(13)霧、五日目
翌朝。ログが起きると、すでにアクアはいなかった。
ログはすぐに服を着て部屋を出た。
アクアは全裸のまま料理をしていた。朝ご飯を作っている。いつも通りの日常だった。
「起きたか。これが最後の食材だな。昨日の残りだが」
バレルが起きてきた。
「やっぱり元気だな。アクアは。まったく、付いていけねぇわ」
アクアはバレルを見て笑う。
「たった一人で私を満足させるなんて無謀だろ」
そして、アクアは食事をテーブルに並べた。
「ルクスも起こしてきてくれ」
ログはアクアに言われた通り部屋に行き、ルクスを起こし、服を着させて、食卓に戻った。ルクスは裸のままのアクアを見て顔を赤くしている。照れくさいのだろう。
「私は朝から湖に潜るつもりだ。おまえらはどうするんだ」
アクアが言う。
「俺はさすがにとっとと帰るぜ。丸二日もここにいる予定じゃなかったんでな。これ以上はまずい」
バレルが答えた。
「僕は手紙の返事をもらわないと」
思い出したようにルクスが言ってログを見た。
「そうだ。早く書けよ。俺は待てないぜ」
バレルも言う。ログは心の中で頭を抱える。まだ返事を書く気が起きない。
「ルクスは僕が町まで送ります。だから、バレルは先に帰ってかまいません」
バレルが呆れて言った。
「まったく。何でもいいだろ。返事なんて」
アクアも首をすくめた。
「まぁ、この小屋は好きに使っていいが、もう何も残っていないからな。今日中に立ち去った方がいいぞ。朝から霧がひどい。昼間には晴れてくれると思うが、あまり霧が深いと帰れなくなるだろう」
「うん。早い内に終わらせて町に戻るよ」
ログは仕方がなく答えた。本当なら、ずっとアクアと一緒にいたいのだが、もうそれは叶わないとわかっている。
「じゃあ、俺はもう行くわ」
バレルは食事を終えて席を立った。
「元気でな、また会おうぜ、アクア。それからログ、ルクス。達者でな」
バレルは小屋を出て行った。
「私も行くか」
アクアも席を立つ。
「片付けは任せた。もう布団は洗わなくていいぜ。さすがに汚れは落ちないだろうから後で燃やしておくさ」
そしてアクアも小屋を出て行った。全裸だったのは、そのまま湖に行くつもりだったからのようだ。
バレルとアクアが出て行って、ログとルクスだけが残される。
ルクスは少し悲しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「わかんない。なんか、ちょっと」
ルクスは顔をゆがめる。泣くのを我慢している。
ルクスはこの町にきてからずっと一人だった。浮浪児に仲間はできたが、それでも完全に打ち解けたわけではない。一方、ここにいるときはとても安心できた。でもそれはもう終わりなのだ。
「ルクス。まだ、時間はあるんだろ。今日一日僕と遊ばないか」
そんなルクスを見てログは声をかけた。
「えっ。お兄ちゃんと?」
「嫌かい?」
「ううん。でも、仕事しないとお金がないし」
「大丈夫だよ。これは僕からのお願い。遊んでくれたら、お駄賃を上げるよ」
ログが言うとルクスは笑顔になった。
ログとルクスは棒で打ち合ってみたり、ログが教えた遊びで楽しんだりして過ごした。
昼に最後の食事を終えてから、二人で寄り添いながら昼寝をした。
ルクスはログの話を聞いて、将来冒険者になりたいと言った。それがログには嬉しかった。そしてログはこのままルクスを引き取って自分で育てようかと本気で考え始めていた。
「お兄ちゃん。もう夕方だね」
ログとルクスは湖を見ていた。だいぶん暗くなってきている。
ただ、霧のせいで明かりがわかりにくい。一昨日まではこんなに霧は無かった。
アクアはまだ帰ってこない。
「手紙の返事はまだ書いていないけど、町に戻ろうか」
ログは言って、二人で小屋に戻った。
ログとルクスが身支度を調えて、小屋を出ようとしたとき、急に扉が開いた。
現れたのはアクアではなくキャロンだった。
「アクアはどこだ」
いきなり鋭い声でキャロンは二人に聞く。
「まだ、戻ってきていないけど」
ログが答えるとキャロンは舌打ちした。
「出て行ったのはいつだ。昨日は戻ってきていたのか」
ログは慌てながら答えた。
「昨日は帰ってきたよ。今朝早々に湖に潜ってくると言って出て行ってからは、一度も帰ってきていない」
キャロンは小屋に入ってきた。そして椅子に座る。難しい顔で何か考えていた。
「え、と、何かあったの?」
ログは尋ねたが、キャロンは答えなかった。沈黙が訪れる。とうとう音を上げたのはルクスだった。
「ねぇ、早く帰ろうよ。お兄ちゃん」
怖いキャロンと一緒にいるより、ログと町に帰ることを選んだ。ログもキャロンの様子が気になるが、ルクスを放っておくわけにも行かない。
「そうだね」
ログとルクスは小屋を出ようとした。
「いや、無理だ。今夜は諦めろ」
キャロンが言った。
ログが驚いてキャロンを見る。キャロンが顔を上げた。
「今日は手遅れだ。町にたどり着けない。この霧の中で歩き続ければ、確実に道に迷うか、湖に落ちるぞ」
「そんなに?」
ログが驚く。確かに霧が濃い。
「私も今日はここに泊まる。もしアクアが戻ってくるとしたら、この小屋に顔を出すだろうしな。明日の朝まで待つとするさ」
「ねぇ、アクアに何かあったの?」
「さぁな」
キャロンがはぐらかす。
「ねぇ、キャロン」
ログが言いつのった。しかし、キャロンは一転してリラックスした顔で言った。
「アクアのことは本当に何も知らない。この霧は魔法が使われている可能性が高い。不自然だからな。普通の霧にも自然界の魔力がこもっているから、それをカモフラージュに利用したんだろう」
「霧の魔法?」
「ああ、私も気づくのが遅かった。ベアトリスが行方不明になった時点で調査を始めるべきだった。アクアは魔力の探知ができないからな。あいつに湖を探らせたのは失敗だったよ。明日までに戻ってくればいいが、戻ってこないとすると、ベアトリスと一緒に魔法に捕らわれたことになる」
「誰がそんなことを」
ログが憤ると、キャロンが鼻で笑った。
「そう慌てることじゃない。誰がやったのかも関係ない。湖に魔法がかかっているのなら、それを解けばいいと言うだけのことだ。これが偶然なのか、それとも狙われたのか。それすらどうでもいい」
「どういうこと?」
ログにはキャロンの言っている意味がわからなかった。
「放っておいても、魔法の罠くらいベアトリスなら自力で解除するだろ。アクアは殺しても死なないしな。ただ、私たちも仕事の途中でね。あまり時間をかけているわけにはいかないのさ。明日になってもアクアやベアトリスが戻ってこなければ、手っ取り早く私が魔法を解除した方がいいって事になる」
「キャロンは魔法を解けるの」
「多分な。手の込んだ魔法のようだが、仕組みさえ分かれば解除するのは簡単だ。最悪でも明後日には終わらせられるさ」
ログはキャロンの言葉に胸をなで下ろした。キャロンは苦笑した。
「あんたはアクアをなんだと思っている。惚れた女のことを心配するのはわからないでもないが、あれは心配に値しない」
惚れた女と言われて、ログの心がざわめく。やはりキャロンにはバレている。
「なんの仕事をしているの」
ログは話を変えようとした。
「それはあんたが知る必要のないことだろう。仕事の話は基本的に秘密事項だ。それよりも、あんたはまだ手紙の返事を書いていないのか。ここに留まっていると言うことはそういうことだろう」
キャロンは鋭いところを突いてきた。ログは顔をゆがめる。
「まぁ、それは・・・」
「別に関わる気は無いが、手紙の内容が不明瞭なら、その旨を書いて送り返してやればいい。あんたが、たとえ手紙の内容に心当たりがあったとしても、返事が書けないのなら返事が思いつかないと書いて送り返せばいい話だ」
しかし、ログには言い返せない。なぜなら、あれの意味は明瞭だ。
「さて、そろそろ寝るか。全ては明日だ」
キャロンは言って立ち上がる。
「じゃあ、布団を出すよ」
ログは部屋に入っていった。
※※
「畜生。霧が濃すぎるぜ」
湖の中を全裸で泳ぎながら、アクアは悪態をつく。無尽蔵の体力を持つアクアは一日中でも湖を泳いでいられるが、この広い湖でベアトリスを探すのは容易ではない。それに魔力探知ができないアクアは、ベアトリスを目視で探すしかない。
アクアはベアトリスが鉱石をとっていたはずの場所を回る。その場所も、地図で見ただけのうろ覚えなので、正確にたどり着いているかわからない。
「めんどくせぇ。あの馬鹿のせいで良い迷惑だ」
「誰が馬鹿よ!」
後ろからいきなり声がした。
アクアが振り返ると、水面の上にベアトリスが立っていた。
ベアトリスも服を着ていない。白い体は霧の演出もあって、まるで水の妖精のように見える。
アクアは立ち泳ぎをしながら答える。
「何だ、いたならさっさと出てこいよ。キャロンが怒っているぞ。昨日も迎えに来てやったのに無視しやがって」
ベアトリスは頬を膨らませる。
「無視してなんかいないわよ。この霧のせいで魔力探知ができないの。アクアがいたなんて気がつかなかったわ」
アクアは眉をひそめる。
「魔力探知ができない? この霧は何かの魔法か」
「気がつかなかったの? とはいえ、できないは言い過ぎね。やりづらいっていった所かしら。もちろんこの霧は魔法よ。私はこの湖から出られない」
「出られない?」
「そう。結界魔法というか付与魔法というか。とにかく私も良く知らない魔法ね。単純な仕組みで、私が湖から出ようとすると、私の魔力は湖の周囲に巻かれた石に吸い取られてしまう。この霧は石が吸い取った魔力を霧の形ではき出しているものね」
アクアはうなる。
「じゃあ、この霧が濃くなったのはおまえが結界から出ようとしたからか?」
ベアトリスは笑いながら首を振った。
「私は結界から出ようとしていないわ。どんな魔法かを調べただけ。だから、この霧が濃くなったのは術者の意志ね。更に、昨日から魔力の阻害の効果を付与されたわ。おかげで魔力探知が弱くなっちゃった。アクアが来るとわかっていたらちゃんと警告できたのに」
「罠って奴かよ。まさか馬鹿王子が何か気づいたか」
「違う違う。あの馬鹿王子がこんな事するわけ無いわよ。それより、アクアも出られなくなったかもしれないわね」
アクアは眉をひそめる。
「昨日と今日じゃ違うってのか」
「術者がそう望めばね。アクアもきっと何度も湖の中に入っているでしょう。アクアの魔力も結界は覚えていると思うわ」
「特定の誰かを出さなくする魔法ってわけか。じゃあ、試してみるか」
アクアは湖岸に向けて泳ぎだした。ベアトリスは水の上を歩きながら着いてくる。
「しっかし、霧が濃いな。こっちであっているのか」
「大丈夫。あの小屋の方向ではないけど、湖岸には向かっているわ」
しばらくすると、湖岸が見えてくる。そこでアクアは止まった。
「なるほど。すげえ、力が抜けていく」
「近づけば近づくほど強くなるわよ」
「私の魔力が吸い尽くされるか、結界が壊れるか。勝負するか」
アクアが泳ぎだそうとしたとき、ベアトリスがアクアの肩を掴んだ。
「ん、何だよ」
「手、出して」
アクアが手を水から出すと、ベアトリスはその手首に紐を巻いた。そしてアクアを水から引き上げる。
「おっ、すげぇ」
アクアも水面の上に立った。
「何だ、この魔法」
「ほら、ずっと泳ぎながら石を探すのって疲れるじゃない。だから、水の上で休むための魔道具を作ったの。予備を持っていて良かったわ」
「もう湖を出るってのに、何の意味があるんだ?」
するとベアトリスは考える素振りをしながら言った。
「もしかしたら、アクアだとこの結界を破れちゃうかもしれない。私はこの術者が何をしたいのかを知りたいの。だからもう少し捕まっていようかなと思って」
「おいおい、キャロンが怒るぞ」
「無理矢理破ったらすぐに逃げると思うのよね。キャロンもそろそろこの霧の異常さに気がつくでしょうし、キャロンならきっと術者を捕まえられると思うわ」
「ひでぇ、キャロンを利用するのかよ」
するとベアトリスは頬を膨らませる。
「当たり前でしょ。いつも私たちを良いように使うんだから。たまには私に使われてみなさいって事よ」
アクアは肩をすくめる。
「まぁ、いい。だが、暇じゃねぇか」
するとベアトリスは妖艶に微笑んだ。
「あら、ここに裸の美女が二人いるのよ。やることなんて決まっているじゃない」
アクアも唇を舐めた。
「なるほど。それは良いな。一昨日はちょっと中途半端だったしな」
「じゃあ、行きましょう」
二人は手を取り合って湖の中央へ歩き出した。
※※
レクシアは笑みを浮かべる。
今日一日でログとルクスは確実に仲良くなっていた。ログのルクスに寄せる愛情が伝わってくる。
あとは最悪の別れを用意するだけだ。
恨みがあると言っても、別にログを殺したいわけではない。死ぬほど苦しませたいだけだ。レクシアの立てた作戦は結構単純である。ログとルクスを親密にさせ、そして決別させることである。その別れの演出に取りかかるときが近づいてきている。
アクアを捕まえてみたもののアクアも湖から出ようとしなかった。一瞬石がものすごい勢いで魔力を貯め始めたので、緊張したが、すぐに収まった。あれがアクアの魔力だとすれば、この結界は持たないかもしれない。
そして、キャロンも明日はこの結界を破る気のようだ。ログに仕掛けられるのは明日が最後だろう。
どのみちこの結界が破られたらレクシアは逃げるつもりだった。ルクスとはどれだけ離れていても繋がっているし、もともと捨てるつもりでこの町に来たのだから置いていっても問題はない。
「えっ、ちょっと。まさかキャロンもなの!」
納屋で寝ていたレクシアは叫びながら起き上がった。
馬の顔がレクシアに向く。レクシアは慌てて口を塞いだ。
「最っ悪。変態女ばっかり」
※※
ログが寝床を作っていると、キャロンはルクスの手を引いて部屋に入ってきた。
ルクスが嫌がっている。
キャロンはルクスを離して、妖しげな表情をした。
「おい、ルクス。服を脱げ」
「ちょ、ちょっと、キャロン」
ログは慌ててルクスの前に立ちふさがった。
「キャロンは十歳以上にしか興味ないんでしょ」
「当たり前だ。そんな子供と○○できるわけ無いだろう」
しかし、キャロンは見ている間に上半身裸になった。
キャロンはすでに革鎧を脱いでいるので、今はシャツとパンツしか着ていなかった。豊かな胸がこぼれ落ちる。
「なに、ルクスもママに憧れている年頃だろう。私が慰めてやるのさ」
言うことは優しげだが、それだけなら服を脱げと言わないだろう。
「ログもだぞ。早くそそり立った○○を見せろ」
「ルクスはアクアの性教育でショックを受けているんだよ。今日は何もしないで寝よう」
ログがキャロンを説得しようとする。しかし、キャロンは笑った。
「なんだアクアの奴そんなことをしていたのか。あいつの性教育なんて偏りまくっているだろ。私が訂正してやるよ。いいから早く脱げ」
アクアもキャロンも言いだしたら止まらない。ログは諦めてルクスを見た。
「ルクス。大丈夫?」
ルクスは怯え顔だ。
「なんか、怖い」
「ひどいことなどしない。なら、こんな話からしてやろう」
キャロンの性教育はアクアとは違い本当に理屈っぽいところから始まったが、結局最終的には、子供に見せてはいけない破廉恥なものとなった。




