だぞ。俺なら御免だね。練習相手に丁度良いだろ」
「ガキが側にいないなら、結婚もありだろ。そもそも、誰の子かも分かんねぇような子供なんて、気持ち悪くてこの村にいて欲しくねぇけどな」
私は悲鳴を上げるのを必死に押さえた。自分の事が噂されていることも驚きだけど、内容もひどいものだ。
私は人がいなくなるのを待ってからまた走り出す。お兄ちゃんが働いている場所は知っている。
でも私はお兄ちゃんを見つけてすぐに立ち止まり、その場に隠れた。
お兄ちゃんはプリックさんと食事をしていた。そして、それが終わると、小屋の方に連れ立っていった。
ああ、もうお兄ちゃんは私のものじゃない。
分かっていたけれど、実際に見るとショックだった。
村長の言う言葉が思い出される。ログにはもう話してあると。私は村長に売られる。それは確定した未来だ。
私は急いで家に帰った。
家に帰ると、ルミナがぐずって泣いていた。私はおしめを取り替えて、乳を与える。でも、もう私の乳はあまりでない。仕方がなく、ミルクを薄めたものを与える。
ルミナが落ち着いて寝てから、私は考えた。
今まで甘えていた。
きっといつか、私もこの村の住人に慣れて外を歩けるようになるのだと思っていた。お兄ちゃんと支え合って生きていけるのだと思っていた。
でも違う。私は傷物で、売女らしい。お兄ちゃんも私から離れていくみたいだ。
私は寝ているルミナを見ながら考えた。私は強くなくちゃいけない。戦えるようにならないといけない。
「鍛えないと」
私は久しぶりに部屋で運動をした。なまった体が痛い。一通り体を動かしてからは、座禅を組んで魔法の訓練を始めた。
私は魔法が使えない。お母さんの教えてくれた呪文はほとんど使えなくて、かろうじて身体強化とか、光とか初歩的な魔法だけが使えた。今は誰も教えてくれる人はいない。だからまずやらないといけないのは魔力循環だ。私は魔力循環が下手で、お母さんによく呆れられた。
魔力循環は魔力を体の中に感じて、それを意識で動かすところから始まる。でも私はこれにどういう意味があるのかまではわからなかった。魔力循環ができないと魔法が使えないというのは知っているけれど、私の場合は魔力循環ができても魔法が発動しない。
私は魔力循環が足りないのだと考えた。いや、ただ思いついた。だって、私は修行の方法なんて知らない。
それから私は魔力循環をやり続けた。
改めて意識してやってみると、私の魔力循環は結構いびつだと思った。胸の周りとか、頭の中とか、ある程度意識しやすいところでは非常になめらかに魔力が動くのに、あまり意識していないところだと魔力の流れがよくない。
だから、私は今まで意識していなかったところにも魔力が流せるようにしようと思った。そして改めて、お母さんに教わった呪文や、ベアトリスさんやキャロンさんから教わったことを思い返した。
集中してやっているときに、大声で声をかけられた。
「レクシア、レクシア、何をしているんだ」
そこで私は気がつく。振り返るとお兄ちゃんがいた。ルミナを抱いている。ルミナは泣いていた。
自分がそれほど集中していたことに驚いたと同時に、危ないとも思った。お兄ちゃんじゃなかったら襲われていたかもしれない。
お兄ちゃんはルミナをあやしているけど、ルミナは泣き止まない。お兄ちゃんでは無理なのだろう。私はふうと息を吐いて立ち上がった。
「魔法の修行を再開しただけ」
唖然としているお兄ちゃんからルミナを受け取った。おしっこでもごはんでもないようだ。抱きながら歩いていると、再びうとうとし始めたので、私はルミナをベッドに寝かしつけた。私がずっと放置していたから寂しくなっただけなのだと思う。
「魔法の修行?」
お兄ちゃんが聞いてくる。
「そう」
「なんで急に」
お兄ちゃんの言葉に私は苛つく。お兄ちゃんはこの先私を守ってくれない。今日それを確信した。
「一人で生きていくため」
私は答える。でもお兄ちゃんにはよくわからないみたいだ。面をくらったような顔で聞いてくる。
「どういうこと?」
私のいらつきは頂点に達した。
「お兄ちゃん。私を売ったわね」
お兄ちゃんは驚いた顔をした。何を今更。
「勘違いだろ。僕がそんなことするわけ無い」
「今日村長が来た。いつか私は村長の家に住むんでしょ。村長が言っていた」
お兄ちゃんは困ったような顔をした。
「それは、レクシアを一人にさせないためで、売ったとかじゃない」
「婚約おめでとう、お兄ちゃん。もうお兄ちゃんには私もルミナもいらないんでしょ。私もお兄ちゃんはいらない。一人で生きていく。私は魔術師になる」
お兄ちゃんは私がかんしゃくを起こしているだけだと思ったみたいだ。お兄ちゃんは優しい声で言った。
「無理だよ。師匠もいないで魔術師になんてなれない。もっと現実を見ろよ」
でもそんなの火に油を注ぐだけだ。私の怒りが体中を支配する。
「現実を見て体を売って生きていけというのね、お兄ちゃんは。絶対嫌。私は可哀相な女じゃない。ルミナは可哀相な子供じゃない」
村長と来た男は私とルミナを可哀相と言った。冗談じゃない。私たちは可哀相な親子じゃない。
お兄ちゃんが私の肩を掴んだ。
「落ち着けよ。レクシアは誤解しているだけだ。村長には僕からもう一度話しておくよ」
私はお兄ちゃんの手を払いのけた。
「それもいらない。自分の身は自分で守るの。それが魔術師だから」
私の言葉になぜかお兄ちゃんは怒りだした。
「魔術師は師匠がいないと無理なんだよ。もうやめてくれ。意味が無い」
「意味はある! 私の師匠はお母さんと、ベアトリスさんとキャロンさん。あの頃は意味がわからなかったけど、今ならきっとわかる。わかるようになってみせる」
私とお兄ちゃんはにらみ合った。更に口げんかが続きそうになったとき、ルミナが再び泣き出した。私たちが大声で言い合いをしていたからだろう。
お兄ちゃんがルミナの方を見る。
「ルミナがいる。ルミナを残して修行なんてできないだろ。父さんたちがこの村に居着いたのは僕らのような子供がいたからだ。まだ一歳にもならないルミナを放っておいて、魔術師になるなんて、ありえない」
言い返そうと思ったけど、言葉が出なかった。だってそれは真実だから。まだ一歳にもならないルミナはいちいち手がかかる。修行をし続けることに無理がある。
だけどそれはおかしい。お兄ちゃんだってルミナの親のはずだ。それなのに、お兄ちゃんはルミナを放っておいて一日中外にいる。なぜお兄ちゃんは勝手が許されて、私は修行をしているだけで怒られるのだろう。
私は泣いているルミナの側に行くと、ルミナの首を絞めた。もうこの泣き声も聞きたくない。
「いなければ良いんでしょ。父親に愛してもらえない子供なんて」
その瞬間私はお兄ちゃんにはじき飛ばされた。お兄ちゃんは私からルミナを奪って抱き上げる。私はすぐに立ち上がった。ルミナが泣き叫ぶのを一生懸命お兄ちゃんはあやしていた。それが滑稽に見える。
「もう寝る」
私は一人で寝床に向かった。




