(38)王女のけじめ
マリアはそのまま一階に下がっていった。一階では、ベアトリスとキャロンとレクシアが椅子に座ってマリアを見ていた。ルミナはレクシアの腕の中で眠っている。キャロンはすでに服を着ていたが、いつもの皮鎧ではなかった。男のものの立派な服だが、キャロンには似合っていない。
マリアはそのまま井戸に行き水を汲んだ。それを担いでまた階を上っていく。
「さすがに五階は遠いな」
マリアはそのままヴィヴィアン王女の部屋まで行った。まだ、侍女たちはヴィヴィアン王女をなだめていた。ヴィヴィアン王女は震えながら、侍女たちに抱きついていた。
「私を、落ち着かせなさい。早く」
扉の開く音に、ヴィヴィアン王女は跳ね上がる。
「きゃあ!」
マリアは部屋に入った。
「マリア様!」
カーメラが喜びの声を上げた。マリアはその反応に溜息をついたが、ベッドのそばまで来るとたらいを置いた。
「みんな。体を洗ってくれ」
「な、何を言っているの。マリア。許す、許すから私を慰めなさい」
マリアはヴィヴィアン王女を無視する。
「護衛は見つかった。学生どもがダグリシアまで護衛してくれる。あとは料理人たちも付いていく。昼過ぎには出るからまずは体を洗え。そんな臭いをさせていては道中やつらに襲われるぞ。姫様もだ。体を洗って出発の準備をしろ」
「な、何を言うの。マリア。私に命令するつもり!」
多少は落ち着いてきたもののまだヴィヴィアン王女は体が震えている。マリアはヴィヴィアン王女を見た。
「この城にはベアトリスがいる。早く出た方が良いとは思わないか」
「ひぃっ!」
ベアトリスの名を聞いてヴィヴィアン王女の顔が蒼白になる。
「それにダグリシアで大きな災害が起こったようだ。それで殿下は慌ててこの城を去ったんだ。姫様だって早くこの城を出た方が良いことはわかるだろう」
「生意気よ。マリア。私にそんな口を利いて許されると思うの!」
ヴィヴィアン王女は強がるが、縮こまって震えているので様にならない。
「姫様。申し訳ないが私は近衛隊総隊長であるエドワード王子から直々にクビを言い渡された。だからすでに私は近衛女性部隊ではない」
「そんな勝手は許さないわ!」
「もう決まったことだ。覆したいなら直接殿下に言ってくれ。私は上官の指示に従っただけに過ぎない。だからダグリシアまで私が護衛することはない。学生どもよりもあなたの方が腕は立つだろう。早くダグリシアに帰るといい」
「あ、あの」
カーメラがおずおずと口を挟む。
「災害ってどういうことでしょうか」
マリアは少し躊躇する。どこまで話すべきか難しい。
「それは直接行って確かめるしかないだろうな。私だって良くは知らない。ただ、殿下が慌てて出ていったのを見れば、どれだけの事態が起こったのかはわかるだろう。恐らくダグリシアは大変な混乱に陥っていると考えられる」
侍女たちの顔に緊張が走る。当然ダグリシアには身内も多い。
「早く体を洗え。すぐに旅の準備をしろ」
「は、はい」
侍女たちはすぐにベッドを降りてマリアの持ってきたたらいで体を洗い始めた。マリアはその間に部屋にあった空のバスタブを引き寄せる。
「姫様は水魔法を使えるだろう。水をここまで運び込むのは面倒だ。あなたは自分で体を洗え」
「マリア。私に命令するのはやめなさい!」
「ベアトリスは姫様の性欲は正気に戻る前と同じだと言っていた。まだ体がうずくのだろう。だが、今は我慢するしかないと思うが?」
「生意気な」
しかしヴィヴィアン王女はゆっくりベッドから降りて、バスタブに水を入れ始めた。
「準備ができたらすぐに降りてこい」
そしてマリアは出ていこうとする。
「マリア、あなたはここにいなさい」
ヴィヴィアン王女が命令する。マリアは立ち止まる。
「あなたの命令に従う理由はない」
「私から逃げるつもり!」
「当たり前だ」
マリアはすぐに部屋を出た。
それからマリアは部屋を回って居残っている人間がいないか確認しながら、一階まで降りた。一階では学生たちが集まっていて、三人の美女・美少女たちのそばに集まってがやがやとしていた。キャロンは笑いながら腕を組んで座り、レクシアは少し後ろに下がってルミナをあやしている。ベアトリスは軽く手を振って愛想を振りまいていた。
「何をしている。すぐに馬車の準備をしろ!」
マリアが怒鳴る。ざわめきは静まったが、学生たちはすぐには動かない。
「ほら、急げ。また殴られたいか」
マリアが拳を掌に打ち付けて怒鳴ると、渋々学生たちはキャロンたちから離れ、出て行った。
「どうせ不能にされたのにな」
マリアはつぶやく。しばらくすると大荷物を抱えた料理人たちが降りてきた。
「馬車は外に用意されている。すぐに積み込め」
「はい。わかりました」
料理人たちもすぐに外に出て行った。
「マリアって、本当に世話焼きね」
学生たちや料理人が出ていくと、ベアトリスはあきれ顔で言った。マリアは無視して命令を続ける。
「もうここに戻ってくることはない。忘れものなどしないようにしっかり確認しろ」
そうしていると、入り口でまたざわめきが起こった。マリアが向かおうとすると、入り口から小柄な女性が現れた。学生たちが彼女を見てざわめいている。
「おーい、戻ったぜ」
その小柄な赤髪の女性はよく似合う赤いワンピースを着ていた。
「あら、アクア、イメチェン?」
学生たちも穴が開くほどアクアを見つめている。
「ちげーよ。アーマーがなくなっちまったんだよ。あの馬鹿、私の予備のアーマーまで盗みやがって。特注なんだけどなぁ」
アクアはずかずかと中に入ってくるとマリアを見て手を上げた。
「よう。マリアじゃねぇか。久しぶり」
しかしマリアはアクアに答えずに学生たちに怒鳴りつけた。
「手を止めるな。早くしろ」
学生たちは慌てて作業を続ける。
「あの、マリア様」
マリアが彼らの準備を見張っていると、階段を降りてきたカーメラが声をかけた。
「荷物はまとまったか」
「はい、大体は。マリア様。姫様がお呼びです」
「荷物を運んで欲しいのか。だったら学生どもを向かわせる。毅然としていれば襲われるようなことはない」
「いえ、そうではないようです。とにかくマリア様を連れてこいと」
マリアは肩をすくめた。
「わかった」
仕方がなく、マリアはカーメラに連れられて再びヴィヴィアン王女の部屋を訪れた。すでにヴィヴィアン王女も出発の準備が整っていた。いつも通り豪奢な鎧を身にまとっている。しかし顔が赤い。欲情する体がどうしようもないのだろう。
「なんの用だ」
マリアが問うとヴィヴィアン王女は笑みを浮かべた。
「マリア。あなたを雇うわ。これからずっと私の性欲を納める役割をあげる。付いてきなさい」
「断る」
マリアは即答する。しかしヴィヴィアン王女はその答えを予想していたようで表情を変えなかった。そして剣を抜く。
「だったらあなたはいらないわ。死んでちょうだい」
侍女たちが驚いて離れた。
「意味の無い行為だな。もうそろそろ出発の時間になる。急いでくれ」
マリアはヴィヴィアン王女に背を向けて部屋を出ようとしたが、そこにヴィヴィアン王女が斬りかかってきた。マリアはもちろん警戒していたので、その剣を避けて飛ぶ。
「本当は、もっと大勢の前であなたを殺したかったんだけど、もういいわ。私の元を去るというのなら、死になさい」
ヴィヴィアン王女は呪文を唱えた。そして炎の矢を打ち出すとともに斬りかかってきた。マリアは剣に魔力を込めて炎の矢を打ち落とし、ヴィヴィアン王女の剣を受ける。ヴィヴィアン王女はマリアの剣を押し返すと、更に鋭い剣戟でマリアに迫った。マリアはいつも通り、その剣を受け払う。
練習試合でも常にマリアは防戦一方だ。ヴィヴィアン王女はマリアの防御を切り崩せない。ヴィヴィアン王女は素早く呪文を唱えた。
その瞬間マリアの動きが変わった。ヴィヴィアン王女の剣を受け流すといきなりヴィヴィアン王女の懐に潜って腹に蹴りを打ったのだ。
「ぐっ」
ヴィヴィアン王女は大きく後ろに飛ばされて転がる。しかしすぐに剣を突いて立ち上がった。
「姫様も気づいているだろう。姫様は私に勝てない」
ヴィヴィアン王女の目がつり上がる。
「ふざけたことを!」
ヴィヴィアン王女が素早く呪文を唱えて雷の矢を撃ってきた。マリアはそれをやはり剣で弾く。同時に斬りかかってくるヴィヴィアン王女の剣に対し、マリアも強く打って出た。途端にヴィヴィアン王女は防戦一方になる。マリアの力強い剣圧を受けきれずに押し返されていく。
「っ!」
ヴィヴィアン王女は呪文を唱えようとしたが、また蹴りを胸に撃たれて呪文が途切れる。
「魔術師との戦い方は知っている。呪文を唱える隙など与える気はない」
再び斬りかかってくるヴィヴィアン王女の剣を鍔元で受けると、マリアは強引にヴィヴィアン王女の剣を押し返した。その瞬間マリアの目の前に強い光が生まれた。
「!」
「死になさい!」
マリアの視界が一瞬奪われた隙にヴィヴィアン王女の剣がマリアの首を狙う。しかしマリアは身を回転させてヴィヴィアン王女の懐に潜り込むと、鎧をつかんで背負い投げた。
ヴィヴィアン王女は床に打ち付けられる。
「なるほど、簡単な魔法は呪文無しでもつかえると聞いていたな。油断した。今のはいい攻撃だったぞ」
ヴィヴィアン王女を見下ろしながらマリアは不敵に笑う。
「このっ!」
ヴィヴィアン王女が剣を拾おうとしたが、マリアはその剣を蹴り飛ばした。ヴィヴィアン王女は下から射殺すような目でマリアをにらむ。
マリアは肩をすくめた。
「もう諦めた方がいい」
ヴィヴィアン王女はそれでも立ち上がると、走っていって剣を拾い、また剣を構え直した。マリアは逆に剣を降ろす。
「姫様。私は近衛女性部隊をそれなりに気に入っていましたよ。しかし私マリアは今日ここで除隊いたします。二年間ありがとうございました」
「許さないわよ。絶対に!」
ヴィヴィアン王女はマリアをにらみながら剣を構えていた。しかしもうマリアはヴィヴィアン王女を相手にする気はなかった。
「ご随意に」
そしてマリアは、壁まで避難して震えている侍女たちに声をかけた。
「もう時間がない。すぐに学生を向かわせるから、荷物を運ばせろ」
マリアは部屋を出た。
マリアが一階まで降りて来ると、再び学生たちがキャロンたちに群がっていた。女が一人増えたので、更に盛り上がっているようだ。レクシアだけが後ろに下がって隠れようとしていたが、他の三人は学生たちに愛想を振りまいている。
「何をしている。持ち場を離れるな」
マリアが怒鳴ると、すぐに彼らは女性たちから離れた。キャロンたちも特に引き留めもせず手を振っているだけだ。
「えーと、もういつでも出発できます」
学生の一人が言う。
「五階に二人行け。姫様の荷物を運べ。すぐに姫様と侍女の三人が降りてくる。わかっていると思うが、全員高貴な方だ。下手なことをすればおまえたちの首が飛ぶと言うことを理解しろ」
慌てて学生たちは階段を駆け上がっていった。
やがてヴィヴィアン王女と三人の侍女たちが現れた。
「マリア。まだ私は諦めていないわよ」
ヴィヴィアン王女がマリアを見つけるとにらみつけた。マリアは肩をすくめる。
「あら、元気になったの。良かった」
そのときヴィヴィアン王女の耳元で声がした。
「ひぃっ!」
ヴィヴィアン王女が振り返るとすぐ脇にぺったりとベアトリスが張り付いていた。
「い、いやーっっ!」
ヴィヴィアン王女は逃げようとして壁に体を打ち付ける。
「あら、そんなに嫌がらなくても良いじゃない。一緒に楽しんだ仲でしょ」
ベアトリスが近づいていくと、ヴィヴィアン王女は顔を真っ青にして壁を背に腰を落とした。マリアがベアトリスの肩に手を置いた。
「悪趣味だぞ」
ベアトリスがわざとらしいふくれっ面を作る。
「もう、マリアったら優しいんだから。今晩は寝かさないわよ」
「そう言うのは後にしてくれ」
そしてマリアはおどおどしている侍女たちに言った。
「姫様を連れて馬車に乗り込んでくれ。急げ」
マリアはベアトリスの前に立って、ヴィヴィアン王女の視界に入らないようにした。マリアも馬車まで着いていき、全員が馬車に乗り込んだのを確認してから、マリアは学生たちに告げた。
「おまえたちの仕事は、姫様を無事にダグリシアに送り届けることだ。わかったらすぐに出発しろ!」
馬車はグレスタ城を出ていった。
マリアは馬車が見えなくなったところでやっと息をついた。マリアが城の中に戻ると、一階の広間でアクア、キャロン、ベアトリス、そしてルミナを抱いたレクシアが出迎えた。
「ご苦労様。マリア」
「ずいぶんお人好しだな。なにか思うところでもあったのか」
「保身のためだ。私は行方をくらませるつもりだからな。後腐れ無いようにしておきたかった」
マリアはそのまま二階に上がろうとした。そこにベアトリスがすたすたと近づいてきてマリアの腕に抱きついた。
「何だ、いきなり」
「あら、忘れたの。後で相手をしてもらうって言ったじゃない」
「夜になる前にはグレスタに行きたい。あまり時間は無い」
マリアもすぐにグレスタ城を去るつもりだった。ヴィヴィアン王女たちと一緒に出発しなかったのは、これ以上彼らに関わり合いたくなかったからだ。ダグリシアは大変なことになっているらしいので、しばらくはマリアにちょっかいをかけようとしないだろうが、時間が経てばどうなるかわからない。さっさと行方をくらませた方が良い。
「泊まっていけば良いだろう。部屋は余っている」
「断る」
マリアは即答した。王家も厄介だが、キャロンたちのそばにいるのも同じように厄介だ。トラブルを巻き起こす彼女たちのそばにいれば、巻き添えを食いかねない。マリアはベアトリスを振り払おうとした。しかし腕がまったく動かない。
「マリア、甘い。私から逃れられるわけないでしょ」
見た目からも体格からも力では明らかにマリアの方が力は上なのに、腕は自由にならなかった。何か仕掛けがあるのだろう。
「そういえば、結局一度も女と○○できなくて欲求不満がたまっていた。マリアの○○に出し尽くすというのも良いな」
キャロンが唇を舐める。マリアの背中に冷たいものが走った。
「あら、女と○○しなかったの? 残念」
「変態王女の顔に○○したくらいだな。そもそも女が少なかった」
ベアトリスが思案する。
「その程度なら、魔法はかからなかった、かな? もしかしたら子供ができにくくなったかも知れないけど」
「あんたがどんな魔法を使ったかわからなかったから、極力マリアには体を触らせなかったしな」
マリアもそれには気がついていた。初めの頃はそうでもなかったが、マリアがキャロンの世話をするようになってからは不自然なほどにマリアを遠ざけていた。
マリアは何とかベアトリスを振り払おうとしたが、無駄だった。どうにもベアトリスは、マリアが力を入れようとする方向を読んで力が入らないように誘導している。
とうとうマリアは諦めた。
「仕方がない。今夜は泊まらせてもらうか。どうせ嫌と言っても放す気は無いだろ」
もちろんその夜、マリアは自分の選択を後悔することになった。