(12)男三人、四日目の午後
残されたログとバレルは部屋の掃除を始めた。ルクスは暇なので、バレルやログの周りをうろついている。
「おい、ルクス。手伝いたいか」
バレルが言うと、ルクスは満面の笑みでうなずいた。
「うん、僕、手伝うよ」
「じゃあ、こいつで窓枠を拭いてきてくれ」
バレルは自分の持っていた雑巾を投げ渡した。ルクスはすぐに窓に走っていった。
「ガキは元気で良いな」
そしてバレルは代わりの雑巾を取りに部屋を出て行く。
ログが床を吹き上げていると、ルクスが戻ってきた。
「ねぇ、拭いたよ。あと、どうするの」
あまりにも早いので、ログが見てみると、遠目にもあまり綺麗になっていないのがわかる。掃除の仕方を知らないようだ。
「あれじゃダメだよ。端の方からしっかり拭かないと」
ログがいうと、ルクスは少ししょんぼりした顔をした。そこにバレルが戻ってくる。
「よくやった。すげぇじゃねぇか」
ルクスが顔を上げる。
バレルは窓の方まで歩いて行った。ルクスがついていく。
「え、すごい? すごいの」
「ああ、ちゃんとできてるぞ。そうだな。もう一段階レベルアップしてみるか。右から左、一方通行で拭いてみろ、そうしたら完璧になるぞ」
「一方通行?」
「そうだ。見てみろ」
そしてバレルは例を示す。
「ほらな。ルクスが拭いたのも十分綺麗だったが、こっちの方がもっといいだろ。これがレベルアップだ。どんどん上手くなるぞ」
「わかった、やってみる!」
そして、バレルはログの方に戻ってきた。ログはバレルに尋ねる。
「バレルは子供がいるの?」
バレルは肩を落とす。
「おいおい、それなら恋人が欲しいなんて言わねぇよ。兄弟が多いからよ。ガキの扱いに慣れているだけだ。この部屋はもう終わりだろ」
「そうだね。やっぱり臭いは完璧に取れないけど」
部屋を出て、ログはキッチン周りを掃除し始める。バレルはまたルクスの世話を焼きながら掃除を続けた。
小屋も広くないし、備品も多いわけじゃない。掃除はあっという間に終わってしまった。
ルクスは楽しかったようだ。初めての作業ばかりだったのだろう。
ログは料理の下ごしらえを頼まれているが、まだ始めるには早すぎる。
ログは椅子でだらしなく座っているバレルに声をかけた。
「少し時間があるから、剣を教えてくれる」
バレルは顔を上げた。
「そうだな。そういう約束だったな」
「僕も、僕も」
ルクスが割り込んでくる。疲れたのか、椅子に座って大人しくしていたが、途端に手を上げて椅子を飛び降りる。
バレルは笑った。
「いいぜ。だがルクスにまだ剣は早いな。初めは、ちょっと見ていろ」
「うん」
ルクスは嬉しそうに言った。
裏口から出て、ログは剣を構えた。バレルも自分の剣を持って向かい合う。
ログは両手で剣を持つのに対し、バレルは片手で持つ。
冒険者は片手で剣を扱う人が多い。剣と盾を持つ戦闘スタイルが一般的である。
ただ、ログは片手で剣を扱うのが苦手だった。どうしても力が入りにくく、すぐに押し返されてしまう。
バレルは片手で剣を持っているが、今は盾を持っていない。そして、少し特徴的な姿勢で構えた。完全に半身で、剣だけをログに突き出すスタイルである。ログからは体が半分以下に細くなったように見える。
「良いぜ。かかってきな」
「いきます」
ログは両手で剣を振り上げ、まっすぐ切りかかっていった。バレルはログが剣を降ろしたとき、打ち返さずに大きく後ろに飛んで躱した。そしてすぐに前に剣を突き出してきた。
ログは体勢が崩れていたが、それでも剣を引き寄せてバレルの剣を弾く。バレルは剣を引くのが早く、突きの要領でログに攻撃を仕掛けてくる。
ログはバレルの剣を振り払いながら、前に出ようとした。その時、バレルも前に出て剣を振り下ろしてきた。
慌ててログは振り下ろされた剣を受けるが、体勢を崩して片膝をついた。すぐにバレルは離れて距離をとった。
ログも立ち上がって再度剣を構える。
明らかにバレルは手を抜いていた。それはログ自身もわかる。バレルの攻撃は優しい。何度か打ち合いを続けていたが、とうとうログはバレルに剣をはじき飛ばされてしまった。
ログは疲れ果てて膝をついて座り込む。ログの疲れがたまり、剣筋が鈍くなってきたので、バレルは練習を終わらせたというところである。
「すごーい。すごい。おじさん」
ルクスがバレルを賞賛する。ログは悔しく思う。もう少しルクスにかっこよいところを見せたかったが、かなり一方的にやられてしまった。
バレルがログの手を引いて立たせた。
「どうだった。やりにくかっただろう」
「はい、全然間合いがつかめなくて」
「まぁ、真似してもいいような戦い方じゃないからそんなに参考にならないんだけどな。おまえは騎士あがりの剣だな。親父に習ったのか」
バレルが言うとログは苦笑した。
「皆さんすぐわかるんですね。もう何度も言い当てられました」
「そりゃあ、特徴があるし、厄介だからな。騎士型の剣術は俺たち冒険者にとっては天敵だぜ。まともに戦って、まず勝てない」
騎士型の剣は対人に強く、冒険者型の剣は対魔獣に強い。これはログが実感しているものでもある。
「俺が考えたのはそんな冒険者の戦い方でも対人で対処できる方法さ」
「半身に立つことがですか」
「向こうは距離感がつかみにくくなるからな。そしてこちら側としては攻めの動きが速くなる。打ち合いに持ち込まないことが、ポイントだ。相手がじれて雑になってきたら一気に勝負を決める」
バレルはログに解説したが、ログが真似できる戦い方じゃなさそうだ。それを見てバレルはログの肩を叩いた。
「そうがっかりするな。我流だと言っただろう。おまえに教えるような技じゃない。俺が言いたいのは考え抜けって事さ。おれも今までさんざん騎士どもに打ちのめされてきたからな。どうにかやり返す手段を考え抜いた結果なんだよ。別に誰かに習ったわけじゃない。いや、参考にさせてもらった奴は何人かいるけどな。だが、結果としては俺のオリジナルになった」
ログはアクアとの修行を思い出した。
昔、ログは「アクアの体に触る」という訓練をしたことがある。アクアの体術にまだ少年だったログが敵うわけもなく、ログはアクアにまったく触れられそうになかった。その時アクアが言っていたのも「常に考えろ」だったのだ。
「でも、考えていると、隙ができてしまうから」
バレルは呆れたような顔をした。
「そりゃ、実践で考えている暇なんてねぇよ。事前に考えて、考えた通りに動けるようにしておくんだよ。そうすれば動きに余裕が出てくるだろ。余裕が出てくれば、戦いながらでも頭が回るようになる。まずは自分のイメージ通り動けるかが重要だからな」
「僕も僕も!」
ログとバレルのやりとりが終わったと感じたのか、ルクスが立ち上がって跳ねた。
「よし、やるか」
バレルは辺りを見回して、薪の中から手頃な大きさの木を拾った。剣の先で削って簡単に形を整える。
「ちょっと短いが、これくらいで良いだろう」
バレルから木の棒を渡されると、ルクスは嬉しそうにぶんぶん振り回した。
「とぉ」
そして、ルクスがいきなりバレルに飛びかかっていった。バレルがルクスの木の棒を片手で受け止める。
「おっ、いいぞ。その調子だ」
ルクスは褒められて嬉しいのか後ろに下がるとまた飛びかかっていく。
結局はそれの繰り返しだった。バレルは丁寧にルクスの木の棒を受け止め、返してあげる。何となくほほえましいやりとりだった。
ログはルクスとバレルのじゃれ合いを見ながら、ルクスから目を離せないでいた。
どうしてもルクスがレクシアと重なって見えるのだ。レクシアも子供の頃はやんちゃで活発だった。
ルクスはまだ子供だから中性的な顔立ちをしている。そして結構整った顔だ。それがレクシアを思い出させる。単に髪の色が同じというだけであり、顔立ち自体はまったく違っているのに。
暑くなってきたのか、ルクスが上半身裸になった。細く白い体だ。当たり前だが女の体ではない。ログは頭を振る。
恐らく手紙のせいで、レクシアとルクスを重ねてしまっているのだろう。
ログは少し体が冷えてきて気がついた。日が沈みかけている。ちょっと遊びすぎた。料理の下ごしらえをしないといけない。
ルクスとバレルが楽しんでいる中、ログは小屋に戻り、アクアに言われたことを思い出しながら、下ごしらえを始めた。
※※
「アクアさんが湖の中に入っちゃった」
レクシアはつぶやく。とりあえず、霧を濃くしてベアトリスとアクアを逢わなくするように心がけた。
今更この湖を覆う結界に何か新しいことをさせるのは難しい。つまり、選択肢としては二つだけだ。アクアもここに閉じ込めてしまうか、ベアトリスと出会わないようにするだけにしておくかである。
アクアを閉じ込めてしまうことはできる。しかしアクアの魔力は大きいと昔聞いたことがある。ベアトリスと協力してすぐに出てしまうかもしれない。一方で、アクアを外に出しておいても、キャロンが疑っているのならすぐに外から結界を壊されてしまうかもしれない。
そもそもこの小石に魔力を込めた結界は内側から出ようとする者にとっては厄介だが、外からの攻撃には対処できていない。数千にも及ぶ石が連動して強力な結界を作っているが、外から一定の範囲の小石を蹴散らかされてしまえば、簡単にほころんでしまう。
レクシアはどうするか悩む。
アクアは高速で泳いで、湖の中の数カ所を巡っていた。しかし目視でベアトリスを探すアクアでは濃い霧の中で相手を見つけるのは難しい。アクアは諦めて、湖を出て行った。
さて、明日からはどうすべきだろうか。
考えてみると、キャロンが霧を疑っている以上、長引けば外側から結界が壊されるだろう。外にアクアがいると、二人で手分けして、簡単に破られてしまうかも知れない。
レクシアはこの結界に少し自信があった。自分がこの結界に閉じ込められたら、決して外には出られないだろうと思う。何しろ、外に出ようとした瞬間に数千の石に魔力を吸い取られてしまうのだ。普通なら破ることは難しい。
「明日、もしもアクアさんが湖に入ったのなら、アクアさんも閉じ込めてあげる」
レクシアはつぶやく。
一つだけ懸念があった。昨日からベアトリスを湖に閉じ込めているのに、ベアトリスはこの結界から抜け出す素振りを見せていない。作戦があるのか、諦めているのか、レクシアには判断できなかった。
※※
アクアはなかなか帰ってこなかった。ルクスとバレルは練習の後、水浴びをしてから帰ってきた。
すっかりルクスはバレルに懐いている。
「そういや。おまえ、手紙の返事は書いたのか」
バレルがログに話しかけてきた。
「あ、そうだ。手紙の返事。僕、届けないといけないんだ」
ルクスも言う。
「もう少し考えたいんだ」
ログは素直に答えた。
「おいおい、難しいことじゃないだろ。知り合いからの手紙なんだろ」
「・・・うん。ただ、なんて書いていいかが思いつかなくて」
「えーっ」
ルクスは不満そうだ。
「おいルクス。おまえ今日泊まっていけるか。それとも帰らないとダメか」
バレルがルクスに尋ねた。
「えっ、別に帰らなくても良いと思うけど。家があるわけじゃ無いし」
「じゃあ、おまえも泊まっていけ。アクアには俺から言っておくからよ」
その時扉が開いて、アクアが帰ってきた。全身水浸しだ。ログはすぐにタオルを持ってきてアクアに差し出した。体を全く隠しもしないので、ルクスが恥ずかしがって目を背けている。
「わりぃ遅れたな」
アクアは体を拭きながら言った。
「ベアトリスは見つかったの」
「いや。見つけられねぇな。それに霧が深い。私は魔力を追うことなんてできねぇし、目視できないと探しようがねぇよ。一応ポイントは一通り回ったんだがな」
アクアは青色の石をテーブルに置いた」
「それが、ベアトリスが探していた鉱石?」
「だな。さて、今日は仕方がねぇ。夜は私じゃ探しようがないんでね。もしかしたらキャロンのところに帰っているかも知れねぇ。飯でも作るか」
「手伝うよ」
ログは言ってアクアの後に続いた。
アクアはログの下準備に文句を言いながらも、手際よく料理をしていった。
「もっと形を揃えて切っておけよ。火の通りにムラが出るだろ」
そして出されたのはたっぷりの野菜と肉が入ったトマトスープとパン。そしてサラダだった。
「しっかり食ってけ」
アクアが言う。
「わぁ、すごい。暖かい食事だ!」
ルクスが喜んでがっつくように食べ始める。
「おいおい、逃げやしねぇよ。落ち着け」
バレルが言った。そしてアクアを見た。
「今日のは結構あっさりしているな」
「いつもと違って精力をつける必要は無いだろ。スタミナ料理しか作れないわけじゃねぇよ。子供もいるしな」
「やっぱり嫁にしてぇ。アクア、考え直さないか。俺と一緒になろうぜ」
アクアは呆れたような顔をして言う。
「やめとけって。ろくな目に遭わねぇぞ」
そしてバレルがルクスを泊めることを言うと、アクアは呆れた顔でログを見た。
「おまえ、まだ返事書いてねぇの?」
「なかなか、思いつかなくて」
ログは素直に答えた。実際に何を書いていいかわからない。
「そもそも『三歳』ってなんだよ。暗号か?」
「・・・暗号じゃないんだけど、逆にそれしか書いていないから、僕も返事に困っているんだ」
ログは悩み出す。アクアは肩をすくめた。
「適当に書けば良いだろ。向こうが一言しか書いてきていないんだ。おまえも一言だけ書いて出しとけば良いじゃねぇか」
ログはやがて顔を上げてルクスを見た。
「そうだ。ルクス。いつまでに配達屋のおばあさんに手紙を渡さないといけないの?」
するとルクスが指を折りながら答えた。
「えーと、三日後。三日目にはこの町を出るんだって。だからそれまでに返事を届けて欲しいって」
「おいおい、ログ。まさかそこまで粘るつもりか」
バレルが言うので、ログは慌てて答えた。
「違うよ。ちょっと確認したかっただけ」
「手紙くらいさっさと書いちまえよ」
バレルは、そう言いながら食事を続けた。
和やかな食事が終わる。
「さて。そろそろ寝るか」
アクアが立ち上がり、ビキニアーマーを外した。
「うわっ」
ルクスが思わず顔を手で覆った。
「おいおい、アクア。まずいだろ。子供の前だぞ」
バレルがたしなめる。しかしアクアは平然と言った。
「性教育だよ。性教育。だいたい浮浪児なんてあっという間に大人にやられちまうんだ。早いうちに意味を知っておいた方がいいのさ。私なんて初めて○○したのがいつなのかすら覚えていないぜ。まぁ、最初は恐らく子供同士でやったんだろうな。あれが大人だったら股が裂けて死んでいただろうさ」
アクアはルクスに近づくと顔を覆う両手を外した。
「指の間から見ていただろ。子供でも女の体には興味があるからな。もっとしっかり見せてやるからこっちに来い」
そしてルクスを抱き上げると寝室に行ってしまった。
※※
「ちょ、ちょっと。どういうつもりよ!」
ルクスの視線を共有していたレクシアは厩の中で慌てだした。
「性教育? ちょっと、ルクスに何をするつもり!」
レクシアは拒絶するようにルクスに指示をするが、ルクスには上手く伝わらない。ルクスは好奇心で一杯になっていた。この状態ではレクシアがいくらうながしても、意図は伝わらないだろう。
普段から裸に慣れていないルクスには刺激が強すぎる。
「まずい。まずいけど、これ以上は無理だ」
レクシアはルクスをコントロールできるわけではない。あくまで意志に少し干渉できると言うだけのことだ。だからこれはどうにも止められそうにない。
レクシアはただルクスがこのような破廉恥な性教育でトラウマにならないことを祈るだけだった。




