(4)独り立ち
レクシアはモンテスの家を出るとすぐに皺だらけの老婆の姿に形を変えた。
これで今まで通りの文無し宿無しである。少年の方はそれなりに生きられるようになってきているようだから、これからは自分が生きられるようになることが重要だ。
今後モンテスのようなお人好しは現れないだろう。自力で生きぬくしかない。しかし相変わらず魔術師として生きられるわけでもない。一週間修行したが、成果は出せなかった。
レクシアは初めから考えていた通り、配達屋に来た。
配達業者というのは責任の割りにはあまり稼ぎにならない仕事である。
国から国、街から街、そして家から家と、配達業務は常にある。中には大切で紛失してはいけない物も扱うことになる。それなのに、賃金は低い。
レクシアが生まれ育ったドノゴ村にも定期的に配達屋は来ていた。その配達屋は口が悪く、いつも大声で愚痴を漏らしていたから、多少内情を知っている。
レクシアが店に入っていくと、中年の男が声をかけてきた。
「孫への手紙かい。料金はここに書いてある通りだ。読めないなら説明してやるぞ」
文字を読めない人もいる。しかしレクシアは親から教育を受けているので、読み書きはしっかりできる。
「ドノゴ村から移住してきたんだがね。仕事をもらえないかい。年は取っているが、体は丈夫な方だよ」
レクシアが言う。中年の男は怪訝な顔をした。
「配達ってのはな、人の思いを運ぶ重要な仕事だぞ。信用おけない奴に配達はさせられないね」
レクシアも初めから上手くいくとは思っていない。
「街の中の配達の手伝い程度だよ。私もまだ町から町へ移動するのは無理さ」
中年の男は面倒くさそうに老婆を見たが、改めて見てみると、老婆と言うほど年を取っていないようにも見える。しかし顔がやつれている。
中年の男は空腹のせいで老けて見えるのだろうと判断した。
「そんなのはガキどもにばらまいてやらせているよ」
「じゃあ、そのガキどもを集めてばらまくのを手伝うさ。私の分は少なくていい」
レクシアは言う。
「おいおい、そんなに飢えているのかよ。飯くらいならおごってやるからどこかに行っちまいな」
「そんな気を遣われることは無いね。私は仕事をしたいんだ。仕事の対価としてしか受け取れないよ」
レクシアは粘る。
これだけの町だと、毎日いろいろな町や国から荷物や手紙が届くだろう。それを各家に配達するのは大変なはずだ。グレスタの街は広い。
「そりゃいいや」
後ろから若い男が出てきた。赤い服を着ている。それは配達屋の制服である。
「俺、もう辞めるからさ。代わりにやってくれよ」
「こら、ファーキン、何を言う」
中年の男が怒り出す。しかしファーキンと呼ばれた若い男はうんざりした顔で言う。
「怒るなよ、ブットさん。正直、こんな給料の安い仕事なんてやっていられないんだよ。ちょいと友達に誘われてね。近々辞めようと思っていたところさ。だいたいガキになんて簡単にばらまけないだろ。持ち逃げされるのが落ちじゃねぇか。貴族様の手紙はいちいち配達受けまで走り回らなくちゃならねぇのに、街の配達員が二人ってのはきついぜ。しかも安すぎだ」
ファーキンは服を脱ぐと、レクシアに投げてきた。
「だから、後はあんたがやってくれ。でもばあさんには結構きついぜ。グレスタは広いからな」
「おい、こら、ファーキン」
「じゃあな」
そしてファーキンは店を出て行ってしまった。
ブットが赤い服を受け取ったレクシアを見てため息をつく。
「仕方がねぇな。雇ってやるよ。ただし、使用期間は給料半分だぞ」
そして提示された金額はとても生活できるようなものではなかった。しかし、レクシアはそれを受け入れた。
「良い仕事をしたら、ちゃんと給料を上げてもらうよ」
「わかったよ」
そしてその日は帰ることになった。明日は早朝にこの店に来なくてはならない。
次にレクシアは納屋のある宿屋に行った。表口ではなく、裏口から人を呼ぶ。
そこで、出てきた使用人に厩に泊めて欲しいことをお願いしたが、すぐに追い出された。それを二軒ほど続ける。
うまくいかないのは想定内だ。粘り強く次の宿に行った。
そこの裏口を叩いていると、少し恰幅のいい女性が現れた。
「申し訳ないけど、厩の片隅を貸してもらえないかね。迷惑はかけないよ。夜の間、馬の世話もするよ」
彼女は怪訝な顔をするが、じっくりレクシアを見てから言った。
「余所者かい。文無しで、泊まるところを探しているって所か」
「そう言うことだね。ドノゴ村から来たんだけど、ここに来るまでに全部の金を使っちまったのさ。明日からは配達屋を手伝うつもりだけど、とても宿に泊まる金はなくてね。馬の世話をするから厩の片隅で眠ることを許してくれないかね」
女性の目に少し同情の色が浮かぶが、情にほだされていては商売は続けられない。
「厩には宿の客の大切な馬が繋がれているんだ。いたずらされては敵わないね」
「じゃあ、厩の外の壁でいいさ。こう見えても結構丈夫でね」
「止めとくれ。明日になって死んでましたじゃ信用に関わるよ。わかったよ。今日は小さい空き部屋があるからそこで休みな」
女性が言うとレクシアは強く首を振った。
「そうはいかないよ。私は無償の施しは受けないんだ。夜の間、馬の番をするから厩に寝かせてくれって事さ。部屋なんて借りたら、何も返せなくなっちまう」
それを聞いて女性は少し笑った。
「結構きっちりしているね。つまり、長く居着かせろって事だろ。見かけによらず図々しいね」
「そうじゃなきゃ生きていけないんでね。もちろん金が入れば少しは払うよ。さすがに部屋代とまではいかないけどね」
配達屋の給金では一泊するだけで赤字になるだろう。
女性は少し考えて、言った。
「馬糞だらけで汚いよ。そんなところで寝ちまって、配達屋なんてできるのかい」
「朝に湖まで行って洗ってからにするさ」
レクシアは答える。
レクシアは魔法で体をつくっているが、この魔法で生まれた体は普通の肉体と同じように動く。汗もかくし、傷を付ければ血も流れる。
この理由はレクシア自身もよくわからない。レクシアがそう願ったからとしか言いようがない。すなわち魔法を解くまでは完全に自分の体なのである。
だからこそ、魔法を解除すれば、外に着いた汚れも綺麗さっぱり無くなってしまう。意外と、綺麗にしておくことは楽なのである。だから汚れた場所で過ごすことに嫌悪感は無かった。
女性は肩をすくめた。
「それだけ言うなら貸してやるよ。ただ、今日は部屋を用意するからそこで寝とくれ」
「それは・・・」
「さっき言っただろう。馬にいたずらするような奴は厩に入れられないんだよ。後でいろいろ聞かせておくれ。あんたみたいなばあさんが国を出て身一つでグレスタに来た理由ってのをさ」
彼女はこの宿屋の女将だった。レクシアは彼女にある程度自分の経験を交えながら話し、信用を得た。もちろん子供を捨てたことやモンテスの屋敷の世話になっていたことは言わなかった。
結果、次の日からは、厩に出入りして休んで良いと言うことになった。
女将は安い部屋に泊まるように言ったが、そこの正規の値段はとてもレクシアが払い続けられるようなものではなかった。厩の隅をほんの微々たる金で貸してもらう事で話を付けた。
その翌日から、レクシアは配達の仕事を始めた。
ブットはレクシアを信じていないのか、嫌がらせなのか、かなり大量の宅配物を渡した。
「もし苦情が一つでも来たら、たたき出すからな。持ち逃げなんてするんじゃねぇぞ!」
持たされているのは全て手紙で高価なものはない。荷物のたぐいを預けられるほど信用を得ているわけでは無い。
「ああ、ちゃんと届けるよ」
そしてレクシアは大きな灰色の袋を抱え、赤い制服を着て配達屋を出た。
レクシアはモンテスの家にいたときに街の地図を見せてもらっていた。そして魔法の練習に疲れたときはその地図を見返して勉強した。
もともと記憶力は良い方だ。地図くらいならすぐに覚えられるが、できるなら通りの名前や番地の順番なども覚えてしまおうと思った。その時から配達屋をやることにしていたから。
おかげで、宅配物のリストをもらって、通りや区域の名前を見れば、だいたいの位置関係がわかった。もちろん配達屋からも地図はもらっているが、冊子で分厚く、読み解くのはなかなか難しい。
レクシアは人のいるところでは目立たない程度に、人があまりいないところでは走って移動した。
十五歳のレクシアはかなり体力のある方だ。もちろんこれまで粗食だったため栄養不足気味ではあったが、モンテスの家で一週間過ごしたせいですっかり力が戻っていた。
これから食事を色々制限する必要はあるが、今なら、効率的に仕事を済ませることができる。
配達物はグレスタの街全体に及んでいたが、レクシアは午前中に全ての配達を終えてしまった。
「ちょっと早すぎたかな」
レクシアは空っぽの袋を抱えて歩きながら、軽く汗をぬぐう。街の中を走り回ることが楽しすぎて、夢中になってしまった。もしかしたら赤い服を着たおばあさんが走り回っていると噂になるかも知れない。明日からは気をつけよう。
少し時間を潰して、昼過ぎに配達屋に戻ると、ブットににらみつけられた。
「なんだ、こんな時間に帰って来やがって。これくらいの量で根を上げるようならもうお前に用はないぞ!」
しかしレクシアは空っぽになった袋をカウンターに置く。
「全部終わったから戻ってきたんだよ。言っただろ。体力には自信があるって」
「な、なんだと。ファーキンですら、夕方までかかるから、二回に分けていたんだぞ。捨ててきたんじゃ無いだろうな」
ブットは袋を広げて中を見る。
「だったら、ファーキンも配達が終わってから夕方まで休んでいたんだろう。私も仕事が早く終わっちまったんでどうしようかと思ったんだけど、金もないし、早く帰った方がいいと思ったんでね」
「畜生。あのやろう。給料が安いと言っておきながらサボっていやがったのか!」
本当はそんなことはないだろう。レクシアの方が効率的に回っただけだ。リストを見ながら、一時間くらいしっかりルートを考えて、それから動き出した。配達ルートに無駄は無かったはずだ。
「届いていないって言う苦情があったらクビにしていいよ。私は確実に届けてきたからね。さぁ、今日の給金をもらいたいところだ。一文無しなんでね。それからまだ配達物があるならそれも届けるよ。もちろん追加で料金はもらうけどね」
「馬鹿言え。一日の日払いだ。増やせるわけあるか」
「それはおかしいね。もともとファーキンよりも安い給金のはずだし、ファーキンと同じだけの仕事はもう済ましたよ。それなのにこれ以上ただで働かせるつもりかい。だったら今日の仕事はこれで終わりにするさ。今日の給金を払っておくれ」
ブットはじっとレクシアを見た。
「ただのばあさんかと思ったら、結構したたかだな。今日の所はもういい。給料を払ってやる。ただ、明日からはもっと働いてもらうぞ」
「悪いが、それならファーキンくらいの給金にあげてもらわないと困るね。何しろ明日からはもっと配達させようって魂胆だろ。私なら一日で今の倍くらいは終わらせられるんだけどねぇ」
ブットは舌打ちした。そして僅かな銀貨をレクシアに渡す。
「良いだろう。明日からはこの倍にしてやるよ」
「昨日ファーキンから聞いた給金はこの三倍だね。それでもファーキンは安くてやっていられなかったようだよ。ファーキン並みに支払っておいた方が、良いんじゃないかい。私も他に仕事があればそっちに行きたくなるかもね」
ブットは鼻を鳴らす。
「まずは倍だ。明日の仕事次第で考えてやるよ」
「そうかい。良い返事が聞きたいね」
レクシアは配達屋を出た。
レクシアは交渉がそれほど上手くない。経験値も低いし、そもそも気が強すぎて短気を起こしがちなのだ。
それでも、ドノゴ村ではほぼ村八分の状態で過ごしていたので、多少は我慢できるようになったと思っている。昔のままのレクシアなら、嫌み一つ言われただけでかんしゃくを起こしてその場を出ていただろう。
レクシアは給金を使う気はなかった。何かに使えばすぐに消えてしまうほど小さい金額だ。食事は自力で得るに限る。
レクシアは配達屋の制服を脱いで袋に入れると、グレスタ湖の方に歩き出した。
昨日はモンテスの家を出てしまったので、食事をとっていない。今日もまだ何も食べていない。空腹には慣れっこのつもりだったが、さすがに二日はきつい。
レクシアは湖畔をゆっくり歩く。レクシアを見る人はいるが、すぐに目をそらす。金のなさそうな老婆にいちゃもんを付けようとする奴もいないだろう。
釣りができれば良いのだが、そのようなスキルは無い。湖畔に来たのは湖畔で生えている草を探すため。食べられる草ならだいたいわかる。あまり綺麗ではないだろうが、口に入れば何でも言い。
レクシアは湖畔を歩き回りながら、食べられそうな雑草や水草をむしって食べた。
ドノゴ村でもずっとそうしてきた。山に入って、木の実や草の根や茎を集めて食事をしていた。だから惨めとも思わない。
施しは受けたくなかった。そこにはどうせ下心があるのだから。
炎の魔法はつかえるので、球根のようなものが手に入れば、あぶって食べる事もできる。これからはこの湖畔が自分の食事場所になる、今のうちに食べられるものの目星を付けなくてはいけない。
レクシアは夜になって、宿屋に戻った。レクシアが裏口から女将を呼び出し、厩の鍵をもらう。
「飯は食ったのかい」
女将は言う。
「まぁね。そうだ。捨てる鍋があればもらえないかい」
「あんた、厩で火を使うつもりかい」
レクシアは笑う。
「そんなわけないだろう。馬が驚いちまうよ。外で食べるときに使いたいのさ。何しろ外食はお金がかかるからね」
「ふーん。まぁ、それなら良いか。ちゃんと馬の世話をしておくれよ」
そして女将は宿に戻っていった。
レクシアは厩に入って、片隅に藁を敷いて腰を落とす。
子供の頃は厩の藁に隠れて遊んだものだ。藁は結構寝心地が言い。馬がいるので多少臭いが、こんなものは慣れればどうって事無い。
レクシアは藁を敷いて寝床を作ると、すぐに寝てしまった。
それから一週間が経った。レクシアの給料は多少増えたが、満足に外食を続けられる状況でもなかったので、雑草を食べたり、湖の奥の林に入って木の実をかじったりして生活していた。
配達の仕事自体はそれほど時間がかからない。そして、空いた時間を散策に使っている。ここで生きていくために必要なことだと思ったからだ。すでに、レクシアは広いグレスタ湖をすでに何周もしていた。
レクシアは町の外で生きていけるほど強くはない。だから、この町の中で這いつくばってでも生きていく方法を探さなくてはならなかった。




