(3)事件
「あ、あの、この料理を少し分けてもらえませんか」
食事後にレクシアがそう言った。モンテスもバロウズも怪訝な顔をする。
「ん? どういうことだね」
「知り合いに、渡してきたいんです。今回かぎりで良いので」
「知り合い?」
「ええ、もう一日以上食べていないようですから、今回はなんとか」
レクシアの発言にモンテスは慌て出す。
「いやいや、それなら連れてきたまえ」
「いえ、それはダメです。一人で生きられないと、これからやっていけません。今回だけです」
まるで動物をしつけているかのような言いぐさだった。モンテスは違和感を感じる。
「その知り合いというのは、誰だい」
レクシアは少し考えてから答えた。
「顔見知りの浮浪児です」
「ううむ」
確かに浮浪児に施しを続けていては、いくらお金があっても足りない。モンテスも保護院に定期的に寄付しているが、それ以上の支援をしたことはない。
このグレスタの町は比較的治安が良いとはいえ、やはり家出したり親に捨てられたりする子はいる。そういう子が貧民街に入り込んで住み着いている。彼らは大人たちに仕事をもらうためにまとわりついたり、盗みを働いたりしながら暮らしている。
保護院はそのような浮浪児に向けて炊き出しを定期的に行っているようだ。ただ、それを越えて直接特定の子供に施しを与えると、子供たちの間でトラブルになるかも知れない。
「良いではないですか。どうせ余ったものは捨ててしまうのです。食べられる者が食べるべきでしょう」
バロウズはそう言って、残った食事を簡易的な入れ物に詰め始めた。レクシアに秘密があるのはあきらかだったが、問い詰めるのは得策ではないと考えた。
「そうだな。私たちは食が細いし、これからも余るものは出るだろう。廃棄物が増えるのは良くないね」
モンテスは言った。
バロウズがまとめた食事をレクシアは受け取る。
「あの、少し外に出てきて良いでしょうか」
レクシアは慎重に尋ねる。
「ああ、でもあまり遅くならないようにね」
モンテスが言うと、レクシアは深く礼をして、部屋を出て行った。
「顔見知りというが・・・」
「何か事情があるようですね」
モンテスとバロウズは話し合う。しかし情報が少なすぎて、レクシアが誰の世話をしようとしているのかはわからなかった。
レクシアは外に出るとあばただらけの醜悪な老女に姿を変えた。そして、体を引きずるようにして歩いて行く。人気のない場所まで来ると、レクシアは物陰に料理を置いた。そしてすぐにその場所を離れた。
すぐに足音がして、子供が出てきた。
「あれ、こんな所に食べ物がある。よかった。今度は取られないように食べないと」
そしてその少年は素手でその食事を食べ始めた。
少年はこの貧民街で苦労して暮らしていた。同い年の子に話しかけても無視されてばかりで、石もぶつけられる。でも生きなければならないので、残飯を漁っていると、今度は少年や少女たちに囲まれてリンチされた。
彼は、怪我をしてもあまりひどくならないたちなので、彼らが去ってしまえばすぐに行動ができる。でもいちいち目を付けられてばかりでは、この先やっていけない。彼はどうにか彼らとコンタクトを取る方法を探していた。
もっとも、昨日貧民街に入り込んだ新参者の自分がそうそう受け入れられることがないことはわかっていた。死なない程度に食事をしながら、少しずつ信頼を得ていくしかない。
今回、高級住宅街に近い場所まで来たのは別に意識しての行動ではなかった。ただ何となく歩いていたらそこに来てしまったというだけだ。そしてそこで豪華な食事を見つけた。
「あれ、こんな所に食べ物がある。よかった。今度は取られないように食べないと」
昨日は残飯を口に入れる前に全部奪われてしまった。もう丸一日以上何も食べていない。救われた気分だった。
彼は一気にそれを喉に流し込んだ。そしてつぶやく。
「お母さんは大丈夫かな」
レクシアは修行の毎日を過ごした。
モンテスは石に魔力を込める魔法以外にも、できるだけ簡単で覚えやすい呪文を選んで教えてくれた。しかし、どれもレクシアが発動させることはできなかった。
レクシアは焦っていたが、モンテスは慌てる必要は無いと、魔道具作りを見学させたり、本を読ませたりした。ただ、レクシアはそんなときもどこかそわそわしており、魔法を使いたくて仕方がない様子だった。
それでもモンテスは師匠として、基本的な指導の他、魔法理論の話などレクシアに語り聞かせていた。
あっという間に一週間が経った。相変わらずレクシアはどの呪文も発動できなかった。モンテスが調べても、魔力循環はしっかりできているし、魔力量も十分にあるので、本当に発音だけの問題としか思えなかった。
レクシアは数回ほどバロウズから余った食事をもらったが、途中からは断った。あの少年が、浮浪児たちのグループに受け入れられ始めたからだ。
彼はいつもニコニコしてへこたれずに、嫌なことでもすぐに従う。そして細く見えるのに意外と丈夫で、怪我一つしない。
怪しい見知らぬ奴から、結構タフで素直な奴に格上げされたようだ。
懸念としてはあまり良いグループではないようで、盗みや恐喝ばかりしている。それでも、下っ端として食事は与えられるので、とりあえず生きていけそうだ。
実はレクシアには彼の行動がつぶさにわかる。そしてある程度、行動をうながすこともできる。だから、騙されそうになったり、危険な目に遭いそうなときは彼の行動に干渉して逃がしていた。
もっともそのこと自体に彼は気づいていない。何となく行動していたら自然とトラブルから逃れられたというだけのことである。
レクシアは、その朝、モンテスに普段の生活に戻ってくれるようにお願いした。モンテスはレクシアにずっとかかりっきりになっており、この一週間自分のことができていないように思えたのだ。
自分のようなできの悪い弟子につきっきりではモンテスの生活に支障が出るだろう。
モンテスは初め渋っていたが、レクシアがまったく聞き入れようとしなかったので、ある程度はレクシアに自習させることにした。
モンテスは久しぶりに朝の散歩に出かけながら、レクシアのことを考えた。
十五歳というのは、平民の中では独り立ちを始める年齢だ。だから多少大人びた雰囲気があっても良いのだが、それにしてもレクシアは大人すぎた。
気遣いや遠慮ができる一方で、しっかり自分の意志をもち、かたくなに貫こうとする。そして不思議なほど魔法へのこだわりがあり、自分が魔法を使えないと思い込んでいる。
モンテス自身も簡単な精霊系の魔法以外は治癒魔法と、錬金術系の創造魔法しか使えない。攻撃魔法や結界など魔術師らしい魔法は呪文を文献で知っている程度で発動することはできない。
もちろんモンテスの場合、今からでも教われば使えるようになる可能性はあるが、自分が使いたい魔法を極めるのが魔法学者なのでそれ以上学ぶ気はなかった。
レクシアは既存の呪文を発動させるのが苦手のようだが、魔法作りに関しては普通の魔術師の範囲を超えている。それは魔術師として誇るべき能力だ。彼女は納得していないが。
「あえて呪文作りをさせて、呪文の構造を自分で学び取ってもらうか」
モンテスは散歩からの帰り道、ふと自分がレクシアの指導のことばかり考えていることに気がついて苦笑した。
弟子を持つのは久しぶりで、少し自分も楽しくなってしまっているのかも知れない。不出来な弟子であればあるほど、何とかしてあげたいという気持ちが強くなる。
毎日の散歩は午後の魔道具作りに集中するための、準備段階のルーティーンである。しかし今の状態では魔道具作りに集中できないだろう。
「さて、どうするかな」
モンテスは家が見える場所まで着て立ち止まった。
家の前には数台の大きな馬車と、十人を超えるダグリス王国の近衛隊がいたのである。
※※
モンテスが家を出てから、レクシアは作業室で相変わらず呪文の練習をしていた。
モンテスからは火花を作る呪文や金属を柔らかくする呪文など、他にも短めな魔法の呪文を教わったが、結局使えなかった。だから、まずは一番最初に教わった石に魔力を込める呪文を使えるようになろうと思った。
「アルガ、ジリ、サダルファ」
たった三節しかない簡単な呪文。しかしどんなに言い方を変えても魔力が動く気配がない。ただ、引っかかりは感じている。それは上手くいきそうな引っかかりではなく、むしろなぜか真似できない部分があることの引っかかりだ。
その時、チャイムが荒々しくなった。
レクシアは立ち上がって部屋のドアまで行って聞き耳を立てた。レクシアが来てからの一週間、尋ねてくる人はいなかった。
「はい、すぐ開けます」
慌ててバロウズが扉に向かう。
「遅いぞ、こら、馬鹿にしているのか!」
いきなり男の怒鳴り声が聞こえた。
「なんですか、いきなり。勝手に入ってこないでください」
「貴様、俺に命令する気か!」
「当たり前でしょう。ここはモンテス様の家ですよ。勝手は許しません」
バロウズが怒鳴る。
どうやら何か剣呑なことが起こりそうだ。
「うるさい。俺は近衛魔術師隊のアーチボルドだぞ。馬鹿にすると許さんぞ」
「あなたのことは覚えています。いい迷惑です。とにかく出て行ってください」
バロウズは譲らない。
「アーチボルド。下がれ」
すると渋い男の声が響いた。
「あなたのことも覚えていますよ。勝手にわが家の本を持ち出したかと思えば、借りていたものを返すなどとふざけたことを言った人ですね。あなたたちは迷惑です。出て行ってください」
「申し訳ないがそうはいかない。この家の本を全部買わせてもらう事になった。これはエドワード王子からの勅命だ。十分な金を払うことを約束しよう」
その男は驚くことを言った。レクシアは部屋を見渡す。モンテスの家は本だらけだ。いずれグレスタの図書館にでも寄付すると笑っていたが、それを買うというのはどういうことだろう。
「な、何を言っているんですか!」
「悪いが時間が無い。おい、お前ら、本を運び出せ」
「ま、待ちなさい!」
バロウズが叫ぶ。
「うるせぇんだよ。てめぇは!」
いきなり何かがはじける音が鳴った。レクシアは魔法だと直感した。そういえば、近衛魔術師隊と行っていた。
「ぐぁ」
バロウズの悲鳴が聞こえる。そして階段を上がってくる足音。
レクシアは素早く窓に近寄ると、窓を大きく開けて外に出た。
レクシアは運動神経が良い。幼い頃から木登りで兄に負けたことがない。
この辺りの建物には蔦が張っていて、掴むところや足場がある。レクシアは脚で窓を閉めて、蔦を渡りながら、壁沿いに逃げた。
「何か音がしなかったか」
そして窓が開けられるが、レクシアは上の方に登っていたので、見つからなかった。そのまま蔦をよじ登って屋根の上まで来る。
そして伏せながら、道を見た。
馬車が何台も止まっていた。これは初めからモンテスの家の本を運び出すつもりできたに違いない。
バロウズは大丈夫だろうか。しばらくそこに潜んでいると、次々と本が運ばれていくのが見えた。
そして、やがて馬車は走り去っていった。
レクシアはモンテスが近づいてくるのを見た。モンテスもこの状況を見ていたらしい。レクシアは再び蔦を握りしめて、壁を降りた。
レクシアが窓から部屋に入ると、足を引きずったバロウズがいた。
「レクシアさん。無事だったのですか」
レクシアはバロウズの姿よりも部屋の状況に驚いた。あれだけあった本が全て無くなっていたのである。
呆然としていると、扉が開く音がした。
「バロウズ、大丈夫なのか、バロウズ」
「あ、モンテス様」
しかしバロウズは転倒してしまった。どうやら脚をやられているようだ。
「二階です。バロウズさんは脚に怪我をしているみたいで」
レクシアが叫んだ。
階段をモンテスが上がってくる。
「バロウズ!」
モンテスがすぐにバロウズに駆け寄った。
「すいません。本を守れませんでした」
「守る必要は無いと言っていただろう。いずれこういう日が来るかも知れないと話し合っていたんだ」
「しかし、この一年間何もありませんでしたし、もう何もないだろうと」
モンテスは呪文を唱えて、手をバロウズの脚に当てた。
「私の回復魔法では、完治しないだろう。この後しっかりとした治療院に行こう」
「私のことは大丈夫です。しかし、こうなった以上、キャロンさんに連絡を取らなくては。キャロンさんはこのことを予想していました」
バロウズがモンテスに訴えた。
「うむ。キャロン君の話は大げさだと思っていたが、実際に対策しておいて良かったと言うことだな。しかし、もう二度も彼女たちに世話になっている。これ以上迷惑をかけて良いものか」
「キャロンさんはエドワード王子が何かをやらかす前に対策を取るべきだと言っていたではないですか。すぐに連絡を取った方がいいです」
二人は深刻な話をしていた。しかし、レクシアにわかる話は一つも無い。わかるのは自分が部外者だと言うことだけだ。モンテスがレクシアを見た。
「レクシア君は無事だったのだね」
「外に逃げたので」
「申し訳なかった。変なことに巻き込んでしまったようだ」
モンテスは謝罪するが、レクシアにはあまり関心のあることではない。
「モンテスさんにはお世話になりました。どうやら大変な状況のようですから、私は出て行かせてもらいます。今後教わったことを自分で使えるように努力しようと思います」
レクシアは頭を下げる。
「いやいや。迷惑をかけたのはこちらの方だよ。ちょっとごたごたするかも知れないけど、全てが終わったら、また魔法を教えてあげよう」
モンテスは言うがレクシアは首を振る。
「もう十分です。これ以上は甘えていられません。それからお願いがあります。さっきキャロンさんと連絡を取るというようなことを言っていましたが、私のことは決して話さないでください」
レクシアの言葉にモンテスは少し驚いたような顔をする。
「キャロン君はキミの師匠だろう。ぜひ知らせてあげようと思っていたのだが」
「違います。あの女は私の憎むべき相手です。今は敵わないけど、絶対復讐します」
モンテスは目を丸くする。
「復讐だって!」
レクシアは笑った。
「本当はそんなこと無理だって知っています。でもあの人を恨んでいることは事実です。だから私のことは言わないでください。私は絶対にあの人たちに会いたくない」
モンテスはレクシアをじっと見ていたが、やがてためいきをつく。
「わかったよ。君のことは言わない」
「ありがとうございます」
レクシアはそしてモンテスに再び礼をした。レクシアの持ち物は衣類の入った袋一つ。すぐに階段を降りて出て行こうとする。
「待ちたまえ。もう昼だ。少し時間はかかるが、食事を採っていったらどうだね」
モンテスは言う。
しかしレクシアは振り返らずに言った。
「感謝しています。教わったことを今後生かせるように頑張ります」
そしてレクシアはモンテスの家を出て行った。
モンテスとバロウズはしばらくレクシアの去った後を見ていた。
「結局、事情は話してもらえませんでしたか」
バロウズが言う。
「仕方がない。一週間程度ではあのかたくなな心は癒やせぬよ。それより君の脚だ。治療院に行こう」
モンテスが言うと、バロウズは苦笑した。
「そうですね。私もこれ以上はきついです」




