(6)完成
町に捨ててきた少年の情報は常にレクシアに入ってくる。少年とレクシアの五感は繋がっているのである。
道の草や山の果実を食べて生活しているレクシアに比べ、今では少年の方がしっかり食事を得ている。相変わらず、知り合った子供たちと盗みをしたりしているので、たまに捕まって殴られることもある。ただ、子供の盗み程度では厳しい処罰をされないらしく、すぐに解放されている。
レクシアはあまりこの子たちと一緒のグループにいるのはよくない気がしたので、少年に他のことをさせたいと思っていた。
そんなある日、貴族のような男が子供たちのグループに近づいてきた。
レクシアは少し怪しいと思ったが、物腰が柔らかく、食事を寄付してくれる男なので、子供たちはだんだん信用していったようだった。
そのうち、貴族らしき男はこっそりと何人かの少年たちに声をかけ、仕事をお願いしたいと持ちかけてきた。その中にあの少年もいた。彼が普段一緒にいる窃盗グループの子たちは声をかけられなかった。
謝礼はなんとレクシアの賃金の一週間分だ。内容は倉庫から物を運んで来るという力仕事のようだった。
レクシアは迷ったが、このチャンスを生かせれば、あの窃盗グループから抜け出せるかもしれないと思った。実際にその男の優しさはモンテスに通じるものがあるような気がしていた。
結局、レクシアと繋がっている少年を含め四人の少年たちがその貴族らしき男についていくことになった。
その夜、少年たちが待ち合わせの場所に行くと、三人の男たちが待っていた。いつもの貴族らしき男はいなかった。
一人の男が笑顔で言った。
「よく来てくれた。簡単な仕事だ。これは前払いだ」
そして彼は袋からコインを取り出す。
「え、初めからもらえるの。やったー」
「明日は腹一杯喰ってやる」
三人の子たちは喜んでその駄賃をもらったが、少年は少し尻込みをしていた。
「どうした」
男が怪訝な顔をして言う。
「まだ何も仕事をしていないから」
少年が答えた。男は苦笑した。
「やけに律儀だな。じゃあ、後払いでおまえにだけ上乗せしてやろう」
そして男は歩き出す。少年たちも後に続く。そして更に後ろから他の男たちが見張るようについてくる。
レクシアは迷った。あの親切な貴族の紳士は現れない。このままいくと彼らが何か変なことに巻き込まれる気がする。
その意図を感じ、少年は何となく遅れようとするが、後ろから男が少年を小突いた。
「おいおい、遅いぞ。早く行け」
仕方がなく彼は前の少年たちについて歩いた。
「ちょっと待ちな」
しばらく進んだところで物陰から突然厳つい男が現れた。くたびれた鎧を着ている茶髪の男だった。
「誰だ。おまえは」
するとその男は待ってましたというような素振りで胸を張り答えた。
「俺はグレスタの種馬。バレルだ」
一瞬空気が白ける。
「種馬? 馬鹿なのか。冒険者がなんの用だ」
確かに見るからに冒険者の出で立ちだ。バレルは平然と答えた。
「おまえがクリープって奴だろ。俺は町専門の冒険者でね。グレスタのことだと鼻が利くんだよ。お前のやろうとしている仕事はもうばれているぞ。手を引いた方がいいな」
男は舌打ちをした。
「何のことだ。俺たちは仕事で忙しい。おまえの世迷い言に付き合っている余裕はない」
バレルは紙切れを差し出す。
「ほれ、これを読みな。そうにらむなよ。俺は平和主義者なんだ」
そういうバレルに油断した様子はない。
クリープという男は慎重にバレルから手紙を奪った。そして注意しながら読む。
「何だと。これは本当か」
「どうした」
クリープが声を上げると後ろの男たちが声をかけた。
「信用するかどうかはお前たち次第だな。だが、そのまま行くっていうのなら、そのガキどもは置いていってもらうぜ、これ以上被害者を増やしたくないしな」
クリープはしばらくバレルをにらんでいたが、バレルは涼しい顔でクリープたちの反応を待っている。
「いくぞ」
クリープは他の仲間に合図をしてその場から去ろうとした。
「えっ、おじさん。仕事は」
子供たちが叫ぶ。
「そんなもの、その冒険者に聞け」
そして男たちは闇の中に消えていった。
レクシアは何が起こったかわからなかった。ただ、何となくこの男に救われたような気がした。
子供たちはバレルを見上げる。厳ついが人なつっこい顔をした男だった。
「いいか。うまい話には裏がある。簡単に人を信用しないことだ。だが、俺もまだ今回の依頼について調査中でね。どんな状況で彼奴らについていくことになったのか話してくれねぇか?」
バレルは少年たちに言った。しかし、すぐに少年たちはちりぢりに逃げていった。
「おい、待てよ。駄賃くらいやるからよ!」
すると、彼らは一瞬止まったが、結局いなくなってしまった。余計なことを話して、せっかくもらった前金を取られてはたまらない。前金だけでも子供たちにとっては結構な稼ぎなのだ。
「全く。仲間を連れてくるべきだったか」
バレルは逃げなかった少年を見た。彼だけが逃げずにそこにいた。レクシアが下手に逃げるよりこの男の側の方が安全じゃないかと考えたから、少年は逃げなかったのである。
「よし。坊主。おまえに声をかけた男について詳しく話してくれ」
バレルが言った。
少年は素直に、今までのことを全部話した。普段の生活。仲間のこと。出来事の発端。今日までの行動。逐一詳しく説明する。これに関してはレクシアが何かしていると言うことはない。レクシアは少年の行動の方向に一定の影響を与えられるだけで、少年を完全にコントロールすることはできない。
「なるほどな。情報ありがとうよ。これが駄賃だ」
バレルは少年の頭をなでて、手にそれなりの銅貨を握らせた。
「こんなにもらえるの」
彼は嬉しそうに言う。すると、バレルが苦々しい顔をして少年の額を小突いた。
「あのな、素直なことは俺も助かるし、良いことだがな。いいか、聞かれたからといって必要なこと以外不用意にぺらぺら話すな。おまえが盗みをした話とか、仲間の名前や特徴なんてのは言わんでいい情報だ。そのせいでおまえが捕まったり仲間に報復されたらどうする。もっと相手を疑え。情報ってのは小出しにして使うものだ。気をつけろ」
ルクスは素直すぎた。自由に話をさせると、一緒にいた人間のことや、見てわかったことなどをすべてあっけらかんと話してしまうのだ。バレルが聞いていただけでも、本来衛兵に言わなければいけないことや、冒険者に話を通した方がいいことが含まれていた。
こんなことがよそに知れたら、この少年は必ず報復を受けるだろう。
今回知った情報はバレルの中でそっと利用していこうと思った。
そしてバレルは立ち去った。
レクシアはその日のことすべてを理解していたわけではない。レクシアも結構疲れているので、あまり少年に意識をやりっぱなしではいられないのだ。
ただ、見知らぬ冒険者に救ってもらったのは間違いないようだ。レクシアは反省した。やはり盗みが中心の生活では危うい。今後、少年を影ながら守り続けるのは限界がある。
レクシアはその事件のあと、湖の側に座り込んで考えた。
本来なら、彼のことなど放っておけばいい。もともと捨てるためにこの町に連れてきたのだ。しかし、なまじ少年と感覚を共有しているせいで、無視することも難しい。今はベアトリスの攻略に全神経を使いたいので、こういった事件は煩わしいと思った。
しばらく考えて、レクシアはふと思いついた。
「配達の仕事をあの子にさせれば良いんだ」
そもそも彼に仕事がないのがいけない。自分の下請けをさせればいい。レクシアはその方向で考えをまとめた。
翌日、レクシアがいつも通り配達の荷物を受け取って近場の公園で中身を仕分けしていると、例の少年が現れた。
彼はレクシアが手紙を並べたり整理したりしているのを興味深そうにのぞき込んだ。レクシアはすでに別人に姿を変えているので、彼が自分を捨てた相手と気づく可能性はなかった。
「ねぇ、おばちゃん。何をしているの?」
少年が話しかけてくる。
「私は配達屋の配達人でね。今、配達する物を整理していたところさ」
「配達って何?」
「紙に言葉を書いて相手に伝える物だね。距離が遠いと直接会ったりできないだろ。そのために私たちが代わりに言葉を伝えに行くのさ」
「へぇ、すごいね」
少年は感心したように言う。
「ところで少年。もしよかったら駄賃をあげるから、私の代わりに配達をしてきてくれないかね」
少年は驚いたような顔をした。
「配達場所はちゃんと書いてあるよ。しっかり間違いなく届けてきてくれたら、ちゃんとご褒美をあげるよ」
「本当?」
「ああ、夕方になったらまたここにおいで。その時にお駄賃を上げるよ。その代わり、絶対に手紙を届けないとダメだよ。その中には伝えなくてはいけないたくさんの言葉が書かれているんだからね」
少年はしばらくきょとんとした顔をしていたが、やがて笑顔で答えた。
「わかった。僕、配達してくる」
「良い子だ。じゃあ、まずは前金だね」
そしてレクシアは少年にコインを一枚渡す。
「ありがとう。おばちゃん」
そして少年は小分け袋を抱えて掛けだしていった。
レクシアは残った配達品の袋を抱えて立ち上がった。
いきなり全部の配達を任せるのは難しい。重要な物はレクシアが届けた方がいい。それでも、大分時間は節約できる。
実は、孤児を使った配達というのは、昔から普通に行われているものだった。住所のある貴族や成功した平民であれば手紙を届けるのは難しくないが、冒険者や収入の安定しない平民はすぐに住む場所を変えてしまうので、相手を探すのが難しい。
レクシアは冒険者の宿を回ったりして配達していたが、それでも見つからないときは諦めて本部に返した。宛先に相手がいない場合は無理に探す必要はない。
しかし、他の配達員は、届け先が不明の手紙は面倒なので、孤児を雇って探させる場合がある。
もっとも、普通の手紙まで全部孤児に任せてしまうのはあまり例のないことだった。
夕方になって、レクシアが公園に行くと、すでに少年は来ていた。
「おばちゃん。ぜんぶ配達してきたよ。偉いねってみんなに言われた」
「そうかい。ありがとうね。今日のお駄賃だよ」
そしてレクシアは駄賃を渡した。
「えっ、こんなにもらって良いの!」
「その代わり、明日からも手伝ってくれるかい」
「うん、わかった」
そして少年は元気に町の影に消えていった。
彼がしっかり配達していることはすでにわかっていた。明日からはもっと多くの手紙を渡せるだろう。もちろんまだ小さな彼に過剰な荷物は与えられないが。
「さて、もう一踏ん張りしようかね」
レクシアは立ち上がった。
結界を作成中、アクアがいる小屋の側も何度も通った。夜に通ると、男と女の激しい声が聞こえて思わず赤面する。
昼間も通るときは気をつけているが、時折アクアと鉢合わせすることもある。ただ、顔は以前と大きく変えているし、体も少し大きさを変えている。アクアはレクシアに気がついても、気に留めずに湖でシーツを洗っていた。
人の出入りが多い場所は石が蹴り飛ばされて、石同士が繋がらなくなるので、何度も修理をしに行く羽目になる。この小屋の前も毎日アクアが出入りしているので石がなくなりやすい。普通以上にたくさん石をばらまいておく必要性を感じた。
レクシアはアクアのいない時間帯を使って、特に念入りに複数の石を埋めた。
湖を一周する結界が完成したのは始めてから一週間以上後のことだった。使った石の数はどれくらいになるのだろう。一万個近くいった気がする。
まだベアトリスは毎日湖に潜っている。ギリギリ間に合ったのだろう。
石自体に入っている魔力は少なく、何もしなければ自然の魔力に紛れてしまうはずだ。実際にベアトリスが石に気がついた様子はない。
さっそく、レクシアは魔法を発動した。そして、その瞬間気を失って倒れた。
半日ほど倒れていて、やっと夜中にレクシアは目を覚ました。慌てて体を触る。偽体魔法が解けていたので体の危機を感じたのだ。幸い、人気のない森の中で魔法を発動したため、誰にも気づかれていない。
レクシアはすぐに偽体で体を覆うと再び気を失いそうになった。今のは強烈な魔力切れだった。何千という石を活性化させようとしたところ、一気に魔力が吸い尽くされてしまったのである。
感覚的にはまだ活性化した石は半分程度である。呪文魔法であるため、魔力の消費は少ないはずだったが、数が多すぎたのであろう。
頭が痛く、吐き気さえする。しかし懐かしくもある。偽体魔法を使い始めたときは毎日のように気を失い、回復してはまた気を失うということを繰り返していた。
石は全部活性化させなくては意味がない。一度発動させてしまえば、石は水の魔力を吸い上げて魔力を維持してくれ、レクシアの魔力を使う必要はなくなる。これは、レクシアが無意識に学んだ魔法の使い方だ。魔力の供給を自分の魔力に頼っているとすぐに力尽きるので、レクシアが付与する魔法は基本的に独立して魔力を吸収する仕様になっている。これは実は異常なことなのだが、レクシアはキャロンに空気中から魔力を吸うことで魔力の回復が早くなると言うことを教わっていたため、魔術師にとって空気中の魔力を取り入れることは当たり前なのだと勘違いしていた。
急ぐ必要があった。まだ半分程度しか活性化できていない。レクシアはよろよろとした足取りで森の奥へ進んだ。魔力が多い場所は何となく分かるようになっていた。だがそうした場所は魔獣もいる。グレスタ湖は広く、奥に行くと魔獣がでる。その先にある森も当然魔獣がいる。そのため、冒険者が討伐に来ることもある。半日倒れていて生きていられたのは奇跡かもしれない。
でもその奇跡が必要だ。
「ここなら早く回復できる」
レクシアは岩から水が湧く場所に来ると、座り込んで目を閉じた。
レクシアは必死に魔力を吸い上げ、自分の回復に努めた。
明け方近くになって、やっとレクシアの魔力は回復した。そしてその瞬間再度石に魔力を送る。レクシアは再び気を失って倒れた。
魔力を使い尽くせば、魔力量は大きくなるらしい。やっと人並みくらいの魔力量だというのなら、更に伸ばせるかもしれない。気を失いながら、レクシアはそんなことを考えていた。
気がつけばもう夕方だった。頭ががんがんと響き。吐き気もする。レクシアは袋から果樹を取って口に含んだ。腐りかけているせいか少し甘みを感じる。昨日の昼に手に入れた物だ。
残念ながらまだ全部発動できたわけじゃなかった。もう一度やりたかったが、魔力だけではなく、体力も限界に近く感じた。何しろ満足に食料も食べていないし、水も飲んでいない。
それでもレクシアは笑う。もう一回で完全に発動させることができる。レクシアは吐き気を我慢しながら、近くにある草を口に運んだ。そしてふらふらする足取りで厩に戻った。
「昨日はどうしていたんだい。心配したんだよ!」
レクシアが厩の鍵を借りるために宿の裏口に顔を出すと、いきなり女将にそう言われた。
「すまないね。遠くまで行きすぎて帰って来られなかったのさ」
「そんな遠くまで配達の仕事があるのかい?」
「たまにはね。まぁ、要領が悪かっただけさ」
レクシアは鍵を受け取るが、女主人はレクシアの肩を掴んだ。
「顔色は普通みたいだけど、妙にふらふらしているじゃないか。大丈夫なのかい」
「ああ、ずっと水を飲んでいなかったからね」
共有井戸から水を手に入れるにはお金がかかる。毎日必要なので、必ず買っていたが、昨日は一日中倒れていたので、切らしていた。めまいがするのは魔力切れもあるだろうが、そのせいもあるだろう。
「あんた、顔を見ていてもいつも平然としているからわからないけど、疲れているかどうかくらい態度でわかるんだよ。今日は特別に部屋で休ませてやる。余り物しかないけど、少し食べていきな」
それはレクシアにとって魅力的な提案だった。しかし甘えたくない気持ちもある。
「じゃあ、今日はお金を払うよ」
そして、レクシアは財布袋を開く。
「何だ。そこそこため込んでいるじゃないか」
「できるだけ使わないようにしているからね。普段は水くらいしか買わないよ」
「まぁ、いい。中に入りな」
レクシアは久しぶりに十分な食事を取ることができた。
一番粗末な部屋に通されてから、レクシアはベッドに座る。まずは魔力の回復に努めなくてはいけない。目を閉じて、外から魔力を集める。森の中と違って、空気中の魔力が弱いので、少し時間がかかりそうだ。
あと一回魔力を流せば、石は完全に活性化する。石が活性化するとどうなるのか。単に湖の霧が濃くなるだけである。石は湖の魔力を吸い込み、霧を発生させ始める。もともと湖にある魔力なのだから、そう簡単に見破られることはないだろう。誰にもなぜ霧が濃くなっているのか分からないはずだ。
レクシアは湖に霧が十分立ちこめたところで、ベアトリスに罠を仕掛けるつもりだった。
レクシアが使った「石に魔力を込める呪文」はモンテスから魔道具に使えないと言われた。その代わり、この呪文を使って魔力を込めた石はレクシアの魔法と感受性が強くなった。モンテスの家で色々試した結果わかった。
罠の構想はすでに立ててある。実験も済んでいる。後は実行するのみ。
レクシアはまずしっかり体を休めることにした。




